« 2013年9月 | トップページ | 2013年11月 »

2013/10/27

ケチのついた第二戦の田中将大投手の勝利

”勝利打点”となった7回裏の一点。
これは明らかな誤審によるものであった。全く残念である。

たまたま録画していたのでコマ送り再生をして確認をしたのだが、明確に誤審と分かるレベルなのが問題だろう。
ツーアウトからやや大きく撥ねたセカンドゴロだがセーフになる間に三塁ランナーが帰って一点。

このとき打者ランナーはヘッドスライディングで一塁に到達しようとしたのだが、ボールがファーストに送られてファーストミットに球が収まって球の白いところが見えなくなった瞬間でも、打者ランナーの手は、まだ手2つ分以上届いていない状態だった。

それによって2-0となる。投手戦では致命的な2点目である。
その裏にソロホームランが出て2-1となるわけだが、1-0のままであれば”振り出しに戻る”一打となったわけだ。

この判定をした塁審の位置取りが問題なのだろう。
一塁線より数歩内側、1塁へは7,8歩というところであろうか。
跪いた状態であり、位置関係からも塁とヘッドスライディングしている指先との位置関係がきちんと見えるかどうか疑問に思わざるを得ないところだ。

前にヘッドスライディングに関する記事を書いたが、なるほど、こういうケースで誤審を誘発することができる効果があるのか、などと悪意を持って捉えることもできてしまう。

このとき三塁塁審らしき審判が投手マウンド辺りまできているが二塁手と交錯して見えているかは難しいところにいる。これも残念だ。

いやはや、大切な2戦目がこのような誤審による加点で決着するとは困ったものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

読売新聞「土下座、危ないブーム…映画や漫画シーン度々」

リンク: 土下座、危ないブーム…映画や漫画シーン度々 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞).

土下座を求めることが一番楽で安易

識者からは「相手に完全な降伏を求める不寛容な心理の表れでは」と危険視する意見も出ている。

不寛容と言うよりも対話を一切許さず、一方的に相手を落し込めるという考えだろう。
思考力の低下であるとも言える。
なにせ一番楽である。
相手が悪いのだから程度に関わらずともかく有無を言わさず謝れ、というのは何も考えなくて済む。
「悪質なクレーマー」の一形態である。
相手の言い分を聞くのは判断をする必要もあり面倒なのだろう。

”謝るほう”もある意味簡単である。
映画「謝罪の王様」でも風刺されているように心の中で舌を出していても表面上は見えない。
言葉も紡ぐ必要が無いので頭も使う必要は無い。

最近では、東京電力の社長(当時)が原発事故の避難所で土下座した。

原発事故の避難所で土下座というのはある意味自然に出たのかもしれない。
それも計算のうちなのかもしれないがそこはわからない。
自分達がひき起こしたことで(多分体育館に)所狭しと避難しているのをみればぞっとするのが普通の感覚であろう。
ちょっとでも当事者同士の関係を感じればおきえることだ。
その自分の気持ちを落ち着かせる方法として土下座に至ったとしても不思議では無い。

レストラン問題で謝罪を求めるべきなのか

阪急阪神ホテルズ(大阪市北区)がメニュー表示と異なる食材を使用していた問題では、インターネットの掲示板に「なぜ社長が土下座しないのか」などの書き込みがあふれる。

ホテルのレストラン問題ではネットで「なぜ土下座しないのか」と騒ぐというのは疑問を感じる。
そこで食事をしてもいなければぶっちゃけ「関係ない話」だからだ。
多分私なんぞは一生お世話にはならないようなホテルのようだ。
嘘つきホテル/レストランとして利用しないなどで社会制裁を加えれば良いだけのことだろう。
レストランがこうなのだからホテル自体の品質に対して懐疑的になり同様に社会的制裁は加わる。

偽装であろうと誤表示だろうと大差は無い

様々な言い訳は報じられているが、会社としての統制が取られていないのが根本的な問題ではないのか。

無知や知識不足と言っていたがそれならばレストランを経営する資格が無い。
偽装と誤表示の違いを無知や知識不足か故意かという観点で語っていたようだがそれもおかしい。
誤表示というのは間違いに気がつかなかった場合である。
不当利益に関しても、結果として不当利益を得ていたのだから故意過失などは関係ない。

偽装か誤表示かはたいした問題では無く、結果としてメニュー表示が虚偽であったのは間違いない。
「車エビの~」をお客様が要求しているのに、車エビを出していないのは詐欺行為である。
素材の判別がつかない、というのならそもそも「車エビ」と書く資格は無い。

