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2013/08/31

「いたずら写真」騒動・損害賠償請求に踏み切る企業が続々

リンク: バカッターで「人生詰んでしまった」若者たち 続々損害賠償請求に踏み切る企業が… (1/3) : J-CASTニュース.

   ステーキレストラン「ブロンコビリー」が元従業員に損害賠償を求める方針を示したことが話題を呼んだが、これに限らず多くの「被害企業」が、「犯人」たちを厳しく追及する姿勢を見せる。

私も前の記事で損害賠償をすべきだろうと書いていたがどうやら損害賠償請求に動いているようだ。
模倣犯抑止の観点からすれば大手マスコミからの報道が欲しいところだが、なぜか殆ど見られないのが誠に残念だ。
続々と模倣犯がでてしまったが、早々に大手マスコミ(大手新聞のネット記事を含む)が損害賠償請求(の懸念)も示唆していれば少しは減らせたのではないか。
事件だけ大々的に報道して“その顛末”をきちんと報道しないのは社会的に無責任とさえ言えまいか。

ブロンコビリーが毅然とした態度で応じているのは他の企業(店舗)の注視を感じてのことかもしれない。
やりすぎとは私は全く思わない。頑張って欲しいとすら思う。

大人がつまみ出せるような年齢ならともかく、高校生はとうにその範疇を超えている。
少なくともアルバイトや従業員として働いているということは判断力があるとされている年齢に達しているからである。

やりすぎというのならこの損害は誰が負うべきお金なのか。
店舗やフランチャイズ元なりが負うべきと言うのだろうか。
そんなことはありえない。

ただ「人生詰んでしまった」という記事は書きすぎであろう。
最大で2千万円、実質五百万円という試算も記事にある。
実質というのはそんな人を雇ってしまった雇用側の責任も問われるからだろう。
その額が今回の事件の中でも最大ということであれば、生活をかなり切り詰めることにはなるだろうが詰むほどの額ではない。
月に2万なら30年で720万。生活に確実にのしかかる額ではある。

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2013/08/27

原発汚染水流出はごく当然の帰結

もはやどこからつっこんでいいのか分からない問題なのだが。
とりあえず原発事故は収束していくどころか発散して行っている。

安全委員会もとうぶんこの流出事故につきっきりになるだろうから、原発再稼働審査も延び延びになって再稼働が遅れるでしょうな。

流出が起きているメカニズムは日本固有の特性があると言えるのでは無かろうか。
内地が山で、そこに降った雨が川や地下水を通って海に流れ出ていく。
日本ではどこでも起きていることだが、世界的規模ではもちろんそういうところもあればそうでないところもある。
世界的な原子力安全の観点から見て、このような地理的条件は本来はNGではないのか。

そもそもメルトダウン自体がとんでもないことだが、メルトダウンすればそこに地下水が流れ込んで放射性物質で汚染された水が大量に作られてしまう。
それを止める術は無く海に流出を続けている。
今起きていることは端的に言ってこういうことだろう。

今まで東電が行ってきた水を汲み上げしてタンクに溜め込む自体が馬鹿馬鹿しいほどの対処療法、いや単なるその場しのぎである。
そもそもタンクが設計寿命5年程度というから、まあ、品質ばらつきで見て数百個もあれば数個は2年半程度で水漏れを起こしても不思議でも何でも無い。
しかも漏れたタンクは別のところで地盤の歪みでゆがんだものを再利用したという報道があるからもはや呆れるしか無い。
今起きていることは事故と言うよりも必然的に起きていることといえる。

必然的に起きえることを想定しないで(する能力が無いのか、する気も無いのか知らないが)監視すらできていないしどうしようか考えてさえいない節がある。

問題なのはこういった予算的にできうる範囲でできることだけをやってきた、つまり必要なことは何かを考えずに場当たり的に対策らしきものだけをやってきたことにある。

それにしても不思議なのは国がようやく出張ってきたが、他の電気事業者は協力するつもりがないのだろうか。
そういう動きも噂レベルすらも全くないのが不思議で仕方が無い。
どこも原発再稼働しないと経営がきついのではないのか。
事故が収束しなければ当たり前だが原発再稼働なんかありえないことである。
しれっと「国が許可したから」「安全委員会が認可したから」といって動かすつもりなのだろうか。

まあ電気事業者も電気代を値上げすればいいだけだからどちらでも構わないのかもしれない。
どんなに収支が悪くとも一定の利益を上げることは法律で保証されているというふざけた事業なので値上げは基本的にやり放題である。

それにしても電気事業界の法的な構造の問題がこれだけ浮かび上がっているのに、マスコミも真正面で取り上げないし、政府や国会も改革が先延ばしになってまったくどうしようもない。

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2013/08/24

もう自宅プリンターは不要?コンビニ複合機

リンク: もう自宅プリンターは不要? 住民票の写しも出力できるコンビニ複合機の実力(前編) -INTERNET Watch.

いわゆるクラウドでの使用もできるが会員登録が嫌とかいう向きも多かろう。
あれこれ説明されても心情的なセキュリティがという抵抗感は消せないものだ。
また、会員番号がとかパスワードがとかうざったいと思っても不思議ではない。
私自身がそうだからだ。

そこで持ち込みメディアでもOKとしているのは偉い。

USBメモリーやSDカード、CD/DVDや携帯電話の赤外線通信など、さまざまな種類のメディアに入っている文書や画像を印刷する、普通のプリンターとして使っていただくこともできます。

ケイタイからの赤外線というのはいかにもシャープらしい。
CDやDVDはバックアップとしてデータを入れている場合もあるだろう。
記事に書いてはいないが、写真を見るとMMCやxDやメモステやCFも対応しているようだ。
写真のプリントもできるので旅の途中とか帰りとかに手軽にプリントアウトして渡せるのはなかなか良いポイントだと思う。
写真からはよく分からないがマイクロSDやミニSDも直接挿せるようにも見える。

しかし「写真印刷と言ってもコピー用紙じゃないの?それでは…」という疑問が浮かぶが

 自宅のインクジェットプリンターはA4サイズまでの印刷になると思うのですが、コンビニ複合機ですとA3/B4サイズも印刷できます。

昇華型プリンターという写真印刷専用のプリンターも内蔵していまして、最新機種ではL判の写真だけでなく、2L判という大きめのサイズの写真までプリントできます。特にコンビニ複合機で2L判写真用紙とA4光沢紙で出力できるのは当社製品だけが実現している機能です。

なんとインクジェットでのA4光沢紙や昇華型で写真用紙への印刷も対応しているそうだ。
実際に見てみないと判らないが、電気店や写真屋の店頭にあるプリントサービス並の写真は手に入る、という期待はできるだろう。
ちなみに写真のコピーもスキャナ+印刷機能でできるとのことである。
その点でプリントサービスを上回る。

個人が持つようなプリンタで、インクジェットでも光沢紙や専用紙でいいインクで印字すると一枚当たりは結構なお値段になる。
たまに使うような感じだとインクがダメになっていたりすらある。
そうでなくても普通に使っても開始時のヘッドクリーニングでインクを噴出する。
カタログにあるランニングコストは新品からインクがなくなるまでずっと印字した場合のコストだ。

パッドや携帯端末によってかなりペーパーレスができるようになったし、写真等をメールで渡すことも珍しくはなくなったが、それでも他の人に渡すのにプリントアウトをしたい、プリントアウトして紙で提出してください、というのもたまにある。
会社でこっそりプリントアウトすることもあったが最近はセキュリティが厳しいのでデータの持ち込み(USBメモリやメール添付、オンラインストレージ等)監視が厳しくなり、またカラーコピーは事実上できない(経費削減から厳格管理されている)。
どうしようかと思いあぐねていたところもある。

そもそも置いてあるコンビニが近くに無ければ意味が無いのであるが、検索ページもあるので探してみた。
なんのことはない。自宅からは南方と北方の両方に2km程度のところにあった。
南方のは通勤経路からはちょっと外れるが時々寄り道をする経路の範囲内だ。
これならUSBメモリにファイルを放り込んでコンビニに持ち込んで印字するだけの話なのでその頻度から考えればプリンタを買って維持するよりも楽だ。

ある意味「プリンタをシェアユース」しているような感覚かもしれない。
インク切れや紙切れや故障修理費の心配も無いし、コスト的にも良いのではないか。

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2013/08/22

読者プレゼント水増し 秋田書店

リンク: 8年前から読者プレゼント水増し 秋田書店「常態化」認めるも、内部告発理由の解雇は否定 : J-CASTニュース.

