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2014/10/26

新しいiPodTouchが出ない

iPhone6が発売され、しばらく経ってから電話回線無し版といえるiPodTouchが発売されることが通例だった。
発表されるとしたら先週のうちぐらいの観測が飛んでいたが結局なかったようだ。

一部意見ではCEOのティムクックが「iPodTouchを出すのは趣味の領域」だかの発言をしていることをとりあげ新型は出ないのでは、ともある。
音楽プレーヤーとしてのiPodが欲しいのだが、そこはiPodnanoや画面無しのShuffleに任せるということなのだろうか。

なぜ新しいiPodTouch必要となったのか

私の今持っているのは第4世代のiPodである。
それはiOS6しか動かないことの問題点が出てきたからである。
私はゲームは一切やらない等、比較的要求が低いのだがそれでも問題がある。

最近Kindleに興味を持っているのだが、iOS6では動かないと拒否される。
動けば多分Kindleでなんか買おうという気分まで行っていたのであるが一気に冷めた。

もっと酷いのはAppleStoreで久しぶりにiPadの現状をチェックしようと起動したらアップデートしろと文句を言われたことである。
アップデートしろというのは構わないが、実はこの顛末も酷い。
アップデートって自動じゃ無いのといぶかしんでいたらアプリストアに飛ばされて新しいのをダウンロードしろと言う。
まあいいかと思って指示通りにしたら今度はOSが古いと言われてOSアップデートしろという。
いやiOS7にはならんのじゃないのと思ったがその指示に従って別の画面に飛ばされるとそこでチェックが入り、案の定「OSアップデートできません」というメッセージが出る。
これにはさすがにカチンときた。
たらい回しを食らったあげく、「いや、できないからあきらめろ。なにがあったか知らないけど」と言われた気分である。

ここまでの顛末をまとめればアップル社から「もうお前はアップルストア出入り禁止な」と言われたということである。まったく不愉快な状態ができあがっている。

もう一つの問題は最近Safariが落ちまくるということである。
まあ、いわゆる“重いページ”で落ちる傾向があるから仕方ないかなと思うところもあるが、正直ムッとする。
酷いのはアップルのホームページやストアのページをちょっと移動するだけであちこちで落ちる。
実はアップルストアアプリを求めたのはSafariでは何度やっても落ちるからである。

問題なのはiOSではSafari以外のブラウザは許容されていないので逃げ場所が無いことなのである。
そしてWindowsのIEがごとく、Safari単体のアップデートはなく、OSに含まれているという形式になっているのが問題なのである。
WindowsならFirefox/Chrome/Safari等の逃げ場がまだあるからマシであり、例えばWindowsXPであっても最新のブラウザを使いその最新のWeb技術の恩恵を受けることができていたのである。

そんななかでAmazonアプリは元気に動いているので助かる。
大まかな価格を調べるのにはSafariよりも信用できるような気がしているのだから、傾向としてはあまりよろしくない。
まんまとそのまま買ってしまうこともないわけではない。

iPhoneは私には不要機能のせいでバカ高い

電話回線が要らないというのは私は二つの理由がある。
電話機としてのiPhone(というかスマートフォン)は信用ができない、ということがある。
今の電話機から変えるつもりはさらさらないし、新規なんて考えもできない。

それがもう一つの理由で新規として回線代が高額であり、2年間で本体代含め10万以上も支出を要求されることである。
(仮に機種変をしたとしても回線代が上がることに抵抗感がある)
回線契約不要のSIMフリー版もあるが7万以上からと、iPod想定の倍額以上だ。
回線支払いをなくすために即座に解約したとすればそれはSIMフリー版とほぼ同じ話となるだけのことであり全く解決策にならない。

iPodTouchなら本体3万程度ですむから大違いだ。
私に取って電話回線は不要な「機能」であり、ましてやそれに3,4万円も払うのはご免だ。

現行のiPodTouchではなぜダメか

現在のモノは2年前の“新製品”であり、製品寿命として疑問がある。
旧製品が容易に切り捨てられるのは、プロセッサや搭載メモリの問題、ということは理解する。
理解すればこそ次のiPhone/iPadが出た時に切り捨てられる可能性が非常に高いからだ。
次の、というのは来年のことである。
その時はiPhoe6sだとしても、2年先の7の時には切り捨てられても不思議では無い。
つまり償却的観点からは、通例で4年は持つことが期待されるものの2倍換算となり、t6万円の製品を買うも同然となってしまう。

