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2013/04/27

高速道老朽化対策に5.4兆円の試算

リンク: 高速道老朽化対策に5.4兆円の試算 NHKニュース.

東日本、西日本、中日本の主な高速道路会社3社は、老朽化が進む高速道路の橋やトンネルなどを対象に、大規模な建て替えや改修を実施していった場合、少なくとも5兆4000億円の費用が必要になるという試算を明らかにしました。 (中略)今は改修で済むとみている橋やトンネルなどについても、建て替えることになれば、さらに5兆2000億円が必要で、費用は合わせて10兆円以上かかるとしています。

なんかえらいことだと思わせる冒頭ですがこれが故意かどうか知らないがこれではマスコミのミスリードとなりかねません。
きちんと続きを見ると

こうした試算は、100年先でも今と変わらない形で道路を利用できるよう対策をした場合にかかる費用を想定しているということです

100年規模での話だそうだ。
つまり一年当たりで言えば0.1兆円(1000億円)。
きちんと積み立てるなりしていれば(いけば)なんということもない額ではないのか。
国家的事業規模で言えば大枠予算では除外されるレベルである。
それにしても次の発言には呆れさせられる。

東日本高速道路の長尾哲管理事業本部長は、会見で「管理する道路は広大な地域にわたっており、この金額で済むか分からないが、次の世代に引き継げるようにしたい。財源については、国から財源をもらうのは難しい状況なので、今後検討していきたい」と述べました。

この金額で済むか判らないとはなんの試算をしたのだろうか。
まあ最低限これだけかかりそうだという目算を出したのだろうが、それならなにを今更である。
この時期でこんな話を持ち出してきたのはGW直前で一般市民にとって比較的高速道路が身近に感じるからだろうか。
一部マスコミは笹子トンネル事故を絡めているが、値上げになってもしょうが無いよねえ的世論を少しでも醸成したいのだろうか。

今後検討と言うが検討してどうにかなる話なのだろうか。
高速道路での収入なぞごく限られている。
利用者がお金を落すのは通行料金かSA/PAでの利用しかない。
だからこそ民営事業としては困難で公営事業(税金の使用)ではないのか。

まあ、それはともかくとして驚く点は、今まで修繕・改修を考慮していなかったのかということである。
国営の時に考慮していなかったのなら役人どもがどうしようもないマヌケかバカだっただけだか、民営化する時点でなぜ論議にならなかったのか。
既に施設(資産)移行の検討時点で老朽化した施設も多数目の前にあったわけで、新規会社の経営計画(ビジョン)を考える時点で、例えば中期(10年程度)経営計画でいくつかの修繕というのは盛り込まれていないほうがおかしい。
民営化と言いながらもこんなずさんな民間会社はあり得ないレベルではないか。

別の言い方をすればこんな基本的なところが議論されていなかったとすれば、とてつもなくずさんな民営化作業であったのではと疑わざるを得ない。

民営化の効果としてSA/PAへの民営企業の自由参入みたいなことが言われているが、全く噴飯物である。
村営・町営の施設でも民間活力を入れて成功している例はいくらでもある。
国営でできなければ市営や村営町営に下ろせばよいだけではないのか。
SA/PAのエリアだけ民営化してもよかったはずだ。

笹子トンネル崩落みたいな事故は今後起きてはならない。
だいたいあの崩落事故は人災としか思えないのになぜ誰も追求されないのか。
老朽化施設を放置してそこで人身事故が起きればそれは人災である。
定期検査云々はそれを防止するための1行動に過ぎず、やっていようがいまいが検査がずさんであろうがなかろうがそんなものは免罪にならない。

修繕による過負債で経営破綻したり、国家財政の注入があってもなんのための民営化だったのかわけがわからない。
当然ながら値上げなど論外である。
いったいどうするのか。
だいたい、無料化は民営化したらありえない話の筈なのに(支出は当然あるのに、いったい収入をどこから得るのだろうか)なぜ民営化されたのか私にはまったく理解できない。