記事の内容を年表風に纏めるとこんな感じになる

05年   3誌の部で組織ぐるみで水増しを始める
07年   A社員、入社し、発送の仕事を始める(引き継ぐ)
11年9月 A社員、休職に入る
12年3月   A社員、景品盗みを理由に解雇される
12年4月 社内チェックで発覚したため、水増しをやめる
12年夏   A社員、消費者庁に告発

消費者庁で2010年5月~12年4月号に水増しを認定

まずA社員が盗んだか盗まないか、どう行動したかは全く別としても秋田書店の行動にはいくつもの問題がある。

・“水増し”をしていたこと。社内チェックが定期的に働いていなかったこと。
水増しということを8年も見過ごしていたと言うこと。
“組織”がやったことで“会社”ではないと主張しているがさすがにこれだけの年数を看過されるような会社組織のコンプライアンス遵守(これは会社の責任である)に問題があると言わざるを得ない。

・解雇理由をきちんと説明し、社員が納得していないこと
「盗んだ」ということを一方的に「証明は不要」と主張して解雇したことは記事中にもあるようにどう考えても無理がある。証明するのは会社側の責任だ。
在職時に組合に所属していなかったことから少なくとも会社側と社員当人以外には人が介在しておらず、一方的な不当解雇という状態では無いか。

客観的にこの事実関係を明らかにする方法としては、商品を供出したとされる会社に、供出した事実関係を確認するやり方もあるだろう。
受け取る方はいい加減でも、出す方は“普通の商品”を出すのできちんと営業部なりが社内手続きに従って伝票を切って(実際は電子システムかもしれないが)供出をしているはずである。
数年程度であれば常識的に絶対に伝票は残っているし10年程度なら担当の手元のファイルに保管されていても全く不思議では無い。
それと実際に発送した個数を照合すれば良いだけのことである。
これで個数に齟齬が無ければ“盗むもの”が存在しないのだから明らかなシロである。
ただ、ここまでの捜査協力は警察・検察で無いと現実には難しいかもしれない。

・盗めたということに会社の管理体制に問題(責任)がある
普通の会社であれば、社内へのものの持ち込みや持ち出しについては一定の制約を課しているものだ。
小型のカメラやアクセサリーとかだと難しいかもしれないがバックとかなら持ち出せたとしたらおかしい。
そもそもA社員は商品を扱っているのは明らかなのだからある程度監視の目が入っていない方がおかしい。

・上司のA社員への業務の遂行管理に問題がある
発送すれば郵送代がかかる。
郵送代は部課の経費であるから上長は当然把握していないとおかしい。
経費的に会社が厳しいのならひとつの宅配便の経費すら厳しくチェックが入るものだ。
少なくとも今月はプレゼントとして何個口発送したかすらも把握していないのだろうか。
スポンサーから何個の商品提供を受けたのかすら把握していなかったのだろうか。
ようするに盗む盗まない以前にA社員が業務をきちんと遂行していたかどうかを上司が把握していなかったと言うことになる。
細かく書けばキリが無いが色々と杜撰でないと話が合わなくなる。
そんな杜撰な管理の中で“盗んだ”といっても説得力がない、とまで言いたくなる。(盗みを肯定するわけではないが)

・警告など一切無く、刑事告発も無く、解雇としたこと
窃盗の事実があったとすれば、まずは警告をするのが通常であり、強制的にはまず返還もしくは賠償を求めるべきであり、いきなり解雇は常識的では無い。
窃盗は額の多寡では無い、という考えもあるが、せいぜいが数万円の物品の窃盗である。
賠償は十分にできるレベルだろう。
解雇理由としてある、会社への損害や社会的責任という観点からも皆無だ。
会社内犯罪の解雇理由としてありがちな「業務上横領」が成立するかどうかは微妙にも思える。
会社にスポンサーから納入された時点で会社のものであるが、まともに管理されていなかったのではという疑惑を考えると法的には成立するとしても疑問に思ってしまう。
なんにせよ解雇するほどの重大度があれば刑事告発とともに懲戒解雇宣告とすべきである。
かなり不自然さがあり、企業行動として問題を感じる。

以上が、“社員Aが窃盗をしたかしないかに関わらず、秋田書店がやってしまっている問題”である。
これらだけでも会社が様々な問題を内在していることが見えてしまう。

そもそも社員Aは関係なく、水増しをしていたのは秋田書店自らが認めている事実である。
それだけでもかなり問題行為である。

さらに社員Aが主張するように窃盗の事実がなければ秋田書店の“罪”は重大なものになる。
不当解雇を行ったこと、それが内部告発が原因であったこと、これらがもし確定すれば秋田書店はかなりの重罪である。
それ以上に出版社がこれらのことに開き直ったかのような発言で世間様に嘘をつくというあるまじき行為をしていることになる。

提訴して事実関係を明らかにして欲しいと外野からは思うが、無難に事実関係はうやむやにして和解になるのかもしれない。
というか、会社側はそうしないとかなりの被害になると思うのだが。

ただ不可解なのは告発を怖れて会社側が解雇をした、という推定である。
解雇すれば社員ではなくなるので解雇された憎しみ倍増で告発を徹底的にやられるし、このように記事にされて広く公にされる危険性が高い、というのは普通に考えられることでは無いのか。
しかも今は内部告発者を保護する法律があるので、解雇なぞしたらさらに罪を負うことになる。

実際に現在は水増しを消費者庁の認定よりも長く会社自らが認めているほどだし、それによりなんらかの懲罰に至る雰囲気も無い。
告発自体よりも解雇によって問題を大きくしてしまった方がずっとヤバイのではないだろうか。
それでも解雇が得策であると判断したのだろうか。
もしかしたらまた判っていないもっと重い事実があるのだろうか。

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2013/08/17

憲法九条改正と日米地位協定と

沖縄で軍のヘリが墜落炎上、軍敷地内では無いにもかかわらず「日米地位協定」により例えば原因究明について日本の主権が及ばなくなる。
以前より何度も起きていることだが、何度起きても納得がいかないものだ。

オスプレイ配備についても、オスプレイ自体の安全性云々は置いておいても米国でさえままならない“低空飛行訓練”が日本各地で実施されることも地位協定が根ざしている。
オスプレイがそれで問題なのは少なくとも普通のヘリよりも“爆音”である(要するに五月蝿い)こととだろう。
事故が多いこともそれ自体も問題だが、それより日本で事故がおきてもまた日本は関与できずに米軍側で一切が処理されて重要なところが闇に葬られることへの不信感だろう。
これも言うまでも無く地位協定の存在である。

憲法九条改正については私はどちらが良いかはどうにも判断がつきかねている。
メリットデメリットがどうにも半々くらいの判断になってしまうからだ。

しかし考慮に入れていなかったのがこの日米地位協定の存在である。
改憲推進論者すらもなぜかこの点の話題を提示しないので関連づけできていなかったのだ。

国防軍レベルに引き上げるのならば、当然日米安保から見直しになるだろう。
自衛“隊”ならば米“軍”が駐在していてもまあぎりぎり納得がいくが、自国“軍”があるのに他国の軍が駐在するのは世界的に見てもおかしい。(しているのは“占領国”である)
米軍の引き上げに時間がかかるとしても、早急に日米地位協定のような治外法権が自由に定められるような協定は即刻破棄されるのが自然と言える。

そうなれば国防軍になることで沖縄から米軍が引き上げるとすれば沖縄もずいぶんと変わってくるのでは無いか。
これはかなりのメリットであると私は考える。(当面の経済効果というと難しいところもあるので精査が必要だろうが)
米軍各地はもちろん日本各地にたくさんある。
「思いやり予算」の額も半端ない。これも他の予算に回せる。

私は日本軍ができても戦争になるなんて微塵も思わないし、近隣の約二カ国が大騒ぎする程度だろう。
しかしその二カ国+1だって到底“人のことは言えない”軍事規模を持つ国家だ。

しかしそれよりも危惧するのは軍になっても日米安保も地位協定も改定(破棄)しないというシナリオだ。
軍になれば当然ながら日米安保を理由に海外での戦争(紛争)に駆り立てられる危険性が非常に高くなる。
自衛隊の中東派遣でさえ国会であれだけ紛糾して今の憲法が相等の歯止めになったのは間違いが無い。

日本の軍が他国(米国)からきちんと独立性を持った上でなるのなら(具体的には安保の大幅改訂と地位協定破棄は最低限だろう)、私は軍とすることに賛成しても構わないと思うが、今のまま米国傘下のごとく関係が維持されるのであれば100%反対である。

なによりも不可思議なのはそういうことを殆どの推進論者が言わないということである。
少なくとも大手マスコミの下の発言で、九条改正、軍の保持に絡めて地位協定に関する発言を聞いたことが無い。

ここからは勘ぐりだが、この九条改正は米国によるいつもの圧力と考えるとすっきりとする。
米国にとっては日本が軍を持つと言うことは自国の軍事的負担が減るというメリットがある。
思いやり予算を貰っているにしろ、在日駐留というのはそれだけでコストである。
かつては対ソ連、対中国の反資本主義勢力の壁として日本は位置していたが、既にその役割も大分薄くなっている。
米国だって経済的に苦しいのだからそのコストは見合わなくなってきている。
日本は独立してきちんと軍を持て、という意向を持っていても何ら不思議では無い。
米国からすれば安保や地位協定はいわば“既得権益”であるから触れられたくない事柄であるのも当然である。

だからことさらに推進論者は“実情に合っていないから変える”という点を強調しているのかもしれない。
つまり実情に合っていないのは憲法の方でただそれを合わせるだけ、それ以外は一切変えるつもりは無い、ということになるからである。
もちろん米軍の日本駐留も安保も地位協定も変えるつもりは無い、ということであろう。

米国が日本が軍隊を持つことを希望し現与党が憲法改正を押している、という筋が自然に見える。

しかし“隊”を“軍”に変えてしかも憲法で軍の立ち位置を変更するとなればそれだけですむと本気で思っているのだろうか。
仮にも“政治家”がそんな見識だとしたらとんでもないことだ。
日本人の立場でそんなことを思っているとすればとんでもない勘違いだ。
憲法を変えるというのは国の生きていく姿勢を変えると言うことである。

何度も言うが憲法を変えるなとは私は一切思わない。
しかしそういった決意もなしに憲法を変えるのはおかしい。

憲法九条改正論議をするのは大いに結構だ。
この辺りまでも踏み込んだ議論が多くでてくることを望む。
もっといろんな意見を聞いてみたいと思う。
また経済に与える影響等も含めて意見を聞いてみたい。

改正すれば平和が損なわれるとか徴兵制とかそんな浅い議論はもう私は飽きた。
それらは観念的で個人の考え方の差だからもはや議論ではなくてお互いの意見(信条)の押し付け合いになるだけだからだ。