まあそれは100歩譲るとしよう。
「手ごねハンバーグの~」を要求しているのに機械製のハンバーグを出すのは明らかな詐称である。
他の工場等で手ごね作りでパックしたものを使っていたとしてもそれはアウトだ。
一流レストランで出てくる「手ごね」とはそこでこねたものだという期待があるからだ。
ファミレスやコンビニスーパーで売っている「手ごねハンバーグ」と大差ないのなら注文などしない。
その点すら「無知や知識不足」の問題というのなら人として問題だ。

現場が勝手にやった、は通じない

昨今会社の経営者に求められるものはガバナンス(統治)である。
会社の組織作りである。

最初は「車エビ」を使うために納入されていて途中から「ブラックタイガー」に通告無しに変更されたとしたら、食材の受け入れ担当から上部に報告されるべきであり、それは最低限の役割(業務のひとつ)である。
それが業務とされていなかった(報告経路がなかった)のか、担当が業務怠慢だったのか、報告したが誰かが情報を止めたのか。問題はそこである。
料理担当者も気がつかなければ料理人失格である。
「レッドキャビア」問題も、納入業者がそうだといえばそのまま呑み込むのか。
ここも上部に報告すべき段階である。
分からないというのなら、そこまで素人の料理人を雇っているのか、という疑問になる。
そういう会社組織としての仕組み・意思疎通ができていなかったことは、会社幹部の責任である。

リスクへの対応できる体制がない

特に「芝エビ」は一般に入手困難な食材だということだが、そういうことに対応する体制が取れていないのも問題だ。
レストランによってはお出しできないことを伝える。
もしくは代替えで良いか、注文なりの時に確認を取る。
恒常的にブラックタイガーに素材を変更するということであればメニューの名称の変更でも良い。
「エビの」という名称にすれば良いだけだ。
しかし「芝エビの」を続ければアウト、偽装行為である。
そうなるとメニューの命名権はどこにあるのか。メニュー開発体制はどうなのか。
そのあたりの決定権、責任の分担はどのようになっているのか。

ホテルとして信頼回復のための釈明をしなくてよいのか

なんにせよ会社として問題があったのは事実であり、問題の構造が若干異なるだけで、信用の失墜としては大差ないと思う。
前者なら幹部含めて上層部の問題だし、後者なら現場および上層部の組織構造作り・管理の問題である。
記者会見でホテル側がそのあたりの払拭をしているように見えないことに、私は違和感を持ったのだが大丈夫なのだろうか。
謝っても謝らなくても私はどっちでもよいのだが、それよりもこのようになった構造と改善策の説明など、むしろ信用回復に向けた話をしなくてよいのかな、と思うだけの話ではある。
少なくともお客様目線での話をしていないな、という感じしかしない。

ホテルと言えば火災などの災害避難対策もあるがその辺は大丈夫なのか。
日頃の衛生管理などは大丈夫なのか。
そういうところにも「無知や知識不足」で問題があるのではと疑うのは当然だろう。

必要なのは謝罪より釈明(説明)

さらに、マッツァリーノさんは、1990年代にはトレンディードラマで俳優が土下座をするシーンが注目を集め、2000年以降には「謝罪会見」という表現が目立つようになった、と指摘。「釈明ではなく謝罪を求めるのは日本独特の風潮。その傾向が近年強くなった」と分析する。

言ってみれば「全く嘆かわしい傾向」である。
どうも釈明=言い訳みたいな風潮があり、それはいけない、よろしくない、という考えは思考停止であると考えるべきだろう。
釈明(説明)はまずは徹底的にさせるべきである。言い訳はして貰う必要は無い。
相手の言い分を存分に聞く。そこから現状を整理し明らかにしていく。
そこに矛盾や不整合があれば徹底的に追求する。
少なくとも相手のウソはたたきつぶしておくべきだ。
そして問題点はどこにあったのかを明確にしていく。
その上での謝罪である。
ともかく謝ればいいとか、それこそ馬鹿にしている話である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013/10/26

Windows8.1を入れてみた(その後)

ふと気がついたのだが、起動時とシャットダウンが速くなっている。

以前はBIOS画面が出た後、下方の”クルクル”が2,3回転してから画面が変わっていたぐらいの感じなのだが、8.1にしてから1回転弱で画面が変わるくらいの差がある。

シャットダウン時も以前は4,5秒かかっていた感じなのだが、今は数秒で電源が落ちる。
最初気がついた時はOSがおかしくなって瞬断したのではと思ったくらいである。

ただ8.1にした直後から、とも言えない気もする。
なんとなくだがそのあとの定例パッチが当たってからのような気もする。
そのPCのシステムディスクはSSDなのでそれ限定かもしれない。

そのあたりは調べようが無いので悪しからず。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013/10/19

72時間

リンク: 伊豆大島72時間経過…迫る大雨、捜索に焦り : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞).

