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2014/07/27

今週の東電電力管内消費電力状況

関東圏は今週に入ってから日毎にかなり暑くなっており、猛暑並みの気温を記録したところも多い様子。湿度も高く熱帯夜となったところもあるぐらい。

暑くなれば電力事情が取り沙汰されますが、実態はどうなのか。
東電の発表数値をグラフにプロットしたものは下の通り。
Graph_14_2
緑の線が消費電力値であり、グレーの縁が供給量(予想電力)になります。
このグラフからも今週日毎に暑くなっていく様子が見て取れます。

それでもピークですら5千万kw/hに届かない状況です。
関東圏では省エネがいかに浸透してきたのかが分かります。

省エネというのは、我慢する、ではなくて、単にムダをカットする、効率の悪い機器を捨てて良いものに買い換える、というだけでもかなり違ってくるんだ、ということが拡がっているのだと思います。
暑さに関係するエアコンは特に違いが出るわけで、これは企業でも家庭でも効果が高いものです。
エアコンと扇風機を併用すると効率が良いんだ、ってことも普通になりました。

家庭では冷蔵庫も買い換え効果が大きいもので、この2つで消費電力の半分以上を左右するほどのものです。(もちろん業務用冷蔵庫・冷凍庫もあります。)
ただし両方とも壊れるまではなかなか買い換えないのが一般的心理でもあるものです。
それでも実際に電気代があがってきたせいで買い換えに踏み切るところも増えたのかもしれません。

盆休みはひときわ暑くなるから心配、という人もいますが、それは間違いです。
土日祝日と平日を比較すると休みの日はがくんと下がります。
単純に会社の多くが休みになるでその分減るわけです。
盆休みも同じ話です。
事故直後と比べてもその差が目に見えて減っていますから、企業の低減推進も大きいのでしょう。

夏の消費電力ピークを減らすのなら企業の夏休みを長くするとか、夏休みを各企業で分散させるとか、そういう手段も考えられるのです。
一時期、盆休みの帰省ラッシュを分散させるために、夏休みを分散させよう、なんて話が政府与党レベルで討議されましたがどっかに消えてしまいました。
電力事情を考えて再度検討、せめて企業への呼びかけぐらいはしても良かったのでは無いのかな、と思います。

まあ、政府にしてみれば電力足りないをアピールして原発を動かしたいみたいなんで、そういう目線での政策はやりたくないんでしょうけど。
電気会社への事情を鑑みるとか、電力事情危機(リスク)への対応とか、それに伴う国民への迷惑とか、本当はそんな目線では物事を考えていないんだ、ということがよくわかります。
民主党の時、というか事故直後の時の方がそういう呼びかけぐらいはやっていたような覚があります。

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2014/07/26

中国期限切れ食肉問題

リンク: 「中国期限切れ食肉問題」で渦中の工場の実態が克明に記録されたムービー - GIGAZINE.

いまさら中国人のモラルだとかそういうのを叩くのも意味が無い。

一部の番組や専門家も指摘していたが、「工場監査」のいい加減さが見て取れる。

まず監査は他人任せや書類だけでやるものではない。
「何か起きた時に責任をとれる(表に出る)会社」の有識者・経験者・責任者等が現地に行くのが最低限というものだろう。

一連の話を眺めているとそもそも監査で何を見ていたのか、という疑問点がわいてくる。
なぜ不正を起こしたのかとか、食の安全とかとか中国人の考えがどうとか、そういうレベルの問題だけでは無いのである。
官房長官のコメントもおおぼけで「検査態勢の強化」云々とか何を言っているのだ、といわざるをえない。
このことはさすがにマスコミもツッコミをいれていたが、現実問題として税関では慢性人不足だし、所詮はサンプル検査だし、そもそも今回は細菌や毒物の基準値オーバーの類ではないのだから検査では見つけられない。

なぜ隠したブツを見逃したのか

組織ぐるみで、体系的に“監査逃れ”をしているという指摘もあったが、そんなもので見逃すようなことでも困る。
監査の前にどこかに隠していたとおぼしきブツを出してきた映像も出ていたが、その隠していたブツを見つけられないような監査もずいぶんといい加減なものだ、ともいえる。
ポケットに隠せるようなものでは無く、台車で運んでくるような量である。

おそらくは廃棄物の予定物の中に紛れ込ませたということなのだろうが、廃棄物と生産物の分離もきちんとできていない体制であった、ということが問題では無いのか。

なぜラインから落ちることを見逃したのか

ラインから落ちたパティやナゲットなどを拾い戻す場面もあったが、そもそもなぜ落ちたのだろうか、ということに言及しなければならない。
このことは、すかいらーく創業者が某番組で指摘していたが「ライン装置の設計の欠陥であろう」という。私も全く同感だ。
かなりの数が落ちているのをみるに、普通に動かしていてもぽろぽろ落ちているのではと見られる。つまり数十分も見ていれば落ちるレベルではないのか。
監査しているうちに発見すべきことである。
見ているうちに落ちなくても「これはそのうち落ちそうだ」というのはラインをじっとしばらく見ていれば分かることではないのか。そういう“不安定さ”を見るのも監査の一つである。

ミンチ肉を拾って戻している映像もあった。
あれもああいう作業自体がある程度難しく不安定でこぼれおちうる、ということを見て取って指摘すべきである。
運ぶ受け台を大きくする、逆に出るところを狭める、低い位置に受けを取り付ける等のラインの改善によって落ちるリスクの低減はもちろん、作業者も楽になるし、時間も減るかもしれないし、必要な熟練度も軽減する。

