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2013/06/29

ネット選挙運動解禁

リンク: ネット選挙解禁のいちばんポジティブな影響 | ネット選挙 解禁がもたらす日本社会の変容 | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト

まず多くのマスコミを含め根本的な間違いなのはネット選挙解禁、では無く、ネット選挙運動解禁、である。.
これは結局本の宣伝(前導入部)のようだがちょっとだけ気になるがどうもずれていそうなので買いたいとまでは思えなかった。

大手マスコミも両者を混同しているのか「ネット選挙解禁」などと言うものだからネット投票ができるようになったのかと勘違いする人が結構いるともあちこちに書かれている。
まったく大手マスコミが誤報すると世間に迷惑がかかるので注意して貰いたいものだ。
もっとも少なくとも私の周りにはそういう人はみないので本当かどうかは知らないが。

ともあれ旬の話題なのでこの関連についてつらつらと書いていってみる。

BSプライムという番組で推進してきた各党議員から話を聞いていたが、「結構わかっている連中」が結構実践的な枠組みのなかで考えて法律を作ったということが伝わってきた。

まず電子メールに関して厳しいが、これは「電子メールは勝手に送りつけるコンテンツ」つまりDMやら勝手にポストに投函されるチラシみたいなもので、受け取る側にとって迷惑になる可能性が高いということにある。
また基本的に個人対個人伝達手段、つまりクローズな手段であり野放しになるとよくないという意味合いがあるようだ。
野放しというのは、例えば落選運動やら無節操な量の投票依頼メール送付やらを想定していると思われる。
送付に関しては事前の同意やら管理やらをする義務を課している。
一方でホームページやらブログやらTwitterやらFacebookやらは有権者側が能動的に見に行くモノであり規制する必然性は低いため、非常に緩い。

私はこの考えに全く同意である。
同意なしに勝手に押しつけることが可能なものには厳しく、望んで取りに行くものには十分に緩くしておくのは筋として正しいと思う。

そもそも日頃更新をやっているのに選挙期間になるとやめなくてはいけない方がおかしい訳だ。
実際に番組に出ていた議員の方で、普通は日に何度も情報発信している人が選挙期間にぱたりやめるものだから、そういう選挙の禁止事項をしらない支持者から「なんでこんな大事な時にやめてるんですか」と言われることが多々あると言う。
ネット選挙活動を禁止していることが、一般の市民感覚からかけ離れてしまっていたという良い例なのだと思う。

だから同じ電子メールでもメールマガジンに対しては予め要件を満たしているようにしている。元々同意を取った人にしか送っていないし誰に送ったかも当然管理している。

立候補者も有権者も気をつけるべきは「○○に投票してください」に類する発言は基本NGだということだ。
これは電子メールでは特に注意すべきことになる。
逆に言うと特定の「立候補者名」と「投票して」という依頼の組み合わせがタブーなだけであってそれ以外に特に規制は無いようだ。

××駅の前で○○さんが△△といっていたよ、とか○○さんの△△の考え方はいいね(だめだね)、とかそういうのは問題が無い。
ただそこに「だから投票してね」をいれてはいけないだけの話とのこと。
投票依頼と政策論争の境目が難しいので、ともかくも「投票」の類の言葉をNGにしたのだろう。
これによって単なる「投票してね」メールを抑え込もうという考えなのだと思われる。
私もその考えは妥当だと思う。

これは投票近くに“友人”から特定の候補者への投票依頼の電話がかかってきたり、選挙カーのような「○○に一票お願いします」みたいなもので一定の制限をつけた上でやらないと収拾がつかなくなるのは容易に想像がつくからだ。

そういうポリシーだから意思に反して勝手に表示されるWeb広告にも制限がつけられている。
これも妥当な線だろう。

私はこのネット選挙活動解禁によって若者層の投票率が上がるとは余り思わない。
ただ、選挙運動のネットの位置づけが一般感覚から乖離することで関心も乖離していくのを一定程度食い止めるために当然必要な措置(立法)だった、という捉え方をしている。

期待しているのは“能なし”議員が苦戦(落選)することである。
民主党党首が次の参議院選挙に向けてどぶ板選挙をさかんに訴えていたが、まあ一定の効果は否定しないがそういうスタイルに対する冷ややかな目は強くなっていくだろう。
実際に候補者に手を握られてどう思うかは別にして、特に都市部の人はまずは「時代遅れだよね」と感じるのが普通だと思う。
議員になったら一般有権者のことは知らぬ存ぜぬ、冠婚葬祭にはこまめだったり地元有力者におもねるような議員はどんどん肩身が狭くなっていくべきだ。

逆に今日、自分がなにをやったのか、どこにいったのか、何を見て何を感じたのか、そういうのを日々整理して公表できる人間が評価・支持されるべきだ。
例えばネットでは無くても、今までは自費発行の新聞チラシやらでこつこつやってきた人もいたが費用が莫大にかかって配るのも難儀だ。
議員在職中ならともかく、落選でもしたら続けるのは不可能であろう。
しかしネットならタダ同然でばらまける。
そしてフィードバックも貰える。しかもお互いに。

一対一の顔合わせが重要だという人もいるようだが、それではどうしても時間も労力もかかるし些細なことではいちいち会うことも難しい。
そこがネットでは気軽にできるというメリットがある。
まさに議員という職業には素晴らしく活用できるツールの筈なのだ。

自分の思い、意見を文章を作成するというのも議員の基本スキルの筈だ。
なぜならそのひとつの極致が法案なのだから。
国会は立法府であり、国会議員の基本業務のひとつは立法である筈なのだ。
別にキーボードを打てる必然は無い。紙に書いてもいいし、口頭で録音なり直接秘書に聞き取らせてもいいわけで打ち込みをするのは秘書がやればいい。
重要なのは議員さんの頭から出てくる考え=コンテンツであってそれを具現化するのが秘書の役割だ。

つまりネットだから、電子化だから云々なんて実はたいした問題では無い。
実は“議員力”がより問われることになるだけのことだ。

もっともそれが弱い議員(特に幹部やら党内実力者と呼ばれる人)が実は多くて幅をきかせているから、政治無関心ひいては低投票率になっているのではなかろうか。
ネット選挙活動に頑なに否定していた人はそういう人が多いように思える。

そこがネット選挙活動解禁によって選別され、このネット選挙運動がとっかかりになって、日頃からネットで情報発信をする議員が少しでも増えれば非常に良いことだと思う。
それを有権者がたとえ見る見ないは別としてでさえ、文章化して纏めることは重要なことのはずだからだ。

私はそこに期待したい。

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2013/06/24

産油国と日本のガソリン価格の違い

何日か前のテレビで中東事情をやっていて1リットル70円だったかといっていてさすが産油国、安いみたいなことを言っていて呆れてしまった。
日本のが高いのは高額の税金のせいで、産油国では公共事業で血税を使う国はめったにないだけの話だろう。

