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2014/11/08

サラリーマン「ストレスチェック」義務化は効果があるのか

リンク: サラリーマン「ストレスチェック」義務化 「会社」が知らなければ意味がない (1/3) - ITmedia ニュース.

ストレスチェックの義務化が行われるという。
会社による社員の健康管理としてストレスを観点にいれるという考え方は良いのだが、方法論に大きな問題がある。
科学的にも論理的にもまた実体験に照らしても疑問が多すぎるのだ。
そもそもこれで一体何をしたいのかが全く伝わってこない。

「カネのムダ」
「天下り先の創設か」
「解雇理由の基準を増やすための方策では」
「お上認定の社員の“選別”だな」
「会社の免罪符づくりに荷担」
などとさんざんないわれようなのも当然だと思う。

私自身もストレスでおかしくなったことは何度もあるし、周囲にもそういう状況を見てきているので、そういう経験を含めて考えてみたいと思う。

観点が小さすぎる

厚生労働省の「労働安全衛生法」の範疇でやっているからダメである。
今起こっている問題を解決しよう、という観点が支配しているのでその根本的な問題を解決するまでの発想力も権限もないし、それ故に上位の法律を変えることもできない。
対処療法的な観点が支配しているのでどんどん話が複雑化して問題が噴出する。

「過剰な負担があった場合、会社は労働時間短縮などの措置を取らなくてはならない」

一見まともそうな意見だが根本的に問題をはき違えている。
そもそも過剰な労働時間は負担とか関係なく悪であり、是正が必要だ。
後述するが、グローバルスタンダードで言っても“残業時間ゼロ”が基本軸である。
今の日本にとってはそこがまず目標とすべきところである。

また現実にこの手の問題の「是正措置」がまともに行われたことは無い。
無視ならともかく、行われたとして酷い例はいくらでもある。

例えばAさんがこれに適用されたとしよう。
Aさんのいる部署は新規事業をしているので仕事は多いもののやりがいはある部署だ。
しかし業務量は多く開拓なので人もそれほどいないので残業も非常に多くなる。
日頃の疲れやプライベートのこともありストレスチェックに引っ掛かってしまった。
是正と言うことで業務量を減らすために工夫した結果、“前線”からは外れて庶務的や他の人の事務的なサポートに回ることとなった。
上司や課員も変わらないからその負担はないなどのとても良く考えてくれたのは分かるし残業は激減したが、毎日の定型的な事務作業ばかりで仕事の達成感は無い。
他の人が様々な新しいことをやっているのをみていると羨ましくて仕方が無い。
肉体的・精神的には助かるが、早く帰るのが申し訳ないし悲しい気持ちも否定できない。
そういう日々が続くうちにストレスは却って溜まり、無気力にもなってしまった。

これは作り話だが、こういう作り話が容易に浮かぶほどに似たような事例はいくつも見ている。
良い会社で措置を受けなくても自主的にきちんとフォローしてくれているのが分かる。
しかしそれで問題が解決したわけでは無く、緩やかに悪化してしまうことも多いのだ。

「是正措置をすること」で解決するような簡単な問題では決して無いのだ。
そして本質的に人ひとりの人生が直にかかっている問題でもある。

ペーパーテストでストレスチェック

ペーパー問答によるストレスチェックを受けた経験のある人は多いと思う。
似たような質問が前後に出てきたり(しかも微妙に表現を変えている)、回答者の“偽装”を防ぐための工夫は色々されているようだ。

ストレスを溜めて精神的におかしくなっている時は二重人格的になり自己防衛機能が働いているものだと思う。
単純には「おかしくなっている自分」と「それを客観的に眺めている自分」である。
この段階はまだ「大丈夫」な部類だとは思うが後者が消えかかっている時はもう取り返しがつかなくなっているのだと思う。
それでも衝動的行動が持ち上がってくるのを抑えるのは後者ではある。

様々な行動(反応的に求められること)は前者が支配的なので、実際には様々な行動を観察する方が重要であり、例えばメールでの応対であるとか、自分のペースで行動するような場合には後者を支配的にして行動することがまだできている。