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2013/08/16

“戦争への反省”は大枠でずれてしまっていないか。

戦争=悲惨という図式で括られていること。

戦争は悲惨だからやめましょう。
そういう図式で括ってしまっていいのか。
そういう見方で否定するとまた戦争への道に陥ることにならないのか。
私は最近こういう感覚になってきている。

なんでも戦後世代が一億人を超えたそうである。
本当の戦争を知っている世代が減っているのは止めようが無い。
本当の戦争を知っている世代は必ずしも戦争が悲惨とは言わない。
戦前世代といっても、ちょうと戦後くらいに物心ついた方々とまさに戦地に行った人との感覚はかなり違うことは認識しておくべきである。
爺さんと曾爺さんくらいは年が違うのである。
色々な話を聞いたが特に私が印象に残ったのは親戚の曾爺さんの話だったんだが「戦地ではみんな目がおっかなくなって…俺もあんな顔だったのかなあ」と言ったこと。
戦争というのは普段ならごく普通のそこいらにいるむしろ心優しい人間が人殺しをしあうことなのだ。
それこそが本当に恐ろしくて怖いこと。
特別なことでも何でも無い。戦争を特殊例にしすぎるのは判断を誤りかねない。

戦争の悲惨さというと様々な映画や物語では“空襲”が語られることが多い。
ひもじかったり、心がすさんだり。
絵的にはいちばんなのだろうがこれを戦争と語るのは適当で無いと私は考える。

戦争というのはある程度長い時間の流れだから、戦前、開戦、戦中、末期、戦後(処理)に大別されると思う。
戦前というのは戦争への道に入っているあたりをいう。
古今東西、太平洋戦争も例外では無く、戦争を開始する前というのは大概が経済的に高揚していてある意味“バブル”になっている。
近くに地域的に紛争や戦争が起きていることも多く“特需”と呼ばれる需要がありまさにバブル景気になる。
そこは悲惨どころか絶好調状態である。
開戦時も最高潮機の機運の中で突っ込んでいったのでは無いのか。

あえて戦中は飛ばすが、悲惨さ、つまり空襲があるのは末期である。

戦争をひとつのゲームとして捉えるのならば、空襲をするための航空機である戦略爆撃機が登場するのはいわば“詰み”へのカウントダウンが始まったところである。
相手の制空権をほぼ落とし自由に航空機が行き来できなければ投入できない。
つまりはほぼ勝敗が決まった辺りでそのまま行っても勝ち負けは明確な状態である。
単に負けの方の抵抗力を削ぎ、勝ちの方の損害を最小限にして終結させるための手段でしかない。
大局的に見れば既に戦争は終わっているともいえる状態なのだ。

本当なら“投了”すべき段階だが日本は比較的ずるずるとその状態を続けた。
戦勝国である米国側は空襲の1つとして原爆投下においてもそういう主張もある。
まったく第三者的に言えば終戦の判断をずるずると伸ばし、空襲が長く続くような状態を長く続けてしまったことにも疑問を持つという考え方もあるだろう。

そしてひもじいというのはどちらかといえば戦後の方が強かったようだ。
戦後の経済(流通)混乱もあったし終戦辺りでどんどん若者が徴用されて農業の担い手がいなくなって田畑が荒れたのも戦中より戦後であって当然食料が生産されなかったのではないのか。
今のように農機具が機械化されていないから若者がいないと農業は厳しい時代だ。
その辺りと混同して語られているところはないのだろうか。

何を言いたいかと言えば、戦争の話というとなぜか“戦争末期”の話しかされないということに疑問を持つべきだ、ということである。
戦前、戦中、戦後処理についても、もっと知り、検証するべきではないのか。
というか私自身もあまりにも知らない。
歴史教育では全く論外に近いし映画・小説等の物語等でも語られてこない。
博物館や資料館の類もテーマが戦争末期の悲壮さを語るのが実に多い。

最近はそれでも大分違ってきているとは思う。
なぜか戦前の戦争突入までのあたりを語ると“右傾化”だの“戦争礼賛”だのという言葉で括られるのも困ったものだ。
戦争前、特に直前の社会の状態や人々の心の動きを知ることが重要ではないのか。

先般公開された「少年H」も作者の妹尾河童さんは幼少の頃戦争に突入した世代だがそのころの自分や周囲の人々の心情を語っている。

“タバコ問題”で物議を醸した「風立ちぬ」もその一つだろう。
韓国が特に過剰反応して「戦争礼賛映画だ」と言っているらしいが、まさに典型例であって幼稚な反応と言わざるを得ない。

戦争を繰り返さない、というのであれば戦後末期の悲惨さを言っても無意味であり、それよりも戦争に至る道のりを丹念に調べる事が必要ではないのか。

一部のかなり年を召された方が“今の雰囲気は戦争前に似ている”という言葉を云われる。
その感覚はもちろん私には理解できないのだが、そう思う“感覚”の“根拠”や“原体験”を少しでも知っておくことが失敗を繰り返さない、回避するために必要なことでは無いのか。

「戦争の悲惨さを目で見ていないからわからない」的な論調があるがそれもおかしい。
なぜならこの今も世界の何カ所かでは戦争、紛争、内紛の類は常に起きているからだ。
戦争は架空の物語では無く今もリアルに世界のどこかで起きていることである。
しかもやっていることは基地や拠点や線を作って殴り合ったり銃で撃ち合ったり爆発物を投げたり仕掛けたりと、そんなに大して変わっていないのである。
報道を見るだけでもリアルな戦争がそこにあり伝わってくる。
カメラ越しでさえあのインパクトなのだからリアルの程度が想像を超えることは想像できるだろう。
なぜかそういうことは切り離して語られることも多いのが不思議でさえある。
70年前の戦争と今起きている戦争とどこが違うのだろうか。

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2013/08/15

地熱発電の3つの課題

リンク: 再生可能エネルギーの現実(4):地熱発電の3つの課題-自然公園、温泉、開発期間- - スマートジャパン.

この記事をそのまま呑み込むと認識を間違いそうだ。
一歩踏み込んで考える必要がある。

まず冒頭から科学的に言って見方がおかしい。

日本には火山が数多くあって、地下では膨大な蒸気と熱水が発生している。

そもそも地球規模でいえば地球上のどの場所も地下を掘っていけばマグマにあたる。
その距離が短いか長いかの違いでしか無い。
別の言い方では地表とマグマが近いか遠いかの違いである。
火山というのはそこが近くて、なにかの拍子に噴出して地表に現れた状態である。
地表にマグマが近ければ地下水やら伏流水やらともかく水がマグマの近くにあれば熱せられ熱水なり蒸気になるだけのことである。
それが割れ目から吹き出したり掘り出したりすれば温泉となる。
しかし地熱発電は自分からマグマ(現実にはマグマに近い地層)まで掘り下げ、その熱で水を熱するため、その熱源自体が欲しいのである。
だから膨大な蒸気や熱水というのは主目的では無い。

のっけからずっこけるような認識なので不安に思ったがやはり本文もおかしなところが散見される。

最大の問題は、国立公園や国定公園など国が指定する自然公園の中では発電所の建設が認められていないことだ(「自然公園法」による)。

国家の存在すら左右しかねないエネルギー問題だというのに「公園」保護のために建設を拒絶しているというナンセンスな法律になっているとはいえまいか。
なぜそこに突っ込まないのだろうか。
自然をそのまま保護したかったり観光名所に手を入れることが間違いというのならば訳の分からないハコモノを作れても発電所は景観的にダメ、という理屈もよく分からない。
この法律から抜本的に考え直すべきなのではなかろうか。
そもそもなんでもかんでも国立公園や国定公園に指定してはいないのか。

地熱発電を可能にするためには地下2000メートル程度まで掘り下げて、高温の熱水や蒸気を安定して噴出させなくてはならない。

意外と知られていないのがこのポイントである。
地熱発電は2000メートルという地下深くまで掘り下げる。その地熱を利用する訳だ。
あたかも温泉のようにボーリングして吹き出した温水を利用するように思われているがそれ温泉(蒸気)発電であって地熱発電ではない。
必ずしも熱水を汲み上げるとは限らず、水をぶちこんでその層の地熱で熱して汲み上げる循環を行うという方法もある。
一方で温泉は大概はもっと浅いところの熱せられた地下水を利用している。
ぶっちゃけていえば井戸水と同じようなもので勝手に湧いてくるか掘っても数メートルか数十メートルである。
実際、温泉地では道のあちこちから蒸気が噴き出しているところすらあるではないか。
地層的に全く違うので常識的にどう考えても温泉に影響を与えるようなレベルでは無いのだ。

もっとも温泉地の中には無理に町おこしと絡めて地下深くまでボーリングして温泉を取りだしているところもあるのは事実だ。
そういうところでは地熱発電による汲み上げで湧水量が減少する可能性はある。
もっともそういうところは発電以前に湧水が枯渇しかねないが。

石油やガスを掘り出すのと同じような作業が必要になるわけだ。実際に発電所の運転を開始できるようになるまでには10年以上の歳月がかかる。

ちょっと考えれば判るが、石油ガスを掘り出すのに10年もかかるのか?という疑問が率直にでる。
そんな年月が本当に必要なら世界のエネルギーが回るわけが無い。
別の所を見れば判るように、掘る自体より調査時間が異様に長い。
いい加減にやれという意味では無い。しかしどう考えても長すぎる。
こんな異常なプロセス(足を引っ張っているとしか思えない)を要求されている自体がおかしいとは思わないだろうか。

地熱発電の場合でも火力や風力と同様に、建設前には綿密な環境影響評価が義務づけられている。試験用の地熱井を掘って噴出試験を実施して、温泉源に影響がないことをデータで示す必要がある。