昨日ガソリンを入れたのだが、レシートを見ると32リットルで4627円
4627 = 4405 + 222(消費税)
本体価格はその半分で 2202円。 +消費税 111 = 2313
1リットル当たりでは
消費税抜きで2202/32=69
消費税込みで2313/32=72
ということになる。
消費税を抜けば実は産油国での実売より安いというおかしなぐらいの値段なのだ。
まあ上下論議は無意味なのだがだいたい同じくらいとはいえるだろう。
しかもマスコミ曰く庶民が苦しむ程の円高の筈なのだが。。

別の見方をすれば税金で同額の69円取られ、それに対する消費税が3円取られている。
違和感を持った人は正解で、日本では税金に対して税金を取るという世界常識では異常行為(国家犯罪という人もいる)が行われている。
本体価格は2202円で税金分は2425円。課税率で言えば110%にもなる。
これだけの高額税を取られていれば高くない方がおかしい。

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2013/06/23

記事:「児童ポルノ禁止法」、マンガ・アニメは規制対象から外すべきだ みんなの党・山田太郎議員に聞く : J-CASTニュース

リンク: 「児童ポルノ禁止法」、マンガ・アニメは規制対象から外すべきだ みんなの党・山田太郎議員に聞く : J-CASTニュース.

問題なのはマンガ・アニメ規制が通過点(踏み台)であり、思想統制が最終目的では無いかと思えてしまうことなのだとおもう。
公明党は元々宗教法人由来だからともかく、自民党も実態はそういう政党なのかもしれない。
それは前の記事でもちょっと触れたが憲法改正の条文にも滲み出ている。
まあ、その辺の論議は別にして、法文自体の問題や稚拙さが余りあるのが問題だろう。

「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの」というあいまいな規定で、赤ん坊の入浴シーンから、女子高生の水着姿まで、厳密に云えば「肌の一部」が出ていれば、ポルノマンガであるとなかろうとほとんどアウトになる可能性があります。

曖昧であるし文章として稚拙すぎる規定である。
まず「衣服の全部または一部をつけない」という文章であるが、一見規定をしているように見えて何もしていない。
「衣服の一部をつけない」のであればコートを脱いだだけで「一部をつけていない」。
マフラーだって衣服の一部である。
こう書くと「揚げ足取り」という輩がいるが、法律というのはその文章の通り当てはめてみて正当であれば通ってしまうことを知らないのだろうか。
ともあれ、ポルノを規定するには妥当性を著しく欠く文章である。

次に児童という規定である。児童ポルノ法における児童とは、『年齢が「満18歳に満たない者」をいう』とのこと(Wikipediaによる)。
おそらくこれに準ずると考えられる。
では架空世界を描く漫画・アニメにおける「年齢」とは一体何を指すのか。
設定年齢を言うのか見た目年齢を言うのか。
きちんと考察してみるとこれも規定しているようで実は規定していないのが明白である。

マンガ・アニメでは亜人と呼ばれる見かけは人間の、架空生物が登場するのは珍しくは無い(むしろそういうのが出ない“リアル”な物語の方が少ない)。
宇宙人や未来人等の設定もある。未来ではエイジングコントロールされて云々もある。
妖怪のたぐいが少女に化けているという設定だってよくある話である。
見かけは少女であるが実年齢は300を超えるとかはよくある設定である。
普通の人間だって近未来で他の星に移住したら地球の一年とその星の一年は違うのは当然だから話が狂ってくる。
架空世界を現実世界の想定内での法律で規定しようとするから起きていることであり、それに対応し切れていないのである。

次に「性欲を興奮させ又は刺激するもの」という規定である。
これこそ曖昧であり規定しようが無い。
犯罪とする対象物を規定するのだからそれを特定できるものであり、取り締まる者によって判断が異なるものではいけない。(法律違反は明確だが事情を考えて見逃すというお目こぼしとは全く違う話である)
こういうできないことを取り締まろうというのが、まさに思想弾圧の構造に酷似してしまっているのだ。
まず「誰が」という規定が抜けている。興奮というのだから誰かしらが興奮することを指すのだろうがそれは誰なのか。
取り締まる者なのか、(所持法違反規定なら)所持する者なのか、制作した者なのか、著作権版権などを所持する責任者なのか。
刺激するとはその程度はどの程度なのか、ちょっとでも感じたらアウトなのか。

単純に「これは興奮させるからアウトだろう」というのであれば「これは社会の秩序を乱すからアウトだろう」というのとレベルが同じでは無いか。

マンガアニメを規制対象にする云々の是非以前の問題として、文面で対象物の規定から全くできていないのでは全く話にならない。
それを法制化しようとするのだからとんでもない話だ。

ではどうしてこんなことをしようとしているのか。
どう考えても思想統制がその先にあるとしか考えようが無い。
法律は前例主義なのでこういう曖昧なものを通してしまえばそれに倣って法律を作りやすい。

では、なぜマンガアニメが狙われたのか。
なんだかんだで大概の大人がどうでもいいか、無くなった方が良いぐらいの感情を持っているからであろう。
小説家もマンガアニメのせいで小説が売れないと逆恨みをしている可能性は十分にある。
小説関係者からの働きかけがあったのでは?といぶかしむこともできる。
アニメと同等なライトノベルには言及しないのはそこにいけば小説が規制されかねないという読みがあるのではとしか思えない。
だがアニメを潰せばライトノベルもかなり弱めることができるだろうという読みも成立する。

もうひとつこの法案の展開で汚いのは“時限爆弾”立法であることだ。

児童ポルノに類する漫画等の規制及びインターネットによる児童ポルノに係る情報の閲覧の制限については、この法律の施行後三年を目途として、1の調査研究および技術の開発の状況等を勘案しつつ(…)必要な措置が講ぜられるものとすること」

「調査研究をして実施しなさい」と訳の分からない“投げ”をしていることである。
責任逃れである。
時限爆弾を仕掛けて当人は逃げる。爆発して死傷者がでるが直接手を下した訳では無いし見ていないから罪悪感は乏しい。それと同じに見える。
こういうやり方をやっているというのは法案を通しやすくする意味(確定的にやるわけじゃないからいいじゃないかという説明)と、実施された時は自分は既にいない可能性を考えていること。
つまりこれは誰かに依頼されてこういうことをやっているのではと考えてしまう。
依頼者は短期的にはマンガアニメが潰れて(弱まって)得をする人間達である。
長期的には国民統制をしたがっている人達である。