もしラインの責任者が「そんなもんです」「これは不良品として処分しますから」と言い訳しても容易に納得してはいけないことである。

もし人が落しているのならば、その人の立ち位置や腕の動かし方に問題がある。

理由はなんにせよ、ラインから流れている生産品が万が一にも落ちると言うことは大問題である、という認識が、品質確保、ロス低減(つまりコスト)面としてとても重要なのである。

トヨタ流で言えば「その一歩すらカットを検討する対象」なのである。
落ちたものを拾うためにどれだけの作業ロスがあるのか。
ライン作業(設計)の本質として問題なのである。

なぜ古い原料肉の存在を見過ごしたのか

半年も前の肉を使用した、と騒いでいるが、そもそもそんな古い肉が工場内に存在している自体が大問題である。
わざとではないのか、と疑うくらいの不自然さすら感じる。
工場内・倉庫内の状態把握ができていない、ということだからである。

そもそもまともな工場(食品に限らない)では材料(部品)の「ファイーストインファーストアウト(FIFO)」の原則がある。
原材料などはもちろん工場に外から搬入(IN)するわけだが、最も古く入ったものから順に使って(OUT)いくというのが大原則ということだ。
古く入った、と書くと違和感を感じるかもしれないが、実際には生鮮物であればせいぜいが翌日に持ち越しがいくらかある程度であろう。
そういう使い方を徹底していれば自然と最大でも一日以内のものしか工場内には存在し得ないわけだ。(まあ冷凍したものとかもあるから色々あろう)
材料を倉庫にストックしているだけでもコストであり、“動かないブツ”があるという自体が悪なのである。
つまり半年も“放置してあった”なんてこと自体が考えられないほど杜撰なことなのである。

工場監査の一つとして倉庫の状態を見るのも極めて重要なことである。
原材料の保管状態、梱包してから出荷までの保管状態、両方とも重要だ。
期限切れのものが置いてあるだけで本来はNGだ。
故意でなくても“取り違え”によって誤って投入してしまう可能性(リスク)がそこに内在するからだ。
もちろんなぜ期限切れのものが発生したのか、についても厳しく追及する必要がある。
期限切れを発生させたということは管理の不備によってムダなコストを発生させた、ということに他ならないからだ。
ここでも品質(リスク)管理とコスト管理の観点からしっかり監査すれば指摘されるべきことだからだ。

使った会社が被害者とはいえない

今回で言えば(日本では)マクドナルドとファミリーマートが影響を受けたが、かの会社が被害者づらをしているとしたらとんでもない間違いだ。
伝えられるコメントなどを聞いているとどうにも当事者意識を持っているようには聞こえない。
まあ、私個人としては最近入ったのはいつだか思い出せないほど利用しない両店なのでどうでもいいのだが(ファミマはドライブの出先のトイレ休憩で清涼飲料水やガム等は買ったかもしれないが)、使っていれば不買したくなるような印象だ。
監査能力の無さというのは、突き詰めれば「プロとしての見識の無さ」「管理能力の欠如」であるからだ。
今回の件で怖いと思ったのは中国のいい加減さに引っ張られて、日本企業もだんだんとモラル崩壊を起こしてきているのではないか、ということである。
コスト最優先のマクドナルド社が真っ先にこういう“事件に巻き込まれた”というのは象徴的なことのようにも思える。

(余談だが、私はマクドナルドのものは総じて不味いを通り越して食べたくない。誰かが善意で買ってきてくれてもやんわりと拒絶する。いわゆる“嫌いなもの”に近い。話題に上っているナゲットも出てすぐのあたりになんかの機会で一度だけ口に入れたことがあり、吐きはしなかったがすぐに呑み込んだと記憶している。なので別に恨みがあるわけでもなく口に合わないだけである。)

外資系工場であったのなら

現地でいい加減なことを勝手にやられるのを防止する方策を、本社であるほうからどれだけコントロールできるか、というのは確かに難しい問題である。

食品工場は衛生上の問題から容易に中には入れない、つまり“密室”になりやすい。
“密室”の対語とも言えるものが“ガラス張り”である。
まさに物理的に窓を大きくあけてガラス張りにし、工場のラインの配置などを含めて外(廊下)から見えるようにしてしまえばよい。
“監査”などと形式張らずとも、いつでも廊下から中が見えるようにしてしまうわけだ。
例えば廊下にカメラでも置いて中の様子を録画して後から見ても良いだろう。

親会社が金を出して工場を作らせたのなら、金を出せば口も出す、のは当然なのでそういう要求を親会社はできるはずである。
親会社からは不定期に“工場見学”に行かせるわけである。
本当に新入社員を見学に行かせても良いだろう。
廊下までは親会社正社員ならいつでも入れるセキュリティにしておけば良いだけだ。

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2014/07/24

滋賀県知事に元民主議員が当選 地方選の争点に「原発」の是非~EconomicNews(エコノミックニュース)

リンク: 滋賀県知事に元民主議員が当選 地方選の争点に「原発」の是非.