72時間という言葉の前提

今回の災害で72時間という言葉がどうも耳についたのは気のせいだろうか。
救出の記事やテレビでの報道の中でこの72時間の言葉を聞くたびに却って私は苛立った。

72時間が今回の災害では当てはまらないのは、現場の様子を見れば一目瞭然である。
この72時間は地震や風などで家屋等が崩壊し、がれきの下などで幸運にも潰されず、もしくは机の下などに潜り込んで即死を免れた場合に適用される話である。
水没などが数十分にも及べばそれだけで死んでしまうのは避けられない。

今回は莫大な土石流による埋没か倒壊である。
後者は72時間以内の話が適用されるが、この辺りはいうまでもなく比較的救助活動が容易な範囲でありマスコミのカメラが入る前に救助が行われたように見受けられる。
なによりこの72時間がいわれるのと同時に映し出されるのはいまだに救助が難航している完全に土石流で埋没している地域である。
表面が水を含んだ土によって“塗り固められている”状態であり、その下に空間があってそこで呼吸が可能だったとしても、酸欠で死に至るのは数時間か、72時間も持つとは到底思えない。
72時間は空気は十分にある前提だ。

現場はもちろんそんなことは身をもって理解しているだろう。
報道による72時間がどうのという発言は現場の感情を逆なでしているだけではないのか。
もちろん現場での捜索はどうであれ迅速に行うのは当然の理ではある。

町の対応はまずかったのか

TBSの朝ズバは私もたまたま録画したものを見たが町長を出演させての“つるし上げ”はネットや一部の報道でいわれるようにひどいものだったと言わざるを得ない。

また今朝の日本テレビのウェークアッププラスでも声での出演があったが質問が妥当であったとは思えない。
今はまだ「反省会は後」の状態のはずでマスコミが取材するのはあまり良い話では無い。

私が今回顛末を報道で見た限りでは一概に町の対応がおかしいとは言えないと思う。

「深夜に避難を呼びかけることは却って危険だ」という発言は妥当だとも思う。
当然雨風が強い中であるし老人も多いようだ。
その中で避難による事故があって逆に危険な土石流などがなければ避難指示をしたことが非難されるのではなかろうか。

気象庁の警戒警報があったではないか、都からの連絡もあったという言い方もあるが、たびたびそういうものが発せられており結局何事もなかったことがたびたびあったのではないのか。都から出ていたのも勧告や命令ではない。
いわゆる「オオカミ少年」状態である。

町長・副町長の出張についても非難がある。
ここは確かにどちらかは出張を控えるという考えがあったかもしれない。
これも「結局今回もたいしたことはないで終わるのでは」という希望的観測があったのかもしれない。
難しいところである。

気になったのは町長へこまめに情報が上がっていたとはあまり思えない状況が報道されていることである。
携帯電話でいくらでもどこでも連絡がつけられる時代なのにである。
出張でもホテル待機で綿密に連絡を取り合うことは可能では無いのか。
また避難マニュアルなどがあったにもかかわらず活用されていなかったという点も指摘されている。
一度定時に帰宅指示がありその後の12時に再招集の指示があったのもちょっと解せない。
その間の役場への問い合わせに対して対応ができてはいなかったことである。
業務シフト的に対応して誰かが役場にいないとまずかったのではというのは言えるのではなかろうか。

それでも夜中の12時前まではさほど降っておらず決定的に動く材料は無かった。
そのまま終わればいつもの平常である。

しかし今回はそれから3時間異常なほどの降雨があり地滑りをおこした。
それが起るかどうかは判断できなかったであろう。
しかも深夜である。
そしてそれが分かってからアクションを起こしても手遅れである。

できたとしたら「なにも起らないかもしれないが念のため避難してください」を日没前に指示をするしか無かっただろう。

事前予防しか無いのかもしれない

仮に大騒ぎだけで終わっても良いから危険地域の人は年に何回かは避難移動するぐらいの閾値で考えたほうが良いのかもしれない。

台風ならある程度予見ができる。地震-津波ならある程度のタイムラグがある。

今回の件で言えば島全体がどこでも土石流が起っても仕方ない自然環境ということだ。
特に今回の地域は上方に土止めがあるような地域であり、多少なりとも日頃から土石流が起きている「危険地域」であるといえるのだ。
川は水が集まりやすい場所であり土石流もそこに流れ込みやすい。
今回では橋のところで“ダム”を形成してしまいあふれるという事態が起きた。
橋の周辺の家屋も特に危険であると言える。

町全体で避難という言い方がよくあるが、日頃から自分の住んでいる家屋が危険地帯にあるかどうかを自覚し、想像することが必要なのだろう。
防災マップとか整備されているが、そういうもので自宅がどういう危険性がありえるかを日頃から自覚してある程度は自分で対応することが必要なのだろう。

今回の場合では自宅はなんともないが隣の家が根こそぎ持って行かれたという例もあった。
そこは自分の兄弟の家だったという。
その時に一日だけでも隣に泊めてもらっていれば助かったといえる。