高速道路経営会社と国の立場を今一度、明確にする必要があるのではないのか。
民営化したのなら国が高速道路の新規建設計画を立てる(立案や進言・提言することすら)おかしいではないか。
PA/SA/IC等の新設に口を出すのも同様だ。
地方(地域)振興とか言う名目で平気でそういう計画を口にする国会議員がいるのには呆れてしまう。
これは航空事業もそうだし鉄道事業(新幹線等)についても同じだ。
国鉄民営化した時点で「整備新幹線」という概念は消失しないとおかしいのに未だに話題に上ってくる。

逆に言えば国営ならいくらでも口を出して良いし積極的にやるべきことだ。
国家プロジェクトとして、国家規模でテコ入れが必要なものは国として進行するのは当然ではある。高度成長期に新幹線の果たした役割はとてつもなく大きい。
しかし特定議員が特定の民営企業に対して個々の事業案件に対して口を挟むのはおかしい。もはや整備新幹線や地方空港などはその範疇になるのではないか。
もしくはいち民間企業が特定事業の成功のために特定議員に働きかけるのは疑念を持たれて当然のことではないのか。

3社は、専門家による委員会で、ことし秋までに対策を優先的に進める区間や時期を決定するとともに、技術的な課題などを整理し、提言を取りまとめてもらうことにしています。

このくだりに一般企業の会社員の方々なら違和感を感じないだろうか。
一般企業で三社による(合同で)専門家(外部?)による委員会で検討、整理、提言をまとめて貰うということなど普通あるのだろうか。
各社から人員を出して委員会を結成し様々な業界ルールや標準化作業を行うということはあるが、通常事業(業務)範囲で可能なはずのことを外部委員会に出しているということなのだろうか。

現状の自社保有施設の現状解析も自力ではできていないということになる。
それはつまりその施設価値の正しい把握ができていないともいえるし、これからのその施設から得られる収入や追加投資の時期や規模も把握できていないということになる。

要するに事業計画を立てられるわけがないとしか言いようが無い。
事業計画を立てられない会社は、会社のていをなしていない。

一般企業の従業員レベルの私ですらそう言わざるを得ないほどおかしな話になっているわけだ。
この記事は考察してみればとんでもない事実を露呈しているはずなのですが、他の類似記事を含めてそこを追求していないのが不思議でなりません。

老朽化やその資金調達の目処自体は本質的な問題では無いはずです。
ましてや老朽化の原因とかそんなところを掘り下げても方向が違うわけでNHKの突っ込む方向には疑問しか生じません。
早い遅いだけでどんなものでも老朽化はするわけですから。
ある程度は技術的問題であるし、理詰めで考えれば答えなどごく限定されてきます。
ぶっちゃけていえば今の体制維持を前提とすれば「料金値上げ」か「税金投入」のいずれかしかありません。

その選択肢でいったいどう舵を取るのか、そこが本質的な問題であり、それをこの会社らは持ち合わせていないのではないか、というところのほうが問題ではないのでしょうか。

当然ですが「料金値下げ(最終的には無償化)」を目的とした民営化が「料金値上げ」となれば民営化自体への疑問や会社の体制の洗い直しとならなければおかしいし、「税金投入」なら事業内容の徹底公開を含めて洗い直しとなります。
まあ、その辺をうまくマスコミ操作しながら本質的改革はせずにごまかして乗り切るつもりなのでしょうけれども。
その第一弾としてこの記事が上がっているという感じなのでしょうか。

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2013/04/20

汚染水海洋流出は10年後「壁で防げる」…東電

リンク: 汚染水海洋流出は10年後「壁で防げる」…東電 : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞).