他の新聞記事では原発という言葉すら上がっていないものもあり、妙な感じだ。
そういえば昨日の話なのに今朝のテレビのニュースでは取り上げられもしなかった。

滋賀県は隣県に原発があり、福島規模の事故があれば十分に被害を被る場所にあり、水瓶である琵琶湖汚染などになればとんでもない被害を被ることになる。
それなのにその原発立地による恩恵はなにもないし、立地・稼働の是非などの意思ももちろん出せないという“不遇”な立場にある県であると言える。

だからこそ立地する県が内在する“微妙な立場”の地域はなく、その是非がストレートに出るということなのだろう。
そういう立場は前任の嘉田知事も打ち出していたわけだ。
それを後継するという形での三日月氏の出馬であり、継承したに過ぎないという見方もできる。

自公推薦の小鑓氏は「アベノミクス」を掲げてと言うことでそれを「楽勝」要因というのはどういう感覚なのだろうか。
アベノミクスなぞはまだまだ結果どころかまっとうな政策すらでていないのが現状だろう。

今の状況は自民党末期から民主党が固執した、異常な“円高”“金融締付け”政策からの解放を行った事による反動のようなものだろう。
最近は反動という勢いからの逆方向への反動(リバウンド)も見られるようになり、それが「メッキがはがれはじめた」ともいえる状況になりつつある。
しかも良い部分は殆ど庶民には感じられず、悪いところや円安による物価上昇や消費増税などで生活が苦しくなっているだけなのが実情ではないのか。
GDPは増加しているらしいが、平均購買力は前年同月比で下がっているのである。

長期の過度な円高誘導の結果として起きた“輸入大国化”が、また現在の円水準に適応して輸出がまた増えてバランスが取れるまでは少なくとも数年以上かかるだろう。
円高はこれ以上進まないから価格上昇もこれ以上はない。
ただし、今は据え置いている会社がじりじりとあげていくことはあるだろう。
貿易赤字大幅増だって、“火力発電依存によるエネルギー費の増加”なんて嘘っぱちで、輸入量は実は増えていないことなんかとっくにバレている。
円安の進行と中東不安からの先物取引市場の荒れからくる原油価格の上昇、ガスもそれに連動した価格設定をしているせいで高騰しているせいだ。

円安になったからその分価格が上がっただけであり、もちろん様々な原料も含む輸入品が高くなったからにすぎない。それが物価上昇になっている。、
本来なら輸出するものが高く売れるようになってバランスが取れるはずなのだが、長期の円高誘導のせいで輸出産業は外国に逃げて(工場を作って)しまい、元々は自国内完結するものさえも日本に輸入することになってしまった結果だ。
逃げるのもコストを払ったわけで、戻ってくるのもまたコストを払うことになる。
工場の移転というのは引っ越し荷物だけ移動すれば良いという話ではないのだから、当然時間がかかるのは当然だ。
本質はそういった“輸入大国”体質になっていたことが本質的な問題のはずなのだ。なぜかそこを隠している。

長々と脱線したがそんなことは普通に会社で、そこそこ外国を睨みながら働いているような人にはバレバレで、ここでいうまでもない話だろう。

集団的自衛権の問題も、それ自体の可否と言うよりも「国民に十分な説明」といいながら少なくとも私にはなんにも説明された感じがない。
例の記者会見もある番組の特集でほぼ全部見たが、終始何を言いたかったのか理解できなかった。
その昔某総理が揶揄された、いわゆる“言語明瞭意味不明瞭”という奴だろう。
言葉巧みに本論ずらしを続けているだけで、中身がなにもない。
つまり論争する以前の段階にまだあるのではないか。
それなのに総理大臣(や周辺の議員)は説明をした気になっている様子だ。
このギャップこそが最大の問題ではないのだろうか。

そんな背景を抱えて「滋賀県の経済再生」などといってもそれで信じろというほうが無理があるだろう。

原発は国政問題でもあるが、地域の安全保障問題でもある、というのが福島事故以来の認識ではないのだろうか。
県知事が“モノを言う”ことで一定の影響を与えるのは嘉田知事時代にみせつけているし、所在県なら新潟県知事のように直接に強い影響を与えうる。

どうせ県知事に大きな経済的効果のような期待は寄せていないともいえるだろう。
それならばこういうシンボリックな知事を選んだ方が良い、と考えた方が良いと判断した、ということなのではなかろうか。

この後は福島県知事選挙も視野には入っている段階だ。
福島県は県自民党すらも“反原発”であり、反原発が論争になりえない様相だ。
しかしそうすると県自民党と国会の自民党との整合性のなさが問題視されるだろう。
では政府はどうかと言えば経済問題等にすり替えて自分達の立場は放り出している。
不公平な税金投入の枠組みは変えないで経済問題(電力会社の判断)にすり替えるのもおかしいのだが、それはそれ、で知らんぷりを決め込んでいる。
そこを壊せば国会議員からしてみれば強い“票田”を失うことになるので手を着けられないという仕組みになっているわけだ。
発送電分離、などとぶちあげているが、今まで通り国がせっせと原発事業に税金をつぎ込んでくれれば何も痛くはないのだろう。
どうせ事故を起こしても、福島のように国がお金を出してくれると考えても不思議でも何でも無い。事故処理(賠償問題すらも)のスキームもなんら見直されていない。
世間の批判程度でしかも不買ができるわけもない。何のお咎めもなく、数年も経てば黒字にまたなる。それなら各電力会社は平気で原発を再開したいというは当然の理である。

再稼働の前に様々な問題点について大いに論議し、総括しなくてはいけない。
それをしないで「再稼働は…」などということ自体が政府の罪なのである。

これだけの事故を起こしたのに、何も教訓を得ていない、反省をしていないというのは、事故を起こした時の総理である菅氏の問題では無く、その後を引き継いできた、野田前総理もそうだが、現在の安倍総理の無作為のほうがはるかに問題ではないのか。