3.11の津波でも、海の近くが危険度が高いのはいうまでもないが、川の付近の家屋も海からの逆流で真っ先にやられている。
川自体が危険因子であり、その近くにあればあるほど危険度が高まるといえる。
堤防なんかあっても津波のような圧力では決壊しやすいし、狭いところに水が集中するので水位がただでさえ高くなっている海面よりもさらに高くなり容易に超えてしまう。
物理的な防御策はないといってよい。
ではどうするかといえば事前に逃げるしか無い。

自然と闘おう、抑え込もうといっても所詮は限界があるのだ。
科学や技術でできることなんか自然の大きさに比べればちっぽけなものなのだ。
そのことを勘違いしてはいけない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013/10/18

Windows8.1を入れてみた

Windows8からのアップグレードである。
Previewとかいれていないのでその辺は知らない。
どうせいつかは強制的になるのだからとえいやっと入れてみた。
ちなみに一度入れたら元に戻せないそうである。

ここのところ益々WindowsPCへの依存度が落ちたから最悪クラッシュしてもいいやという感じなのでいれたのはなんとも皮肉な話でもある。

網羅的な話は他の記事を読んでいただきたい。
以下はあくまで私の感じた点だけを書いているだけである。

Windows8.1の導入前の注意点

・ATOK使っている人について
どうやら異なったPCと認識してしまうようで、Windows8.1再起動後に登録コードを確認してきた。
ライセンス数確認の仕方が分からないのだがライセンス台数がギリギリの人はライセンス解除してから導入した方が良いかもしれない。

・MSのオンラインアカウントを確認しておこう
面倒臭いことに導入途中に聞いてくる。私は電子管理しているのでハマりそうになった。
「作成」に一度入って何かを押したら次に進んでくれたが、これはバグに助けられただけかもしれない。
Windowsストアから入ったのだから継承すれば良いものを、パスワードとともに確認するとは何を考えているのか理解できない。

導入時間

本日から公開と言うことらしいが、ダウンロードに約一時間、インストールに30分程度というところだろうか。
再起動は勝手に何度かしていたようで、最後にライセンス条項確認やらアカウントやパスワード確認やらをやってその後はさほど待たされない。
途中にダウンロードが止まっていたようで再開したロス時間は不明であるから本当はもっと速いのだとは思う。
ピーク時で50Mbps程度のダウンロード速度もみたので基本的にサーバーの速度は結構速いようだ。(うちの回線は速度測定でも概ねそんな程度だ)

再起動後の見た目等

Windowsボタン(スタートボタン)はPreviewの画面で既に出ているように無味乾燥でダサい。
画面デザインなどは基本的にアップグレード前の状態がちゃんと継承されている。
Windows8.1のクリーンインストールのデフォルトはケバいらしいがその心配は無い。

スタート画面のタイルがいちいち色が変わっていて気持ち悪い。
なんでこんな趣味の悪いことをするのか神経を疑う。

スタート画面

スタート画面の背景(壁紙)を変えられるそうで、変えてみたが、タイルに邪魔されるので画像鑑賞的にはあんまり意味は無い。
相変わらずお仕着せのデザインの背景画面の選択肢の中で、デスクトップ画面の壁紙も選べるようになっている、という形になっており、任意の画像ファイルを設定できるわけでは無い。
これはスタート画面の”唐突さ”を緩和するものらしい。
まあ、はじめからそうしておけば良いものを、という感は否めないが、今回のアップグレードの大半はそんなものばかりのようである。

スタート画面の小さいアイコンは微妙

小さいアイコンにできるようになったが、そうすると説明の文字が無くなる。
マウスカーソルを重ねるとポップアップで文字が出るがこれが遅くて絶妙にイラッとするタイミングだ。もはや嫌がらせでやっているのかと思うぐらいだ。
まあ、アイコンで一目で分かるようなものを集めて小さくしておくと良いのかもしれない。
あとグループ名を設定できるようになっているが意味不明だ。
フォルダーを作れるわけでも無く、ある領域に対してお題目をつけるようなもので何をしたいのか理解不能である。

スタート画面になんかヘルプがあるが

とりあえず見てみたが、まあなんというか旧世代のヘルプというか読む気になれない。
8では全く説明が無く“隠し機能だらけ”とか言われた批判への回答なのだろうか。

また、なんか操作をするとポップアップで色々ヘルプらしきのが色々出るが、8でそこそこ使っていた人には「うぜえ、今さらぐだぐだ説明してんじゃねえ消えろ」とムカッとするだけではないのだろうか。
8の時に出たり、8.1が最初に触ったものだったりすれば良い感じなのだろうが。
そういうメンタリティに欠けるのが8の最初の時の状況と変わらない。