漏水が最も多かった2号貯水槽の汚染水約120トンが、法令の濃度限度(1リットルあたり30ベクレル)を上回る濃度で海に流れ出るのに、最短でも約10年かかるとする試算結果を、原子力規制委員会の専門家会合で報告した。

 この結果について東電は、敷地から海へ地下水が漏れるのを防ぐ遮水壁が2014年度に完成すれば、海洋への漏出は防げると説明している。

この記事上で見るかぎり、東電の説明は論理的におかしい。
とりあえず文章を追ってみよう。

まず、「放射能の地下水経由での漏洩は既に起きている」
これの否定はなんらしていない。
「海への流出」が「法定の濃度限度」を上回っていない、というだけの話である。
なんら対策を打たねば、年を追う毎にどんどん濃度が上がっていき10年で法令の限度を超える、というのがJAEAの見立てのようだ。
この10年という長さもどういう根拠で出したのかわからんし、私の感覚では疑問に思えるのだが、素人感覚なので置いておこう。

それに対して東電は「遮水壁が完成すれば」というたらればを言っている。
単純に考えればわかることだが、地下水を敷地内から漏らさないような“壁”を作るというのは極めて困難な話だ。
とりあえず海側の方に壁を作るようだが、当然水なんかどこかで止めても迂回するし、そもそも地下水脈がどれだけの幅で流れているのか把握しているのだろうか。
常識的に考えてそんなものは把握できるわけがない。
つまり「底」を含めて敷地内をプールの中にいれるようなイメージで遮水“壁”を作らねば叶わぬことであり、(建築物の)基礎を考えれば不可能なことである。
「壁」と表現しているからそういうものを想定しているとも考えられない。

つまりできっこないことを2014年中にやると“また”言っていることが問題では無いのか。

そもそも遮水壁を作るのは、漏らさない云々よりも汚染水の増加を減らすために地下水の進入を止める目的の方が重要ではないのか。

別の観点では「法定の濃度限度」自体の疑問視も当然されている。
この濃度制限は「一時的な漏洩」で制限されていると考えるべきであり、今回の様な永続的な漏洩を想定して決められているとはいえない、という論点もある。
一般的に有害物質は濃度で決められている一方、自然消失がないもの(極めて遅いもの)については総量規制がなされている。
濃度規制というのは例えば莫大な水で希釈すればいくらでも放出できるという性質を持つからで、放出後にどこかの過程で濃縮されてしまえば無意味だからだ。

某番組で専門家が言っていたことだが、今回の汚染水問題ではフィルターで浄化はしているものの「トリチウム」が除去できないという問題があるということだ。
トリチウムというのは放射性を持った水素であり、水素と酸素が結合すれば水となる。
つまり水と殆ど同じ性質を持つ液体の放射性物質の存在が浮かび上がってきている。
これはβ崩壊という紙一枚でも防げる放射性ということなので、つまりはペットボトルにでも入れてフタをすれば安全なものなのだが、水と同じと言うことは体内に取り込まれ、体中を巡るのも容易であるということである。
また通常の水に混ざってしまえば分離することは現実的に(コスト的に)不可能である。
半減期は12年ということだから待つには長い。

別の番組である研究者によると、海での放射性物質の濃度の減少が想定より遅いという指摘をしていた。
一旦は流出しても時間経過により遠洋に拡がって希釈されるわけで流出元の沿岸あたりを定点観測すれば濃度は下がっていくのは当然の理である。
その下がり方が遅いということはどこからかの流入があると考えざるを得ないということだ。
つまり、未だに流出量は減っていても止まってはいないということだ。
汚染水の意図的な放出はしていないのだから、海に流れ込む地下水が原発敷地内を通過する時に汚染されてきているとしかない。
なお、汚染水が地下水として流出しているか、流れている地下水が汚染されてきているかなどということは、自然体系的観点からすれば些細な違いに過ぎない。

この問題の重要な観点は、原発事故の後処理が収束どころかまたひとつ重大(長期的)問題が噴出(露呈)したということだ。
地下水の存在が事故時の問題を大きくしている。
安全審査においては活断層ばかりが焦点になっているが、地下水脈の調査も必要ではないのか、という論議が出ても不思議ではない。
もっともいまやっている安全審査というのは「事故が起きないためには」という観点であって「事故が起きた時の被害拡散防止」という観点が弱いのは相変わらずだから却下されるかもしれないが。
ここも今の「安全審査」とそれだけを原発が運転を可否の唯一の根拠としようとしている、ひとつの問題と言える。