菅氏の問題と言えば当時総理大臣の事故処理対応に問題があった、と伝えられている。
なぜか菅氏のパーソナリティの問題にすり替えられることがあるが、問題の本質はこのような大事故に対応する官邸や電力会社の経営陣のスキームができていなかったことにある、ということがなぜかあまり取り上げられていない。
スキームがなかったから、その場その場の判断、つまり個人の判断が色濃く出てしまった結果に過ぎない。
別になんらスキーム(枠組み)から逸脱した行動は取っていなかったといえるのだ。
そこを個人のバッシングで話をすり替えているのが結果である。
この辺のスキームが事故対応の反省を受けてきちんと整備された、なんて話は全く聞かない。
官邸もだが、電力会社もだ。
事故現場での“決死隊”の“挙手”が美談にされているが、そんな現場のアドリブ的な行動が必要とされること自体が問題であり、事故前に体系化されていなければならない。
そんな論点をマスコミは話題にすらしないし、政府や与党議員も逃げ続けている。

そういった閉塞感の中での、川内原発の再稼働への、政府のおざなりな対応もひどいものである。当然ながら「明日は我が身」である。
滋賀県民の「卒原発」への反応に繋がり、結局この選挙の結果の要因になったのではないのだろうか。

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2014/07/13

マレフィセント観てみた

私はディズニー映画はあまり好きではなく、特に吹き替えをした時に酷い印象があり、まともに観た記憶が無い。
どうもディズニーのやり方とは基本的に私の好みに合わないようなので多分辛い評価になると思うので悪しからず。

この映画を知ったのは主演女優のアンジェリーナ・ジョリーさんの(この映画の番宣で来日したであろう)人物インタビューでのことである。
惹かれたのはその一点であり、他はあまり期待しないで観た。

最初に懸念があったのは、残念ながら時間の都合から吹き替え版を観ることになったことだ。
酷い映画館で、字幕版と吹き替え版は別のスクリーンで並行しているのだが、吹き替えはほぼぎっちりなのだが字幕版はその半分の数でスカスカの時程である。
まあ所詮は地方都市だし需要からしてそんなもんかというのはあるのだが。

いっそ日を改めてとすら思ったが、前もそう思って見損なった映画があるので今回はそこは押し殺して観ることにした。

主人公であるマレフィセントの声は、第一声はまあ安心した。大人になってからで人が変わることもあるのだが、その後も問題なし。
というか後半の怒りや激情、優しさなども十分な声の演技であり良かったと言える。
たぶん吹き替えに十分経験のある方なのだろう。

マレフィセントの“お付き”といえるディアバルもなかなか良かった。
ちょっと違和感があったが慣れの範囲だ。
中後半からは“生意気をいう”ようになり掛け合いもあるがそういうところも十分だ。

ずっこけたのは三人の妖精だ。声質が合っていない。
上手い下手の前にキャスティングミスだろう。そこそこ見た目年齢の高いおばさんの妖精だから難しいのだが結構重要なところであり残念だった。

オーロラ姫も今ひとつだ。最初の幼少で初めて喋ったあたりも妖精の次に違和感があって残念だったが、歳が上がってからもどうもしっくりこない。
まあ、あまり喋らないので影響は無いと言ってもいいのかもしれないが、これもキャスティングに問題があるだろう。

ストーリーなどは「まあ予想通りの展開」で「予想通りの“裏ストーリー”」であった。
その点では映画等の作品を沢山観ている「スレた」人間が楽しめるものではない。
悪い言い方で「女子供のみるもの」というところだろう。

ただそんなことはどうでもよい。
映像美、森の美しさ、クリーチャー達の造形の面白さ、演技(表情や仕草)の豊かさや美しさ、CGや特撮、音響効果なども良くできている。
マレフィセントの美しさとオーロラ姫の無邪気さ・可愛らしさが良く表現できている。
そういうのを楽しむという意味では高い点数をつけることはできる。

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と一通り書いたところで吹き替え役が誰だったか気になってきたので確認してみた。
ネタバレサイトなどで調べてみると最後の最後で一覧が出ていたらしい。
終わってエンドロールが出たところでラスト曲もいまいちだったこともあり退席してしまったのでみていなかったのだ。

マレフィセントは深見梨加さん。
いまだリバイバル作品も作られ、グッズもなぜか売れ続ける「セーラームーン」の愛野美奈子(ビーナス)役を演じていた方で(今調べたらデビュー作だったようだ)もはや中堅以上の方だ。
アニメでは主役格はほぼないのだが、テレビやビデオの洋画吹き替えでは名前をよく見る方である。

ディアバル(正確にはディアヴァルらしい)阪口周平さん。
この方も洋画吹き替えでも見るし、声優としても有名で中堅以上だ。

なるほど、この二人で固めたのは正解だっただろう。
この2役の存在感というのがこの映画を形作っているからだ。

サイトによってはこの二人が決まるまでは時差があった様子もある。
選定で揉めたのかもしれない。
よく話題づくりのために有名な誰々を使って、というのはよくあり(声優さんは名前がしれていないのが普通)、それで作品が残念な事になる例もよく見かけるが、そこは間違わなかったということだろう。