あと、一つの事実が発覚した。
ローゼン閣下などと麻生氏がネットでもてはやされていたが、どうやら釣られていただけのようだ。
<blockquote cite="http://www.j-cast.com/2013/06/23177612.html?p=all"><p>麻生財務大臣にこの問題を質問したときに、「それでは小説はどうなるのですか」って聞いたら、「小説は子どもが読まない。マンガとアニメは子どもが読む」とおっしゃっていた。</p></blockquote>
つまり麻生氏の写真の中にマンガ単行本のローゼンメイデンがあったのはたまたまあっただけであり別に読んだわけでも無い。読んでも「こんなものか」とすてたのかもしれない。

だいたい小説は子供が読まないと言うが、それもえらい偏見である。
私はいわゆる学童の時代、児童文学に飽きた後は小説を普通に読んでいた。
マンガ自体が家になかったし、たまに床屋でマンガ雑誌を読んでもあまり興味を持てなかったのは事実だ。(理由はよく分からない)
その代わり父親が(母親が煙たがるぐらいの)本好きなので小説はふんだんにあった。
図書室図書館でも借りたし、実際あの頃は小説の方がマンガより上だったのだと思う。
今はむしろマンガの方が上だと感じるし、アニメの表現力もドラマのそれを上回っている。
だいたい、ドラマの原作がマンガとか昔は考えられなかったのに昨今は珍しくない。
マンガの守備範囲が拡がって荒唐無稽なものだけではなくドラマでできるような普通の人間ドラマを描いているものも多いからだろう。
それだけ有能な人間が小説を書かずにマンガを書いたり(原作をしたり)しているということなんだろうと思う。

そういう時代なのにマンガやアニメを潰そうという戦略がよくわからない。
潰そうという意図は無いとしたらば、これが潰す可能性があると考えることができない、そういうリスクマネジメント部分での立法能力の低さに呆れてしまう。

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2013/06/22

憲法改正議論@BS朝日激論クロスファイア

概ね頷くばかりの展開である意味面白くは無かったのだが何点かピックアップしておく。
議論自体もあまり対立が起きなくて田原氏がわざと「提議」をしていた感じだ。
なんというか“急進派改憲論者”みたいな議員を連れてくれば面白かったと思うのだが。
まあ、たまにテレビで見ても「そういう意図では無い」と逃げるだけなのではあるが。

私には「そういう意図で無い」という逃げ口上はかちんとくる。こいつは法律というのを分かっているのかと疑問すら抱く。
普通に社会人をしていれば、法律文のいい加減さにかちんと来たことの一度くらいはあると思う。複数の意図に取れるような文章がどれだけの混乱を招くのか分かっているのだろうかと。法律・条例ならまだしも憲法でそれをやられたらたまらない。

括弧内は私の補足と思っていただければと思う。
若干脳内補完で記憶してしまっている部分もあるのでご容赦願いたい。
順番もぐちゃぐちゃだと思う。

・産経新聞の「国会議員の84%が必要と答えた」
Webにもあった→http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130621/plc13062106580004-n1.htm
まあ、「賛成」「必要」と答える政党しか掲載していないところを見ると賛成する人にアンケートを採ったという奴だろう。
「あなたにネットは必要ですか?」という集計を取ったらほぼ100%だったという。良く聞いたらインターネットアンケートだった、というネタがあったが似たようなものか。

もう一つの観点としては総論賛成各論反対みたいなもので、各人はどこかしら改正の必要性を感じている(論を持っている)のだが、ある条項に限っていくと改正支持が3割にもいくようなものがないのが実態、という奴では無いか。
(まあ、条数でいっても百を超えるわけだからどこかしら文句があっても不思議では無い。)

・いわゆる“軟性憲法”もあるのではないか
成文憲法(きちんと文章で定められている憲法)を持つ国では“軟性憲法”は無い。例としてイギリスがあるが「憲法条文」は存在していない。

・敷居が高いから今まで議論さえ行われないしそれは不条理だから96条改正は必要
そんなの知ったことでは無い。縛りが厳しくてできないから緩めろというのは憲法改正論議においては理由にならない。(そもそも憲法は権力者(国会議員)を縛るもの。)

・他の国では憲法改正は行われている
実態を見ると殆どが細かい数値の改定とかマイナーチェンジみたいなもの。
米国は結構細かい実務的なところまで憲法で定義しているので変えているだけ。
(日本国憲法は比較的抽象的概念が多いのでそういうレベルでは改正が起きなくても自然ということか)

・押しつけられた憲法だから変えるべき
押しつけられようがなんだろうが、憲法の条文を見てそれが妥当かどうかを検証して改正の論議をすべき。感情論で論議すべきでは無い。

・憲法としておかしな改正案が多々見られる。
道徳論を憲法に持ち込むのは論外。国を愛すべきとか家族は助け合わないといけないとかいう道徳的観念を憲法に持ち込むのはありえない。
他にもより国民を縛る、権力者の枷を外すような方向が多々見られる。

・憲法をころころ変えられては困る
国会議員の罷免や衆議院での再可決すら2/3以上必要とされているのにそれ以下で発議できるのはどうみても整合性が無い。
国民投票をするのだから、半年やそこらの議論で与党だけで過半数で通していちいち投票(当たり前だが選挙と同程度の手続きとなる)を要求されては面倒ではないか。
だいたい政権を取るのは過半数を超えて成立するのだから、他の法律並みに過半数で発議できるのでは政権交代が起きたり時の与党の考え一つで憲法改正発議を乱発される可能性だって十分ありえるわけだ。
日本はただでさえ党議拘束がまかり通っており(一部の幹部の考えで)動かされる危惧もある。
憲法は法律のよりどころでもあり、憲法改正されることで違憲立法となってしまう法律だって生じかねない。しかも多数の法律に波及する可能性もある。
つまり国民生活や経済活動に大きく影響するわけで社会に混乱を招くのだ。

・憲法の条項によって改正基準を変えることも考慮する
これは先だってやっている国があるのだが、案の定混乱をきたしている。
当然そんなことはやるべきではない。
(憲法は観念的なものが多いし、法律のように特定の目的の解決手段として成立しているわけでは無いのでその分類は難しいのは当然では無かろうか。
法律ですら思いもよらないところに波及する可能性があるのに憲法でできるとは到底思えない。)

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2013/06/19

電気ケトルで消費者庁がまた余計なことをしている

リンク: 電気ケトルの転倒でやけど事故 「湯漏れを防ぐ」メーカーの対策は : J-CASTニュース.

