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2013/11/30

国民年金運用で胡散臭い動きがあるらしい

BSのマイナーニュース番組のINsideOUTというところで特集をしていてたまたま見て知ったのだが、一般民放のニュース等やネットでのニュース記事さえみかけないのでかなりマイナーな話題のようだ。

有識者会議だかなんたら委員会だかで国民年金の運用で株式投資をもっとやれ、という意見がでているらしい。
番組ではとんでもないという論調であった。

国民年金の運用に関して基礎的な話をまずする必要があると思う。
基金は全部で120兆円。これを運用しなくてはならない。
運用は独立行政法人.の年金積立金管理運用というところがやっている。
ここで「どうせ厚生省辺りの天下り期間なんだろう」と思った人、ご明察。全くその通りである。
要するに運用に関しては素人集団ということである。

運用はどうしているかといえばこの基本ポートフォリオにある通り、6割が「鉄板」の国内債券、要するに国債であり、株式は国内外で24%。つまり1/4程度である。
なのでもっと増やしましょう、これから株も上がっていくからと言う脳天気なご意見らしい。

株は上下するので儲けるのには手腕が必要である。
右肩上がりの経済成長時ならともかく動かず定期的に買い続けていれば多少の変動があっても長期的には必ず儲かる、というものであり、バブル崩壊前には鉄板テクニックとも言えた時代もあったろう。
しかし今は山師ともいえる手練れの投機筋が跋扈する世界であり、騙し合いの様相すら感じるくらいだ。
やばいのは資金力が今でも十兆とか二十兆とかそういう規模であり、市場に与えるインパクトが大きすぎることである。
ある程度公的機関に近いこともあり臨機応変な投機的行動をとりづらいということがひとつ。
投機筋から目をつけられており繰られる危険性があると言うことである。

まあそれは心配のしすぎとして置くとしよう。

ともかく必要なのは実績である。
その点は番組でも取り上げていて、ここ10年間の実績は、運用全体としてマイナスの年もありながら結局プラス二十兆円ぐらいだそうである。
株式運用での実績トータルを知りたいと思うのが普通だと思うが残念ながら番組でもはっきりといってくれず、私がちょっと探したくらいですぐにでてきそうな資料でもなさそうだ。

まあ、それでも「全部国債で運用したとしたら80兆円は増えていると試算できるので」といっていたので株式運用で相当の赤を出したのは間違いないようだ。

実績で赤字続きの腕しか無い連中に「株式を増やせ」とかアホとしか言いようが無い。
知らないなら実態を知らないで論議するアホどもだし、知っているなら救いようのないアホである。

昨年度はここ10年ない運用益がでていて、多分それは株益が貢献したのは容易に推測できる。
しかしかなり不景気のどん底だったところからアベノミクスという呪文と円安誘導によって株を沢山発行している大手企業の業績回復(の見込みもあわせ)から急騰と言って良いレベルの上昇をしており、儲からなかった方がバカという状況だったろう。
既にピークは過ぎ、間違いなく今年度集計なら悪くなるし、来年度はもっと悪いという予想をしたほうが妥当だろう。
規制緩和もそこそこで景気回復よりNSCだの秘密保護なんたらとかにご執心で国会ももうすぐ閉会である。
閉会といえばトルコへの原発輸出関連で総理が約束してきたからみで国会の承認が必要なのだそうで、それをまだ手つかずで一週間で片付けようとか高をくくっている、もしくはその為に国会延長かなどといっているそうである。
秘密保護なんたらでは延長無しでやるからと切り上げたのに整合性がとれなくなっている。

政治運営も自民のひどい舵取りだし、消費税で好景気感に冷や水はぶっかけられるし、あとは春闘で賃上げが本当に行われるかがかなりの鍵になろう(鍵といってもここは政治の話では無い)。
さらに社会保障プログラムもほぼ削減プランばかりだから将来不安で財布が固くなるのも必然である。

そんな景気動向の中で素人が株式運用なんかしたら真っ赤になるのは必然だ。
むしろ減らせ、つか株なんかヤメロというレベルの状態だ。

まあ、最大の問題はこういう話題が多くのマスコミ新聞テレビなどが取り上げないことだろうか。

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2013/11/29

ひかりテレビの“受信”障害の原因

うちはひかりテレビでいわゆるCS系コンテンツを見ている。
一年以上は普通に全く問題なく視聴・録画していたのだが、ここ最近いわゆる受信障害のような症状、つまり画面が表示されなくなったり、USB録画が失敗することがたまに見られるようになった。