もう一つの問題点は、なぜかマスコミではあまり言葉が出ないのだが「トリチウム」という物質の存在が表立ってきたということ。
日本語では「三重水素」と呼ばれる。
水素自体ははご存じの通り自然界で最も軽い物質で常温で気体、燃えやすいというか爆発するようなものである。
燃える=酸素と結合して水になるということでクリーンエネルギーとして注目を受けている。
重水素も同様に酸素との結合で水となり、重水とよばれる。
これも水と同様の性質を持つ。
水はいうまでもなく地球上の半分以上を海という形で占めているものであり人間の体の半分以上を占める“物質”で極めて重要である。
しかも一部は血液という形で体中を激しく巡っているものでもある。
その水と同じ性質を持つ放射性物質というのは感覚的に非常に“怖い”。
他の放射性物質と同様に毒性はないとされるが、その体内への取り込まれやすさは他の物質の比では無いと考えられる。
ヨウ素は甲状腺に集中するということから色々といわれていた。
逆に言えばそこに濃縮されるということで体内に取り込まれたからこその健康被害が考えられる。
しかし重水はそういうことはないから、外界での存在濃度は一概に同一視できないともいえる。

これはどの放射性物質でも同じなのだが一定の濃度は自然界に存在する。
重水素や重水も宇宙からの放射線で自然に生じて存在しているものだ。
“不自然”なまでに濃いとなんらかの影響が生じうるということになる話だ。

ともあれ、考えれば考えるほど難しい問題だ。

ひとついえるのはこういうやっかいな問題がまた露呈されたということなのだろう。

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ネット選挙解禁で考慮すべき脅威(前編) - CNET Japan

リンク: ネット選挙解禁で考慮すべき脅威(前編) - CNET Japan.

この記事で一般国民においては注意すべきは一点だけ指摘されている。
後は被選挙者(立候補者)の話だ。

一般国民に対しては「献金詐欺」の警告である。
電子メールにおいて献金の呼びかけが実は無関係な犯罪者からのものであり、献金だと思っていたのがだまし取られていただけというものである。

電子メールはなりすましが容易であるということはいまさらというまでもないが、そもそもそんな情報だけで金を渡そうということ自体が問題であるという意識がここでも必要であろう。

これはひところ報道された「架空請求詐欺」と同じ話でもある。

これについては

なりすまし(禁固2年以下/罰金30万円以下、公民権停止あり)やメール送信者に対する氏名、電子メールアドレス等の表示の義務付け(怠った場合は禁固1年/罰金30万円以下、禁固の場合に公民権停止あり)など、懸念されている問題に対する罰則も盛り込まれています。

とのことで結構厳しい罰則がありリスクと儲けを考えると犯罪抑止効果はありそうではある。

そもそも献金という行為が米国に比べて著しく認知度が低い(むしろ企業献金=悪という構図から(個人の)献金行為自体が悪という誤認すら否定できない)こともある。
無いとは思わないが、犯罪者には他の詐欺の方が確実性が高いと思われるかもしれない。

そもそも私はネット選挙運動の解禁には大賛成だが、電子メールの使用についてはやめて欲しいと思っている。
この「脅威」で指摘されてしまうように、電子メール自体がなりすましが比較的容易なものである。
また、電子メールはいわば「送りつけてくる」ものである。
受け取る側、つまり受け身になってしまうのでその妥当性を判定しにくいということもある。

また自動スパム判定されやすい、という送る側もデメリットが高いと考えるべきだろう。
同時に多数に同じ文面で送られたメール、は機械的にスパム判定されやすくなる。
うざったいと思われて「スパム通報」があればさらに確率が上がる。

一方で例えばSNS等やホームページなら選挙以前からチェックしていればそのURLの妥当性は高いだろう。
また検索サイトでも上位にあるものが「なりすまし」である確率は極めて低いといえる。

ただ、なんらかの形で立候補者に対してメールアドレスを渡していたとしよう。
その人からメールマガジンなりで日頃から情報発信がされていれば、ことさら選挙期間の時だけ停止せざるを得ない、としたらばそれはおかしな話ではある。
Twitterでの話はそういう経緯があってメールも同様な配慮があったのかもしれない。
いうまでもないが選挙の時だけ「投票お願いします」というのがくれば、選挙前だけやたらうるさい選挙カーのごとく単に反感を持たれるだけ、ということも考えて欲しいものだ。