つまりペーパーテストに答える時にはまだ多分に“大丈夫な”方が回答することができてしまうのだ。
これは結局“誤診断”である。
二重人格というと誤解されるが、「本音と建て前」と言った方が良いかもしれない。
会社人なんて「建て前」で応対するのに慣れているから、ペーパーテストにも「建て前」で回答するなんて朝飯前である。

まだ偽装しようという気があるうちはマシで、悪化すると「どうでもいいや」という気持ちが強くなって、例えば単純に「1」だけに○をつけて終わらすという行動にも出る。
これは「自分は全く問題ないから適当に書いて出す」という行動と見分けがつかない。

会社に見られるかも知れない“書類”に「私は何もする気が起きない」などと、例え事実であっても書けるのだろうか。常識で考えれば分かるだろう。
そういう判断はまだできるレベルでも、もはやかなり酷い状態になっている。

長時間労働とストレス

ストレスは健康被害や精神障害へは直結はしない。
長時間労働も本質的にはストレスとは直結しない。
長時間労働になる生活下では、睡眠時間が極端に削られたり、不規則な食事や適度な休息が入らなくなるからおかしくなるのだ。
そしてそれが月・年単位で続けばおかしくならないほうがおかしい。

日本の会社の傾向のようだが、昼休みはしっかりと一時間は取っているが、定時以降と残業時間の間の休みは比較にならないほど少ない。15分とか長くて30分である。
つまりほとんどまともに食事せずにその後4時間なりの長時間労働をすることを強要される。
海外でも“エグゼクティブ”は深夜まで働くが、夕食は家族で取るなど含めてしっかり取る傾向があるようだ。
その違いは大きいのでは無いか。指導や法制化するなら改善点はこんなところにもある。

私の実体験一つ例として出そう。
半月ほど出張してその先である部品を完成させるという仕事があった。
より効率よい作業を遂行するため、設備的な問題と相手先でテクニカルな補助を受けやすくするために出張となったのだ。
突貫業務であり、他の業務もあるので一日でも早く上げて戻るようにとの指示であったから、毎日夜中の12時頃までの仕事となった。

しかし食事はきっちりと時間を決めて取り、きっちりと息をつくようにした。
幸い出先には同ビル内に良い食堂がありしっかりとした食事を取れた。
(この時、既に海外の夕食は家族でとるのくだりを知っていたこともある)

社員的には自分一人であるからこそ、自律的にできた。
夜も12時には切ってその後は一切仕事はせずに睡眠確保のためきっちりと時間を取った。(いわゆる持ち帰りの類は一切やらなかった)
さすがに連日出張先で12時迄やっていればもっとやれと上司も怒るほど鬼では無い。

仕事の内容自体は(技術的に)楽しいものではあったが、実際きつい仕事だった。
難易度も高く、うまく進まないこともあり、ストレスという意味ではかなり溜まっていたはずだ。
この出張の間の作業によるストレスはほぼかからず、部分ではあるが大きな山を越えたという達成感や開放感で、出張先から帰る時にはむしろ気は晴れていたほうが大きく勝っていたと思う。

ストレスは悪なのか

例えば野球選手はバッターボックスに立つ時には最も緊張する。
場面にもよるが、基本的に自分の給与が決まる重要な“仕事”であり、もっともストレスがかかるところである。
しかしそのストレスが集中力を生み、より良い結果を導き出す。

ストレスが問題なのは、そのストレスが長時間・長期間かけ続けられることではなかろうか。
バッターボックスの例で言えば、そもそも試合自体が一日に2,3時間程度であり、一人あたりのバッターボックスにいる合計時間は10分にも満たないだろう。
そのストレスで「おかしくなる」なんてことはあり得ない。
(むしろそのストレス(緊張)を感じなくなったから引退する、という人もいるようだ)

ストレスの性質にもよる。
その人にとって望むものであれば、むしろ快楽である。
多くのスポーツはストレスがかかるにも関わらず、それを求めていく。
多くの(コンピュータも含む)ゲームもそうである。ストレスと解放が本質という人もいる。

逆につまらなく、くだらなく、単純なものであれば、それは単なる苦痛でしかない。
仕事で言えばその人がその仕事に興味を持ち、楽しさを感じるかどうかである。
全く同じ仕事であっても人によっては楽しいと思えるし、逆に苦痛と感じる人がいてもおかしくはない。