原因を調べていくとどうも特定時間になると起きているような気がしだした。
何番組か予約録画しているのだが特定の一番組だけ失敗するのも予想理由のひとつだ。
はじめは受信側回線の混雑が原因では無いかと思ったのだが、たまたま問題が起きている時にPCでダウンロードテストをしても50Mbpsは十分に確保できている。

ケーブルの不良を疑って変えたりしてみたが症状は変わらず。
と、色々やっているうちにふと思いついた。
最近、ネットワーク配線の改善(スッキリ化)のために、ルータからテレビまではHUBを2つ経由してからはいるように結果として変更していたのだ。
即座に問題が起きたわけでは無かったのですっかり忘れていた。
普通に見ていておかしくなるのも稀だし、そんなにずっとひかりテレビを見ているわけでも無い。
無論、テレビのテスト機能を使って転送速度を確認しても問題なしとでるからだ。

結論としてはHUBを1つだけ経由するようにしたところあっさり解決した。

冒頭で「ここ最近」とか書いたが、実は解決してから既に数ヶ月は経っており全く現象は出なくなったのである。

そもそもひかりテレビではIPV6を利用しており、本来はルータすら通すべきでは無いといえばそうなのだが、DLNA再生やらで家庭内LANとの接続もしたいという要求もあるわけで、論理的に繋がっていればいいじゃないか、と思ってしまうのではあるが、実際は多段HUBにより障害が起きてしまうようである。

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2013/11/28

著作権保護は「死後70年」にするべきか--JASRAC都倉会長に聞く - CNET Japan

リンク: 著作権保護は「死後70年」にするべきか--JASRAC都倉会長に聞く - CNET Japan.

結論から言うと、読むだけ無駄な記事である。
JASRACとはただの金銭回収代行者であり、著作権をよりどころにしているだけの団体に過ぎない。
そのことはよく分かるのでその意味では価値のある記事かもしれない。
間違ってもJASRACが著作権に詳しい団体、とか考えるのは大間違いである。
質問に対してそれ自体を理解できないのか、理解しても見識がないのか、ほとんど関係の無い話をしているだけである。
こういうヨタ記事で恥をさらしているのはまあかまわないが、こういう関係を審議するような諮問機関とか有識者会議とか、そういう場には出てきて欲しくない、いやいるべきではない団体であることがよく分かる。

期間を延長する意義

「OECD34カ国で短い3カ国であり、国際流通が進む現代において他国と合わせるべきである」

50年や70年という数字自体への論理的考察は一切無く、他国追従の論理のみを語っている。

「ミッキー法」と揶揄されることについて

「企業財産であり、当然守られるべき」

私はこの辺は「著作権」で守るべき筋で無いと考える。
いうまでもなく知的財産権は著作権だけでは無く様々なものがある。
例えばキャラクター名だけで考えても「商標権」で保護が可能だし、キャラ自体も「意匠権」で保護が可能であろう。
JASRACだからそういうことには無知なのだろうが、無知故に変な論理展開をされてはかなわない。

孫・ひ孫のためのの否定意見に対して

質問に対して回答になっていない、何を言っているのか理解できない言葉で埋められている。
記事を起こした人がおかしいのかもしれないが意味不明で回答が無いのは困ったものである。
ましてや70年と50年の対比を持っての理論展開が一切無い。

保護期間を延長しないメリットについて

これも何を言っているのか理解できない。
劣悪なパッケージングで作られた作品がごく一部で売られていたからと言って、それを反論の材料に使うほどに反論の材料に窮しているのか。
当然ながらきちんとした映像をきちんとパッケージングして明らかに安価に売られている作品はもちろん存在しており、私も見ている。

二次創作の阻害

これも偏見なのか一部の人間を取り上げて否定をしている。
フリー素材を流用して稼ぐひとなどは著作権が50年だろうと70年だろうと変わらない。
そして自分で「その論議は延長の是非には関係ない」と結んでいるから訳が分からない。

二次創作の阻害というのはそういう論議では無い。
まあ、音だけが全ての音楽では二次創作ということは生じにくいのでJASRACに聞くのが間違いということなのだろう。

いわゆる孤児著作物に関して

「私は知ったことでは無い、勝手に頑張ってくれ」ということらしい。
まあ、これもJASRACに聞く方が間違いということであろう。
JASRACは登録された権利者の代行回収者にすぎないのだから。

