« 2014年4月 | トップページ | 2014年6月 »

2014/05/18

「美味しんぼ」に端を発した鼻血問題

ヒステリックだったり放射能アレルギー的な反応や官僚が反応するなど不可思議な展開を見せている「美味しんぼ」問題。

結局どうなのかと言えば
リンク: (1/2) 福島県双葉町で鼻血「有意に多い」調査 「避難生活か、被ばくによって起きた」 : J-CASTニュース.

論文では、「これら症状や疾病の増加が、原子力発電所の事故による避難生活又は放射線被ばくによって起きたものだと思われる」としており、事故の影響であることを明確に認めている。

とのことで事故の影響であると言う。
しかしここで問題なのはさらっと「避難生活または放射線被曝」を要因として挙げていることであり、この2つは簡単に並べられないほど重い大きな違いではないのか。

問題は今も続く「避難生活」である。これは誰一人否定できない事実である。

私がこの顛末を聞いて最初に思ったのは「なんだかしらんが、仮設住宅に三年以上も暮らしていればそりゃあ疲れ(心労)も溜まるだろうし先行き真っ暗だし不健康にもなって鼻血がでても不思議じゃないだろう」である。
「仮に仮設から出てどこか住居に入ったとしても新天地で気苦労があるし人よりは疲れていても当然だろう」である。
もしかしたら親戚の家に居候同然で気まずい人もいるかもしれない。

そういう状況下で慢性的な疲れを感じることに否定する人はいないだろう。
放射線の影響かどうかなんてその後の話でいい。

子供達も満足に外で遊べないという。そのせいで肥満が問題になりつつあるという。
そりゃそうだ。丸三年なら中学や高校なら入学して卒業するぐらいの長さなのだ。
心身に影響を及ぼすには十分すぎるほどの期間だ。
もちろん肥満自体よりも健全な身体の発達の阻害というほうが問題だ。

実は私は小学校の時プレハブ建ての「仮設教室」に一年いたことがある。
通常のコンクリ教室と違って冬は恐ろしく寒い。
いくら暖房しても底冷えするのである。
すると外に出た時も一段と寒さを厳しく感じるのである。
トイレに行ったり給食を取りに外に出るのもすごく嫌であった。
風が強いと結構あちこちがガタガタうるさくて気が散る。

学校にいる時だけでも今でも強く印象に残っているほどつらかったのに、プレハブ仮設に三年も暮らすなんてそのつらさは想像を絶する。
ましてやその前は体育館や講堂などで“段ボールの家”暮らしだったのである。

そういう生活をまだ今日も強いているのが現実なのだ。
放射線有害無害の論争なんてそれに比べたらクダラナイものにすら思えてくるぐらいだ。
(もちろんその次には重要な問題だとは思っている)

そういう現実があるのに「TPP」で損ばかりしていたり、「特定機密法案」で時間を費やしたり、秋頃にあるらしい日米ガイドライン制定で米国のご機嫌をとるために「集団的自衛権」の範囲を変える論議をしていたり、ましてや、これだけの損害や損失、今なお続く被害を直視し対策を考えもせずに原発そのものの安全性確保(確認)だけで再稼働させようとしたりなどふざけるにも程があることばかりである。

再度言うが放射線の影響なんか論議してもカスほどの意味しか無い。
それはそれで別次元でしっかりと統計を持って論議してしていただきたい。

問題なのは未だに仮設住宅暮らしを多くの住民に強いていること(その状況に陥れたこと)であり、その対策が遅々として進んで見えてこないことである。
もちろん風評被害も、原発からの放射能(物質)漏れも相変わらず続いているという現実である。

そのことを放射線の影響とかいう問題にすり替えようとしている方が私には胡散臭く見えるのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014/05/17

TPP「著作権」70年で調整

リンク: 「著作権」70年で調整 TPP、知財対立解消へ+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

以前より懸念されていたが日本からみれば70年に「延長」される見込みが出てきた。
誠に残念である。
新薬云々がでているが、そもそも特許の関連と著作権の問題は全く異質であるということははっきりとこの場で言いたい。