InternetExplorerについて

8.1に伴ってIEも11.0になったそうだ。
商売でやっている人はPreviewでテストしているから大丈夫だろうが、今回の一番大きな変更はUserAgentではなかろうか。
[Mozilla/5.0 (Windows NT 6.3; Trident/7.0; rv:11.0) like Gecko]
こんな感じで従来あったMSIE x.x みたいな表記が無い。
これに頼ってブラウザ判定をしているとマズると思われる。
というか私のホームページではMozillaという判定に落ちてしまった。
これからはTrident と rv:xx.x の表記を当てにすべきなのだろうか。

IE自体の操作感や性能等については私はIEを使わないので評価できないしする気も無い。

OSのバージョンによってWebブラウザのバージョンを左右されるなどと言うのはおかしな話であり、基本的にIEは存在しないものとして考えているのだ。
このことは大きな実害がでており、WindowsXPから移れない、という事情の中にはIE8.0でないとWebアプリの互換性問題で動かず、つまり業務アプリが動かないという問題があるのだ。
もしもWindows7/8でIE8が動くのであればすぐにでも移行できるところも多かろう。

総論

まあ、ぶっちゃけどうでもいいという感じの変更だろうか。
以前の記事にも書いたが私はとっくに「スタートボタン」を設定して使っていたのでそのアイコンが変わっただけで基本的な操作感も変わりが無い。
無料なのは偉いとか言う話もあるが、今後8.1しかサポートしなくなるとか言うのだから当然と言えば当然である。
変更点は色々列記されているが私には別に改良とも思えない。

様々なユーザーからの反応に答えて細かい改良が実現されている、等というが、はなから設計ポリシーが欠如しており、作っている当人連中も事務的にこなしているだけで作ってみての良い悪いも判断できず、日程通りに仕様書通りに作りました、っていう感じがありありと見えるようなデキであったのがWindows8であろう。
できたものを評価せずに(いや、仕様書通りに作ったかどうかと言う評価はしたのだろう)出荷になるとこんな感じになるという良い例では無かろうか。
実際Windows8が出てきて噴出した不満はどれも本当にツマラナイものばかりだったからだ。
だからそれを改善したからといってツマラナイ、クダラナイものなのは当然である。

こんなもんの扱いとしてはServicePackと同じと考えるべきでは無いのだろうか。
だから私も単にServicePackを当てるようなイメージで導入したに過ぎない。

そういえばなんかアプリストアのアプリに関して色々影響がある、というか改善したらしいが、全く興味が無いので触れない。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013/10/06

中日新聞:小泉元首相「原発ゼロ目指すべきだ」 講演要旨

リンク: 中日新聞:小泉元首相「原発ゼロ目指すべきだ」 講演要旨:政治(CHUNICHI Web).

経済界の人と話をしていると、原発ゼロなんて無責任だと憤る声が多い。わたしはそんな中で原発ゼロを主張しています。

 放射性廃棄物、核のごみをどう処分するか、あてもないのに原発を進めていくのは無責任ではないか。

小泉さんは相変わらず一番鋭いところでついてきますね。

経済界の人が「無責任」というのは電気代が上がると自分のところの経営が厳しくなるから「責任を取れ」と騒いでいるわけです。
その「経済界の人」は大概が鉄鋼とか金属加工業とか“電気を製品に変えている”ともいえる製品を作っているところだったりします。
社会的に無責任という論旨と上手くダブらせようとしているだけなのでしょう。

推進派(原発廃止は無責任といっている人もそうです)はこのことに対して全く反論できていないわけで、議論としては負けでしょう。
今回の政府の反応も同じレベルです。
電気代が高くなるとかエネルギー安保とかも決定的な話しでは無いので、1か0の論議である廃棄物処理問題を覆す材料にはなり得ないわけです。

廃棄物処理と稼働問題(安全性確保)は問題の次元が違うような勘違いをしている人もいますので改めて福島での話しを書いておきます。

福島だけでは無いのですが、核廃棄物をきちんと“ゴミ出し”して中間貯蔵施設なりに保管していればまだしも、なんと核廃棄物を原発建屋内に保管していたのです。
これは普通に報道されていたことなのですが、他のもっとクリティカルな話しと同時に報道されていたので気に留めていない人も多いようです。
今回はたまたま保管していた建屋は爆発しませんでしたが、もし爆発した建屋にも保管されていたら、放射性物質の拡散の濃度はもっとひどいことになっていた可能性は十分にあります。(当時はマスコミでもこのことを指摘していた報道はありました)

今さらっと言いましたが、福島だけでは無く他の原発でも置いていることは行われており、これも普通に報道されていました。
そんな状態でよくも再稼働とかいえるものです。

このような保管方法についての規制はきちんと取られているのでしょうか。
少なくともマスコミでは報道されているように思えないし、原発論議などでも取り上げられないところを見ると実は“タブー”なことなのかもしれませんね。