改めて延長の意義について

結局何も答えないに同様。
感謝とか言う観念的な話にすり替えて法的論議など一切する木が無いようだ。

以上、いちいち言葉尻をあげつらってもアホらしいのでごく簡単に切り捨てた。
そういう価値すらの無い駄文(駄論?)であった。

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2013/11/27

Windows8.1を入れてみた(その後2)

入れてみてからだいたい一ヶ月半程度経った辺りか。

いままでに4,5回ほどいわゆる「ブルースクリーン」に落ちた。(致命的エラーで画面が固定しリセットするしかない状態である。8.1では青にはならない)
8.0の時には一度も起きたことが無いのに、期間を考えてもちょっと多すぎる。

またFirefoxを通常使っているのだが、スクロールしていると画面に横線が入ったり、Firefoxの領域が黒画面になったりという画面がバグる状態になる。
これもたびたび起きており、8.0の時には全く見られなかった状態である。

ブルースクリーンに落ちる原因もふくめてもしからしたらFirefoxのせいなのかもしれないが8.1のせいと考えた方が妥当には思える。
会社でもFirefoxは同じバージョンにしており、会社のPCはWindows7であるがこのような問題は一切見られないからだ。

あと、8.1とは関係ない話かもしれないが偶然にしてはという話がある。
カーステレオ用にCD-RWにPodcastデータを書き込んで聞いているのだが、8.1を入れてから書き込もうとするとエラーが出て書き込めなくなった。
表面が汚れているといえば汚れてはいるのでメディアのせいかとおもい、他のディスクでやってみたが枚とも書けなかった。
それらの5枚はローテーションで使っているのでそれらも汚れているといえばそうなのだが突然全滅というのは不審には思えてしまう。(それまで不安定等の兆候とかは全くない)
とりあえず新品CD-RWを買ってきてやってみたところ問題は無かった。
多分偶然なんだろうと思うがあまりにもタイミングが良すぎるのでびっくりしてしまった。

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2013/11/26

防空識別圏

防空識別圏とは

昨日ある報道番組で空佐が説明していた話で有るが、そもそも防空識別圏というのはいわゆる領空とか制空権とか直接は関係ない話だそうである。

領空侵犯されてからスクランブルしても当然間に合わない。
よって領空侵犯されそうになった時点でスクランブルをかけることになる。
スクランブルをかけるかどうかという判断の境目が防空識別圏と称する境目になる。

よって、例えば対応する機体が高速飛行可能であればあるほど防空識別圏は狭くできる。
検知から実際に飛び立つでの時間が短ければ短いほど狭くできる。

つまり論理的には狭いと狭いほど優秀な軍隊(対応体制)といってよく、拡げるというのは本来は劣化したということを宣言していることになり、要するに恥なのではある。

圏を広くしたことが問題なのか

広くした自体も問題であるとは言える。
それよりも今回の中国の宣言が問題なのは防空識別圏を本気かワザとか分からないが、非常識な付帯的な宣言を行い、それが本来の防空識別圏の意味を超えた世界常識的に間違った認識で告知していることである。
ぶっちゃけていえばあたかも準領空であるかのような言い方をしていることにある。

そもそも防空識別圏を通ることに対していちいち相手国に事前通知する義務などは無い。
そこを通ったからと言って領空侵犯では無いのだから当たり前である。
識別圏の線を越えて相手がスクランブルしようがしまいが知ったこっちゃ無いのである。
ましてや今回は一方的に拡げたのである。

自民党内の動きや政府の意向も含め、国交省が航空会社に対して「通知をする必要はない、というか、するな」と通達したと大臣が発表したわけだが全くその通りである。
通知をすれば理屈の通らない既成事実を中国に与えることになるので売国行為とすらいえる。

圏を広くしたことの問題

この辺はマスコミでも大きく取り上げたところである。
尖閣諸島が入っていることが問題であると言う論点である。
また日本が本来宣言している(GHQの時代からの引き継ぎだそうでずいぶんと長い)領域に一方的にかぶせてきたのが問題である。
これは日本だけではなく韓国にも影響は及び、もちろん韓国も激怒していると伝えられる。

自分の庭の中を、隣の家から警戒域にするぞと宣言されたようなもので気持ち悪いことこの上ない。
実効力があろうとなかろうと侵害であることに他ならない。

先に準領空という表現もしたが事実上そのような意識は生じて当然ではある。
基本的に領空に対して一定の距離を持って設定されるものであるし領空というラインの前段階の線引きとして意識しても当然である。

いつもの中国の手であるがその辺の論理を好き勝手にすり替えて訳の分からないことをわめいていると正しくスルーすることが重要となろう。

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2013/11/16

原発新規建設あり得るとの考えに多いに疑問

リンク: 石破幹事長、原発新規建設あり得るとの考え示す : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞).