合理性を欠く「蒟蒻畑」への攻撃に続き、電気ケトルへの攻撃もしていたのかと呆れる。
そもそも「ケトル」とは何か。日本語では「やかん」である。
噴き出す蒸気で火傷をするとか、本体を触って火傷するとか、うっかり倒してしまって火傷をするとか。
そんなことに対する安全対策や危険告知やらを「やかん」がやっているのか。
電気ケトルに求めるのならやかんにも求めないと整合性を欠くではないか。
それでも問題が起きたとしたらば多少は対策が必要かもしれないが、

購入者から電気ケトルの湯漏れが原因でやけどを負ったとのクレームの連絡は、両社ともこれまで1件も受けていないと話した。

というからまた呆れてしまう。
問題が無いのに対策を取らせようとする。
やけどを負っても自分の責任(不注意)の範疇だと感じているのだろう。
対策には余計なコストがかかるし、なによりこの電気ケトルの利便性を著しく損なう。
ケトルと言えば沸くと鳴くケトルも使っていたときがあるが、結局水を入れにくいのと、中を洗えないのと、お湯を出すのに蓋を開けるのすら面倒だったり、操作部が結構熱くなるので1年経たずに使わなくなってしまった。

私自身、もう長らく電気ケトルを使っているが、数年前に買い換えるときに大手電器量販店に行ったら安全装置とかロック機構とか色々ついてうざったいものばかりで、シンプルな構造のものがわずか一機種しかなかった(その一機種もデザインが気に入らなかった)。
その時は壊れての買い換えなのですぐ欲しかったのだが、仕方ないので自宅に帰ってAmazon.comで購入をしたのである。
そんな人はごく僅かなのだろうかと思ってもしまうが

2013年6月6日付の東京新聞電子版では、メーカーの安全策徹底の必要性を指摘しつつ、電気ケトルが普及している欧州では日本のような転倒によるやけどという問題が起きにくいとある。乳幼児が届きにくい場所に置かれ、また沸かしたらその場で使い切ることが多いのでケトルに湯が残って乳幼児にかかる危険性がそもそもないそうだ。

という。
なんてことはない、私も欧州の人達の感覚に近いのだろう。
電気ケトルは台所からは出さない。やかんを台所から出さないのと同じである。
そもそもすぐに冷めてしまうのでテーブルとかに置いて放置すること自体がナンセンスなのだ。
必要ならやかんから魔法瓶に移すものだろう。
やかんでお湯を沸かしていた時代は普通にそうしていたではないか。
もしくは単純に電気ポット(電気魔法瓶)を買えば良いだけのことだ。

電気ケトルなどと言うから勘違いするのだろうか。
それなら電気ヤカンという名前にしたほうがよっぽど効果的かもしれない(笑)

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2013/06/16

最近の東電管内の電力事情

とある事情でここのところ見ていなかったのだが、最近またログを取りだした。
ここ一週間の電力事情である。

興味深いのは2点。

1つは消費電力(緑)のほうだが、このグラフではややわかりにくいかもしれないが、昼の12時から13時の電力量に落ち込みがはっきりと見られるようになった。
少なくとも去年辺りはこういうことはなかった。
これは「昼休みに節電のために電気を切りましょう」運動の浸透では無いかと思う。
節電で無くても経費削減で私の勤務先ではかなり前からやっていたのだが。
もしかしたら学校などでも行われるようになったのかもしれない。
平日に強く表れ、日曜日にはほとんど見られないことからもそう思える。

もう1つは日の変わり以外のタイミングで供給量(MAXとある灰色部分)が変化するようになっていることである。
たいがいは日の変わりに供給量が変わると逼迫しようが余裕がありすぎようが供給量が変わることは無かったと思う。
それが昼ぐらいに十分余裕があれば少しとは言え供給量を下げたりしている。
余裕というのはその差は捨てられているのだから、なるべく余裕がない方がムダが無い。

今日辺りは結構蒸し暑かったと思うが、昼間の電力量は十分に低く、むしろ夕方の方が多いくらいである。
これも節電意識の浸透だと思われる。

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2013/06/15

福島原発事故、損害賠償の書類紛失

リンク: 福島原発事故、損害賠償の書類紛失 東電、22人分  :日本経済新聞.

 埼玉県加須市に避難していた双葉町の仮役場が17日に福島県いわき市に移転するのに伴い、東電の埼玉補償相談センターで扱っていた業務を、いわき市内のセンターに引き継ぐために持ち出したという。

他の記事ではこのことが書かれていなかったのだが、なにか話が不自然である。 別の記事を読むと

リンク: 個人情報:22人の原子力損害賠償書類を電車で紛失 東電- 毎日jp(毎日新聞).

男性社員は、個人情報を含む書類の社外持ち出しの許可を上司から得ていたが、自宅に持ち帰るつもりとは申告せず、上司も確認していなかった。

回りくどい言い方だが、つまりは自宅に持ち帰るために持ち出したと言うことだ。

紙袋に入れた書類のファイル数冊を網棚に置き忘れ、翌朝紛失に気付いた。

このことも引き継ぎのために業務時間中に移動しているのなら起きえることではない。
引き継ぎのくだりが本当であるとすれば、翌日は直行でいわき市に向かう予定であり、その書類を持ち帰っていたが紛失。 それに気がついたのが翌日であった、のではないかと想像はできる。
直行でなければ(会社に一度出社するのであれば)わざわざ何冊も持ち帰る訳がない。

上司の責任もある。
出張なのだから上司が知るのも当然だし内容も把握するのも責任である。
直行であるかも知っていて当たり前だ。
手ぶらで行くわけがないのだから書類の持ち出しをして一度帰宅するのは容易に想像できることであろう。

普通の会社では仕事の書類を持ち出して帰宅するというのは御法度である。
情報機密漏洩の面からも労働監督の面からも様々な意味からもやってはいけないことである。

ただ、私はここまで書いて東電、とりわけ相談センターの職員(上司も)を責める気にはあまりならない。
相談センターの方々も今回の原発事故で大幅増員したということは、つまり多くの人が異動となってセンター勤務となったのだと察する。

それよりも東電が今までの漏洩を黙っていたことである。
もう言うのも飽きたが、東電という会社は普通の会社ではもはやなく、一挙手一投足が注目を浴びてしまう立場にいることの自覚がまだないのかとため息しか出ない。
法律遵守が云々とかそういう次元の話ではないのである。
法律遵守は当然として、モラルと言う次元も厳しく律しないと許されない立場にあるのだ。

そして不信に思うのは各紙の報道の内容が微妙に異なっていることだ。
今回の事件も「帰宅途中に紛失」と明言しているのはJCASTニュースぐらいで、他紙は書いていないか遠回しに書いているのだ。
少しでも真実から話をそらして非難を浴びないようにしているかのような曖昧で回りくどい説明を本社(公報)がしていたのではないか、という勘ぐりをしてしまう。

このカテゴリーは「原発問題」とした。
結局はこれは原発というものは一度事故を起こすと絶望的なまでに収拾がつかなくなるという事例から派生したほんの氷山の一かけらの事例であろう。
どんな大事故・大事件を起こした会社でもいわゆる大手なら数年でなんとか回復する。
原発事故はもう2年も経ったはずなのに未だに事故直後と変わらない印象がある。
下手をすると事態は悪化しているような感覚すらある。
原発の現場では収拾どころか七転八倒している様子が伝わってくるが、もう一つの現場とは言え事務方ではある相談センターでもかなり状況が悪いのではと見えてしまう。