原発を立地してもいいという自治体のためにどれだけの税金を使ってきたか。汚染水対策も廃炉も税金を使わなきゃできない。事故の賠償にこれからどれぐらいかかるのか。原発のコストほど高いものはない。

元総理大臣だけにこのことは痛いほど、裏の裏まで分かっていることでしょう。
このあとの論旨からも要するにその税金を新規電力開発にぶっ込めと言っているのです。
そうすればいくらでも変わる。
これ以上原子力“維持”のために税金をぶち込み続けてもダメだと言っているのではないでしょうか。
「ここまで損をしたのだから」という人は“損切り”ができずに破綻の道を歩む人と言ってることが同じでは無いのでしょうか。
小泉さんは「ここで“損切り”すべきだ」と言っているのでは無いでしょうか。

私は例えば買取保証制度とかは好ましいとは思ってはいません。
ただ“ランディング”させるためには必要悪で、ある程度ビジネスシステムが回りだしたらやめていけばいいだけのことです。
それが昨今ドイツで起きた話で、よく“買取制度の破綻”みたいに言われており、それが再生可能エネルギーの限界みたいに言う人がいて思わず脱力してしまいます。
たくさん参入社が出てきて予算枠を破綻するほどになれば計画通りの“成功”です。
元々参入者を増やすのが目的なんですから。
いうまでもないですが日本はまだそんなレベルには達していません。
菅総理が高額設定してから一度金額引き下げが行われたようですが、動向をみながら下げていけば良いだけです。
むしろ日本の方が“破綻”に至るほどのフィーバーが起きない程度の弱い景気づけしかできていないという点で問題とも言えます。

原発事故が起きてから多少苦しくても太陽光発電推進をしようとする動きが民間や地方では出ているわけです。
一方で政府は相変わらずの原子力偏重の税金の使い方をしているのです。
小泉さんはそのことも暗に批判しているのでは無いでしょうか。

再生可能エネルギーを資源にした循環型社会をつくるという夢に向かって結束できる。

よく太陽光(太陽電池)発電はコストが合わないとか云々を言って否定する人がいる。
話を聞くともう何十年も前のコスト枠で論じていたりして閉口する。
太陽電池は“電子装置”だからテレビなんかと同じく量産効果や技術進歩で一年単位で値段が下がっていく。
コンクリート産業とは訳が違うのである。

基本方式としてはもはや過去のもので既に実用段階に入ってあとはコスト問題だけとも言えるのだ。
もはやパネルのコストやら電装関係は量産効果でどこまで落ちていくかという話に過ぎない。
効率だけで言えばとっくに家庭用は一軒家で屋根に上げた発電量で自家消費を賄えるようになっている。
コストもむしろ施工工事のコストの方が問題で、新築ならちょっと上乗せで済むのでそこでの設置なら余裕で元が取れて補修維持費なども回せていけるという話しも聞く。
(屋根の傾きなども設計に考慮していけば効率も上がるだろう)

国家レベルでやるべきはもっと次世代の発電方法の研究の話しでは無いのか。
原子力も所詮はあと100年程度の燃料であって化石燃料よりはマシというだけであり、普通ならもう民間に投げて勝手にやっていけという話のはずなのです。

再生可能エネルギーの例のエタノール(自動車)もブラジルでは原料の生産のためにアマゾン流域の開発で森林破壊が進み、そこで二酸化炭素の増加が起きている。
どうも二酸化炭素排出というのは直接人間が燃やさないと換算しないようで、自然破壊による二酸化炭素の固定化からの解放は入らないという仕掛けのようだ。
環境にとってはどっちだって同じ二酸化炭素なのですけれどもね。

太陽電池だって風力だってその設備を廃棄する時にはリサイクルされる効率は決して褒められるものではないわけです。

本当に意味での再生可能エネルギー、今からみれば夢のような方法を探し出していくことをしないでよいのか、ということではないのでしょうか。
それが正に“国家百年の計”ということです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013/10/05

政府「残業代ゼロ」特区導入断念

リンク: 政府、「残業代ゼロ」特区導入を断念 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

いままで何度も出ては消えていく「ホワイトカラーエグゼンプション」。
様々な論議はあるが、私がダメだと思うのは労働環境面とか健康とかよりも、その閾値の低さである。
今回も年収一千万円がラインとか低すぎるにも程がある。

残業無制限というのは例えば「一年の命の全てを会社に捧げろ」ということと等価である。
創業者や経営陣ならそれも構わないだろうが従業員に強いるにはその対価が十分でなければならず、一千万は安すぎるのだ。
ホワイトカラーというのは精神的にもその負担は大きい。
だからこそそもそもの給与が高いのである。