オーロラ姫は上戸彩さん。
うーん。これ以上は突っ込まないでおこう。
幼少期とで変えていないのもアレだが、まあ出番から言えば仕方ないのか。

妖精三人はなんと福田彩乃さん一人で演じ分けていたようだ。
そうは思わなかった。
確かに全体から見て出番は少なかったが、妖精は重要な役回りである。
あれを一人で演らすのはちょっと酷だろう。
故に演技が“荒れて”しまうのもいたしかたないと察してしまう、
三人分の声を出すのも難しいが、妖精はその三人の掛け合いが多く、一人でその“場”を作るのは難しい。
自分のタイミングでできるのならともかく、口パクを合わせてやるのだからさらに難しい。
作品の結果としては残念だが、そんな過酷なことを課した方がおかしいと言える。
ここは丁寧にやって欲しかったと思う。

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2014/07/12

”凍土壁が凍らない…”のではなくて…

日テレの某番組で「凍土壁が凍らない」という話題が出ていた。
ああ、やっぱり、と冷笑するしかないのだが、実験では凍っているとか報道も訳が分からないものになっていた。

ニュースサイトを検索してみると上位にブログや掲示板があがってきており、どうも報道が少ない。
きちんとどこも取材していないのか、情報を取れていないのか、理解できていないのか、報道管制でもあるのか知らないが酷い状況だ。
公費、つまり血税が350億円も突っ込まれる“大工事”であり、さらに成功したと仮定してもその維持に莫大な電気代(億単位)がかかり続ける事態なのに、である。

比較的まともなところのリンクを書いておく。
リンク: ”凍土壁が凍らない…”福島原発の汚染水対策に海外から懸念、計画自体を疑問視する声も | マイナビニュース.

話を整理してみよう。

テレビの報道で見る限りでは確かに土はきちんと固まっていたようである。
これをもって「実験は成功しており、凍らせることはできる」という根拠といいたいのだろうか。
ただし空気中に晒されているところであって、水をかけ続けたらどうなのか、というところは一切触れられていない。
今回の問題の深刻さは時間をかけて冷やし続ければ土が固まるか、ではなくて、上流から浴びせつづけられる地下水に、凍らした壁が耐えられるか、のはずである。

凍っていないとされるのはいわゆるトレンチと呼ばれる水が溜まっている溝であり、下の方は凍っているが、上の方に行くと凍っていない、という状態である。
カメラで撮影されていたが、本当に水の中と言う状態で管の周辺にも凍っている状態ではなかった、ということだ。

これが記事にある「東電は、トレンチの入り口に凍結管を挿入し、周囲の汚染水を凍らせて止水した後、トレンチ内の水を抜き取る予定だった。」ということが成功していないということのようだ。

要するに冷却能力不足である、ということだろう。
記事中でマイナス40度の冷却剤を管の中で循環させる、そうだ。
冷却装置から、管に入れるところでマイナス40度でも循環して行くに従い周囲から温められ(周りを冷やすということはそういうことだ)温度が上がっていく。
では冷却装置まで戻ってきた時には何度になっているのか。
凍っていればどうでもいいが、凍っていないのならそこはまず問題だ。
そこが全く話題に上がっていないのが不可思議だ。
その温度が例えば0度以上になっていれば論外で、全く冷却能力が足りないのでもっと高速に(つまり時間あたりで大量の)冷却剤を循環させるか、冷却剤の温度を下げるか、の二択しかない。

ただしそれは最低条件であってそれだけで解決するとは限らない。
冷却したい地下水は毎日500トンも押し寄せる。
それがどこに行っているかの論議がどこかに行っているが、それはともかく論理的に水がずっとそこにとどまっているわけがない。
せっかく少し冷やした水が凍る前に入れ替わり、どこかに行ってしまうと考えるほうが自然だ。
入れ替わりきるよりも先に凍らす(最低でも0℃以下に冷やす)だけの冷たさを持った冷却剤を巡らさないといけない。

ちなみに地下水というのは一般的には一年を通じてほぼ一定で15度くらいである。これは井戸の水や湧き水が冬は暖かく夏は冷たい現象になっている。
ここから水が凍る0度以下にするには少なくとも15度も下げないといけない。
なお、常に動く水を凍らすには更に温度を下げないといけないことはよく知られている。

温度が下がりきる前に水が“入れ替わって”しまえばそれは全くのムダである。
文字通りドブ(というか海)に捨てているだけだ。
マイナス40度というのは家庭用の冷凍庫よりは低い程度である。
冷凍庫内はマイナス20度程度であり、冷媒温度という点では大差ないようにも思う。
では冷凍庫で氷ができるまで何分、いや何時間かかるだろうか。
少なくとも流水を凍らせることができるとは思えないのだが、どういう理屈なのだろうか。

計算が不確定要素が多くて難しい(面倒だ)としても、例えばトレンチを掘って水を張って冷却管を使って一体何分で凍らせることができるのか、という実験をした、というような話が全く出てきていない。
例えば1時間かかってやっと氷がつき始めた、なんてレベルならお話にならない。
地下水(流水)が来て水がいれかわっている状態になればそれに対応できるなんてどう考えても無理だ。

土が凍ったからトレンチの水も凍るなんて発想がどうしたらできるのか。
およそ理系(技術者)の頭ではありえない。(報道の聞き方や書き方が悪いのかもしれないが)

まあ、なんにせよ、これも記事中の『トレンチの水が抜き取れなくては、凍土壁建設にも支障をきたすことから、原子力規制委員会の更田豊志委員は「凍結工事が成功していない以上、凍土壁の段階には進めない」と述べ、対応策を出すよう求めているという。』ということなのだろう。
「どうも東電が訳の分からない言い訳をしているのだが、なんにせよ凍結できない(水を抜けない)んだからなんとかしろ」というのは規制委員会から見ても同じなのかもしれない。