一見安くても、実際に使用に耐える年数が少ないのではどうしようもない。
問題はアップルストアのような“純正アプリ”からすら切り捨てられるいうことにある。
(これがゲームなどでサードパーティなら不満は殊更言うほどのレベルでは無い)

「iPhone6 PlusがあればiPad miniは不要」論

別にアップル社が行ったわけでは無くどこかのライターが言った言葉なのだが、こういう発言を見たのが、こういう思いが巡っていた中なのでちょっとカチンときた。
「仕方ないからiPad miniを買うか」と思っていたからである。

言ってみれば「小さいiPad」ではなくて「大きいiPod touch」という存在である。
元々、iPad自体がばかでかいiPodだったのだから、むしろ改めて言う言葉でも無い。
値段も悪くは無い。

iPad miniはiPodからすればでかいものの、重さは300gちょっとと、まあ許容範囲である。
HP200LXよりちょっと重い感じで、私にとっての持ち出しのひとつの限界点となっている。
外に持ち運ばなくて家の中であれば問題は全くない。

Kindleで使うことも考えれば画面は大きめの方がむしろ良い。
そもそもKindle Fireあたりを買うという選択肢もあるのだが、どうにもAndroidはしっくりこない。
タブレットでAndroid端末を使ったことはある(新品が一年半程度で壊れた)が、壊れた云々で困ったという感じはなく「なんか結局なじむ前に逝ったな」という感覚だ。
タブレットはそれはそれで便利だったのだが、その後継が欲しいというまでにはいかなかったのだ。

というわけだが、結論は未だ無い。
アップルがなんかフェイントをかけているのかもしれないし、必要という感覚も薄い。

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2014/10/25

一連の大臣辞任に思う

二人の大臣の辞任と再選出が行われた。 逆に民主党など野党叩きの論調があったり、ワイドショー的に論点が変な方に行ったり、多少辟易としてきた。 なんか論点がずれているなあ、とか、多分本質からずらそうとしているんだろうなあ、とか見えてしまう。

松島前法務大臣

「うちわ」認定問題だが、これは茶番にしかみえない。
ただ、法律問題を束ねる法務大臣として「うちわといわれれば…」といってみたり、その後の言葉で「うちわの…」と自分でうちわと認めてみたり、の顛末は杜撰だ。

ここは他の大臣なら看過されてもよいところだが、法務大臣としての資質云々で追求という観点では妥当ではなかろうか、と思えてしまう。
テレビ中継のやりとりしか見ていないが、ほかの多数のやり取りの中でも問題ありとなったのかもしれない。

下敷きでも“うちわ”になるのでうちわの定義とか言い出すとややこしくなるので、議論することにあまり意味があるとも思えない。
あれだけ追求していた蓮舫氏も過去に丸厚紙に穴を開けた“うちわの機能もするチラシ”を配布したことがあるそうで、本質的な議論としてはくだらない話である。

小渕前経産大臣

兄弟の店にお金を流したように見えるとか、事務経費の流用とか、そのあたりはどうでもいい。
この程度のいい加減な話はいくらでもあるのだろう。

“号泣”(私には狂乱しかも下手な演技としか見えなかったが)会見をした地方議員をはじめ、もうマスコミが飽きたのだろうくらい叩けばいくらでも出てきそうだ。
このあたりは法整備のいい加減さもあって“道義的責任”的な話で終わらざるを得ないのだろう。

問題は「消えた会費」もしくは「会費合計より高い支出の財源」。
数千万単位の話でもあり、たかが「収支記載の期日ずれ」で秘書が実刑で投獄、議員当人も“道義的責任”や“説明責任不足”やらですっかり裏舞台に引っ込むなどさんざんな目にあった某議員の受けた“罰”の大きさに照らせば、ここは、きちんと“説明責任”を果たすべきであろう。
大臣辞任くらいで免罪になるものでは無かろう。

また新たに露見してきた「小渕ワイン」や「小渕カレンダー」も問題だ。
こちらは昔からよくある「贈収賄」の線だ。
物証が地元有権者の家にあるのだから言い訳がしようが無い。
こちらは下手をすれば公職選挙法違反、つまり議員資格剥奪である。
このあたりは昔からある話なのでどうなることやら。
“セットで”叩かれるとしたらそれはそれでご愁傷様である。