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2013/06/14

私が4kTV“時代”に期待するもの

4k移行へのメイン技術のひとつとして新圧縮方式HEVC方式がある。
実物を見る機会があったのだが、なかなか素晴らしい。
デモではFHDで2Mbpsの映像であり、これは今で言うところの「10倍モード」に相当する。
さすがに放送レベルというのは無理があるが「2倍モード」程度といっても良いのかと思えるくらいの感触はあった。(まあ破綻の仕方やらは違うし、映像も短かったのでなんともいえないのだが)
4kだと4倍になるので8Mbpsということで、地デジで16Mpbsだからこの2倍にする許容があることを考えると意外と実用になるのではという感覚を持った。

それよりも期待したいのはもっと高画質のFHD映像である。
地デジやBS(CSは論外として)のビットレートとMPEG2圧縮ではどうしても破綻しまくりである。
私は大画面になるとFHDでは足りないという論は必ずしも妥当では無いと思う。
(もちろん1画素がでかくなるのは当然だが50以上はは言い過ぎだと思う)

MPEGノイズが画面のアラとなり、大画面では破綻するレベルで見えてしまうほうが問題なのだと思う。

アナログハイビジョンの頃、エレショー(当時)ではハイビジョンのプロジェクターが各社目玉ブースとして乱立すらしていた。
映像ソースはいわゆる「ベースバンド信号」と呼ばれた無圧縮(らしい)の映像である。
(デジタル技術が未熟でCPUでさえクロックは10MHzオーダーで、トランジスタ数は万ゲートオーダーの時代である。圧縮も展開もしようが無い)
これは実に綺麗だった。
200インチから400インチの大スクリーンを用意しハイビジョン時代を演出していた。
良くできた映像では普通の2Dの映像なのに立体感を感じるほどの解像度であった。

しかしそんな映像はLPサイズのディスクに数十分も入らない。
放送はその後の実験放送でのMUSE方式という落胆するほどの低画質。
地デジもいまでこそ少しはまともだが、最初はひどい画質だった。

また、液晶テレビは残像感が酷いといわれたが、必ずしも液晶のせいだけではない。
特にアナログテレビでアナログ放送を見ていた人には分からない感覚なのだろうが、圧縮により残像を引き起こしている例は少なくなかった。
なぜならプラズマテレビやブラウン管ハイビジョンテレビ+チューナーでも残像は起きていたからである。
もちろん液晶の特性によるところが大なのだが、ある程度改善されてくると今度は映像側の問題のアラが見えてくる。
これもテレビ側の映像処理や放送側の改善によりかなり良くはなっているのであるが。

さて話をHEVCに戻す。
私が期待したいのは、4kTV自体はある程度どうでもよくて、BDソフトやプレイヤー、STBとそれに連携するレコーダーがこのHEVCに対応してくれることだ。
放送自体はもうどうしようもないので(それこそ4k放送ということになる)、それに縛られないところに期待するしかない。

つまり一般放送に先行して“FHDのHEVCにも”対応する機器が出てくることを期待したい。
ソフトも4k対応だが、機器としてはダウンコンバートして“FHDでも”出力するのはごく自然な展開である。(しかも単純倍だからダウンコンも1/2で簡単である)
なにせFHDのBDソフトでもプレイヤーが480信号でも出力するのはHDMIですらやっていることである。やらないほうがおかしい。

おそらくその映像は“本当のFHDの信号”に近いものを見せてくれるに違いない。

テレビ番組のセル化でも放送よりも格段に高画質のディスクが出る、ということが期待できる。

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2013/06/09

Googleマップ「超進化」に怯えるカーナビ

リンク: Googleマップ「超進化」に怯えるカーナビ タブレット普及で市場「3割減」の予測も : J-CASTニュース.

カーナビの進化はある意味「ガラパゴス」ともいえるもので駆逐されるかもしれないというところもあろう。
その対抗として「精度」を挙げるのはいかがなものかと思う。
確かに基地局経由の位置情報に比べGPSやDGPSを使ったりジャイロや車速パルスをも使ったカーナビは数メートル単位の精度すら可能ではある。
しかしそんなに細かい精度が必要なケースは非常に少ない。
カーナビが必要なのは地方の見知らぬ場所に行くときに最大効果を発揮するものでそんなに細かい精度が必要でも無い。
ケイタイによってはGPSを持ったものもあるしウォーキングナビにもなるケイタイに軍配が上がってしまうところも否定はできない。

それよりもケイタイナビにカーナビが劣る点を改善していかないとまずいと思う。

特に遅れていると思われるホンダの純正ナビで不満を感じる点について述べたいと思う。
ちなみにプレミアムクラブに入っており通信機能も常時利用しているのでその範疇では十分に高いサービスを受けているという形ではある。

・地図が古い

相変わらずムダな幹線道路の拡張や新規(バイパス)道路の整備がされているわけだが、それらの道の反映がともかくも遅い。
そもそも地図のアップデートは一年毎でしかも有償(一万前後とかなり高い額)である。
当たり前だが地図データが作られるのはリリースより前で数ヶ月のブランクはあるようだ。
単純に客から見ると昨日アップデートしたのに、もう一月も前に開通している道路が反映されていないことも起きえる、というか実際に経験している。
理屈は理解しても釈然としないのが感情というものである。
もはや来年のアップデートまではこの状況は改善しえないのだから。

一方でオンラインマップでは最新データが使用されるわけで、もちろん地図メーカーの調査による遅延はあるが、年一回のアップデートというレベルではない。
専用機であるカーナビではまだ存在しない道が、ケイタイの地図では最新の道が表示されているとしたらそれこそ情けない話ではないのか。

当然それはナビゲーションでも問題を引き起こす。
カーナビでは古い道を案内しているが、助手席の友人が見ているケータイのナビでは最新のバイパス道路を案内しているとしたら運転手はどう思うか。

・音声認識の精度の問題

個人差はあると思うが何度“トレーニング”をしてもある項目で評価Bの認識しかしてくれない。
本来はカーナビの方が人間の癖を認識するトレーニングの筈なのだが、何度もやっていると人間の方がトレーニングされているような気になってくる。
そのせいかは分からないが音声制御も簡単な範囲でしかできていない。
音声認識でカーエアコン等の操作もできるらしいのだが全くうまくいかない。
検索地域名でうまくいく確率は思ったよりは低い。
一方でグーグル音声検索などは驚くほど的確に表示してくれる。
クラウド処理か否かの差もあるのだろうが実情で偉い差を感じてしまう。

