« そういえばほぼ「出品者」から買ったことなかった@Amazon | トップページ | 吉田調書 調書と朝日新聞が書いた調書“引用” »

2014/09/13

朝日新聞「命令違反撤退」誤報道について

今回の件はどう書いても朝日新聞バッシングにしかならない。
慰安婦問題もそうだがあまりに酷すぎる。
誤報とされているが、取材不足とか、裏付け不足とか、そういう類では無いことが問題では無いのか。

今回問題となっている新聞記事は「吉田調書」という公的機関(政府事故調)が作った文書であり、そこに記載された文章を元にして話が展開されているようだ。
その吉田調書に誤りがありその調書に書かれた事実への裏付けが無いまま記事にされて広まったというのならそれは「誤報」で良いだろう。

しかし今回はその調書の引用が元の文から変えられていたということが大問題ではないのか。

文章の改変

今回の件が“誤報”というのなら、調書からの引用ミスということになる。

私自身もブログを書いていて引用をすることは多々あるが、引用には気を遣っている。
長い時にはどこを抜き出すか、どこで切るのか等、どう引用するかである。
結論部分を抜き出すのが定石ではある。
どこかのネット記事であればその引用先のリンクを貼るのは当然のことだ。

中を抜く場合は最低でも“(中略)”を挟むようにしている。
もちろん抜くことで文の意味が違ってしまえばそれは抜いてはいけないのは当然だ。

今回の朝日新聞のやったことは、意味が違ってしまう文章の中抜きをしていることだ。
このことに今回の報道でどこも深く言及していないことに私は大いに不信感を持っている。
例えば文章には「○○という条件下では△△である」と書くこともある。その条件を抜いてしまったら全ての条件下で「△△である」となってしまい、捏造である。

その抜き方も私が見た感覚では「文章を変える意図を持って抜いている」と見える。
誤り(ミス)であるような“自然な欠落”の仕方であるとは到底思えない。
もしこれがただのミスであると言い張るのならもう文章を書くプロとして筆を折った方が良いとすら思える。
つまり引用の捏造であり、それをもとに書いたものは捏造記事である。

秘匿性が高い文書だから一部の記者しか原文を見られず、それ故にこのようなことが起きたという。
私にはその説明は全く不満である。
今回の吉田調書の引用部はわずか1ページ以下である。その記事を責任者が確認する時にはそのたった1ページを添付すればこんな事態は防げたはずである。
何百ページにおよぶ調書の1ページをコピーすることが“秘匿性の高い”うえでの問題となるのか。
なるのなら引用して記事にする自体は問題ないのか。そういう話になる。

チェックを新聞の全ページでそれをやれとは思わないが、今回はトップページであり、しかも反響が多大であることは明確である。
それをたかが一記者の思い込みで書いた記事を検証の無いまま、そのまま載せたということ自体が会社としておかしいのではないのか。

ネット用語で言えば「ソースを出せ」である。
調書を読み取ってこういう記事にしました、というのであればその部分のコピー(イビデンス情報)をつけるべきは無いのか。

思い込みで記事を書くのか

記者会見の断片をテレビで見たり、想像したりするとひとつの場面が想像される。
記者が書いてデスクに提示したこの記事に対して疑問を持たず「ああ、やっぱり」「そうなのか」となってしまったのだろう。
「さすがにそれはない」と僅かでも思えば調書の原文コピーを求めるはずだからだ。

朝日新聞が反原発で、原発憎しの論調であるのは広く知られているが、こんなんではダメだろう。
捏造やウソを書いてまでやったらそれは反原発自体の論調すら怪しいと思われてしまうからだ。
とても残念である。

私は他の記事を見てもらえば分かるが一般的には反原発に属する。
ただ原発憎しというよりは原発のどこに問題があるのか、原発に意味があるのか、なぜ脱原発できないのか、科学的・論理的・技術的に考えてみたいと思っている。(もちろん事故直後は憎しの感情が抑えられなかったが)
感情論は容易に否定されてしまうだけだし、ウソはいずれバレることだからだ。

単純に言えば原発はメリットよりリスクがでかすぎる、ということだ。
いわゆる推進をする人達はメリットを過大評価しすぎでリスクを過小評価しすぎている。
そしてリスク回避策を甘く見すぎている(もしくは経済的に合わないとかいう理由で否定している)。

ある番組で日経新聞の人が「結論ありきで書くことはある」などと言っていた。
とんでもないことである。
そういえば日経はここ数年「トバし」記事が目につく。
日経が書くことは株価にすら波及する会社のことが多いので大問題だ。

調書が公開されるまで誤りを認めなかった

調書公開の数時間後にやっと誤りを認める記者会見を開いた形になっている。

結果として朝日新聞の“誤報”が吉田調書の公開を政府に決断させた、ともいえるが、まあ、かなり無理のある言い方ではある。

こんなものは吉田調書が公開されれば“ばれるウソ”である。
公開されないとタカをくくっていたのだろうか。
そこのところがなんとも不可思議である。

公開するよというのは管元総理の発言を含め、調書の一部実名の黒塗りとかを行ってからだとか、前から確実視されていたはずである。
さっさと認めてしまえば良いのに実際に公開されるまでやらないというのはどういう神経なのだろうか。

個人ジャーナリストや一般人従業員への名誉毀損

これの報道が誤りであることは現場を取材していたフリージャーナリストにはほぼ常識的なことだったという。
だからこそ批判記事があちこちから出たわけだが、それに対して「法的措置」などと言ったのが大問題だ。
普通は批判記事が出れば自社内でそれなりに再検証をしそうならものだし、最低でも法的措置を仕掛けるのなら自らの確証を固めるのが普通の感覚だろう。
しかし、それすらしないで、他社(他人)を法的に攻撃したわけだ。
今回の検証は難しいことではなく、調書のその一部分だけを見れば良いだけなのに、である。

記者会見自体がかなりカットされるのは当然なので仕方ないが、「命令違反で逃げた」などと断罪された従業員やその家族への謝罪はあったのだろうか。
反論をした多くのジャーナリストに対しても名誉毀損をしている。
とんでもないことである。
出してしまった記事はある程度仕方ないが、事実関係をきちんと再確認して訂正したり法的措置を取り下げる日にちはいくらでもあったのではないか。

まあ、後からは何とでも言えるが

論争があってから単純に疑問に思ったのは「命令違反で逃げた」のならなんで福島第二なんだろう、ということだった。
もちろん“シェルター機能”のある第二が安全だという判断はある。
それでも、地震自体の被害も少ない茨城・千葉まで逃げるのもありの筈である。
もしくは新潟等の日本海側に逃げるのも選択肢として考えられる。

それに現場作業員が地元福島の人間が殆どであり、家族がそこにいる人が殆どである。
地元福島の自分の家や家族を投げ出して「逃げる」という発想ができるのだろうか。

反原発派は「地元住民の気持ちに寄り添って」とかいう言葉が好きだが、果たして朝日新聞の記者デスク等が本当の意味でその感情を想像できていたのか、疑問に思ってしまう。
その言葉が希薄になってしまえば反原発という言葉も希薄になってしまう。
そのことに大いに懸念を抱かざるを得ないのだ。

|

« そういえばほぼ「出品者」から買ったことなかった@Amazon | トップページ | 吉田調書 調書と朝日新聞が書いた調書“引用” »

「原発問題」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/47063/60307310

この記事へのトラックバック一覧です: 朝日新聞「命令違反撤退」誤報道について:

« そういえばほぼ「出品者」から買ったことなかった@Amazon | トップページ | 吉田調書 調書と朝日新聞が書いた調書“引用” »