普通に考えてこの「データで示す」というのは“悪魔の証明”ではないのか。
温泉地ではいわゆる温泉源は主なものでも複数あるし各戸に温泉源があるようなところもある。
変動が発電用掘削によるものか他のどこかの温泉宿が掘削したものかそれとも付近の降水量の減少によるものかなどなど、そんなものを証明する手段があるのだろうか。

どうも記事全体に悪意が見られるのだが中でも酷いのは

山に囲まれた美しい高原の中で、巨大な発電設備が蒸気を噴き出している光景に違和感を覚える人は少なくないはずだ。

これは誘導では無いのか。
白い蒸気を噴き出している、だけでいえば別に温泉地ならどこでもそうであり、町によっては温泉地全体が蒸気で霞んでいるほどだ。
強大な発電設備が、というのは公害大国日本で、工場から出る煙が即公害に繋がるという意識付け教育の成果である。
その実はただの水蒸気なのだからそういう目で見ればなんのこともない。
そういう偏見があるものだから、とある地熱発電所では外装を煉瓦造りにしたそうだ。当然コストアップになるわけだが。

むしろ温泉の蒸気は様々なガスや硫黄などを含むのだから環境影響でいえばそちらの方を放置する方が問題とも言える。
温泉は自然に噴出しているのだからそれが環境破壊しているという論自体がナンセンスとされがちだが、科学的に環境負荷物質の放出という意味では、温泉をボーリングして地表に放出させているのとどこが違うのか。

景観を守るのは確かに大事なことだろうが、一方で火力や原子力で大気や土壌や海(温排水)で汚しまくっているのが許容されているのは明らかにバランスを欠いている。

昨今では原子力発電所というのはそれだけでダーティなイメージが植わってしまっているだろう。
まあ、それはともかくとしても、風光明媚な地方の海岸線や対岸に原子力発電所があるというのは景観を損ねていないのか。

環境省が2012年3月に発表した新たな指針では、国立・国定公園の中でも景観を維持するうえで重要な区域を除いて、小規模な発電設備の建設を認めること になった。さらに公園の外から傾斜をつけて公園内の地下を掘削する工法をとれば、環境保全に影響を及ぼさないことを条件に容認する方針も付け加えた。あく までも公園の景観を損ねないことが前提だ。

一見、緩和に見えるがこれも酷い政策と言わざるを得ない。
「傾斜をつけて」ということは当然掘削する距離が激増する。
最適な場所から熱源をとれなくなり効率が悪くなる可能性も高まる。
アリバイなのか、地熱発電はコストがかかるというデータを増やしたいのか。

改めて課題というか障害を見直すと

「自然公園」 過剰な“環境保護”に囚われてあり得ないほどに制約をかけまくっている行政

「温泉」 地元の不安を必要以上に煽って足を引っ張る行政

「開発期間」 過剰な調査を要求し足を引っ張る行政

要するに地熱発電というのは技術的な課題と言うよりも行政面の問題(障害)が主であるようだ。

行政側が税金をじゃぶじゃぶ使って大臣まで出張って推し進める原子力発電行政とは、対極にあり、行政面で足を引っ張りまくっているのが地熱発電行政であるといえよう。

地熱はコストが安いとは言えないと云われるが、地熱も燃料系のランニングコストはゼロであるから、その高いコストの殆どは開発・建設コスト(の償却)が押し上げていると推定できる。
つまり地熱発電をコスト的に高くしているのは技術的課題というよりも行政的問題(責任)であると結論せざるを得ない。

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2013/08/14

Windows8移行まとめ(3)

スタート画面を整理する(不要なものを消す)

スタート画面にアプリストアの訳の分からない使えないアプリがあるのでどんどん消していく。
例えば“メール”はIMAP専用なので使えない人も多いだろう。
まず右クリックでマークをつけて、明らかに不要なものは“アンインストール”していこう。
判断に迷っても“スタート画面からピン留めを外す”でとりあえずスタート画面から消して整理整頓をしていく。
あとでピン留めを外すだけなら元に戻すのは簡単だ。
後述の“すべてのアプリ”には残っているので再度“ピン留め”すればよい。
タイルはドラッグアンドドロップでそれはやりやすいので好きなように並べ替えていく。

スタート画面をさらに整理する(必要なものをいれる)

電卓とかコマンドプロンプトとか必須なものが見当たらないことに気がつくだろう。
Windows8でもその辺はちゃんとあるのでスタート画面に入れていこう。


スタート画面で赤い部分あたりを右クリックすると「すべてのアプリ」というボタンがでるのでそれをクリックする。(まるで隠し機能だ)
そうするとWindowsに元から入っているアプリ(ペイントや電卓等)やコントロールパネルやコンピューターとか、まさに全部でてくるので使いたいものを右クリックしてチェックをつけて“スタート画面にピン留めする”を押せばスタート画面に置かれる。
ひとつ上でピン留めを外したものも、この画面に出てくるはずなので再度スタート画面にピン留め(表示)させることができる。
一度やればわかるが「すべてのアプリ」を出す操作感はなにかイラッとするので使いそうなものはどんどんピン留めしていけば良いと思う。
あとは使いやすいようにタイルを整理しておこう。

スタート画面の画像を変更する

スタート画面はどうにも気に入らないので変えたいという人も多かろう。
しかしこれを自力で見つけるのは困難だろう。
もはや嫌がらせとしか思えない操作が必要だ。
まず、コントロールパネルを探してもどこにも無い。
(これ以外にもコントロールパネルからの設定が不能な設定も多々あるようなので一通り見ておくことをお勧めする。)
どこにあるかといえばチャームメニューから入る。
まず慣れないとチャームを出すのも困難だが、Windowsキー+Cか、右の上下いずれかの隅にマウスカーソルを持って行くと出る。
でたらそのままマウスカーソルを下に持って行き“設定”を押す。
するとバーが出るので下の方を見るとこのようなメニューが並んでいる。

そして赤枠で示した「PCとの設定の変更」というところをクリックする。
アイコンも枠も無いので普通はクリックしようと思わないのが罠で、実はこれはボタンなのだ。
ここを押せば設定画面となり最初に出る画面が“パーソナル設定”の“ロック画面”になっているので“参照”で画像を変更設定することができる。

スタート画面の背景色や画面デザインもこの設定の中にあり、コントロールパネルからの設定はできない。

デスクトップの壁紙の変更はコントロールパネルから探しても良いし、デスクトップ画面から「個人設定」からでもできる。
この辺はVista/7とほぼ同じだ。

おわりに

以上で駆け足だが中級者でもつまづくところを書いていった。

Windows8の悪いところは今までの設定の説明の中にすらあちこちにでているのが判ると思う。
問題なのは“こうする”という明確な方向が見えてこないということだ。
メトロにするならメトロにすれば良いとは思うが、ではメトロという考えの中で全てができるか、というと否である。
否の部分をきちんと突き詰めてメトロという世界の中で消化して解決していかないと“その世界”は完結しないし受け入れられない。
否の部分を従来の方式があるから、で逃げているのがダメなのだ。
あらゆる操作が何か行き当たりばったりで決めたかのような訳の分からない体系になってしまっており、初心者はもちろん中級者以上も混乱する。

従来のPC(Windows)ではこうしていましたが、新しい世界(メトロ)ではこういう作法でやってください、というのをきちんと提示できていないからダメなのだ。

それでも設定をすれば従来のスタイルというのには持って行ける。
殆どWindows8自体のメリットは享受していないが、それでも(UIではなくて)新しいOSというかシステム(バックグラウンド)が刷新されたというメリットは享受できている。

はじめが戸惑うだけで昔のスタートメニューが出るよりはスタート画面の方が良い面もある。
私は階層化しているより必要なものを一見で探せる方が好きだ。
実際問題としてタスクバーなりデスクトップにアイコンでの起動が殆どなのだからそこだけあげつらってピリピリするような問題とも思えない。

また起動後にデスクトップ画面にならないことに拘る人もいる。
別に一番最初だけだから構わないのではと思うし、また起動時にデスクトップ画面に強制移行するやり方もあるのでそうすれば良いだけだと思う。
私はどうせ最初はなにかアプリを起動するのだから拘る必要性も感じない。
ログインしたらまずはFirefoxブラウザを起動する。
最近はなんにしろネット絡みの作業でWebアプリというかクラウド的というかネットショッピングにしても使うのはブラウザである。

電源を切るという操作も、私は電源アイコンを作るということで解決としたが、PC本体の電源ボタンでシャットダウンさせるというのも手では無いだろうか。
起動が速いのでノートPCならふたを閉めたらシャットダウンでも良いかもしれない。

ところでもっかの懸念材料はWindows8.1である。
プレビューの話を聞いた感触ではなんか不安を感じてしまう。
また余計な何かをしているんでは無いかと思ってしまう。

インストール時にメトロモードとデスクトップモードみたいなのできちんと振り分ければ良かっただけだと思うのだが。
その辺をもっとブラッシュアップしてWindows8.1を作って名誉挽回すれば良かったと思うのだが、そういう思想が見えてこないのがほんとにMSは以前にも増してダメになったなあと思うわけである。

まあ、なんにせよWindows8はさほど捨てたもんでも無いと思う。
Windows7からだとまあ(今は)高い金出してまでやるものでは無いと思うが、とりあえず安い時に買ってしまったとかXPやVistaあたりからの移行で躊躇(XPだと新しいPCを買うという意味も含めて)しているとかいう方には少しでも参考になれば良いと思う次第である。

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Windows8移行まとめ(2)