宮沢経産大臣

東京電力株保有問題である。

500株20万円相当、というと少額に聞こえる。
東電は、当然ながら原発事故で事実上の破綻して以来、株価は事故以前の5~6分の1程度になっており、当然ながらその額での評価額である。
本来の実力からすれば100万円相当といえる。
つまり「普通の状態」になればそのくらいに戻ることは考えられるわけだ。
この額が多いか少ないかはその人の価値判断だろう。

原発再稼働や汚染処理や廃炉コスト等の福島原発“負債”の国への転嫁(もしくは連結対象とならない会社や団体への転嫁)が行われれば、営業的に特段の努力の要らない電力会社という特性上、元に戻るのは、普通の会社よりもはるかに容易である。

大臣就任中は「売らない」というが、そんなのは言わなくたってそこは疑わない。
株価が暴落して最悪値は脱したが、今売ったら「損状態」だろう。
塩漬けしておいて、もっとちゃんと戻ってから売るのが普通だ。
「戻るのははるかに容易」とは言ったが、最低でも5年、まあ10年は見ないと無理と思われる。

そうはいっても“たかが100万円”程度に左右されて重大な国策を誤るようなことはしないと信じたいが、疑えば疑えるといえる。
“たかが100万”でもそれが“紙切れ”になるような方針に精神的な障害は全くならないと言えるのか。
私にはそこまで清廉潔白な人間がいるとは到底思えない。
「李下に冠を正さず」というレベルではクロにも思える。

問題なのは株を持っていることで“もっと深刻に”株を大量に持っている人の心情を察してしまうことである。
わずかでも微妙な判断を狂わすような、このような“要因”を持っていることに懸念を持たざるをえないことが、問題なのである。

政党助成金と企業献金

上記の問題は税金から(給与等以外に)支給される「政党助成金」が回ることがさらに“罪”を重くしている。

今、政党助成金をきちんと見直すべき時でもある。
なぜかといえば安倍内閣になってから、安倍内閣からなのか経団連なのか「企業献金」復活論が浮上してきている。
しかしこのことはなぜかあまり論議されない。

企業献金は一見勝手と言えばそう見えてしまう。
しかし企業からの献金は論理的に問題がある。

企業が見返りを求めればそれは政治への買収行為である。政治家からすれば贈収賄である。
企業が見返りを求めず、政党に献金をすれば、無用な支出を勝手に行ったとして株主への背任行為であり、会社員は怒るべきことである。
論理的にどちらを仮定しても問題があるのだ。

それゆえに企業献金自体はやめようという流れになって政党助成金が作られた。
「企業献金はやめましょう、しかし実情で政党運営として厳しいから税金から出しましょう」という話だったはずだ。

企業献金容認なら政党助成金は廃止すべきである。
それなのに「企業献金容認」しながら「政党助成金は続行」というのはおかしい。

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2014/10/22

「九電、太陽光発電受け入れ拒否」に対する産経の酷い記事

リンク: 【電力危機は続く】太陽光発電もう満パイ… 九電、再エネ受け入れ中止 - 産経ニュース.

最近見かけた記事で一ヶ月弱前になってしまった記事なのだがこれは酷い。

朝日新聞が福島原発で撤退の捏造記事が酷いという話を前に記事にしたが産経も酷いものだ。
一言で言えばウソで不安を煽るような記事である。
科学的・技術的にウソだとバレる話なのだが、一般人には分からないと思っているのだろうか。
それとも記者が不見識で間違っていることが分からないで書いているのか。
特に後半が酷い。

 仮に全てが発電すると、太陽光の発電効率が高まる初夏の晴れ間など、瞬間的に消費量を上回る電力が、送電網に流れ込みかねない。

そもそも、「消費量を上回る電力(量)が送電網」にあるのがごく普通の状態である。
そうでなければ不足してそれこそ電圧が急降下し停電(ブラックアウト)である。
消費量は供給量の8割程度が適当なようだが、消費予測を見誤った時など、消費量が供給量の5割台(ひどい供給過剰状態)まで落込むことも珍しいことでは無い。
(逆に不足で9割5分まで行くと「危険水域」で大口事業者などに「協力要請」が飛ぶ)