まだ原発事故処理がなお“ホット”な状態でこの発言は怒りを買わないのだろうか。
私はかなりむかついているのだが。

小泉元総理の発言やそれに対する国民の賛意はそこにあるのではと思う。
そして原発にある様々な問題を看過して続けようとする姿勢への反感では無いのか。

最終処分地を決めること

決めること、等と書いたが、世界中探しても最終処分地があるのは小泉元総理発言で有名になった彼の地以外は無いらしい。
しかもその場所すらも、そこに隣接する原発2基分にすぎない。
それだけ超難問なのである。

今は推進派は「政治の責任」であると無責任に丸投げしているのである、ということも今回小泉氏の発言に含まれている。
無責任云々を言うのなら、責任持って最終処分地を見つけてこい、である。

政治にどんなに頑張れと言ってもそんなのは現実に不可能である。
その現実を無視しているのが現状なのでは無いのか。

独裁政権やそれに近い政治力を持つ国なら一方的に決めることもできよう。
各国でも決めては白紙撤回したりと進まない。
日本では汚染廃棄物の最終処分地ですら候補地から猛反発である。
両県とも福島県の隣接県であり原発の汚染被害の影響を受けている土地であり、他人事ではない土地であってもそうなのである。
桁違いの危険度のある燃料廃棄物など話にもならず立候補地すら上がらない。

それならどうなるのかと言えば、原発の立地場所=最終処分地(厳密には処分では無く保管場所となろう)とならざるを得まい。
論理的に行き先がないのなら他にどんな選択肢があろうか。

このことはずっと国がごまかしてきたことだし、これからもごまかし続けるだろう。
中間なんたらなぞごまかしのレトリック、たらい回しでしかない。

そのことをもっと国民全体が認識すべきである。
原発を受け入れてしまった地域は諦めるしか無い。
新たに作るなどと妄言を吐いているが、そのことを考えてなお新たに受け入れると決断する地域があればある意味凄いと思う。

ちなみに「最終処分地」として埋め立てや地下に埋めるよりは地上近くなど目に見えるところで保管管理を続けた方が安全である、という考えもあるようだ。
しかしそのコストは莫大なものになるし、それこそ子孫にツケをまわしていることになるわけであるが、だから処分したとしてその後は考えないで良いとしたいのだろうか。

事故時の補償枠組み

「安心・安全が確保された」のは福島事故以前でもいわれてきたことで何も変わっていない。
ここで勘違いしてはいけないのが仮に「安心・安全が確保された」からといって100%事故が起らないことはありえない。
そこの認識が根本的に間違っていけない。それこそ安全神話の復活である。

世の中に100%安全なんてものは存在しないのは脳味噌お花畑の人以外は誰でも知っている。
自動車だって家電製品だって衣類だってオモチャだって食品だって家だってビルだって道路を歩いていたって電車やバスに乗っていたって危険はゼロでは無い。
それでもほぼ問題がないのはその万が一なにかあってもフォローされるシステムがあるからである。

自動車事故は比較的大きな問題となるが根底には事故への補償が保険によってなされる。
加害者・被害者ともに保険によって救済されるのだ。
自賠責といわれる強制保険もあるし大概は任意保険にも加入しているケースも多い。
どんなに注意していても事故は起きえるものだから任意保険加入で生活を守っているのである。
もしくは貯金ががっつりあっていざというときは払えるのかもしれない。
それでも自動車事故では億単位になるケースもあって大概は無制限補償の保険が有効とされる。

発電で言えば火力発電所がよしんば爆発したって、今の原発のような悲惨な事態にはならない。
補償を含めて事業者の資金力でなんとかなる範囲に収まるだろう。
何万人規模の被害、補償が未解決だらけの今の時点でさえ10兆円はくだらない事故収拾のためのお金が必要だと確定している。

安心・安全なんて追求したって100%には絶対にならない。
99.9%の後の9をどれだけ積み上げるか、でしかないのだ。

安全の追求はもちろん必要なことだがそれでは足りないのだ。
被害拡散を少しでも食い止めると言うことは被害者を一人でも少なくするということとともに、補償金額を少しでも減らすという事に他ならないのだ。
決してゼロにはならない。
万が一、億が一にでも事故が起った時の収拾の仕方、補償の枠組みを作るのことが絶対条件だ。