あとは被選挙者が気をつける話が並んでいる。

DDoS攻撃への対処なんかできることではないし、誹謗中傷や名誉毀損になるような流布も直接向けてくれればまだしも、立候補者が対処することは困難だ。
ただ、そういうことにアンテナを張ってどこまで対処できるか、ということは、どれだけの人的ネットワークを持っているか等の公人としての力量が問われることになるのだろう。
いち支持者からの通報で迅速に確認し対応できることが重要となろう。

また更新におけるIDやパスワードの管理などはガバナンス力が問われることとなる。
勝手な変更に対する監視もどこまでどのように当人が関与するのか、誰が監視するのかを含めての管理・統治能力が問われる。
これも政治家としては重要なスキルではなかろうか。

ITだからどうこうではなくて、実は一般的で必要なスキルがより明確な形で問われているに過ぎない、ということがいえるだろう。

そういう意味で、なんらかのこういう事件がおきればそのひとの試金石となりえる。
事件に巻き込まれた時の対処が素晴らしい人は評価が高くなるのはこれに限ったことではない

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2013/04/19

実名が発言に責任を持つことになるのか

よくインターネットの発言での無責任さは実名でないから、という論理があるようだ。
どうもマスコミや書籍などの実名・匿名とごっちゃになっているのではないだろうか。

例えば“毎朝新聞の記者の鈴木一郎”であれば特定は可能だろう。
つまりここに実名での責任が存在しうる。

書籍でも、出版社から出版できる人はかなり限定されるからこれも特定が可能だろう。

しかし、Twitterで名前が“鈴木一郎”だとしたら果たして誰か特定できるだろうか。
いうまでもなく否である。
どう考えても数十人、もしかしたらこの世に数千人とかいるのではないだろうか。

テレビの討論番組で、非実名でなりすまし云々の話題になり、政治家の高市早苗議員が「なりすまし被害を訴え」ていたが、果たしてそのTwitter(みたいな話だったが)での「高市早苗」さんは本名であってもなんら不思議はない。

これは漢字ではないからもあるが、たった数万人程度ともいえる大企業では姓名によるメールアドレスが多く、そのダブりは珍しくない。
“一人目”は姓名を“.”(ピリオド)で区切るが、二人目はマイナスだったりアンダースコアだったりのようだ。

このように実名=本名は問題を抱えているのだが、なぜかその点を指摘する人は少ない。

私がよく例に出すのだが、「野球選手の鈴木一郎」と言っても多くの人は「誰それ?」なのだが、野球選手と前置きすらせずとも「イチロー選手」といえば殆どの日本人(と野球好きのアメリカ人)はよく知っている。
いうまでもなく「イチロー」は実名ではない。
Twitterでいえば「鈴木一郎」の名前で顔写真も出さずに発言をしてもいぶかしがられるだけだろう。

例えば「蒲池法子」とは誰だろうか。
これも日本人なら知らない人がいないであろう「松田聖子」の(結婚前の)実名である。
芸能人の多くは本名でないことが多い。

作家やアーチストも別名を使うことが多い。
芸名を持ちながら作家活動をするときは別名を使うことは珍しくもない。
例えば作家では100冊を超えるシリーズ作「グインサーガ」を産み出した「栗本 薫」などがいる。
あまりに有名な話であると思うが「中島 梓」の作家名である。
「中島 梓」も芸名であり、本名は「今岡 純代」という。

つまり重要なのは「実名」かどうかではなくてどうやって「固有名」を定義するかではないだろうか。
インターネットは日本どころか世界規模で国境が無い、つまりコミュニティの境界線が非常に広いために名前の重複が容易に起きてしまう。
よほど珍しい姓でも無い限り固有性を保つのは不可能だと思われる。
「東国原」は非常に少ない姓だそうだが、逆に「伊藤」「鈴木」「佐藤」などは数の多さで上位の常連だろう。
そうなると名のほうで他者との一致を避けることは殆ど不可能と言えよう。
姓はもちろんのこと、名も殆どが親がつけるもので本人意思や変更はまず無理だ。
親だって近所親戚知り合いでかちあわなければ良い程度の固有性しか思わないだろう。