特許等の医薬・工業関係では「申請後(登録後)」何十年という話である。

著作権は「著作者の死後」何十年という話である。

「起点」が大きく違い、それが本質的に大きな違い(意味)を持つ。

これらはぶっちゃけていえば「カネの問題」である。
誰が得をするのか、どんなメリットがあるのか、ということが本質である。

特許などはいわば「投資の回収」であり文化的云々より経済的、産業的関心となる。
時間が短くなれば単価を上げるという方策も取れる。
もともと特許は独占権を与えるというものだからつり上げは比較的簡単な話である。

今回のTPPでも途上国には新薬での減免という懐柔策を出したが、日本にはない。
70年化で損をする日本も減免されれば結構な額になるのは容易に予想できるのであるが、だからこそ米国から見れば大きな損失となるため、日本は「途上国のみ」という理由をつけて除外されている。
ぶっちゃけ著作権で20年増やした分を使って日本からぶんどれば、途上国の新薬の減免など十分に有り余る得をするという皮算用をしたとしても不思議ではない。
要はここでも日本が損をしたという図式である。

さて、著作権は本来は著者の生活の保護である。
簡単にパクられたらやってられない。生活すら危うい。それは分かる。
そうそうヒットはでるものではないから、なにかひとつヒットを飛ばしたら死ぬまでそれでもらっても別に異論は全くない。

しかし著作者の死後というのはどういう論理なのか。
それは残された遺族への保護だというのが一般的見解らしい。
著作者が死んだら残された家族に一銭も入らないというのはおかしいという論理だ。

私個人としてはそこから疑問がわく。
「入らないのなんか当り前じゃないか」と切り捨てたい感情がある。
普通の会社員が死んだら、もしかしたら退職金相当の見舞金がでるかもしれないが継続的なお金はその会社から来るはずもない。
そのために残された家族の生活を考えて、普通の人達は保険に入るという行動をとっているのだ。
それが50年だとすれば孫や曾孫すら届き得る年数だ。
さらに70年というともう一世代増えるぐらいの年数である。
それが世間から見て妥当な年数と言えるのか。

「そんなのどっちでも大差ないじゃないか」という方はその弊害について是非とも調べていただきたい。
なによりも本来の法的根拠(論拠)からどんどん外れて行っていることに私は危惧を感じ得ない。

「個人・小規模事業」を否定し「大企業・巨大産業」を保護する方向に向かってしまうのだ。
それは多様な創造性の否定、豊かさを否定することになる。
危うさゆえのおもしろさ、鋭さやワクワクするものというのはでかいところからは生まれにくい、なんて誰でも知っていることだろう。

もっとこわいのは著作権訴訟の「非親告化」という事柄だ。
これもTPPもしくはその先で論議にでる可能性が高い。
「親告」というのは当事者のみが訴えることができることをいう。
「非」だから非当事者も訴えることができるようになる。
著作権というのは類似性など微妙な問題が常にあり「パクリ」か「インスパイア」かの論争もたびたび起きる。
本来はその判定は当事者のみが感じられるものである、どれだけ問題視するかを決めることができる(黙認も可能)というのが根本にある。
非親告となるとその前提を否定するものなのである。

大分前に小学校のプールの底にミッキーマウスの絵を描いた学校があった。
それを「消せ」というかどうかはディズニーの一存であり、大人げないなどの非難があったが消すという結果になった。
じゃあ「ドラえもん」だとしたら「消せ」というか「そのままでもいい」とするかは藤子不二雄先生(小学館も絡むだろうが)が決めることである。
消せという言葉を拒絶したとして訴えることができるのは著作者だけなのである。

ところが非親告になると第三者が「○○小学校にドラえもんの絵が描いてある。これは著作権違反だから訴える」ということが可能になってしまう。(現状では「通報」に留まる)
もちろん非親告でメリットもあるが、デメリット(害)も大きい。

これも法的対応がきちんとできるでかいところを優位にして、小さい弱いところが殺されやすくなってしまう。

ここでも「日本はTPPで損を食う」というのが結論でしかない。
なんでもいいからTPPで得をするという話が欲しいものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2014年4月 | トップページ | 2014年6月 »