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2013/07/06

憲法改正に関して

コメントがついていたが、別にそれに私は反対しない。
というか私はそもそも改憲反対では無いが推進派でも無い。
ぶっちゃけて言えば「色々と面倒だからこのままでもいいんじゃね?」という感覚だ。

文章的に明らかにおかしいというのならそれを改定することにはなんらやぶさかではない。
たぶん発議されれば私は賛成意見を投じると思う。

しかしそのことと改憲発議の要綱を緩めるのとはまったく違う議論である。

今の枠組みの中で国会で多いに議論し発議し国民投票にかけるのにまったく反対はしないしどんどんやれば良いと思う。(もちろんその条文に対する批判は必要ならするが)

そもそも国民投票に関する法律(要項)がつい最近までなかったり、そもそも議論がほとんどされてこなかった(憲法そのものに向き合っての議論という意味である)ことが不可思議でさえある。
自民党が言うような「改憲発議がいままで0だった」というのはごく当然の帰結である。
憲法96条で「国民投票」が必要なことは明示されているのに、その制度を作っていなかったのだからそもそも改正をする気が無い(タブーであった)ことが問題なのである。
つまりは憲法96条の以前の問題ではないのか。厳しいのが要因とは言えないのだから「だから変える」というのは論理がおかしいというか飛躍しすぎている。

もう百回は発議の決議のための発議(?)を2/3の壁で蹴られ続けていたというのならまだ心情も察するが、少なくとも国会の動きとして憲法○○条改正委員会が動いていたとかそんな話すら聞いたことがない状態では同情すらできない。

私が反感を感じるのはあたかも「日本の改憲要綱は厳しすぎる」ような意見があり、さらに「国際的に見ても厳しい」というような事実無根の意見が散見されることである。

推進派がテレビ等の発言の中でムカッとするのは「日本より厳しい国は(ほとんど)無い」という言い方である。
それは確かに嘘は言っていない。
しかし「日本より容易な国もほとんど無い」
要するに日本のそれはほぼ国際的な相場なのである。(同じという幅をどれだけ取るかということはあるが)
しかし厳しい国は無いから日本がおかしい、だから変えるべきだというような言い方をしていることに異議を唱えざるをえないのだ。
巧妙なのはその点に関してだけ絶妙にトーンを落してそこを追求されないようにしているという姿勢がありありとみられる。

マスコミ側もいい加減なもので、では世界的にどうであるかをきちんと並べて論議する姿勢が全くない。
もっといえば意見を言っている当人も反対する人も事実関係に基づいての議論がきちんとできていない。

まあ、言い出しっぺの自民党すらも憲法改正、とりわけ96条については正論でつきつめられると選挙に不利とは自覚しているようで、このところ言わなくなっている。
それよりも経済回復を前面に押し出した方が遙かに有利になるわけである。
またどこの政党も同じようである。

そんな中で中途半端に蒸し返すマスコミとかもよくわからない。
特に政党とか政党の議員に聞いたとかのアンケートの中で「憲法改正の賛否」と「憲法96条改正の賛否」と不明瞭になっていることがある。
私は後者で賛成の場合は「法律の常識」に照らして法律感覚がおかしい、つまり国会議員としての基本的な資質すらおかしいと判断せざるをえない。
前者なら別になんら問題は無いしむしろ意識が高いという判断もできる。
つまり全く評価が変わってしまうのだ。

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コメント

憲法で削除すべき条項としては例えば18条、「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」がある。わが国に奴隷など存在したことがない。にも拘わらず、突然、奴隷が日本国憲法に登場するのはまさにアメリカの価値観ゆえだ。米国は奴隷解放を巡って南北戦争を戦い、リンカーンが有名なゲティスバーグ演説をした。奴隷という表現はその演説に由来しているのである。

投稿: うなぎ | 2013/07/06 12:15

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