しかしここでもよく分からないのだが、トレンチの水抜きをするための凍結作業と、凍土壁は別物と、少なくとも規制委員会は考えているようだ。
そうすると「凍土壁が凍らない」という記事のタイトルはおかしいし、私がみたテレビの報道のタイトルもおかしいということになる。

“凍土壁が凍らない”というのはおもしろおかしく書いているだけなのかもしれない。

「凍土壁の着手段階にすら未だ到達していない」
「その事前段階として、トレンチの水を凍らして壁を作り地下水から分離し、水を抜く作業がある。しかしそれがもう2ヶ月もうまくいかず進んでいない」
というのが実態と言うことになるのだろうか。

原発事故処理がぐちゃぐちゃなのはある程度仕方ないが、それを報道する方もぐちゃぐちゃになってはどうしょうもないのではないか。

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収入印紙は、4月1日から「5万円未満」は不要に

リンク: 非課税範囲が拡大:収入印紙の貼り過ぎ注意、4月1日から「5万円未満」は不要に - 誠 Biz.ID.

記事にあるように、今までは3万円以上まででかかっていたのが5万円以上にと軽減されたということのようだ。
この記事のコメントにあるように「3万円」が境目で料金やら制限が変わるのはこれのせいだったようだ。
ICカードのチャージ金額の制限もそうだし、銀行の振り込みやらも金額が変わる。
たぶんクレジットカードの信販時もかかっているがカード会社が負担、結果としてユーザーである一般国民に転嫁されていたということである。
当り前だが企業に課税しているように見えて、結局は一般国民に転嫁されるのだ。

私が初めて「印紙税」なるものを知ってから「なんでこんな奇妙な税があるのだろう」と不思議にずっと思っていた。
とある番組では、明治時代の「富国強兵」のための税収強化策の一つとして導入され、それが未だに残っている、という説明もあった。(これが定説かどうかは別問題)

すっかりそんなことも忘れていたので改めて検索してみるとひとつの記事があったので引用する(引用の引用になるが)

「印紙税は、経済取引に伴い作成される文書の背後には経済的利益があると推定されること及び文書を作成することによって取引事実が明確化し法律関係が安定化することに着目して広範な文書に軽度の負担を求める文書課税である。」(平成17年第162国会櫻井参議院議員の質問に対する小泉総理の答弁書)

総理の答弁書だから多分財務省の官僚あたりが作ったのだろうが、訳の分からない霞ヶ関文学の典型的な文例といえるだろう。
すごく慎重な作文だというのは伝わってくるが(笑)、税金を取る主旨に「推定」なんて使って良いのだろうか。
私には全く意味が理解できないし、こんなレベルの理由で税金を取れるのならなんでだって取れてしまうのでは、としか思えない。

とりあえず「なんで印紙税なんてあるの?」と疑問を持つのは私だけではなく、参議院議員ですら持つ疑問である、ということは確かなことのようだ。

むしろこの文を読むと消費税との関係を無視することはできない、と思えるだろう。
経済活動においてその都度課税する、ということは消費税のことである。
原材料から消費者の手に渡るまで、消費税がどんどん転嫁されていき、最後は一般国民が負担するというのが消費税の原則である。(実際に国に払うのは一般国民に売った時点の事業者であるが)

だから本来の趣旨で言えば「全ての売買にかかる消費税」が導入された時点で印紙税というものはセットで廃止されるべき、という論理だと思うのだが、そういえばなぜか消費税そのものの是非ばかりが論じられてマスコミでは全く見かけなかった。
まあいつものマスコミの不勉強か、官僚によるマスコミへの操作がうまくいっていたのだろう。

先の答弁を見てみると実に巧妙な言い回しになっていて、彼らの理論では「印紙税は経済活動」に掛かるものであって「消費税はもの自体の売買」に掛かるもの二重課税にはあたらないという論理なのだろう。
(税金に税金をかけることを「二重課税」といって先進国ではやってはならない国家が犯す犯罪のひとつされている。これに抵触するはずなのがガソリンの販売価格全てにかかる消費税なのだがなぜか今になっても看過されている)

多分消費税をあげるにあたって、業界とのなんらかの「バーター」として出たことなのだろうが、これも根本的問題は先送りしての妥協策なのだろうか。

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軽減税率「“必需品”って何?」

消費税10%の見通しから軽減税率の論議が始まっている。
私の感覚ではやらないほうがよい、と思う。
ヒアリングが始まっているようで、とりあえずは話を聞こうという姿勢は問題ないと思う。
責任者の国会議員も「まずはフラットで話を聞く」ことを考えているようだ。(裏でどう考えているかはとりあえず置いておく)

反対の一番の理由は多くの反対論者と同じく、煩雑さと境界線の難しさが大きい。
諸外国も悩みは同じでこれも反対派の言うような「滑稽な」話が例に挙げられる。
どこまでがテイクアウトでどこまでが店内なのか。
ショッピングモールや屋台では線引きが難しいのは自明だ。
のれんの中と外にあぶれた時で税率が違うなんて出来の悪い笑い話だ。
「税は簡素な方が良い」という原則からすれば面倒で混乱するような複雑な制度は避けた方が良いのは自明だろう。