ストレスは何で測るのか

どんなものであっても、その測定方法を誤っては正しく把握することはできない。
科学においては測定は基本中の基本であり、正しく測るにはどうしたら良いかと言うことについて常に腐心している。
測定器をただ繋げば測れると思うのは素人にも程がある浅はかさである。
ましてやストレスという人間の心理状態を測定する方法は、ただでさえ研究が浅く、確立されていないし難しいとされている。

さらにいえばこの一連の話の中で、ストレスと躁鬱状態とが混同されているのではないのか、という疑念を持ち得ない。
ガイドラインとかで作ろうとしているストレステストなるペーパーテストもそのあたりがきちんと科学的な検証の元に作られているのかが極めて怪しい。
基本からして例えば躁鬱状態と躁鬱病は区別されるべきものであるし、ストレスを含めて因果関係はあるが混同してしまうのは論外である。

もちろん研究によりストレスがかかっているかどうかを科学的に測ることができるとされる指標はある。
ストレスによって人間は生理的にも様々な防衛反応を示す。
脳からはその時の状態に応じて様々ホルモンが分泌されており、血中からそれらのなかの特定物質の量を測り、その変化によってストレス具合を知ることができる。
重要なのはその量では無く、その量の変化である、ということである。
量自体は個人差が大きいのでその人個人の変化量で知るしか無いのだ。
初めて測って「あなたの○○の量は○なのでストレスがかなりかかっています」なんてことは言えないものなのである。

そもそもストレスというのはある人にとっての外的要因である。
外部からかかっている物量を、それをかけられている人の状態で測ろう、というのが論理的に無理がある。
外からかかる重量(負荷)を、それによってかけられているものの歪みや破壊状態で測ろう、というような話だ。
お題目が「ストレスチェック」というのならば、やっていることが無茶苦茶であることが分かると思う。

ストレスチェックは本質からのごまかし

安倍政権全体で感じるのは「論旨のすり替え」「お題目と実態の乖離」である。
まあ政治なんてそんなもんであるとはいえるが、目に余るほどにひどい。

ストレスからの解放に最も効果的なのは、労働時間短縮である。
一日8時間労働であり、土日祝日が休みであればストレスや過労で問題が起きる、なんてことは殆ど起こりえない。
会社ですごく酷い上司がいて、業務も年中暇無しで、仕事もつまらなくて、でも定時に帰れて土日が休みならいくらでも気分転換ができる。
まずはそこを確実に実施すれば良いだけのことである。
その上で有給休暇等の完全消化が行われれば更に良い。

そこから目を背けて「ストレスチェックの義務化」などというごまかしをしているのが安倍政権である、と言えるのでは無いか。
そこにあるのは会社経営陣の集まりである某団体との癒着構造である、としか言いようが無い。
ホワイトカラー・エグゼンプションなる悪法(言っておくが別にそのコンセプト自体は構わないのだが日本版の実施内容が酷い)もそれへの迎合策であろう。

労働時間の規制やらは会社の自主性などもあり難しい、監督も難しい等というが、実は至極簡単である。
超過勤務分の割増しを現行の4割から5割に法律で義務化すれば良いだけだ。

この数字を“ちょっと”変えるだけで、会社の経営・経理上、新規に雇った方が安上がりになる。
雇用も増えるし、一人あたりの超過時間も当然減少する。
これは複数の会社経営者自身がこの手の議論でたびたび言っていることでもあり、ここが“分水嶺”であるようだ。

超過勤務の常態化が現在の日本の様々な問題の要因になっている。
一部後述するが、過労死問題、会社員の自殺問題、雇用率問題、少子化問題(社会福祉の財政問題でもある)、女性活躍問題(夫の家事育児参加も含む)、ブラック企業問題、国内購買力の低下問題、等々の諸問題の大きな要因となっているのだ。、
そうでなくても日本の労働条件はILOから諸外国に比べて酷いから改善しろと散々言われているのである。

しかしそれは当然会社の大幅負担増になるので経営者に迎合する安倍政権ではやろうとしない。
グローバル的にはこの程度の割増しは当然であり、日本の方が遅れている。
これも都合の良いところだけグローバルをうたう安倍首相らしいといえる。