拡張子連動関連を変える

いらつくのは拡張子連動のアプリ起動で、アプリストアのアプリに関連づけられているものがあることだろう。
それが何の問題かと言えば、アプリストアは全画面でしか使えないからだ。
たとえばAcrobatReaderでいえば全画面モード固定になっているようなもので、なんらかのPDFファイルを参照しながら文章書きをすることができない。
解決策は簡単な話で、アプリストアのアプリを使わなければ良いだけだ。
とりあえず普通にAdobeのサイトにいってAcrobatReaderをインストールする。
他にも画像関係も同じ話だ。
bmpなどは従来のペイントで開きたいがそれも無論可能だ。
要は従来アプリを入れて前と同じようにコントロールパネルから拡張子連動を変えれば良いだけのことだ。(アプリによってはインストーラーが面倒を見てくれるが)

Windows8になってコントロールパネルもカテゴリー分けとかわけがわからなくなっているので検索機能を使おう。
今回の件に限らず、どのカテゴリに入っているかを覚えずに検索キーワードを覚えた方が良いのではと思う。
右上の箱に「拡張子」といれれば出てくるので変更を選んでアプリストアのアプリになっているものを変更していく。
アプリストアソフトは変な色使いののっぺりとしたアイコンなので判別がつきやすい。
他にも気がついたものがあれば変更しておこう。
デザインを一新したのがこんなところで役に立つというのも皮肉なものだ。

勝手にウィンドウが全画面になる仕様を変更

これはVistaからの(お節介な)機能だが、ウィンドウをドラッグして上の端にもっていくと全画面になるという意味不明な動作がある。
会社でも最近周囲がWindows7に大量移行しており、私が知る限り(周囲で)これを歓迎した人は皆無なのだが、なぜかWindows8でも未だデフォルトになっている。
パソコンが苦手な人ほど困惑していた。
もはやFAQレベルの話のようで設定で解除できるのだが、Windows8では以下のところにある。
チェックをいれればそういう動作をしなくなる。

「使いやすくします」という設定項目でチェックを入れるとしなくなるのだから、デフォルトで「使いにくく」しているという自覚があるのだろうか(笑)

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Windows8移行まとめ(1)

以前の記事でさんざんWindows8を非難したが、テスト環境であれこれやっているうちに別に拘る必要もないようだ、と思い始め、入れ替えることにした。

要するにWindows8としての新しいUIやメトロアプリは一切無視すれば良いだけのことだ。
従来のソフトは殆ど使えるし、殆ど従来と同じ感覚で作業ができるのも事実だ。
ハード絡みでドライバが絡むとダメだがそれはWindows8の設計思想がどうこうという問題では無い。

なお、今まで使っていたのはWindowsVistaであり、今回はSSDへのクリーンインストールである。
Windows8は色々とともかく軽快だが、SSDではさらに軽快だ。
会社ではWindows7だが色々と重く感じてしまうぐらいである。(会社のPCの方がCPU・メモリは高速なのだが)

ただ標準状態ではそうはいかないので設定が必要である。
その辺を簡単に纏めておく。
それでも長くなったので3つに分割して書くことにした。

スタートボタンを作る

スタートメニューを実現するソフトもあるが、スタート“メニュー”に拘るのも私的には違うと思ったりもする。
基本では左下隅をクリックすればスタート画面に行くがピンポイントすぎる。
”チャーム”を出して操作するのが本流らしいが、マウス操作ではこれも右上か右下の隅のピンポイントにマウスを移動した後に・・・と説明も操作も面倒くさい。
単に昔のスタートメニューボタンの所にボタンがあって押せばスタート画面に行けばそれだけで良いと思うわけである。
Vistaを今まで使っていたし、会社では7なので丸いWindowsアイコンがあれば迷わなくてすむ。

ググれば似たようなことを考える人はいるわけで何人かの案を自分なりに纏めると以下のようになる。

以下の記述を"スタートボタン.vbs"として作成する
---
dim obj
set obj = CreateObject("WScript.Shell")
obj.SendKeys "^{Esc}"
set obj = nothing
---
このVBS(VisualBasicScript)を実行するためのショートカットを作成する。
ショートカット自体は上記vbsと同じところの適当なフォルダに保存しておけば良い。
ショートカットは以下のように作る。
作りたいフォルダで右クリックから

新規作成でショートカットがあるのでそれを選ぶ

こんな画面になるので、まず参照ボタンでスタートボタン.vbsを選べばフルパス付きで文字列が入るので便利。
カーソルを前(左)に持って行って"wscript "を入力して[次へ]で続ける。
名前は適当で良い。スタートボタンにしておく。
ショートカットができるので右クリックでプロパティを選ぶ。
ショートカットタブのアイコンの変更で、アイコン選択がでるのでアイコンを指定する。
自分でICO画像ファイルを作っても良いし、フリー素材から探してきても良いし、Windowsフォルダのリソースから選んでも良い。
ショートカットができたら再度の右クリックで

タスクバーにピン留めを選べばタスクバーにアイコンが表示される。
あとはこれをドラッグして一番左に動かしてやれば良いだろう。

○電源(シャットダウン)ボタンを作る

電源操作(オフや再起動)も標準では面倒くさい。
これもチャームからやれということらしいがありえないので、電源ボタンを作ってしまう。
作り方の流れはスタートボタンと同じでスクリプトが以下のようになるだけの違いである。

---
dim obj
set obj = CreateObject("shell.application")
obj.ShutdownWindows
set obj = nothing
---
電源ボタンのアイコンはShell32の中によさげなのがあるので私はそれを流用した。

チャームボタンを作る

と行きたいが、VBSではどうやら作れないようだ。
Windowsキー+Cなのでスマートボタンと同じ要領で、と思うのだがSendKeysはWindowsキーをサポートしていないので作れないのだ。
先に作ったスタートボタンはWindowsキーのコードではなく、Ctrl + ESCを送っている。
このキーの組み合わせはWindowsキーの代用になるだけで同じではないようだ。
Windows8ではWindowsキーは押してから離すとスタート画面に行ったりデスクトップに行ったりするが、Ctrl+ESCは押しっぱなしにするとキーリピートで行ったり来たりする(失笑)。
まあ、普段は使うことがないので諦める。

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デジタル新聞の行方

リンク: 米老舗新聞「ワシントン・ポスト」買収で感じたデジタル新聞の行方 - CNET Japan.

しかしながら、なかなか従来の形式から移行しないのは、スマートフォンやタブレットなどの利用が過渡期にあること(まだ使い慣れていないこと)や、デジタルサービスに対する課金への抵抗感、さらに無料ポータルサイトなどである程度のニュースを読むことが出来るといった環境があるためであろう。

使用者側が使い慣れていないこと、ということもあろうが、提供側もスマホやタブレットに最適化した表示をしているのだろうか。
スマホでPCサイト同じ表示をされると横のナビゲーション部や広告などで本文を見ることがろくにできない。
いわゆるピンチ(拡大)操作というのは意外と初心者には難しいことで特に老齢の人には難しい。
健常者でも結構鬱陶しいのではなかろうか。
もしかしたら有料では対応しているよ、と話は有るのだろうか。
あったらもっと宣伝して欲しいというところだ。

課金への抵抗感と言うが、スマホでは比較的低いのでは無いだろうか。
携帯契約での課金も可能だが、それへの対応には動いているのか。
ただそもそも提供費用は高いように思う。
値段については宅配料の不透明さへの不信がある。
宅配は馬鹿にできない額だと思うが、なぜか宅配ではない駅やコンビニで購入する値段も同じだ。
宅配システム維持のために負担しろというような構図であればそれは拒否感があっても当然だろう。
新聞の購買(宅配)を前提に電子サービス云々、などという不可解な提示があるとそういう勘ぐりをせざるを得ない。
郵政民営化議論と同様な過疎地対策面もあるかもしれないし、再販制度も含めて再燃する論点なのかもしれない。

無料サイトについてだが、無料部分で十分というかそれ以上を有料にしてもたいしたもの(対価に応分のもの)が得られないということが重要では無いか。
有料部分が従来の新聞と同じ程度であれば要らないと感じてしまうのは当然では無いか。
私が新聞を取らなくなったのは必要なのはどうせトピック部分だけで「そういうことがあった」というとっかかり部分だけに過ぎなかったからである。
もっと問題なのはたまに深入りを求めてもそれに答える記事が無かったからである。

ネットを活用する人達をターゲットにするのであれば、そこいらのブログやらメールマガジンやらに負けないような社説やコラムを書いて貰わないと困る。
掲示板で馬鹿にされるようなレベルでは明らかにダメだろう。
手本になるようなレベルが必要だ。
読者ページがあるが、それが掲示板にも劣るようなものなら意味が無い。
このように新聞の衰退は、かつて新聞が担ってきた部分をネットの他のサービスによって上回られてきたことではないのか。

では新聞の強み、新聞にしかできないことはなんなのか。
その原点に立ち戻らねば、新聞の電子化は成功しないだろう。

例えば本来はあるべき自己取材能力である。

どこかの会見があって誰某が何々を言った、などというレベルを書くだけならそれは時事通信社がやることである。
そんなことはとっかかりに過ぎず、それを裏付けたりその先の事実を取ってこなければ新聞の意味は無いのではないか。
新聞紙面を外(定食屋とかロビーとか)でたまに見たり、無料版だけだが見る限りではつっこんだ面が殆ど見られない。
例えば誰それがTwitterで何々を言った、ということを聞きつけたら、まずはその人にアポイントを取って取材して本当はどう言ったのかどういう意図で言ったのか等を直に聞いてくることが、新聞こそができるしやるべきことではないのか。

そこをすっ飛ばし批判めいたことを書いて、社会的に大きな問題化(世論化)したところでやおら共同記者会見を設置して非難や追求なんぞをしている。
そんなことをすれば当事者が怒りすら覚えても当然では無いのだろうか。