問題はこれらの認識ソフトウェアは日進月歩だろうに、おそらくは専用カーナビでは買い換えるまで改善されないだろう。
しかしケイタイでは常に最新アップデートされるわけで大きな差が生じてしまう。

・通信機能での考え方の格差

これはカーナビではなく付属機能の話では有る。
音楽CDを内蔵HDDに取り込んでGracenoteのデータを参照して自動でタイトルをつけるという機能がある。
iTunes等でももはや普通に使われている機能である。
しかし“最新”のCDを入れたときに「タイトル名がない」となるのである。
もちろんカーナビを買った(製造された)時点迄のデータはHDDに入っているのか出るのだがそれは基本的にアップデートされないようである。
さすがに通信機能があれば“ある操作”をすることで通信で取得はできる。
しかし私の場合はごくたまになのでその操作を忘れてしまう。(私には妙に思えるメニューの下にあるから覚えていられないのもある)
これが毎回いらつく。
自動的に通信で取り込めば良いだけではないのか。
せめてオプションで自動か手動かを設定できるようにしろと。

・専用機ならではの融通のきかなさ

カーナビの機能自体にUSBメモリに入れたMP3やWMA(なぜかACCはないのは残念)の再生機能がある。
Podcastのデータを書きだして車で聴きたいのだ。
しかしUSB端子は通信機能のためにUSB接続の通信モジュールでふさがっている。
最初は意地でとっかえひっかえやっていたが非常に面倒に感じるし、なにより走行中にナビを使いたくなったときに困ってしまう。(せっかくの通信ナビ・VICSが使えない)
運転しながら(信号での停止中などに)USB端子の抜き差しなどできるものではない。

PC等の普通の感覚で言えばUSB-HUBでも使えれば良いのだが使えない。

仕方ないのでCD再生にも同フォーマットの再生機能があるので、CD-RWにデータを書き込んで聴いているのが実態だ。
iPodで音声入力して聴くという手もあるのだが、CD/USBならタイトル表示ができて選択操作もカーナビ上でできるので非常に便利なのである。
iPodの操作は運転中(信号などの一時停止中)には問題がある。

・総論

元々カーナビ自体が進化をあるところから止めてしまっているように思う。
昔はPCやスマートフォンなどはナビなどには全く使える代物ではなかったが、日々のソフトの進化により、そちらの先進性の方が目立つようになってしまっている。
逆に言えばカーナビが劣るところが目についてしまっているのである。

通信やクラウド処理(データ保持や機能処理)の発展などの様々な変化についていけていないのが目立つ。
年間単位の機能進化と日々の機能進化という差も目につく。
これはソフトウェアリリースという考え方にもなるのだが、長期スパンな(おそらくは十分な検証の後に慎重な)リリースのよるリリースしている)デメリットの方が目立つのが現状ではないのか。

それを打破するために“PND”をカーナビメーカーも出しているのだがそれらの長所が高位の機種に昇華されていない。

「怯える」と言っても仕方の無い話で、ものづくり、ビジネススタイルの変革というレベルで進化していかないとおそらく立ちゆかなくなるだろう。
「精度ならうちがまだ長がある」などと言っていてはやられてしまうことになろう。
「自動車会社と結託した専用ナビ」しか生き残れなくなってしまうのではなかろうか。
それすらも車と一緒に買ってはくれたものの、実際は使われないでタブレットやケイタイのナビを使われていることにでもなったらそれこそ大問題ではないのか。

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2013/06/08

BSフジプライムニュースで慰安婦問題の議論

BSフジのプライムニュースで慰安婦問題が取り上げられていた。
秦氏と藍谷氏の両名が出ていてなかなか興味深い話が聞けた。
キャスターの反町氏の話の整理とつっこみぐあいも的確だったおかげもある。

基本的に秦氏は「慰安婦問題の認識のされ方がおかしい」という立場であり、藍谷氏は韓国人女性が慰安婦問題で日本国で提訴を行った時の提訴側の弁護士である。
簡単に言えば両者は真っ向から反目する立場といえる。

この話、「強制性」という言葉がポイントらしい。
しかも二人の話は実は決して矛盾するものでは無かった。
話の中で重要なのはこれがかかる事柄は大きく分けて2つあることだ。

1つは連行の強制性、1つは慰安所での強制性である。
連行の強制性については「無かった」という認識では共通しているようだ。
秦氏は積極的肯定である。
一方、藍谷氏は話を懸命にそらしながらもつっこまれ、結果としては消極的(黙認的)肯定となっていた。

秦氏は当時の新聞公募を出すことにより「なんで大金を出して募集して集まっているのに強制連行の必要があるのか」という論であり、説得性が高い。
また韓国からの提訴や外交上の要請で様々な調査を何度もやっているが組織的な関与となる物証が一切出てこなかったということも挙げていた。
これには国内はもちろん米国等の調査資料も含むから公正性は高いと考えられる。

藍谷氏は本来なら強制性を主張すべきだらその論拠は当人達による口述のみである。
当人もそのことは分かっているのか、連行の強制性はどうでもよくて慰安所での強制性があったことが問題であると言い始めたため、藍谷氏も連行の強制性は無いと認めたと判断せざるを得ない。

例をあげていた話の中で大きく見解が相違していた点があったので書いておく。
「親が身売りとして娘をブローカーに引き渡した。娘は何も知らされずブローカーが慰安所まで連れて行き慰安所に引き渡した」
このような場合でも(慰安所を運営する)国に責任があるかどうか、である。
秦氏は責任はないといい、藍谷氏は責任があると言う。

これは現代で言えば「下請け先の監督責任」ということになろう。
私は、現代ですら下請けの監督責任が問われるようになったのはごく最近であることを考え、またこれは成熟した社会下で求められる概念であり、ましてや戦時下でこれを問うのはどう考えても無理があるとしか思えない。

ともあれ当人(ここでいう娘)は強制連行されたと感じても仕方が無い場合もあろう。
当人は何も知らないのだしブローカーが乱暴な人間なら強制性を感じるだろう。
高い金を払って(月給よりも一桁多い前金も(多分親に)渡されている)集めてもらっているのだから、着いてすぐ開放できる方がおかしい。
つまり連れてこられた当人は「強制連行された」と感じ、人集めをしている施設側(国)は強制はしていない、と考えてもごく当然な状況である。

2つめの慰安所での強制性である。
秦氏は同様に様々な人が国内外をつぶさにもう何十年も調べても出てこなかったことや慰安婦を米国軍が取り調べをしたときの記録を取り上げて、強制性はなかったと主張する。
また廃業して途中で帰った記録などもあげている。(奴隷扱いならそんな自由はない)
藍谷氏は連行の時と同じく当人達の口述のみを論拠としている。
様々な人により聴取をされたのだから公正と言うが、当人が偽証をしていれば全く意味のないというのも当然である。