貧困層等の救済はよく言われるが、これは別の手当が妥当だと思う。

そもそも消費税導入以後、消費は落込んでいる。
日銀統計ではなぜか景気が良くなっていることになっているが、どうやら一般庶民の生活を必ずしも反映したものでは無いようだ。
総務省が統計を出した消費に関する指数では落ち込みの“反動”があるはずの5月でもさらに4月よりもこの指数が落込んでいるという数字が出ているという。
この指数は「誰がいくら買った」ではなくて「誰がどれだけ買ったか」を調査して出している数字だそうだ。
具体的に言えば「りんごを300円分買った」ではなくて「300gのりんごを3個買った」という数字を調査集計した、ということです。

さらに統計でも、確かに収入が上がっているのは事実だが、税金や公的保険料などの“選択の余地の無い支出”を差し引いた、可処分所得は下がっている、という統計も出ているそうだ。(無論、あくまで平均なので個人差はある)
それが家計を苦しくしているという結果になっている。

家計が苦しいかどうかなんて、ぶっちゃけ収入が多いか少ないかではなくて、最終的に締めて赤字か黒字か、ということでしかない。
お金に色はついていないので、この“選択の余地の無い支出”を軽減してやれば良いだけのことではある。
そしてこれらは殆どが収入に相関する支出である。
実際に何があるのか、どういう調整(軽減)手法があるのか、ということを議論する方向にはなぜ行かないのだろうか。

生活必需品なんて曖昧な定義で議論が進むことに私は納得がいかない。
「新聞」が生活必需品なんて誰が決めたのか。
私なんかも新聞をやめてから10年は優に経っているがあんなもの必需品なのか。
配達はしてもらったが読まない時期もかなりある。
そもそも新聞が絶対だとかこれに載せれば公報として十分だとか、そんな方がおかしい。
公報で言えば地元の広報誌もある。
そもそも貧乏暇無しの人間が読む時間や余裕などあるわけがない。

そんなものよりまずは電気料金や上下水道ガス料金などを対象とすべきである。
基本料金部分だけでも良い。住宅に関して家賃やらローン減税やら住宅購入自体やらも例えば基礎控除的に最低限分を軽減するという考え方もあるはずだ。
昔から「衣食住」といわれているのになぜか食ばかりに議論が偏るのはおかしい。

単に先祖伝来ずっと住んでいる土地に税金がかかりつづけるのも疑問がある。
売却時や放棄同然や賃貸しているのなら別として、勝手に時価が上がって高額の税負担がのしかかっているのは果たして正しいことなのだろうか。
確かに“資産”であることは否定しないが、売らなければ一銭の利益もない。
諸外国に比べて異常に高額であることはバブル期でなくても言われていることであり、多くの国民にとって負担になっているのも事実だろう。

新聞というレベル、さらに書籍とか言い出すのなら、むしろネット接続料金とかプロバイダー料金とかも同レベルで必需品ではないのか。
公的にも最近は「パブリックコメント」を知ったり出したりするのも実質上ネット環境がないと参加できない事例もある。
公的にネットの有無で差別が生じるのであれば、それを必需品と考えるべきではないのか。
まあ、ネットはともかくとしてなにか硬直した議論なのはなにか解せない。

他にも色々な論議があるはずだ。
それを考えて50もの団体からの意見徴集をするとのことなので、様々な意見が出ることを期待したい。
もっともそれの団体の選定自体が公平で多様性があるのか、というところも疑問なのだが。

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2014/07/03

福島「中間貯蔵施設」問題

石原環境大臣が「金目」発言で大騒ぎになった、福島の「中間貯蔵施設」問題である。
マスコミの報道も酷いものだった。
「金目」発言問題自体も確かにひどいが、この施設自体の杜撰さについて全く触れないで金目問題から政治問題にすり替えて報道していたマスコミもひどい。

そのことを慶応大学の金子教授があるラジオで話題に出していたのでそれを交えながら書いていく。

汚染土運び込みの現実感

6月20日の大竹まことゴールデンラジオ「大竹紳士交遊録」での金子勝(慶応教授)の発言から。
ポッドキャストで配信されているので必要な方は聞いて欲しい。

少なめに見積もっても全部で汚染土が2500万トンはあるとする。
2500万トン÷10トントラック=250万台
3年(900日)で搬入するとして(各地で詰めたあの袋は5年ぐらいしか持たない)
250万台÷900日=2800台/日

ラジオでは「現実味がない」「算数やれよ!」と言っていたがその辺はどうなのか。

10トントラックでのべ250万台であり、一日に2800台は動く計算になる。
さらに進めれば一日10時間として
2800台/日÷10時間=280台/時間
一時間に280台は行き来しないといけない。すごい数字だ。

ただし処理場はなんと16平方km、正方形なら一辺4kmもの広域になる。
この広域に280台トラックを均一に並べると235m四方ぐらいになる。
一処理場の大きさはどの程度か分からないが荒唐無稽な数字ではない。
前提としては処理場を順次作っていくのはダメで、一気にある程度の数は作っておかないと間に合わない。

そもそもその中の道の作り方やそこに入るルートは十分確保できている必要はある。
一時間に280台と言うことは、一台あたり12.8秒しかない。
仮に一台しか通れないゲート(道)があれば13秒で一台通しても足りないのだ。

なお、この広さに土を均一に積んだとしたらどの程度の高さになるのか。
16平方km=1600万平方m
2500万トン÷1600万平方m=1.56トン/平方m
一平方mに1.56トン積めば良い。
土の比重はあるが、水と同じ1とすれば1.56m程度。
まあ、数mといったところだろう。