それには今の事故の処理・補償を完遂することはいうまでもない。

新たに補償枠を作らないでいいのは再稼働を含め原発をゼロにする以外には無い。
少しでも進めるつもりならこの枠組みを作ってからの話である。

もちろん事業者がやるのか国がやるのかは議論すれば良い。
今の福島の原発被災者も「どっちでもいいからさっさとやれ」なのである。

地元の再定義

「地元の了解」の地元の定義について考え直すべきである、という議論はどこに行ったのか。
今回の事故で地元を建設立地のある市町村に限るという論拠が破綻したはずだ。

福島原発では浪江町が一番の被害地にみえてしまう。
原発理立地場所から距離的にかなり離れながら狙い撃ちでもされたかのような町の全域が多大な汚染を受けてしまった浪江町は本当に気の毒であるとしか言いようが無い。

その議論すら無く再稼働の「地元の了解」などという言葉が出ている。
その上さらに「新規建設」などという言葉が出るに至っては首をかしげざるをえない。

次の新規建設からは交付金なしとすべき

事故以前から常に問題になっていた枠組みである、建設や運用に対する多大な税金の投入。
これについてなくすのが新規建設論議以前にすべきことである。

何度もいわれていることだが、いまだに新規電源開発の枠組みの中で原子力への大量の税金投入が行われている。
進まないと言われる自然エネルギー、再生可能エネルギーへの投資額の何倍にものぼっているのだ。
分野全体と原子力単体での比較でだから新規方式の各々とで比較したら桁が異なるだろう。
そんなアンバランスが事故が起きてなお続いているのだ。

そんなんで新規エネルギー開発が進むわけが無いのに、政治家どもはみな平気な顔をして「自然エネルギーなどで代替えできない」とか言うのである。
まったく滑稽である。

いままで払ってしまった、払っている分はそういう約束だから仮に大目に見るとしても、新規の事案に関してはゼロにすべきである。
その分を他の新規エネルギーの開発案件に投入すべきである。

当然新規へのハードルは高くなるが「最新鋭の原発」とやらであれば問題なかろう。
確保された最新鋭とやらを地元に説明して建設を取り付ければ良い。
一抹の不安を金でごまかすようなまねはもうやめるべきだろう。

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2013/11/15

小泉氏の原発発言の波紋から見えてきたこと

自民党は誰も小泉氏に向き合わない

小泉純一郎元首相の原発ゼロへの発言「最終処分地問題を解決しないほうが無責任」発言に関しては、特に自民党政治家はアンタッチャブルとしているようだ。
「ベストミックスに向けて」どうちゃらとか「元首相が現首相に対してもの申すのは」どうちゃらとかそんな話でごまかそうとばかりしている。
処分地問題に触ることは最大のタブーなのであろう。
その姿勢こそが最大の問題なのだが。

自民党がやろうとしているのは単なる成り行き結論

小泉氏は政権が「意思を持ってやろう」「論議をしてやろう」と言っているのだ。
対して自民党は「再生可能エネルギーなどにも注力して様子を見て決める」といっている。
要するに適当に予算つけて見て成り行きを見てそこから予測をして(どうせ進捗グラフとか書いて“予測”とかいうつもりだろう。それには何年かデータが必要である。無能な官僚のやりそうなことである)“決断”したつもりにしようとしているのが見て取れる。
その予算だっていい加減なものである。

原発推進側の耳を傾けるべき意見

別に私は原発に対して盲目的否定では無い。
普通に運営できてコスト的にも妥当で普通に完結すれば別に問題は無いと思う。
しかしそれらどれもが破綻しているから原発に反対であり、早期ゼロへ終息すべきというだけの話なのである。
安倍総理が汚染水処理へ国が乗り出すことに対しては「結局国じゃ無いの処理できないのかよ」という感覚である。

原発事故処理は元々国が乗り出さないとダメなのだ、などとしれっと言う人がいるのだが、それなら原発は即座に辞めるべきである。
事故処理が国家規模になるような事故が起きる発電方式など、はなからやるべきではない。
少なくとも民間企業がやるべきではない。
事故の補償問題もそうである。
一度事故を起こしたら会社が破綻するような発電方式をやるほうがおかしい。
発電コストが云々以前の問題である。