「晴れ間」は1カ所に集中して発電所があるのならともかく、分散してちまちまとあちこちに建設されているのが太陽光発電所の特徴であるから問題とは到底思えない。
全発電場所で同時に「晴れ間」がさすなんてありえない。
だいたい「晴れ間」がさしたからと言って個々の発電量で見てどかんと増えるわけでは無い。
“太陽光”発電という言葉に惑わされているのだろうか。
薄曇りでも結構「明るい」わけで、別に直射日光である必然は無く、光があれば発電する。
ぶっちゃけ蛍光灯でも“太陽電池”が発電するのを知っている人は多いだろう。(例えば太陽電池式の電卓は夜間の蛍光灯下でも当然使える)

もっと言えばどんな最悪でも本当に対応できないほどの供給量がおきるのなら元を「切って」しまえば良いでは無いか。足りないのはどうしょうもないが、多いなら切れば良い。
それが本来の「接続拒否」ではないのか。
そんなこともできないのか。
なるほど「スマートシティ」が今の旧態依然の電力会社の発想からは程遠いわけだ、と馬鹿にしたくもなる。

  需給バランスの崩壊は周波数の乱れを招く。九電は既存の火力発電の出力抑制などで対応するが、周波数が乱高下すれば、半導体など精密機械の生産現場では不 良品が続出することになる。そればかりでなく、発電所の発電機に負荷を与え、連続的な大規模停電(ブラックアウト)さえ引き起こす事態となる。

まず周波数の「乱降下」は大嘘である。
下がるわけでは無く、供給量が増えると負荷が減ったように見え、発電モーターは早く回転してしまうので周波数が上がる。書くのなら「急上昇」である。
もちろん負荷が減ればフィードバックがかかってエネルギー供給量を減らし回転を抑える方向に働く。そこを言及しながらも「乱高下」などと煽るからひどい記事だ。
それもせいぜいが微動で「乱」なんてありえない。

この現象は火力だけでは無くモーター方式の発電所では全て起きることだ。
当然原子力も同じである。
そしてその影響をもろに受けやすいのが原子力発電と考えられる。
火力は燃料の投入量で比較的調整ができるが、原子力はできない(原理的にも困難)、
なるほど太陽光は原子力再稼働をした時に短所が表面化してしまう「敵」なのかもしれない。
そう考えればこの産経の過剰反応や各電力会社の反応はある意味理解できる。

ところで負荷の大規模な変動は従来の日常でも起こることである。
一日のスパンで見れば供給量は一定で消費量が9割越え~5割台ということは夏場ではよく見られる光景だ。特に暑い夏場・お盆前後は工場やオフィスが動きながらも休みの人が多くて在宅消費も増え、ピーク量も一年の最大になることが多い。
急に暑くなってエアコンをつけだしたのか、どかんと消費量が上がることもある。
逆に例えば雷が変電設備に落ちて、ある一定の地域が停電することも珍しくは無い。
当然ながら数千世帯、場合によっては数万世帯規模の負荷分が急激になくなる。
それは太陽光の「晴れ間」程度の変化よりもはるかに変動が大きいはずである。
しかしそれで周波数変動やらが問題になったなんて聞いたことも無い。

精密機械云々もひどい煽りである。
周波数安定度が時計に使えるほど正確なのは日本ぐらいで、特に東南アジア各国なんて電圧事情も含めてひどいものだ。
そこに半導体などの工場は普通にある(というか東南アジアは今や世界の工場地帯である)。
なんで問題ないかといえば簡単な話で元から電源周波数なんかに頼らず、一度直流に変換して、ステッピングモーターやらフィードバックシステムでコンピューター制御しているのが当り前なのである。

あと発電設備に負担をかけブラックアウトなんて言うのも噴飯物である。
この話は繰り返しになるので省略する。

 新規受け入れの中止は、再生可能エネルギーが原発の代替電源となり得ないことに加え、民主党政権が導入したFITの欠陥をあらわにしたといえる。

太陽光発電方式は本質的な問題が多いのは事実である。
単純に言っても夜間の発電はできないから100%の代替えはできない。
しかしそれを「再生可能エネルギー」全体を否定するのは酷い、というかアホである。
あらゆる発電方式には長所短所があるのが当り前で、それは原発だって同じである。

原発100%は理論的に不可能である。(放射能問題なんて些細な問題としてもだ)
容易に発電量が変化できないので昼夜の変化に追随できない(つまり融通の利かない)“ベースロード電源”にしか使えない発電方式なのだ。
鳩山政権あたりで言い出した「原発50%」すらも原理的に無理があると言える。