そもそも戦時下の最前線で現代の観念で言う「自由」があるわけがない。(番組中では4つの自由という言い方をしていた)
最前線に立っている兵士もそうだし、看護師他のサポートする方々もそうだろう。
まさに「戦場」なのだから。
一つ言える事実は慰安婦に対しては月300円という破格の高給であったのは事実なのであろう。(一般兵は月10円程度だという)
軍=国が関与しているのだから国家財政から支出されている金は戦時中とはいえ管理記録されていて当然だ。

ただし藍谷氏のいう口述で言ったとされる慰安所がないという証明はできないのも事実だろう。それを嘘だと断ずることは不可能だ。
太平洋戦争における戦線は、とても広く慰安所も数多くあって当然である。
その中にはモラルの低い“ひどい”ところがあっても不思議ではない。
それは実際に出兵した人の話を聞いたり、それを展開した物語・小説・映画などをみれば容易に想像ができよう。
兵士がそんな扱いをされているのに、実際に戦線に立っていない他の人達の扱いがどうなろうか想像できよう。

また「日本以外の各国でも同様の慰安所があった」ということも誰も否定をしなかった。
ただ「他国もあるから日本もあって当然」という言い方はお巡りさんに「周りも同じ速度で走っているのになんで俺だけスピード違反で捕まえるんだ」という論と同じで通用しない、という話もあったが私はそれは違うと思う。
そこはお巡りさんではなく、周りの同じように走っている人に「お前はスピード違反しているから捕まって当然だ」と言われるようなもの、ではないのか。
お巡りさんに文句はいわなくとも、仮にそんなことを言われたら誰だってムカツクだろう。
まさに「お前が言うな」である。

最後に恒例の提起ということで藍谷氏が出したのが
「謝罪と賠償」(賠償という文字ではなかったかもしれない)

当然つっこまれたが「“国が関与した”ということを認めろ」がポイントとのこと。
河野談話のような曖昧な言葉では駄目とのこと。

この点も番組中で論議になったが「国際法上は法的決着済み」「だからもう法的処理は不可能」というのが当然の帰結である。
決着済みとした事案について改めて法的処理しろと蒸し返せば止め土がなくなるからだ。

藍谷氏はそれでも国が正式に賠償しろという論を張る。
法的に無理筋ではないのか、ということに対しても藍谷氏は論点をずらしたり曖昧な回答とも言えないような返答をしてうやむやにしか答えなかった。
改めて言うが藍谷氏は弁護士である。法律の専門家が法的公平性に曖昧な方便を持ち出して混乱させ、結論を導こうと思わないこと自体に非常な不信を持たざるを得ない。

要するにどだい不可能な要求をしているということになる。
これではいつまで経っても終決はしなくて当然である。
なんだか馬鹿馬鹿しくなってしまった。

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2013/06/06

なぜ憲法改正論議をしないのか

まあ、ニュース番組をちょろちょろと見ているだけだから私が知らないだけなのか、憲法改正論議の続きがとんと見えてこない。
96条改正もやりたいのならきちんと説明してやりたいと言って欲しいだけなのだ。
二つ前の記事で憲法改正制度の他国の状況を書いたが、それは改正を主張する方々が「日本は厳しすぎるから改正するのだ」というからそれの確認をして「それは嘘である」ことを言っただけである。
他にきちんとした理由があれば別に96条改正をなにがなんでも改正するなとは思っていない。
それはどの憲法条項でも同じことだ。
きちんとした理由・意味などがあって改正するというのなら良いのだが、自民党案などはもちろん公開されているが、その改正が必要である理由は不明だし、たまに説明があってもその理由に理解できるようなところがない。

例えば「公共の福祉」を「秩序」にすり替えようとしているが私は全く同意できない。
私は根本的に秩序よりも無秩序(混沌)を好む、正確に言えば無秩序(混沌)から形成される秩序を好むので、誰かが「頭の中(机の上)で作った秩序」なぞに縛られるなどあり得ない。

一般にはなぜかタブーとされる9条問題も私は第二項は現実に即して変えるべきである、というのには納得がいく。(ただし第一項の改正は反対である)
これは様々な文章案があるのでそれらを吟味しておおいに論議して変えていくべきだろう。

改正論者にうさんくさい連中が混ざっているから改正がねじ曲げられることに多いに危惧を抱いている。
嘘で騙そうとする輩がいるから困ってしまうのである。

例えば「憲法は国会は提起するだけで決めるのは国民なんです」「だから1/2でもいい」という人がいる。
とんでもない詭弁である。
例えば9条2項のような文章一文字一文字が重い条項の場合、その文章を提示できるのは国会なのである。
それに対してイエス・ノーをいうだけしかないのが国民(投票)なのである。

改正自体には賛成していてもこのような法案(文)ではノーである、ということも当然あり得る。
だからこそ国会両院で2/3の賛意を得るような洗練された論議の上で産み出されるぐらいのものでないと困るのである。
なにせ国民投票という選挙と同じくらいのお金やら手間がかかるのだから。

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2013/06/02

裁判員制度

テレビのBSフジプライムニュースで裁判員制度について報道・論議をしていた。
その話題の一時間ほどのなかで違和感を感じたところをピックアップしておく。
基本的には放送の内容をピックアップしているが、正確・公正には書いてはいないと思うのでその点は了承していただきたい。
感想は完全にそれを見ての私の印象・感想である。
構成はいつものキャスター、元東京地検特捜部長(現弁護士)、弁護士、国会議員である。

○守秘義務の厳格さ
米国では普通に手記が出版されるなどオープンである。
日本では徹底守秘とされている。
判決が出るまでは完全守秘であるが、結審後は義務はない。
→米国は陪審員であり、日本は裁判員という違いが大きい
 全てを守秘しろとまで言っておらず裁判所がその範囲を示せば良いということである

[感想]
裁判所が示すとはずいぶんといい加減な話である。
守秘義務を法律で課すのであれば法律もしくは条例・通達でガイドラインを明確に示すべきである。
それを裁判員として召集した方に事前に通知し承諾を取った上でことを始めるべきであろう。
裁判所見解では裁判所毎に守秘範囲が異なることになりおかしい。

例えば個人名を挙げるのはNGだが、匿名で論議の様子や過程を書くのはOKであるとかいうガイドラインはできる。
検察の取り調べの密室性も問題視されるが、裁判所にもそういう体質があるのではと勘ぐってしまう。
そういうのを曖昧にすることで縛るのは卑怯なやり方ではないのか。

○陪審員制度とは大きく異なる
陪審員制度は「有罪無罪」レベルに関与
裁判員制度は「有罪無罪」に加え「量刑」も関与

裁判員制度であることによる負担の差
量刑ということは死刑判決も出すと言うこと。
量刑判断を下すには現場(写真)や被害状況も詳細に知る必要があること。
つまり凄惨な現場も直視する必要があると言うこと