そういう当たり前の感覚すらない根本的におかしな原発推進論者ばかりかと思ったらそうでもないようだ。

Podcastの「大竹まことゴールデンラジオ」「大竹メインディッシュ」の11月12日で配信されている田坂広志さんの発言はどれも頷けるものが多かった。
今の一番の問題は技術的なところでは無い(つまり今の安全性審査で稼働可ということはおかしいということだ)という指摘にはまさにその通りだとしか言いようが無い。
20分ほどであるから是非とも聞いて欲しい。

核のゴミ廃棄問題

前項の番組の中の話で「そもそも無害化に10万年もかかる処分を前提にして良いのか」ということがあった。
今は処分地すら見つからないわけだが、仮に処分地が見つかったとしてもまた大問題なのである。
考えてみて欲しい。人間が記録に残している歴史などたかが数千年である。
西暦でカウントし始めてから2000年。中国でも4000年の歴史である(笑)
1万年でも気が遠くなるのに10万年もかかるような“爆弾”を埋めて良いのだろうか。

問題なのは原子力発電自体がそんなに長くできない方式であることだ。
なぜかあまり知られていないが、燃料資源自体が現在の発電量でも100年とかそんなオーダーなのである。無限ともいえる長期が可能な増殖炉とかリサイクルとかその類のものは全部まだ“夢”の段階であり論理的はともかく現実には運用不可能では無いかといわれる代物である。

原発が未来永劫でも続く方式なら10万年後でもそこに埋めたことは伝承されるだろう。
しかし原発自体が伝説になってしまうほど時間が経てば埋めたことさえ消えさってしまっても不思議では無い。
そういう社会的意味でも廃棄物問題は後世への負の遺産として深刻なのである。

自民党がこれ幸いに縮小を言い出したのでは無いか

自民党がこれ幸いに“原発縮小”を言い出したのはなぜか。
軍事・産業・利権構造等々を考えれば発電量自体(発電所の数)はあまり関係なく、それよりも長期にわたり持続する方が得策なのである。
むしろ発電所が多ければ多いほど再度事故を起こす(事故で無くても問題を起こす)可能性は高まるのである。
再度事故を起こしたり大問題を起こせば再度原発ゼロへの機運は取り返しのつかないような世論になろう。
政府・官僚にとってはそれが困ることなのであろう。

そういう意味で一番良いのはリスクが最も少ない冷温停止で再稼働しない状態である。
つまり政府・官僚など原子力ムラにとって今が一番楽でおいしいのである。
政府官僚は何も困っちゃいない。
原発停止で4兆だかの国民の富が失われたなど言っているが、どうせ電気代値上げで電気会社は黒字にできるし、苦しんでいるのは国民だけである。

所得が下がったりして税収が下がると困るから消費税を上げる。
会社の利益が減ると税収が下がると困るから、別の理由をつけて依存度を減らし、消費税に頼る。
もちろんそういう目論見までは狙っていないと思うが、状況は政府官僚に有利に働いている。

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2013/11/09

特定秘密保護法案は欠陥品

細かい点は詳しい報道がなされているケースもあるし、日弁連などのホームページなどでもみることができるので省略する。
根本的な点について不満をぶちまけたいと思う。

特定秘密保護法案自体の理念や必要性自体は政治家達の言う通りだと思うしそれ自体は問題ないと思う。
しかし条文がともかくひどい。
曖昧すぎて日常業務や生活でもひっかかる表現になっているからだ。
特にテロリズムの定義の部分がひどい。

別に廃案にしろというつもりはないが、この法文のままでは通せないだろう。
もっときちんと書き直して厳密性を出さないと問題だらけなのは素人目にも分かるほどだ。

政治家やら賛成派は懸念に対して「そういう理念では無い」「そうは使わない」「ありえない」という。

問題なのは「そうは使ない」ではなくて「そうは使ない」なのである。前者は技術的にできないことをいい、後者は意思としてやらないという大きな違いがある。
要するに彼らも法律文に意図通りの実装がされていない、つまり欠陥があることはわかっているのだろう。
しかしそのまま文章を修正せずに通したいようだ。
一体どういうつもりなのだろうか。まったく気が確かなのかと疑ってしまう。

「私たちは使ない」のであれば時限立法にすべきである。
例えば自動的に4年後には法律自体が失効するもとのすべきである。
法律自体を4年後に再度可決しないと継続しないようにすべきである。
なぜなら4年後にはまた衆議院選挙があって全員入れ変わるかもしれないのだから。
後世の人がどう使うかまで思いを巡らさないのだろうか。