全てとは言わず「結構きついかな」ぐらいの水準で計算してみよう。
一日の通常勤務時間は8時間。残業を朝一時間、夜5時間、昼休みはほぼ0とすれば合計で7時間相当で15時間勤務としよう。
祝日・土曜日は平日と同じ実態勤務とする。超過勤務の割増しはとりあえず0とする。
日曜日は完全休みとしよう。正月盆暮れの長期休みは無しである。

これを時給2000円で計算するといくらになるか。
2000*15*(365-52)=9,390,000
結構低く見積もったにも関わらず1000万近くになるのである。
超過勤務割増しをいれれば余裕で1000万は突破する。

しかも時給2000円計算である。
残業無しで年収500万の人なら年1800時間だから時給で2770円。
それで計算すれば1300万円程度。
ざっくり低く見積もって半分の時間が超過勤務割増25%とすれば1687万円ぐらいは貰わないと割が合わないのである。

上記の残業・休日出勤の前提はかなり“甘い”。
本当のブラック企業なら「まだ余裕がある」と考えても当然である。

まあ、無制限勝負なら年収二千万あたりが最低ラインかな、という感覚になる。
こういう日々の暮らしでは例えば一年間、健康を維持するのも結構大変であり、様々なリスクを考えるともう少しハードルを上げるのが妥当だろう。

しかし年収一千万とかいう話があればついその額に釣られても不思議では無い。
つまりは「巧妙な罠」でありそれを政府主導(お墨付き)でやろうというがまずいといえる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013/10/04

ゲンバのゲンバ感の無さ

東電の相次ぐ作業ミス。JR北海道の問題。Twitterふざけ写真投稿。
これらに共通するのは現場なのになぜか喪失している現場感覚である。

会社で良く問題になるのは上層部の現場感覚の無さがいわれる。
これらもそのこともあるが、今回のこれらの一連の事柄は、現場で実際に作業しているはずの従業員の現場感覚のなさが感じられる。
別の言い方をすれば当事者感の欠如(喪失)といえるのかもしれない。

要因としては孫よりも遠い多重の下請け構造やアルバイト・派遣という立場もあろう。
仕事としてなにかしらの作業のそれぞれの意味などはまったく考えないでただ機械的にやっているだけなのだろうか。
作業指示通りにやっていればまだしも、自分が楽になる、安直な行動に簡単に走る。
しかしそこでモラルを言い出しても何の意味も無いし嘆くつもりもない。

昔は現場の作業員に自律行動を期待できたから良かったから上層部がいい加減でもなんとかなっていた。
その見返りとしてあるのが正社員だったり終身雇用のような身分保証だったりした。
ところがその前提を外しているのだから、今はもう望めないというのは当然の帰結である。
他ならぬ経済界のお偉いさん達を筆頭に政府に望んだ形では無かったのか。

もはや現場の力に期待しようというほうがまちがっている時代ではないのか。
高い報酬を得て自律して考えることのできる幹部や社員がマニュアルを整備し禁止事項もきちんと網羅しモラルでは無く実利を持って守らせることが必須では無いのか。
特にJR北海道はモラルの低さが言われるが、それよりきちんと作業手順や規定などを文書化して徹底していたのか。そこが極めて疑問に感じるし問題と考える。

ところで前から何か引っ掛かっていたTwitter投稿の問題であるがやっと気がついた。

それは「なぜ職場でのケイタイ所持が許容されているのだろう」ということだ。

いわゆるふざけ写真はほぼどれもアルバイトを含め従業員によるものである。
これもほぼ制服を着ていることから勤務時間かその直近であろうと推察される。
つまりどこも勤務中、勤務場所へのケイタイ持ち込みが許されているのである。

特に問題だと思われるのはキッチン等への持ち込みである。
どこでも(トイレでも)触るようなケイタイをキッチンに持ち込むという段階でアウトでは無いのか。
衛生的に問題では無いのか。ロッカーなりに保管すべきでは無いのか。

キッチンに限らず今回の問題はいずれも「不衛生だから」という理由で大問題となっている。
衛生面を問題とする職場にそもそもケイタイを持ちこんでいる段階でアウトではないのだろうか。
仮に衛生面を除いても、誰からかかってこようと職場で私用であるメールや電話に出ること自体が正論で言えばサボり行為でアウトである。
いうまでもないが、たとえ仕事が暇であってもケイタイで遊んでいるなど論外である。
なぜそういう認識にならないのだろうか。

「いやポケットに入れているだけだから」等という反論は却下である。
使う可能性があるから持ち込んでいるのでは無いのか。可能性がゼロならロッカーに入れろ、ということである。

なんでこんなことが徹底されていないのだろうか。
あまりにも当たり前すぎて却って気がつかなかった感覚だが、考えてみれば本当におかしな話である。
アルバイトでも業務説明の一番最初のところで制服への着替えがあるわけでその時点でケイタイはロッカーにを指示すれば良いだけのことである。
難しいことでも何でも無い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013/10/03

フルHD放送(保護コンテンツ)の“持ち運び”

リンク: CEATEC JAPAN 2013:機器バインドからの“解放”、そしフルHDの“持ち出し”――「SeeQVault」の狙い (1/2) - ITmedia LifeStyle.