中間貯蔵施設という「問題先送り」

原発関係では常態化している「問題先送り」である。
30年以内に最終処分場に移すらしいが、馬鹿馬鹿しい空手形である。
法律に書いてあるなんてなんの足しにもならない。

比較的若手議員の部類の石原環境大臣ですら30年後は87歳。
とっくに政界から引退、亡くなっていても不思議ではない年齢だ。
官僚も30歳以上の方は全員退職後。
官僚すら30歳以下の若造が意見を言えるはずもなく、ましてや議員など40歳でも若輩という構造で、まさしく若者へのツケをここでもしている。

最終処分地は福島県外へ、なんていうが、これもいつぞや「基地移転は最低でも沖縄県外」といった某総理となんら変わらないほどの無責任さではないのか。
30年後(このままの延長ならば)なお汚染が収まらない福島県から、さほどでもない県外に、4平方kmもの場所を確保して、これだけの大容量の土壌を運び出して移動できるのだろうか。
当り前だが運び込んだ時と同じだけのトラックの台数がまた動くのである。

施設の安全性とは

公的な資料として環境省関連のホームページに以下のものがある。
https://josen.env.go.jp/material/pdf/dojyou_cyuukan.pdf
あちこちツッコミどころ満載、というか杜撰としかいえないひどい書類だ。
書類がひどいのか計画自体がひどいのか知らないが、よくこんなレベルの資料で納得するものだ。

まあ、それが「金目」というものなのだろう。

施設の安全設計(13ページから)は「これのどこが安全設計?」と目を疑う。
というか、ツッコミどころがありすぎる。

「覆土により飛散・流出を防止し」とあるが、覆土とは一般に「土をかけるだけ」である。
百歩譲って踏み固めたとしてそれで飛散流出を防止できるなんてどういう理屈だろうか。
シートがけについてもいわゆるブルーシートだろうから、5年と持たないでボロボロになる。
一時的に雨から覆い、表面流出を止められるだけである。

8000Bq/kg以下の土については基本的に野積み、放射性物質は水などにより流出し放題のようだ。
モニタリング設備はあるが、じゃあ線量が高いからなにかできるか、といえば何もできない。
水処理設備があるそうだが、そんなもの追いつくわけもなく容易に流出する。
8000Bq/kg以上の土についてはもうすこし浸水性の少ない土の上などで管理するが大差ないだろう。
地下水モニタリング設備に至ってはなんの意味があるのか分からない。
危険値が出たところで何ができるのだろうか。

放射物貯蔵施設についても「濃度が10万Bq/kgを越える」のは屋根付施設にいれるようだが、ではそれ以下のはどうするのか。説明がない。

「施設周辺の空間線量率について」に至っては何を言っているのか全く理解できない。
どうやら汚染が酷い場所に作るわけで、作る時にその地域を除染作業をするので結果として低減となるのです、という理屈らしい。
もともと汚染が酷すぎて除染をすることをギブアップした地域であって、むしろ施設を作ることで除染するのだからありがたいと思え、ということなのだろうか。
現実にはそうなのかもしれないが、もはや基準が無茶苦茶で酷い話である。

地震津波自然災害対策

地震津波対策は、あの地震を基準にしている。まあ、それはいい。
高濃度廃棄物を入れる廃棄物貯蔵施設や減容化施設は津波が届かず地震の影響を受けない施設にする、のであるからそれは良い。
しかし汚染土を置く施設については全く触れられていない。
つまり津波で汚染土を全部かっさらって海に流れても「それはしょうがない」ということになる。

洪水雨水対策については、想定は過去15年間の雨水量で設計するという。
日本のそこかしこで「記録的…」「観測史上最大」「何十年に一度の…」が多発している昨今で15年というのは明らかにケチった設計と言うことだろう。
つまり20年に一度の豪雨で土やそれに伴い大量の放射性物質が流出しても「それはしょうがない」「想定外」ということなのだろう。
また台風や竜巻に関する言葉もない。

安全性とやらを含めてこの施設レベルでは「新たな汚染流出発生源」になるだけの話にしか思えない。

土の減容はしない

可燃物については焼却して減容化はさすがにするようだが、土や廃棄物についてはただ貯蔵して放置するのみの計画である。
問題としているセシウムは30年程度では半減しかしないわけでまた通常に使える土になるまでは程遠い。

土を減容する技術は実はある、と同じ番組で話をしていた。
セシウムは600度程度で揮発するので1000度程度で熱してそれを回収する、結果、土からはセシウムが抜ける。
実証実験も行われており、無論ゼロにはならないが普通に使える許容以下にはなる、とのことだ。
しかし当然その施設は金がかかるわけで、やりたくないということなのだろう。
1000度というとダイオキシン発生防止の高熱ゴミ処理施設よりは高く、鉄やガラスの溶鉱炉よりは低いというレベルだろうか。

問題はこのような広い施設を維持管理するわけで、それは国税が投入されることだ。
膨大な広さが必要となる原因である土を高温処理で除染し減容すればそのコストが激減するのは当然の理だ。

放射性物質を撒き散らした東電がその処理施設を作らずに、そのツケをまた血税によって負担させられているという構図である。
ここでも「原発のコストを血税に転嫁してごまかしている」という酷い構図がまた生じているのである。

この施設によって「高額の補償金を血税から出す」「特定地域の雇用を血税によって確保する」という原子力ムラの典型的構造の新たな形が作られたということなのかもしれない。

原発事故による反省どころか「焼け太り」の構図にすら見えてしまう。

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