法律条文でそう書いてあればその通りに判断されてもなんら問題は無い。
作った人の思いなど全く関係ない。
そんなこともわからないひとたちが法律を作っているとしたら本当に空恐ろしい。
わかっていてやっているのあればとんでもない悪人達である。

もうひとつの“言い訳”として条文を追加して保護しているという。
例の報道や知る権利の配慮とかいうやつである。
このやりかたも問題がある。
条文Aを作り、それと違う条文BでAを縛る形にしたとする。
一見問題ないように思われるが落とし穴がある。
あとでこっそり条文Bを削除してしまえば条文Aのみが残るのだ。
新しい法文の成立時にはかなり論議になるのだが、削除の時はほとんど表に出ない。

法論理的に問題のあることをやっていることもあろうが、日本弁護士連合会が反対を表明しているし、弁護士である橋本氏も批判を行っている。

弁護士としては恣意的に運用でき曖昧な表現で書かれた法律というのは“頭の痛い”ものであろう。
刑事事件であれば起訴側と被告側とでの見解の相違が起きやすく、お互いの主張すら、かみ合いづらくなる。
両方の主張が法律に照らしてあっているのに、主張が相反するという困った事態になるわけである。
結果として裁判官の判断の“ぶれ”が生じやすくなる。

これも前回取り上げた薬事法案改正と同じく、役人に騙されて作らされた法律文案なのだろう。
一見問題なく見えてとんでもない問題が潜んでいる。
構造は同じにしか思えない。

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2013/11/07

医薬品販売改革は安部改革の試金石

リンク: 医薬品ネット販売“再規制”に三木谷氏ら抗議 「“対面神話”は時代錯誤」 再び訴訟も (1/2) - ITmedia ニュース.

対面販売は有効なのか

カネボウ化粧品の白斑“事件”で対面販売のいい加減さが露呈している。
医薬品と化粧品の差がある云々の話では無くて、対面販売の有効性とされる点が否定されたということだ。

ひとつが客への説明。
むしろ客から化粧品に問題は無いのか、とさえ言われながらもなにも対処をしていなかったことが露見している。

ひとつがトレーサビリティ。
売ったお客さんへの告知もできていないし、誰が買ったかを把握していない(できない)のだからあるはずもない。
ネット販売では買った人の住所を必ず把握しているので根本からトレーサビリティが高い。
購入氏名が仮に偽名であっても、住所を偽ることはできない。
何かあった場合に買った人のところへ文書を送ることも容易だ。

対面販売の客への説明

対面販売での口頭説明なんかどれだけの人が真剣に聞いているのか。
説明すればそんなことは知ったことで無い、とは薬事法云々の本来の目的で言えばそんなことは言えないはずだ。

ここもきちんと(電子上とはいえ)書面を読ませ、確認を取っているネットの方がましだろう。
クイズでは無いが、読まないときちんとチェックをつけられないような仕組みにしてクリアしないと買えないようにすることは容易だ。

逆に対面販売でこちらのいうことをどれだけ真剣に聞いて薬を選んでくれるのかはなはだ疑問である。
私の経験ではパッケージに既に書いてある以上の理由(説明)を持ってベストの薬を選んで貰った、などという経験は皆無だ。

それならあるネットでの「中に入っている説明書をあらかじ読める」方が遙かに有用だ。
中から説明書を取りだしてまで確認をしてくれる薬局など見たことも無い。

論議が全く尽くされずに決議

またか。という感じである。
結論ありきで「時間つぶし」をして時間が来たら時間切れで決議に持ち込む。
官僚どもと議員連中が結託してやるいつもの手口とさえ言える。

議論どころか合理的説明無しに「対面販売は必要」「三年はネット販売禁止とする部類を設ける」「処方箋の処方は禁止」などがなぜか決議されてしまうようでは呆れてしまう。

何度も記事中でも三木谷氏が述べているように「合理的説明がない」「理論的におかしい」ことがまかり通ることが大問題だろう。

政府は規制改革を旗印に掲げながら、医薬品のネット販売の全面解禁すら困難な状況に、「これぐらいのことができないか」と心底あきれた様子の三木谷社長。「一番簡単であろう改革(医薬品販売の全面ネット解禁)も通せなかったことを考えると、(アベノミクスの成功は)なかなか厳しいかもしれない」