原理的に単一100%でできる(変動への対応が比較的容易)のは火力発電、特に石油・ガス方式ぐらいなものだろう。
だから基本からして「ベストミックス」を探るべきであり、性質の違う二つをあげて代替えになるならないの議論はおかしいのである。

再生可能エネルギーといっても多用で、原発に近い特徴を持つ方式はいくつかある。
例えば地熱発電はそうだ。
容易には出力量調整ができないところもよく似ており、ベースロード電源としては適しているところも似ている。また建設費に多額がかかるが運営費は比較的安い傾向なのも似ており、立地と消費地が離れがちなのも似ている。
潮流・潮力発電なども昼夜季節問わず一定に近い。これもベースロード電源向きだ。
逆に調整がやりやすいのはバイオマスなどで火力発電方式に近い。
他にも再生可能エネルギーは多種多様にあるが、これらの再生可能エネルギー全体をひっくるめて「代替電源になり得ない」という言い方をするとは不見識も甚だしい。
だいたい旧来の水力発電だって科学的には「再生可能エネルギー」だ。

最後「民主党政権が導入したFITの欠陥」をなじっただけで締めているが、むしろその問題が見え始めていながら一年半以上も放置していた自民党(安部)政権も同罪である。

FITの欠陥は確かにたくさんある。制定当時から指摘されていた。
「買取拒否」はできないのに「接続拒否」が容易にできるというのも欠陥であろう。
ただ「実際はそんなに影響は無いだろう」と看過されていたのでは無いだろうか。
なにせ制定当時は以前に補助金や買取制度があったにも関わらず太陽光発電は誤差程度しかなかったからだ。

問題はその後の修正の議論が一切起きなかったことである。
特に一年前ぐらいから現状見られるような“破綻”が見え始めていた、という人は多い。
一度補助金などをやめたことの免罪符もあったのかもしれないが「カンフル剤」として再生可能エネルギーの中でも格段の高額をつけたこともあろう。
予想外に太陽光発電のコストが乱降下し、収益率がぐんと高まったこともあろう。
各電力会社も「なんかやばい」と思った時点で「認可するな」「認可しないように修正しろ」「なんかしらの手を打て」等々の圧力(協議)を働きかけるべきである。
それを放置しておいて「買い取り拒否」を起こすなんてとんでもない話である。

許可制のモノを「作って良いよ」と認可されたので喜んで作ったら「たくさんあるから買い取れないよ」などと拒絶されたということである。
普通に考えて事業者達が「なんでそれなら許可を出したんだ」と憤るのは当然のことである。

溢れるほどの許可を出したのは安倍政府下の経産相の所行である。
市場に溢れる兆しが見えた時点で早急に手を打つべきであったのだ。
要するにその責任の多くは現政府と経産相、電力会社にある。
憲法すらねじ曲げているといわれるほどの“閣議決定”の実効力を何度も発動している安倍政権が「法律がそうなっているからどうしようもなかった」などという言い訳ができるはずもない。

それを今になってからやおら経産省あたりが論議を始めるなどという噴飯物のことをやっている。
しかも「エネルギー政策」全般を考えるような悠長なことを言っている。
あえてノロノロやることでこういう産経のような論調を“歓迎”し、太陽光発電の評判を落そうと思っているのだろうか、などと勘ぐっていまう。

それにしてもこういうことを民主党を一方的になじるのに使うというのは、まあ産経らしいと言えばそうなのだが、責任転嫁も甚だしいとしか言いようが無い。

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2014/10/06

九電、東北電... 電力5社が(太陽光発電)接続申し込みを「保留」

リンク: 全文表示 | 太陽光発電の何が問題なのか  九電、東北電... 電力5社が接続申し込みを「保留」 : J-CASTニュース.

おどろくべきは「太陽光発電」電力量

太陽光発電なんか普及しない、電力量なんかたかがしれている、取るに足らない、などと馬鹿にされてきたし、私もそんなには期待はしていなかった。

この記事でおどろくべきことは、需要の少ない春秋と限定とは言え、全需要を大きくこえる発電力量を持つ発電設備を太陽光発電だけで賄えるほどに作られた(作られることが確定された)ということである。