[感想]
有罪無罪なら起訴にいたる経過やその証拠の妥当性や真否(真贋)を判定する程度でも良いと考えられる。
この話は元は上記の守秘義務の話で図らずも出てきたもので、正直違和感を感じた。
議論が起きたときのマスコミの取り上げ方や推進派の意見は「アメリカにも陪審員制度があるし日本でもやりましょう」的なノリだったと思うが、実はとんでもない違いがあったということである。

○なぜ過酷(凄惨)な殺人事件を扱うケースが多いのか
“せっかく”参加するのだから、些末な案件ではなく重大な事件を扱って欲しいという意向があるため。
確率的にも一生に一回あるかないかのものであるから。
そうするとどうしても重い殺人事件になってしまう。
一度裁判員を受けてしまうと重大で凄惨な事件だからといって拒否はできない。
凄惨な現場を見ることで精神的負荷を感じ精神的後遺症を生じている人が現実にいる。
→裁判所等がケアをしている
→しかし海外の先行諸国に比べて十分とは言えない。

[感想]
重い事件ほど複雑で専門性が高くなるはず。
せっかくとは言っていないが、遠回しにそういう言い方だった。
途中での拒否権はないし、そういうのを正視できない人も少なくあるまい。
一生のトラウマになったらどうするのか。
別件だがDVの加害者側、被害者側へのメンタルケアが十分とは到底言えない現状が報道されている。実効的なケアを、全国で満遍なく十分に行われているとは到底思えない。
そもそも日本の行政一般が「メンタルケア」をきちんと分かっているとはどうしても思えない。
また重大事件はマスコミが報道することも多くそれらのバイアスがかかる危険性が高い。
プロならそういう耐性を身につけていようが、つい数日前まで一般人だった人には不可能だ。

○実は裁判員を受諾した人は半数程度
召集した人数と応じた人数が資料として出ていたが、ざっくりいって半数程度。

[感想]
拒否するには結構厳しい条件を突きつけていた、例えば業務多忙は不可だったと思うが、実際は業務多忙で拒否している人が許容されているような言い方をしていた。
ちなみにそれに費やす時間は平均1週間弱程度と出ていた。

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2013/06/01

日本の憲法改正手続は厳しいのか

リンク: 世界の憲法改正手続比較 [社会ニュース] All About.
96条の改正推進の方々は「日本の改正手続きは厳しい」と言う。
法学者の中には異を唱える人が見受けられるのでぐぐってみると上記の記事があった。
記事ではだらだらと長い感もあるのでざっくりと要点だけ抜いてみた。

アメリカ
発議:連邦議会の両院で2/3
(ただし州議会の3/4の要求により「憲法会議」の召集)
承認:州議会の3/4もしくは憲法会議で3/4

カナダ
議決:連邦議会の上院・下院、2/3の州議会
(ただし議決した州人口が全体の過半数以上)
(ただし重要事項については全州議会の議決が必要))

ロシア
承認:連邦議会上院の3/4、下院の2/3、共和国・州・地方などの連邦構成体議会の2/3

ドイツ
議決:国会両院(連邦議会、連邦参議院)の2/3

オーストラリア
議決:連邦議会両院の過半数、各州(準州)の州民投票で過半数かつ全選挙人の過半数の賛成

スイス
議決:連邦議会の議決

韓国
議決:国会の2/3以上(註:一院制)
承認:国民投票により過半数
大統領の発議権あり

デンマーク
議決:国会の議決(一院制)→国民の総選挙を施行→選挙後の国会で改正案を無修正で再決議
承認:国民投票で投票数の過半数の賛成かつ全有権者の40%以上の賛成

スペイン
議決:国会両院の3/5以上
承認:国民投票
重要規定については両院2/3以上で改正承認後総選挙の後改正案を審議、両院2/3以上で再可決

フランス
議決:国会両院による過半数の議決
承認:国民投票による過半数

スウェーデン
議決:国会による2回の議決(2回の間に総選挙が行われている必要がある)→国会議員の1/10による動議の提案、議員の1/3の賛意
承認:国民投票
(註:スウェーデンには解散制度がない)

ベルギー
連邦議会の宣言後、両院の解散総選挙、両議員の2/3以上(ただし審議には総議員の2/3以上の出席)

フィンランド
議決:議会で過半数(一院制)、次の選挙後に再審議、2/3以上

オランダ
議決:両議員で過半数の議決、解散総選挙後に両院の2/3以上

要するにほとんどの国で日本同等の厳しさ、もしくはもっと厳しい条件を課している国も普通にあるようだ。

目につく緩やかな国としてはフランスとスイスがある。
これは国民の意識の高さがあるのではなかろうか。
フランスは世界史の中で「国民の権利を血で勝ち取った」と云われる国民性。
スイスは「国民総武装」と云われるくらい自分の身は自分で守る国民。
一人一人の政治的見識や関心の高さやその裾野の広さは世界でも高位であろう。
国民投票の承認がない国は連邦に多いが、それは州の力が強いがためだろう。
その州を動かすのは国民であるという構図である。
州は独自憲法をもつところもあるし州法は普通にある。
米国の大統領選挙制度は日本でもよく伝えられるからご存じと思うが直接的には州単位である。

日本ではどうかと云えば国会議員選挙でさえ投票率が50%台のような体たらく。
「お上」思想が根強く「押しつけ憲法」をずっと放置してきた国民性。
国民が蜂起して政治体制を作り出してきたことがないという歴史。
政治の現場でも「党議拘束」「時間切れ決議」「党方針」等という議論を尽くそうとせず一部幹部の意向が尊重され個々の議員の見識や意見が尊重されない風潮。

そう考えればむしろ「厳しく」するほうが妥当と云えまいか。

それはともかく、見てみれば日本より厳しい国はいくらでもある。
例えば発議後に選挙を経て再決議、などは時間もかかりかなり厳しい条件である。
この記事を鵜呑みにするのもアレだが、主要国は列記されていると思われる。
おおむね2/3の議決で国民投票承認というのが“相場”であるといえまいか。

これで「日本は世界的に見て厳しい条件」というのは嘘つきなのか無知なのかどちらかだろう。
これではどちらにしても96条改正自体の是非以前にそんな人が憲法改正を論議できるわけがない。
そういえば「日本は他国より厳しい」というが、その言葉だけで具体的な話をしたひとを見たことがない。
そこにつっこまないマスコミも不勉強というか浅いと言うか。

ある法学者が言っていたが
「法律は国民を縛るものだが、憲法は権力者を縛るもの」
権力者は憲法を変えたがる。自分への縛りを緩くしたいのは誰もが思うことだ。
だからこそ憲法を法律並みの改正要件にしては駄目なのだ。

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