まさにこのことにつきる。

このことを安倍首相が看過するとすればこれからお先真っ暗ということになろう。

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2013/11/03

日本シリーズ第六戦

日本シリーズ第六戦。

田中将大投手の投球はまさに圧巻という言葉しかない。
日本一、いや世界一の投手と言って過言では無いだろう。

どれをとっても「しかたのない」失点ばかりで責めるつもりにはなれない。
某番組で元広島の赤星さんが解説していたが、あえていうのなら緩急の緩がなかったことのようだ。
ランナーを背負うと、ピンチになるほどにギアが上がり後続を断ち切るのがスタイル。
しかし今回は気負いすぎか最初からギアを上げてしまったからピンチでもう上げようがなくなってしまったということのようだ。
やっとエンジンのかかってきたジャイアンツ打線の主軸に対して“一本調子”ではいくら豪球であろうと抑えきれるものではなかったという形になってしまった。

一方で菅野投手は逆に開き直りか平常心に見えるくらいだったのが凄い。
主軸を零封できれば大量点は防げる。リリーフは豊富だしクローザーはマシソンでも締めることができる。
試合の勝敗としてはそういう差もあったのかもしれない。

負けがついたことになるが連勝記録ストップということになるのだろうか。
そうだとすればなにか釈然としない。
クライマックスも含めて日本シリーズは記録としては別枠にすべきでは無かろうか。
ホームランや打点数や最多勝や奪三振など記録はどれもペナントレースの数字なのだから、連勝記録も同様の扱いとするのが正当では無いのだろうか。

それにしてもこれだけ面白い日本シリーズは久しぶりな気がする。

今日はおそらく両方チームとも豪華先発投手リレーになりそうだという予想が出ている。
野手ももちろん総動員であろう。

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意味を考えた時点で縮小に向かう

先輩ROCKYOUという番組でのエンディング近く、
カールスモーキー石井さんの言葉を受けて
加藤浩次さん「意味を考えた時点で縮小に向かいますよねえ」

なんか突き刺さった。

合理性を突き詰めるとか、それに何に意味があるのかとか、費用対効果がどうだとか、それはリスクがあるのではとか、そんなことを考え出すとなんかダメな気がする。
でもそういうのは社会では求められる。訓練をさせられる。

高度成長期とか、ノッている時とか、そんなに意味を考えていただろうか。
今、成長期にある国とか計算よりも勢いでは無いのだろうか。
日本が縮小しているというのはそういうのを考えすぎているからでは無いのだろうか。

もっと興味のままに、思むくままにやっても良いのではなかろうか。
欲しいものを創る、夢を実現する、それが否定されては世の中はつまらない。

脳学者で有名な某氏が東大生をこき下ろす番組企画があるようだ。
様々な意図や憶測があるが、私も昨今の東大生、というか大学全体というか受験に関わるシステムに疑問はある。
昔から言われてきたことではあるが、大学の上下なんてペーパーテスト、しかも高校生の学習要領の範囲内でどんだけテストで点を取れるかで決まっているだけだ。
ただし、ペーパーテストを中心とした受験システムに問題があるということではない。
それ以上の方法は入試選抜としては他に適当な方法は無いからだ。

大学に受かるという目的に向かって徹底的に最適化して技術を磨いて望めばあとはどれだけ呑み込みが早いか、辛抱できるか、そして運だけである。
しかもその磨いた技術はたいがい金で買える。そう、進学塾である。
受験に最適化すればするほど汎用性は失われる。そこが問題だ。
試験解答への技術もそうであるし知識もそうである。

本来は学校で学ぶ範囲、学習要領とやらは木で言えば幹であり枝であろう。
そこから更に自己の興味に応じて枝葉を伸ばし豊かにしていって欲しい、教育に関わる人達もそう思っているはずだ。
知れば知るほどもっと知りたくなってくる。
そこさえ学生時分に習得できれば他は何も要らないくらいだ。
社会でも創造的な仕事といわれる分野ではそこが極めて重要である。
それは今はムダだ、と切り捨てるのなら本末転倒と言って良いほどの問題では無いのか。

私は極貧だったので塾など無理だったこともあり割と好き勝手にやっていた。
成績は教科によってではなく興味のあるポイントがあったかどうかで上下が大きかった。
好きなところは好きなように膨らませてやっていたし、その分興味が湧かないところは時間を割けずにさっぱりだった。
理系のはずなのに平均以下になったり文系で上位になったりした。

もっとも受験術に関しては不要と言うつもりは無い。
周りが受験術で完全武装しているのに全く無防備で行くのも間抜けな話だ。
でもそれはいわゆる追い込み期に徹底的にやればいいだけではなかろうか。
「術に溺れる」という言葉もあるぐらいだ。その術は磨く必要はない術だ。

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