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2014/06/08

児童ポルノ禁止法改正可決に際して

法文自体の問題について

リンク: 児童ポルノ禁止法改正案 法案要綱(全文)|弁護士ドットコムトピックス.
いわゆる「非実在青少年」は除外された。
ただしこれもネットでも指摘されていた恣意的な判断になる条文は残ったようだ。

第三 いわゆる三号ポルノの定義の明確化

  いわゆる三号ポルノの定義を「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって、殊更に児童の性的な部位(性器等若しくはその周辺部、臀(でん)部又は胸部をいう。)が露出され又は強調されているものであり、かつ、性欲を興奮させ又は刺激するもの」に改めること。(第二条第三項第三号関係)

「かつ」という縛りがかかっているのでかなり限定的にはなっている。
ただし「かつ」の前の文もかなり範囲は広い。
「衣服の全部または一部を着けない」という表現は制限とならないのは誰でも理解できるだろう。
例えばコートを脱いだだけで「一部を着けていない」に相当する。
(これはもちろん「常識的な判断」の話をしているのではなく、あくまで表現で規定される話をしているのでその点は勘違いしないように)
手袋もそうだし、肌着というのならば靴下を脱いだりマフラーを外しただけでもこれに相当しえる。
ただし「殊更に」という表現があるのでさらに限定条件は続いている。
それに続く「露出され又は強調されている」はOR条件である。
露出されていなくとも胸部が“強調されていれ”ば該当となる。
つまりコートを脱いで胸部が強調されるようなスーツの類ですら露出していなくとも該当となるわけだ。

そして最後が「性欲を興奮させ又は刺激するもの」という極めて曖昧かつ個人的で恣意的な表現になってしまっている。

この法律の良い悪いではなくて、法文として問題があるのではというのはこういうところにある。

法案賛成の人はこの種の指摘をすると「法案自体の意義や有意性」について語り出すから話がかみ合わなくなる。
これはある意味テクニカルな問題である。

この件に限らずこの手の本案の弁明に関して国会議員ですら「そういう意図ではないから」という弁明をするヒトがいて驚く。
秘密保護法案の時もそうであった。
隙の無い、つまり誰が見ても(解釈しても)同じで恣意の入りにくい法案にすることは非常に重要なのである。
せっかくよかれと考えて作った法律が意図しないところで“悪用”されてはダメだし残念ではないのか。
そういう認識が不足しているのは立法府の一員たる国会議員の資質として極めて問題視せざるを得ない。

マンガ・アニメはさすがに除外された

「漫画・アニメ除外は世論の勝利」 児童ポルノ禁止法改正案について山田議員に聞く|弁護士ドットコムトピックス
ただでさえこのような“不安定”な法案である。
これにマンガ・アニメのような定義しにくい表現のあり、なおかつ理解の浅いであろう作品に対して適用しようとしたから無茶苦茶な法案になってしまったのだろう。
そのことについては理解はできる。
そして無茶苦茶であることをさすがにそれを認めてくれたのだろう。
国会議員諸氏もそこまでバカではなかったということに若干の安堵をした。
おそらく多大な貢献をしただろうみんなの党の山田太郎議員や協力をされた方々には賛辞を示したい。

マンガアニメは適用で小説は除外も妙な話

マンガアニメは適用で小説は除外だというのもおかしいという話になったのだろう。
与党副総裁である麻生氏でさえも「マンガアニメは子供が見るが小説は子供は見ない」という認識を持っているという。