その辺りはいつの間にか週刊誌の分野になってしまい、その週刊誌ですら興味深い話を掘り下げて記事にするのはフリージャーナリストぐらいになってはいまいか。
その記事に関しても編集側も相互に関与して作っていくという姿勢が欠落してきている、としか思えないような問題も起きている。
最低でも「記者が勝手に書いたこと」なんて微塵も出してはいけないのではないか。

それでも時々は興味深い連載記事が組まれることもある。
新聞は毎日のものだから、日々の取材が反映され記事の中でだんだんと全貌が見えてくるとそれだけで面白いものだ。
昔は比較的そういうのが多かったように思えるが、私が大人になってしまったからそう思えなくなってしまったのだろうか。
各紙が「文字を大きくした」ころからなんか記事として弱くなっていったように思う。

限られた文字数で記事を書かねばならない、という新聞紙面ページ数の束縛からデジタルになれば解放されるというメリットをもっと生かして欲しい。
写真だってフルカラーでいくらだって載せられる。

ネットで各紙が比較される時代だからこそ、各紙が特長と個性を持って紙面を作らないと新聞自体が求められなくなるのでは無いか。
模索は感じられるが、どこも小さく縮こまっていて興味を引けていない。
どこかのネット新聞の派生品みたいにゴシップをやれということではない。
本来新聞各紙が持つべき力や存在意義をもう一度考え直すべきではないのだろうか。

そういう要求の高い話は別として、有料版を各紙が準備できるようになってきた。
以前は無料版と言うより片手間にやっていたとしか思えない状態からは進歩しているといえるしネット版できちんと収益を取ろうという意味で本腰を入れ始めたのだろうか。

それでも新聞への不信感はあり有料版に手を出す自体を躊躇すると思う。

それを打破する簡単な方法としては“無料開放デー”の設定であろう。
有料放送(WOWOW等)等では最近さかんにやっていることで年に数回は一日スクランブルを解除して誰でも見れるようにしている。
食べ物屋ではランチサービス等のようなもんである。
クーポン券を配るようなことをしても良いだろう。

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2013/08/13

Apple社、USB 電源アダプタ回収プログラム

リンク: USB 電源アダプタ回収プログラム.

アップル社はサードパーティ製のUSB電源アダプタを“回収”するという行動に出た。
きっかけはおそらくは中国で起きた重大事故なのだろうが、日本でも行動を起こしたわけである。
なかなか興味深い。
普通はこういうのは動作保証は純正品を使う限りであり、それ以外は“自己責任”つまりはメーカーとして責任を取れないというスタンスだ。

そもそもサードパーティ品は何がいけないのか。
改めて考えてみる。

多くは“粗悪品”である。
純正品より安くないと普通は存在価値は無いから価格競争に陥る。
そこで犠牲になるのは安全性や品質、安定性である。

今回の電源アダプタで具体的に考える。

・そもそも電圧が違う

本体の方がどの程度許容できるかにもよるが、電圧が異なると故障や不具合を引き起こし事故の要因となる。
大概は要求電圧より高い場合に起きるが、低くても起きえる。

買った時は問題なくとも数ヶ月、数年使っているうちに部品の劣化により電圧が変わってしまうことも考えられる。

・電圧が不安定、ノイズが大きい

いわゆるテスターのような電圧計で測ると正しい電圧であっても、実は電圧が時間軸で変化しているようなものもある。
またスパイクノイズといわれる幅の小さな高い電圧が出ていることもある。
これらも部品をけちることで起きえることである。
元が(日本の場合)AC100Vという電圧が0V~140V程度を変動する電気から作るのでただ電圧を落すと当然電圧は揺れる。
それを整えるための部品があるわけだが、それの質や回路構成をけちると起きる。
さらに部品の経時劣化により性能が落ちてノイズが出だすこともありえることだ。
そしてこういったノイズ(当然だが本体機器の方では想定していない電圧なので)により故障や不具合の原因となりえる。

・過電流保護などが無い

極端に言えば電源アダプタの出力をショートさせても安全かどうかである。
普通は保護回路が働いて電流供給を止める(切る)ので最悪の事故には至らないものだが、これもケチるとアダプタが過熱し溶けたり壊れたり発火したりも可能性としてはある。
ヒューズが飛ぶ、というものもこの保護回路の一形態と言える。
アダプタが勝手に壊れるのならともかく、その壊れる過程で過大な電圧を本体機器に供給してしまい壊してしまうことだ。
最悪でAC100Vがそのままかかってしまえばどうなるかは想像に難くない。


なぜ回収プログラムに踏み切ったのかはいくつか理由が考えられる。

世の中にどんな粗悪な電源アダプタが存在しているか、把握したいという理由だ。
店に行って手当たり次第に買ってくるのも手だが意外と偏るかもしれない。
またどういうのがどの程度、実際に購入されて市場(各家庭)に出回っているのかも知りたい。

そう考えれば“回収”という形を取るのは良策だろう。

その分析を踏まえて、製品作りに役立てたいという考えは十分あり得る。
粗悪と言っても想像しかできないので具体的にどういうのがあるのかというのは調べなければ判らない。
コスト的にもできる範囲で粗悪なものでも爆発のような最悪の事態を引き起こさないような設計にするというのは技術的にも会社としてもやった方が良いことだ。

USB電源アダプタを使用する機器はこれからもアップルは作り続けるだろう。
長期的な目からも、汎用性が高いこのUSB電源アダプタという市場の現状を把握することは有意義なことだと思う。

そして“回収”ということでアップルのイメージをあげるという目的もあろう。
取り組み姿勢の顕示である。
褒めるかは別としてもけなすようなことでは無い。
「純正品を使ってください」「それ以外はシランですよ」と建前論を言い続けるのも、まあ仕方の無いことだとは思うがそれを突き通すのも現実としてどうか、という考えもある。

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2013/08/12

WiiUのバーチャルコンソール

(2015年8月8日追記:WiiUにおける下記問題はだいぶ前に改善されており、1080固定でも問題なく表示されるようになっています。;記事上位に来ているのを見てこの記事を書いたことを思い出しました)

Wiiのファミコンなどのバーチャルコンソールで遊ぼうとすると横長になってしまう。
4:3ソフトと16;9(ワイド)との共存がうまくいっていないWiiの欠点である。

技術的にはテレビとうまく連携を取っての回避方法があるのだがその辺は任天堂は疎いようだ。
まあ、それでも横長でも遊べないこともないし、アナログで標準解像度の時代ならテレビ側で「画面サイズ」設定等でいじればよいことなのであった。
(註:「画面サイズ」はテレビメーカーによって表現が異なる)

しかしWiiUでお引っ越しをした場合等、Wiiモードで遊ぼうとした時は非常に困ったことになる。
WiiUでは標準的にはHDMIケーブル接続となり、1080Pが基本となっている、と考えて良いだろう。
しかしこのことが弊害となってしまう。
普通に設定してWiiモードにして「画面サイズ」を選ぶと次のようになる。

01

これはWiiUがWiiモードでも1080P設定になっているからである。

02

Wiiモードではどうせ標準解像度なんだから480Pとかにしておけばよいものを、わざわざ1080Pに変換(アップスケール)してくれているのである。
なのでどうしようもない。
テレビ側で何とかする範囲では無いのである。

それならWiiUを強制的に480P設定にしてしまうしかない。

設定メニューから

03

テレビの設定を選ぶ

04

テレビの解像度を設定するを選んで

05

1080Pになっているので480Pを選ぶ

06

480Pになっているのを確認する。

07_2

WiiUの画面に戻ってWiiモードにし、テレビの画面表示機能で解像度を確認してみる。

08

テレビの画面サイズ切り替えをしてみる。
今度は現在、フルモードになっているので

09_2

ノーマルモードに切り替えてやる。

10

目的通り、横に黒帯がでて4:3画面になった。

11

しかしこれをやってしまうとWiiUの画面も標準解像度になってしまう。
いちいち設定を変えなければならないのは面倒くさすぎるではないか。
解像度切り替えは映らなくなると大変だからなんだろうが、確認が執拗でボタンを押す回数が多いのも難点のうちのひとつだ。

任天堂もWiiモードに手を入れるのはあまりやりたくはないだろうが、WiiUとWiiモードで解像度を個別に設定するぐらいのことがさほど難しい(時間や金がかかる)とは思えない。
後入れアプリで解像度一発切り替えボタンでも良い。
一般のユーザーが簡単にできるようなことを、なんかやってくれ、と思うわけである。

こういう解決策があることは数ヶ月前に気がついていたのだが、他のブログとか見ると悩んでいる人がちらほら見受けられるので面倒だったのだが記事にしてみたぐらいの話だ。

「Wiiからのお引っ越し」は従来のWiiユーザーをWiiUに移行する際のためらいを軽減してWiiUを買って貰うのが目的では無いのか。
それならば今のままが良いとは到底思えない。
WiiUを買って貰ってさらに毎日電源を入れてWiiUのゲームも買って貰うのが目的では無いのか。
最初の画面でMiiVerseというシステムを全面に出しているのもそれが目的では無いのか。

結果としてWiiを手放せなくして電源を入れるのがWiiばかりではダメと考えないのか。

WiiUが本体ソフトともに思ったより売れていないようだが、こういう細かい配慮をきちんとしていないのが問題だと思わないのだろうか。
ゲーム業界の不振をネットやらスマホやらのせいにしている論調が多い。
確かにそれは重いと思うが、しかしこういう細かい配慮に欠けているのもいただけない。

ネット業界やネットゲーム業界では本当に頻繁に改良・アップデートやシステムの抜本的な改革がおきたりと細かいところまで配慮をしている。
特長として最初は結構荒削りなのだがだんだんと細かいところが磨かれていく。
それがユーザーの増加と良いスパイラルを起こしているケースがあり、やはりそういうところは成長している。

システム的にどうしようもないとかならともかく、できることをやっていないのはやはり見抜かれてそっぽを向かれてしまう。
本当にシビアで緊張感のある業界とゲーム業界は闘っているのだ、という自覚が任天堂に無いとしたらそのままじり貧になってしまいかねない。

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米国の風力発電拡大策

リンク: 数億羽の鳥とコウモリの死を招く米風力発電拡大策  :日本経済新聞.