つまり実名で固有性を決定することは不可能だし、固有性を決定づけられないのにそれをもって「責任性」を生じさせるのも無理な話だ。

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2013/04/18

国政選挙の格差がなくならないのは

BSプライムタイムを過日見ていたのだが、細田氏が出ていて色々言っていた。

細田氏の話を聞いているといわゆる「永田町の論理」ということなんだろうな、と感じる。
話が根本からおかしいのは次の点であろう。

・選挙区は都道府県割りが絶対である
県割りでは2ぐらいの格差はどうしても生まれるから仕方が無いという論理のようだ。
同時に出ていた教授も言っていたが、それなら市で割れば良いだけの話だ。
一票の格差の問題より、都道府県割りに固執する方が重要だというのが国会議員の論理なのだろう。
「県民性」等という言葉も出していたが、厳密に言えば県民性というのは特に県境の人は薄いのではないだろうか。
それよりも旧藩でいう地域性が色濃かったり、市町村合併で噴出したのも記憶にあるのではと思うがもっと小さく町村単位ではないのか。
隣の町村同士で仲が悪いというのは珍しい話ではないだろう。

・2倍以内であれば問題が無い
都道府県割りが絶対の論理とも関係するが、どうしても格差は(都道府県割りをすると)どうしても起きるから2倍以内は仕方ない、法律や判例でもそう言っているでは無いか、という論理である。
反論が当然出ていたが、私にはその反論の方が正当に聞こえた。
つまり判例で2倍以内ならOKだとかそんなことは言っていないようだが、国会議員はそう言っていると聞こえるようだ。

・全国区では駄目なのか
「地域地域の思い」要は地域の意見の代表が必要だということらしい。
全国区というのは二つあると思う。
一つの選挙区とするやり方、もうひとつは都道府県市町村関係なく人口で区割りして選挙区とするというやり方だ。
昔なら不可能に近い方法だが、今なら計算機を使って数学的に割り切ることも可能だ。
「国境なんて人間が勝手に引いた線だ」なんていうが、県境とかたまたま都道府県制度になったときに引かれた線だ。
全国的に議論をする国会の議員を選出するのなら日本国を一つと見なして区割りすれば良いだけの話だ。
例えば東京都や神奈川県などで区割りされているのと同じ論理である。
これは結局先に言った市割よりも細かい話ともいえる。

まあ、色々言ったが要するに国会議員は最低限の変更しかしたくないというのが本音であるだけのようだ。
特に日本の国会議員に重要なのは「ジバン、カンバン、カバン」と言われる。
どれも地域が変わったら失うものだから変わりたくないのだろう。

なお、司法が「違憲判断・無効判断」を出したことが今までと異なるのは、三権分立において司法がないがしろにされているということに対する怒りであるという説もある。

要は司法が国会は遵法状態とはいえないと言っているのに国会は軽視(無視)をし続けているわけで、そりゃあ普通はそう思うだろう。

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2013/04/14

「一塁走塁ヘッスラより駆け抜けが速い?」を福本豊氏が解説

リンク: 「一塁走塁ヘッスラより駆け抜けが速い?」を福本豊氏が解説 | エンタメ | マイナビニュース.

まあ、記事中では解説というほどのことは述べていないのだが。

それでも福本氏の「相当巧い人」という表現は巧いなあと思う。
理想的な理屈だけで考えればヘッドスライディングの方が速いようにも思える。
しかし理想を常にできるほど人間は完璧にはできていない。

スライディングが遅くなる要因としては、塁に触る(アウトかセーフかの判定基準)以前に地面との摩擦を生じてはいけない。摩擦で減速した時点で著しく速度が低下してしまうからだ。
理想は着地点が塁であることだ。
別の言い方をすればスライディングというよりは塁にタッチするまでは空中で移動しており、その状態で塁に触るというのが次点といえる。