私個人的な経験でも「それはないだろう」と思う。
実は私はマンガやアニメは子供時代はさほど見ていなかったのだ。
子供時代は文字の書いてある本が大好きで図書室・図書館の本を読み尽くす勢いで読んでいた。(貧乏だったので書籍自体を殆ど買えなかったのだ)
当然マンガなど置いていなかったし今はともかく昔のマンガは“浅い”ものが多かったので子供心でも「クダラナイ」と思っていたのだ。(まあ一種の中二病も入っていたかもしれない)
むしろ社会人となりお金はあるが日常的・社会的に疲れたり細かい文字を見るのが嫌になった大人になってからのほうがマンガやアニメを見る比重が強くなったと思える。
そもそもマンガ雑誌や単行本などは子供のこづかいでそうそう買えるものでは無いのだ。
ましてやアニメDVD(BD)は価格として子供の買えるものですら無い。
マンガ喫茶などに入り浸るのも少年ではなくむしろ青年である。

あるとすれば親の世代がマンガ世代で持っているとかである。
当然ながら親が“子供の教育に良くない”マンガを目につくようなところに放置するわけもなく、それなりに“むしろ読ませたい”マンガを置くのは当然である。

今で言えばむしろ「ライトノベル」などが盛んだし、さらにややこしい。
小説のマンガ化、アニメ化は珍しいことでは無い。
マンガ・アニメはダメなのに原作で同じコトを表現をしている小説はOK(しかも表現は小説の方がドギツイ)だとしたら全く整合性がとれないことになる。(そして小説の方がドギツイのは珍しいことでもない)

どちらにしろ文字か絵かの表現の違いで(更にいえば声だけの表現もある)有罪無罪が別れるというのはおかしな話である。

そもそもポルノと呼称して論議する違和感

山田太郎氏も言っているように、「ポルノ」という呼称、ましてや法案名で論議すること自体への違和感が私にもある。
ポルノグラフィ - Wikipediaにあるようにいわゆるポルノ、ポルノグラフィは単に映像等の「作品」の一ジャンルを示している。
そもそも「性的興奮を引き起こすモノ」自体に違法性があるわけではない。
問題なのはそれが「虐待」等を引き起こすことである、ということであり、それは法案の中にすらうたっていることである。
この法案で論議しているのは性的虐待を招く写真、また性的虐待の結果としてのもの等を示しているわけで、およそ「作品」とはいえない単に「わいせつ」なものである。

法案の呼称自体が「ポルノ」と「わいせつ物」を混同しているといえるし、「作品」を真摯に作っている方々への冒涜とすらいえるのではないか。
そもそも「ポルノグラフィ」はきちんと作品として認められるものであり、適法であるものだ。
国会議員であり、小説家としても有名な石原慎太郎氏の著作にも「ポルノグラフィ」作品はあることは有名な話である。
違法なものは「わいせつ」と言われている。
この線引きはWikipedaiにも書いてあるように法廷で争われるような昔からの微妙な問題である。

この法案は「ポルノ」という言葉を違法として誤用・誤解させようとしているのではないか、という疑念すら感じてしまう。
法文の中でも「児童ポルノ」という単語を連呼している。
日本語は正しく使わなければならないのに、こんな根本的なところから間違っているのが問題では無いのか。

混同して論議することへの危惧

「性的搾取又は性的虐待」ましてや「児童に対する」を強化するのは当然のことであり、世界的・先進諸国の中では法体系のレベルが遅れているのは事実だ。
きちんと犯罪に対する抑制を強化し、防止するのは当然のことであり全く異論は無い。

しかしそれを「ポルノグラフィ」と混同させたり、ましては先進諸国でも例のない「非実在青年(児童や未成年)」までも曖昧・混同させたまま法律にしようというのはどう考えても間違っている。
そのことが本旨をぼやけさせたり、冤罪や余罪への適用、社会(芸術や創作活動等)の萎縮を招くような副作用があっては法律として問題である。

法律の附則にあるようにまだ改正の余地があるとしている法律である。
まだまだ予断を許さない状況ではある。

もしアニメやコミック、小説等の作品が目に余る状態であり、制限をかけようと考える(ポルノかわいせつとみなされる作品か)を定義し論議するのなら別の法律ですべきコトであろう。
この点も山田太郎議員が言う通りだと思う。

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