ちょっと前の数%とかそんな数字は明らかに少ないと思っていたが、固定買取制度(FIT)をやってもせいぜい二十%台程度と思っていた。

役人なども含め、多くの人が「そんなもん」とタカをくくっていたのではなかろうか。

さらに不可思議なのはこの記事を大手マスコミ(テレビ)などではみかけなかった。
都合の悪い話題なのだろうか。

経産省や政府の責任

なぜ急増したのか。
引き金は買い取り価格の大幅引き下げである。

引き下げをすること自体は当然のことである。
設置コストの低減は半導体デバイスであるが故に当然起きえること。
液晶テレビの下落を追うように太陽電池のコストが下がるのは当然のことだし、パワーデバイスの下落も当然起きる。
普及すればするほどノウハウも溜まって建設コストも下がる。

そこに固定買取という仕組みにより“投資”としての性格も持たせるのが狙いである。
“投資家”は投資額(建設コストの下落)と回収額(固定買い取り額)のバランスを見ながらその機会をうかがっていたのは間違いない。

こんなことは少し興味があれば常識レベルの話である。

今回の問題はそれが急激であるかどうかである。

菅政権で最初に設定された価格もだいぶ高いと考えられていたが、当時の太陽光発電量が全体における誤差の範囲内というレベルを考えれば“カンフル剤”として破格の高価格を出しても不思議では無かったともいえるだろう。

問題とすべきはその後である。
毎年、太陽電池価格や諸設備費を睨みながら、毎年(場合によって半年毎)調整すべきことではなかったのか。

何年も変わらない高い買い取り額と、下落を続ける投資額を睨みながら様子見をしていた“投資家”達が、今回の下げ幅を見て「今が買い」と一気になだれ込んでしまったのであろう。
それが一年分の申し込みが一ヶ月のうちに殺到したということである。

下げるにしてもこんなに一気に下げるべきでは無かった。
またはきちんと毎年少しずつ下げていくべきだった。

別の観点では受け付ける発電総量は規定しておいて“締め切る”べきであっただろう。
そこはコントロールは達者なはずの役人が“読み違え”たのかもしれない。
おそらくは“タカをくくっていた”からなのではなかろうか。
原発にばかりかまけていて太陽光発電の“パワー”を見くびっていたことによる失策ではないか、と揶揄もしたくなると言うものである。

国家の関与すべき内容

こうした問題解決のための技術開発や施設の設置コストは、電気料金を通じて消費者につけ回されることになる。

と書いてあるが、こうした問題は他の電力発電会社の参入を認めた時点で起こりうることであり、グローバルスタンダードから言っても参入を認めるのが当然であると言う流れを考えれば、問題解決には国家的な(少なくとも国家援助による)研究が必須である。
法体系の整備や少なくとも国単位での規格化など、国としてやるべきことはある。

根本的な電力行政(ビジョン)において送配電分離が遅きに失していた故の問題だし、それでも分離を決めた時点でどうするのか話を詰めておくべき事である。

原発なんかとっくに国家レベルの研究から手を引くべき(もう研究を始めてから半世紀は経っている)段階にあるのにいまだにカネを大量につぎ込み、まだまだつぎ込もうとしている。
とんでもない時代錯誤と言わざるを得ない。
既に“出口戦略”(いわゆる卒原発)を模索する時代なのである。

今はこういう小電力発電の参入問題に関して(いわゆるスマートシティなども同様だ)に対する国家プロジェクトや研究や国家的資金(要するに税金)投入を大いにすべき時代ではないのか。

地方創生

そしてこのことは今、安倍総理がやろうとしている、今の臨時国会で大いに論議しようという「地方創生」にも密接に関わりがある。
ごく単純な話としても、地方の市町村単位で発電事業をしようと考えた場合、いうまでもなく発電された電気を受け入れる基盤整備が必要となる。
将来の話では決して無く、今起きている話なのである。

発電事業は市町村自体が事業としてやる場合もあろうし、個人や小規模の集団、起業をしてやろうというところもあろう。
農業と発電というのも密接な関係がある。
例えば離島の電力を含めたエネルギー問題というのもある。

そういうのを助けてやろうというのが地方創生では無いのか。
原発再開には積極的に関わろうとするくせに、そういうのは我関せずで無視なのか。

今回の“地方創生”が従来と違うのは、大企業の企業誘致とかは否定し、地方の力を引き出す、というコンセプトだという。
それに照らし合わせれば、原発で住民の“理解を得るため”のカネを流し込み、発電所で雇用をつくり、結果としてムラを維持しようという発想は時代遅れである。
地産地消の電力需給を作る、地元のアイデア(ヒト・カネ・モノ)を生かした発電方式を支援する、というコンセプトがそれにマッチすることになろう。

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