この記事の論理展開はひどすぎて呆れるばかりであるが、いくつかの興味深いトピックがあった。

米国の風力発電は全米の総発電量のわずか3パーセントしか賄っていないのに

驚くべきことに、あれだけCO2排出規制を無視し続けて経済効率優先と思われる米国なのに、風力発電が3%もあるというのだ。
一方でCO2排出にあり得ないほど過敏な日本のはずなのに、風力を含む再生可能エネルギー全体で数%程度で、風力単体で全体割合を語れないぐらい僅かな数字と比較すれば、である。

 地球温暖化を警戒する人びとの大半は水力発電や天然ガス発電、原子力発電に強硬に反対していることを考えると、二酸化炭素の排出量を50パーセントから80パーセント削減するには風力発電機の数を約25倍も増やす必要があることになる

そもそもこの論理展開もトンデモ論なのであるが、真に受けるとすれば25倍も増やすと言うことはなんと風力で全米電力の75%を占めようという計算である。
世界一の経済大国を支える電力エネルギーの75%が風の力で賄われるという想定をする自体がとんでもなくファンタジーで微笑ましくさえある。

この記事内容全体が論理誘導に満ちているのでいちいちツッコミはしないが、そういう想定で様々な試算をしていると言うだけでも興味深い。
さすが米国というのはなかなか幅が広いなあと感心してしまう。

極論に過ぎるぐらい幅の広い、絵空事ぐらいまでは振った議論が日本でも行われて貰えるともう少し日本のエネルギー政策論議もまともになるのでは無いかと思う次第である。

日本の論議で寂しいというか物足りないというか全然論議にならないというか、その要因はあまりに感情的だったり思い込み先行だったりが多いことである。
否定するにも肯定するにも、もう少し数字を出して論理展開をして予測なり想定なりをその数値で語るべきでは無いのだろうか。
日本の多くではこの記事の説得力にも劣る論議・説明ばかりなのが悲しすぎる。

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2013/08/11

アルバイトの「いたずら写真」でネットが「炎上」 企業はどうやって防げばいい?

損害賠償をすれば良いだけでは?と思うのだがなぜそういう話が出ないのだろうか。

弁護士さんの見解の記事でも何も触れられない。
リンク: アルバイトの「いたずら写真」でネットが「炎上」 企業はどうやって防げばいい?|弁護士ドットコムトピックス.

テレビを始めマスコミでもなぜか誰もそこを突っ込まない。
これを引用した某所掲示板ではきっちり突っ込みが入っているのだが。

通常の業務上の失敗などでの損害を出してしまった場合は、普通はその損害額を負うことは無い。
例えばコンビニバイトでもまじめに陳列棚に並べていてうっかり手を滑らして商品を破損してしまってもその過失の追求、損害の請求はされないのが通常だ。
しかし悪ふざけをしながら作業をしていて破損すれば話は微妙となってくるが、まあバイトなんだしというところもあり普通は無い。

今回のことは文句なく即解雇が妥当なほどの重大な案件であり、コトガ起きた責任は100%社員(バイト)側にある。
業務の流れとは全く別の中での出来事であり、完全に故意(計画性もありの疑いが高い)である。

バイトと言うことは少なくとも高校生以上であり、自分の行為により店に多額の金銭的損害を与えることは十分に予想しえる。
このことは一連の事件に共通していることである。
報道の中での模倣犯的なものであれば最低でも破棄とか消毒とかそういう言葉があり、誰が見ても金がかかっている、つまり損害が起きている。

損害賠償請求をなぜしないのか、したとしたらなぜそれを報道しないのか、である。
なぜかモラルとかネットの云々とかそんな話ばかりして論点がずれている。

即解雇は当然として、損害賠償なり商品の買い取りなりをさせれば良いだけの話だ。
なぜ安易に廃棄をするのか。まずは買い取りをさせるべきである。
買い取りや消毒などの処置をすれば少なくとも数千円~数万円、数十万は下らないだろう。
バイト代など軽く消し飛んで足りなくなるような額である。
本人が賠償を負いきれないなら親を呼ぶしか無い。

元から未成年なら監督責任のある親を呼びつけて責任を取らせるべきである。
FC契約破棄された店もあるそうだがそれが妥当なら賠償責任も取らせるべきである。
休業補償や再獲得(原状復帰)には数百万オーダーになるだろう。
もしかしたら全額では無いかもしれないが責任は実行者にほとんど負わせるべきことだ。

これがバイトで無くて客が隙をついて同じことをやったら間違いなくこういう措置になるのでは無いか。
客相手であれば社員管理とか教育とか人事政策とかまったく意味の無い議論だ。
客だと賠償になって店員/バイトだと許容されるというのはおかしな話である。

子供だからといっても許される限界というのはある。
何度も言うがもう高校生なのである。

必要以上に子供を甘やかしている社会構造の方が問題では無いのか。
それをネット云々にすり替えているのも大きな問題では無いのだろうか。

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2013/08/10

尾木ママ「万引きしても優しく声かけて」 

リンク: 尾木ママ「万引きしても優しく声かけて」 「叱らない子育て論」がネットで論議に : J-CASTニュース.

   「万引きしても怒鳴らず、『どうしたの?』と優しく声をかけて」。尾木ママこと教育評論家の尾木直樹さんが、福井市で行った講演でこう語ったと報じられ、ネット上で議論になっている。

自分が子供の時の気持ちに戻ると、単純では無いことだと思う。
まず年齢によって、どうすべきかは変わってくると思う。
「子育て」というと0歳~18歳ぐらいまでをいうのだろうか。
まず社会に法律があると言うことを知っているか知らないかでも違っている。
単に「悪いこと」と知っていてやったのか、知らないのかということもある。

そうしたことを総合的に考えれば「どうしたの?」は咄嗟に出さねばならない言葉としては妥当な言葉ということもできまいか。

私は幼少の時は比較的親に構って貰えなかった方だと思う。
兄弟はいるが諸般の事情で事実上「一人っ子」同然で「鍵っ子」だったこともある。
悪いスパイラルでそういう子は閉鎖的になりがちで友達もできにくい。
そうすると「暇」なのだ。
手っ取り早く「暇つぶし」で「スリルのあること」「行為にお金が要らないこと」、そして結果的に叱られるという形ではあるが親に構って貰えるということから、万引きをするという行為に至ってしまうという気持ちは分かる。
寂しい気持ちよりは叱られるという形でも親から声を掛けて貰えるという方が嬉しいのだ。
罪の意識より悪ふざけ程度の感覚である(自分でそう思い込む)こともあろう。

客観的に見れば馬鹿馬鹿しいというか弱者の言い訳とかいくらでも言えるとは思うが、そんなきれい事なんかで論じていては真因には行かないと思う。

もっともこわいのはいじめが絡んでいることだ。
殆どいじめに近いが「万引きしないと仲間はずれにするぞ」という言葉も子供達の中ではでててくる。
いわば「こどもの論理」が支配する状況なので大人の常識は感覚は通用しない。
大人の論理を振りかざすと、その両者の間でこどもが混乱してしまうのだ。
こどもの精神状態は混乱するしいじめも深刻化しかねない。

そこを助ければ自分で解きほぐせる年齢で親もそれを根気よくできるのでればやっても良いと思うが、中途半端にやってしまうとかえってこじれてしまうのではないか。

そういうことを考えて突き詰めての1つの結論が「まずは理由をきいてあげる」ことに至ったのだと思う。
まずは何を言うのかを聞いてあげることだろう。
大人の論理からは理解しがたい理由かもしれない。むしろその方が自然では無いか。
年齢や言語発達の程度によっては十分に自分の思いや考えを十分に表現できないのかもしれない。
ここでは言葉の文字面よりその言葉が「嘘」と思って言っているのか「真実」を頑張って言っているのかを見抜く方が重要なのかもしれない。

こういうことを考えていると、実は社会生活、会社での部下の指導や上司同僚との接し方、(特に異文化度のある国との)外交問題に至るまで似たような話なのかもしれないと思い至る。

外交問題や政治社会問題等に関して言えば、特にマスコミ(ジャーナリスト)においては、何かコトが起った時に感情的レベルでかき立てたり非難するのでは無く、きちんと現場や発言者なりに取材をして真意・真実を得て報道をして欲しいものである。
特に一部発言を又聞きしたようなレベルで批判報道をするようではいきなり叱るダメ親同然では無いのだろうか。

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2013/08/07

TPPのメリット

リンク: TPPのメリット|TPPとは|TPP交渉への早期参加を求める国民会議.