それどころか「ホワイトカラー・エグゼンプション」という考えを悪用して本来は超過勤務分となるところをゼロにしようという施策をとっているのだから、方向としては逆行であり呆れる以外ない。

そもそも目指すべきは“残業ゼロ”

「職場での女性活用」なるものを本気で訴えるのなら、まずは“残業ゼロ”の完全実施社会を目指すべきである。
逆に言えばこの実現無しに「職場での女性活用」はあり得ない。
超過勤務が常態化している職場で、女性の「活用」を望むことは不可能だ。
手のかかる歳頃の子供がいればむしろ時短勤務を望みたいぐらいだろうし、実際にそうしている人が職場にもいる。

仕事と比較すれば家庭を大事にしたいという傾向が比較的女性の方が強いわけで、残業により家庭(子供)が犠牲になるのでは本末転倒と考える。
家庭が犠牲にならない範囲なら、精一杯仕事で能力を発揮したいと考えるのも当然である。
単なる重視する点が異なるだけである。
(最近は男性も同じように考える傾向があり、良い意味でグローバルスタンダード化していると言える。)
そこを見越せないようでは「女性活用」なんて日本ローカルな発想の男による自己満足的な押しつけである。

「家事」という現実がある以上はぎりぎりでバランスをとるか、どちらかが諦めるかしかない。
それではダメだ。
どこまでいっても「出産」は女性がする以外の選択肢は無い。
「育児」も男性はそれまでの教育的スキルを含めて難しいのが現実だ(もちろんやることには私は大いに賛成だ)
一方で現状を嘆きながらも「バランスを取る」という選択肢が日本でのDINKSという結果となり少子化につながっている。

他にも「介護」の問題がある。老人はもちろん病人の場合もある。
それを“プロ”に任せるのでは無く、病院等から追い出して家庭(個人)負担の方向に持って行っているのが昨今の行政である。
その負担をかぶるべきは女性が当然であると言う社会風潮がある。

通常でも子供がちょっと病気すれば病院の付き添いや看病が必要だ。
男親が「子供が風邪を引いたので休む」と言ったら「奥さんも風邪で倒れているの?}とか「奥さんとうまくいっていないんじゃないか」とか「なんで奥さんにさせないの」とか散々言われるのがオチである。

「女性を活用」するというなら前提の一つとして“残業ゼロ”社会を目指すべきである。
残業が常態化するような業務負担を解消するためにワークシェアすべきである。
普通に有給休暇を適時取れるようにすべきである。

この点でも政策の整合性がとれていない。

実効性のある政策を

重ねて言うが、至極簡単でグローバルスタンダードな政策は「残業代(超過勤務時間への給与)の割増し率の増加」である。
難しいシステム設計等は不要で4割から5割にするだけの数字の変更だけだ。
税金や人員等おカネも一切かからないしフォローも必要ない。
それだけで状況はかなり動く。

社員は(同じ労働時間に対して)増収になるか、(既に残業ゼロの人は)変わらないかだけだ。
法人税を下げてまで参入を期待している外資系企業は何ら文句は言わない。
世界では常識レベルだからだ。

苦しむ(“損”をする)のは「日本ローカル(非グローバルな)」な思想で「社員の残業頼みで維持している」旧式の会社だけである。
はなから残業など皆無である会社は何も変わらない。

実効性のないお役所の“通達”やら“指導”なんかより覿面に効果がある。
カネが絡むのだからトップから「残業なんか認めん、さっさと帰れ」となって当然である。

もちろん残業というのは突発的事項への対応もありゼロは困難かもしれない。
しかし超過勤務をゼロにすることは可能である。
月給制度の会社なら月間労働時間に対しての超過勤務時間に対して支払っている。
他の日で超過分の勤務時間を減らせば良いだけのことだ。

経営者が「残業代割増しを増やすことは負担増であり反対」と言うことは、超過勤務を前提として経営をしているということを自白しているようなものであり、それ自体が社会悪であると我々は受けとめるべきである。
超過勤務自体は多少は発生するが本来はゼロが望ましい、という観点に立てば、最低でも「いたしかたない」と考えなければおかしい。