CEATECと名前を変えてから(いやその前からか)見るものの無いショーだが今年もたいしたものはないようだ。
4Kあたりが旬なのかもしれないが、コンテンツがレコーダー・プレイヤーの類が用意できずにPCで“評価”しているところがあるに至ってはもはや残念としか言いようが無い。
先端という枠で考えれば「4Kコンテンツをどう配布展開するか」が議論になるべきだろうに、ようやく非ディスクメディアのフルHDへの展開が決まったという発表があったようだ。

その名前はSeeQVault。
ネーミングセンスを疑うレベルで普及するのだろうかと疑いを持ってしまうほどだ。
まあつけた方はかっこいいと思っているのだろうが。
単なる略語である、DLNAやCPRMの方がよっぽどマシである。

とりあえずその辺りはおいといてどういうものかといえば

記録メディアのフラッシュメモリーには、製造時に機密性の高い固有ID(EMID:Enhanced Media ID)をチップごとに埋め込む。「ハードウェアに固有IDを持たせ、フラッシュチップに暗号化アルゴリズムを入れることで、課題だった“クローン”の作成を困難にした」。

従来のメモリやらHDDを流用して使えるような驚くようなものでは無くて、チップに固有IDをもたせたごく古典的な方法のようだ。
もちろん暗号化方式はかなり強いモノであり、チップ自体にプログラムコードの一部を入れ込むことでこの点でも強化したと言えるのだろう。
それ故に頭の固い放送業界の化身であるDpaも認可したようである。

当然ながらその代価としてはモノが高価になるという危惧が当然生じる。

SDメモリの著作権保護付は昔からあったのだが、間違いなく高価であった。
だいたいアナログ放送を録画すれば著作権保護はついていなかったのだからそんな保護付のSDメモリなんか必要なかったわけである。
そうなれば数の論理で安くなるメディアの世界では話にならない。

保護付自体が高額になるか、というのはどうなるかは数の論理であろう。
著作権保護のないCDで、音楽業界への上納金のついているはずの音楽用CD-RとないはつのPC用CD-Rではなぜか前者の方が安い方が多い。
これはDVDでもBDでも同じ現象が多い。
生産コストや流通コストが著作権保護に関わるコストよりも支配的になっているわけだ。

ただ圧倒的にPCの使用の多いUSB-HDDや、PCに加えて私的記録(デジカメやムービー等)に利用されるメモリカードと、PCでは使用頻度が圧倒的に低いディスクメディアでなぞらえることは無理があるという気もする。

TVでUSB-HDDの録画利用はかなり一般的になった一方で勘違いも大きく拡がっているように思われるのが気になっていた。
同時に16台登録できるとか、2台同時使用できるとか、上位機種ではそういうところが長所となっていたりするが私には殆ど意味が無いと考えている。
なぜならそんなに録画しても次のテレビに持ち越せないからである。
持ち越す云々はまだ自分の意思だから良いとしても、テレビが故障して修理した時に修理の程度によっては録画したものが見れなくなる場合が起きるからだ。
最近のテレビはいわゆる“アッセン交換”で基板毎の取り替えが多いようだ。
そうするとテレビは“別物”になるわけで、もちろん“データの引っ越し”等を対応してしまうとそれが不法コピーの抜け道になりかねないのでできない。

今の範囲でできるのはDLNAダビングぐらいだろう。
もちろんそれに対応しているテレビはかなり限られる。

そのことが今回の規格に対応したものに買い換える限りは大丈夫となる。
まあ、本来あるべき姿(普通の人が想定する動作仕様)にようやくなったと言えなくも無いか。

規格対応のUSB-HDDが高いものになる可能性は十分にあるが、普通に考えて非規格対応のUSB-HDDも両方使えるようにはなるだろう。(もちろん非対応では制限も従来通りになるが)
買い換える時や修理の時の逃げ手に使えるだけでもメリットは十分にあるのかもしれない。

まあ現実的な解を出しただけで、あまり将来的に楽しそうな話題にはならない。

レンタルメディア云々言うが、いまはレンタルでみるようなコンテンツはネットで見る時代にどうなんだろうなあとしか思えない。
100円レンタルとかそういう格安な提示は店がメディアを買いきりでやっているからこそできるものであろう。
死蔵させておくよりも少しでも借りてもらった方が金が入るだけの話である。
しかし店がただ書き換え端末を置いて価格はその上のチェーン元締めがコントロールすることになってしまえば(要するに価格決定権が店に無い)、格安プランなど提示できようも無い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年9月 | トップページ | 2013年11月 »