メリットはいったいなんだっけか。
ぐぐってもなかなかまともな理由が出てこなくて嫌になってくる。
内閣総理府のページもましなほうだが説得力に足りなさすぎる。

そんな中で他のと観点が違うのが国民会議なるものの意見である。
根拠意味不明な「試算値」を出してくることはないのでましといえる。
それでも結局「日本に取ってのメリット」が良く理解できなかったのは同じなのだが。

要約すると「後進国の政治的(ガバメントという意味で)、交易面において、発展途上と言うよりは正に後進国であることをTPPで是正してもらいたい」「是正により不合理不条理な様々な規制がなくなり日本企業が進出しやすくなる」ということらしい。
概ねこの話を色々な題材で表現しているに過ぎない感じだ。
例えば様々な海外からの企業活動条件を突然変えたり、海外企業参入に対して大きな負荷をかけたり、各国が国内企業保護のために行っているわけだが、これらを撤回させようということだ。

それにしても実現可能性についてどれも性善説というか机上の空論というか楽観的に考えすぎているとしか思えないのだが本気でこんな期待をしているのだろうか。

例えば環境面等で日本は進みすぎていてコスト面で太刀打ちできないから他国でも引き上げて貰う、なんていう論があるけど、そんなことをいわゆる後進国でできるわけが無い。
全国民レベル含め社会的な意識、国力や企業の力(大中小含め)などの総合的だったり国力バランスだったりの延長線上にある難しいものである。
環境面なんて日本は様々な公害を引き起こしてきた反省の歴史の上に立っているのであってそれがない国では必要性や重要性を認識しづらい。
単なるムダなコストにしか思えないのが現実である。

環境面もそうだし、安全、危険かどうか、害があるかどうか、そういった感覚も国によって意識が遙かに異なるのは当然のことだ。
具体的には化学物質の規制項目だったりに反映される。
農業面なら農薬や肥料、飼料や配合物、投薬もそうだ。
さらにいえば有害性(発病との関連性)は人種によって異なるという説もあり話が面倒になる。
(別に人種差別をどうこうの話では無い。遺伝形質と病気の関係をもうすこし大きな括りで論じている話に過ぎない)
それらをすり合わせることが可能だとは到底思えない。
後進国ではまず「過剰だ」というだろうし、だからといって日本が譲ることもできない。
TPP交渉として妥協したのならば、それはやはり日本から見れば低い水準に留まることであり、若干改善はされるものの日本が同等の条件に立てるようになるわけでもない。

安全安心などと言うのは国毎でえらい意識の格差があるわけで「我が国ではこれで十分安全だ」「いやこれでは足りない」となるのは目に見えている。

例えば「遺伝子組み換え大豆」問題が典型的なものである。
日本ではほぼ生でも食すこともあり、摂取量が非常に多いわけで「遺伝子組み換え」に対する拒否感が非常に強い。
米国は「非関税障壁」扱いをして「遺伝子組み換えではない」表示をすることを禁じたいのである。
この温度差は米国人の感覚として大豆は飼料である、という背景がある。
要するに他人事なのである。
その証拠にパンを主食とする彼らは小麦の遺伝子組み換えには非常に慎重な姿勢なんだそうだ。
遺伝子組み換えの危険性なんかない、とかいう意見も見聞きするが多くの国民に取っては我が身になると所詮こんなものなのだ。
他にもトウモロコシも飼料か食料かはたまた燃料かで話は大きく違ってくる。
ポストハーベスト問題だって遠くの国に輸出するものだけに関係することなんだから彼らにとっては他人事である。
しかし食べる方にとっては自分の健康害-命に関わるんだから真剣そのものだ。

エネルギー問題や食糧自給の問題もそうだ。
楽観しすぎである。TPPになれば産出国での国内優先ができなくなるから安心できるという言い方をしているが、条約上はそういうことになったとしても現実はどうなのか。

国内で不足しているのに海外に輸出する国家・企業がどこにあるのだろうか。
仮にその国の流通価格より高く買うから、とお金で日本に持ってきたとしよう。
結果としてその国にエネルギー危機を与えてしまえば国際的に非難されても不思議では無い。
食料も同じ話である。
自国民に食料が回らなくなる、飢えまではいかずとも国内で食料高騰させてまで輸出する国家企業がどこにあるのか。
いや後進国ほど高騰したら収入が低い層は飢えに繋がる可能性だってあるだろう。
日本だと政治の統制がある程度効くからその感覚で楽観しがちだが、そんなまともな国ばかりでは無いのだ。
飢饉の国情の中、国連援助食料すら横流しして国民を飢えさせても平気で着服する人間すら世の中にはいるのである。

最後の「日本を標準に」などというがこれこそ実態を見れば噴飯物である。
例えば日本の軽自動車規格。
米国から既に「こんな規格潰せ」という圧力がかかっているのは報道にも上った。
税制は別としても小周りが効き、低コスト(税制面ではなくて)、また最近は特筆まではいかないが低燃費だし、道路への負担も少ない軽自動車規格というのは道路の発達が遅れている後進国ではむしろお勧めな規格である。
世界中に拡げるべき規格なのにそれすらTPPが発動したら米国に潰されるとすらいわれている体たらくである。

この記事に上げられているメリットはどうにも「○○を目指します」が多い。
それが実現すれば、というタラレバである。
普通に交渉が妥結すればメリットがある、なんてものが皆無である。
(あってもそれの反面として起る事柄のデメリットで相殺してしまうようなものである)

そしてどれも「日本の外交・交渉能力じゃあ無理だろうな」と思えることばかりである。
TPP参加国に米国がいなければまだしもというところもある。
一対一交渉で論理立てて進めるのは日本はまだできなくもないが、多国間交渉で他にも大国、とりわけ日本がまともに交渉できた試しの無い米国が絡んでの交渉ではまともに論議を引っ張ることはできないとしか思えない。

外交・交渉能力の欠如が典型的に出ているのは例えば国際的な環境サミットである。
無茶で他国に迎合するような(それで自国の首を絞めるような)、いわゆるええかっこしいな公約でも出さないとまともに評価されない、という時点で終わっているのである。
ご存じと思うが米国はCO2削減にはそっぽを向いている。
中国ははなから出ても来ないので日中の二大CO2排出国が、削減する気なんか無い、というのが世界のCO2削減の現実なのである。
さらに後進国は「先進国は散々排出しておいて、なんで俺らが削減せにゃならんのだ」と反発が強い。
国際的に環境問題は日本がリードしているなんて噴飯物なのが現実なのである。

精一杯好意的に見ると、TPPのメリットが生じるのは、これまで国際的に歴史上見たことも無いような優れた外交・交渉能力を発揮して日本が制度作りをリードし、様々な制度作りをしていく、というのが前提条件となる。

しかし現実は既に米国から様々な要求をつきつけられ「米国スタンダード」に日本がかえさせられようとしている現実。
しかもそれは論理的にも法学的にも決してまともとはいえないものがある。

以前にも書いたと思うが結局「日本には交渉能力が無いのでTPPは日本にとってメリットが生じえない(ない)」ということに終始するようだ。

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2013/08/03

著作権による保護は本を普及させず逆に「消失」させている

著作権の延長反対を支持している私でありますが、日頃感じていたことの裏付けデータがイリノイ法科大学のPaul J.Heald教授の調査分析によって示されています。

リンク: 著作権による保護は本を普及させず逆に「消失」させている - GIGAZINE.

記事中にもあるようにアメリカでは作者死後70年後なのでそこに留意してグラフをみていただきたい。
著作権保護にある期間はかなりの量の本が「死んでいる」のが見て取れる。
いわゆる飼い殺し状態といえよう。
もう一点気をつけるべきは1910年代は第一次世界大戦があった年であり世界的に戦時中であり、当然物資は困窮し、社会は統制され、出版作品はむしろ平年よりも減っている方が自然だったぐらい、のはずにも関わらずである。

Heald博士は「出版業界は本を最初に出版した数年間を除けばもはやその本を売る気がないように思える」とします。Heald博士のグラフからは、出版された本はほんの数年で市場から消えてしまい、それがPDになり著作権者から解放されるまで長年消え続けるという現実を示唆しています。そしてHeald博士は「著作権は本をこの世から消滅させている。著作権がなくなるときに本はふたたびこの世によみがえるのだ

あまり有名でない作家さんは数年で絶版になるのは珍しくは無い。
ある作家さんの昔の作品に興味を持ち、題名を知る。
出版社に問い合わせると絶版だという。再版の予定もないと言われる。
在庫で探し回っても中古書店でもみつからない。
入手不能である。
だからといって誰かが持っているのをコピーさせて貰っても著作権的にはアウトである。
その本の価値など当然だが出版数で決まる訳では無い。

その作家さんがまだ存命ならまだしも、亡くなられていればなにか腑に落ちない。
編集者との共同作業の部分もあるからそこは認めても50年だって長すぎる。
(それでもその報酬は給与で代えられるもので著作権の利益を与えるのは無理がある)
作家の死後50年となれば遺族(子供)だって就職して収入があるどころか定年を迎えて年金を貰う年になっていても不思議では無いほどの年月では無いのか。

著作権による保護は作者の死後も続きます(アメリカでは原則として作者の死後70年、日本では原則50年)。著作権のせいで作品が市場から消されているという「現実」は、作者の望む、あるいは望んでいた世界ではないはずです

記事ではこういう言葉で結んでいるが私もその通りだと思う。
あえて暴論でいわせてもらえば、著作権を主張するのであれば、市場に提供する義務を負う、ぐらいの権利-義務関係が必要であるとさえ思う。

なお、もうひとつの問題として作品の「孤児化」(英語ではオーファン)があります。
出版社が潰れる、作家が死去されていて相続される親戚・遺族もいないもしくは連絡が取れない、等の理由によって著作権者の許諾をとろうとしても不可能な状態にある作品のことを指します。
そもそも著作権というのは自然発生権ですから放棄を明言しない限りは存在し続けます。
それを永久では無く期限を切っているのが「死後○○年」の規定なのです。
著作権保持者が連絡不通になってしまった場合も自然消滅するのでは無くこの規定に縛られ続けるのです。
それをある意味救うのがこの規定とも言えます。
自動的に成立しますからどんなに権利関係がややこしくなっていても全てご破算となります。
そして作品が「生き返る」のです。

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