月間80時間や120時間もの超過による問題もあるが、それも解消するだろう。
なお解消しないのならばさらなる引き上げなり、異常超過に対してはさらに“累進”設計をすれば良いだけのことだ。

不払いが増える懸念の声もなぜか出るが、言うまでも無く“不払い”は完全な違法行為だからガンガン摘発すればよい。
不払い問題は労務問題に留まらず、不正会計や脱税の疑いにも拡がり、大問題なのである。
(いうまでもないが脱税は国家に対する反逆行為であり、重罪であるというのが法的観念である。この点も日本は比較的甘い)
つまり厚生労働省管轄の問題にはとどまらず、国税庁や経産省の管轄問題でもある。

労働の「自由度」をというのなら

ホワイトカラー・エグゼンプションも含め、もっと自由度のある労働体系とかいって超過勤務への手当を否定する考えもおかしい。
仕事は年間を通して変動があるから、というのならば、例えば年間での総労働時間への超過勤務に対して調整すれば良いだけだ。
年間を通して変動が大きく、増員はデメリットの方が大きすぎるという声もあるようだ。

それなら忙しい月は超過もやむなしだが、暇な月は標準よりも少ない総労働時間でも良しとすればよいだけだ。
年間で締めて、それへの超過勤務に対して支払うようにすれば良い。
形式的には年に一、二度のボーナス(一時金)の制度でやっていることだ。
マイナスにすると面倒だからその辺は現場での調整にすれば良いだろう。

超過分を纏めて有給休暇とする、としても良いだろう。
ただしそれが取れなかった場合は超過分として精算すべきなのは当然だ。
きちんと取れるようにマネージメントするのもマネージャーの仕事である。

もし年間を通して大きく超過するのなら増員すべきである、という観点だ。
ここでも4割増しでは増員とはならないので5割増しにすべきとなる。

仕事で多少ストレスがあっても、きつい月があっても、年間を通して比較的ゆるい時もあればストレスの蓄積は避けられ、精神的・肉体的な負担は格段に減る。
例えば「春先はきついけど夏になれば仕事が少なくなるから頑張れるよね」という感じだ。
休みが増えて旅行にでもいければ全く気持ちが違うかも知れない。

そういうのが自由度であり、時短にもなり、ストレス軽減にもなるだろう。

増員はストレス軽減になるという観点

ストレス過剰・過重労働による肉体的・精神的で疲労にダウンする、という事例で、よくみられる傾向は、特定の重い仕事がただ一人に押しつけられているということがある。

どんなに厳しい仕事であっても、複数人(チーム)で取り組んでいる場合には傾向は少ない。
チームであっても崩れていくのは、実態として仕事が誰か一人に偏り、その人が倒れ、その仕事が誰かに…と連鎖的に倒れて崩壊する、という形になる。
その場合は一見チームで動いているように見えるが実質的に特定の人が“孤立”してしまっているのである。

一つの仕事を複数の人間で共同で解決しているとなかなかストレスになりにくいものだ。
お互いに助けて相談しあってやっているような形が一番“気が楽”なのである。
あるとすれば「私だけ仕事が遅くて申し訳ない」と一人気に悩むぐらい真面目な場合ぐらいでは無かろうか(たいがい他の人は気にしていないのだが)
きちんと増員してそういう状況を増やしてあげることが普通に思う以上にストレス軽減になるのではと思う。

単なる労働時間自体が減るという効果だけではない、ということである。
もちろん一般に言う「ワークシェアリング」でもある。
これも口先だけでいくら言ってもダメで、会社側が増員のほうが“得(マシ)である状況”に追い込むように割増しを変えるべきであるという結論になる。

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コメント

メンタルチェック義務化で検索して訪問しました。
企業がやるメンタルチェックは昇進などの判断に使用しないことになってますが、実際は結果が企業に連絡されているようです。
産業医から突然連絡がきました。
チェックした企業のカウンセラーに確認したもののチェック結果は公開してないの一点張り。結果が連絡されなかったら産業医から個人宛てに連絡されないだろうと思いますが。

チェック結果をあぶり出しに使用していると捉えられても仕方ない状況です。
チェックを受ける際は注意してください。

投稿: 匿名希望 | 2015/11/14 08:42

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