ヘッドスライディング自体がそもそも行為としてかなり危険であり、頭から突っ込むというのは当然ながら恐怖心を伴う。
その動作を速度を上げるという中でスライディング行為で行おうとするのだから(衝突や摩擦での痛み、怪我や死すら否定できない)への恐怖心で本能的に減速するという可能性もある。
また、スライディングへ動作が変わるというのも減速する要因となる。
そもそもその所作へ意識の向きが変わり足が僅かでもとまり加速どころか速度が落ちる可能性だって十分に考えられる。

一塁への走塁は一塁までが常に加速状態が続くごく短距離ということも無視できない。
スライディングは「飛ぶ」所作になるため本能的に「タメ」を作ろうとしてしまう。
「タメ」を作ろうとすればそこで一瞬加速をやめてしまうことになる。
それをしないで流れるように行う必要が出てくる。
また当たり前だが「飛んでいる」最中は加速ができない。
走り続けていれば塁に触るまで加速を続けることができることから比べると不利である。
しかし一塁までの距離を加速し続けられないような人もいるわけで、そうであればそれは不利要因とならないことも十分あり得る。

一方で掛け抜けが遅くなる要因としては、塁を駆け抜けるというのは正確には塁を踏むなり体の一部と塁が接触しなくてはいけないことがある。塁と非接触のまま通り過ぎてはいけないのだ。
つまり最後に歩幅を合わせたり、接触のための所作をしたり、それ以前に最後に塁を踏むことに合わせるために歩幅を最適にすることで、本来得られる速度よりは速度を低下させてしまう可能性があるということだ。
この点でスライディングはその点で縛られないのでその人の最速を得ることができるのと比較して不利である。

では、どちらが速いか、という結論については不確定要素、個人差が大きすぎてどちらとも言えないというのが結論ではないのか。
もちろん、掛け抜けの走塁が最適になるような訓練、理想的なヘッドスライディングをするための訓練、この目的を強く意識せずとも普段からこのどちらに寄与するような訓練(練習)を行っているのか。
その人の運動能力がどちらに適しているのか、素質というかそれまでの運動や理論的経験も大きく左右して当たり前だろう。

両者の行為を最適になるまで訓練する、というのも野球をするという括りの中ではナンセンスともいえるからだ。
そもそもバッティング技術自体を向上させた方が良いし、打ったあとの走るまでの所作(打撃の安定)も重要だし、走力(加速力)自体を鍛えるのも必要だろう。
突き詰めれば一塁へのヘッドスライディングが速くなるかもしれないが、突き詰める行為(練習等)自体がナンセンスということになるのだろう。

他のネットのスレッドやら色々見たが結局は個人の経験によってどちらとも言い切れないし結論は出ていない。
どちらを支持する人も嘘をついているとも間違っているとも思わない。
結論が出ないという結論は当然だと思う。

言い方を変えれば「どちらが速いかはケースバイケース」というレベルと言える。
だから実験なんか意味が無いともいえる。

実験というのはつい普遍的な実証と勘違いしがちだが、このような実験は前提条件(被験者)によって結果が反転することだって十分あり得ることだ。
ぶっちゃけ同じ人がやってもその時の肉体的・精神的コンディションで結果が変わることすらあり得るだろう。

そもそも実験というのはその「前提条件」によって大きく結果が変わることがありえる。
物理実験ではなく、特に人間や動物に関する実験は結果がぶれやすい。
その「前提条件」で何を実験(検証)しているのかが大きく変わってくる。
あたかも理論的・科学的に言っているかのような「~という実験結果がありますが」のような言い方には少なくとも実験目的、また前提条件が曖昧な場合には疑ってかかるべきだ。

ともあれ一つ言えることは「一塁へのヘッドスライディングは危険性が高い」ということについては議論の余地がないようだ。
色々思考をしたが「ヘッドスライディングが仮に多少速いとしたって、少なくとも一塁走塁ではすべきではない」というのが結論なんだろう。

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2013/04/13

ココログiOS版

ココログのiOS版がアップデートされていた。
最近Androidばかり使っていたのでほかのアプリのアップデート残がいつのまにやら12個も溜まっていたので数週間使っていなかったのかもしれない。
ココログアプリはこれまではログインしようとすると、だったか投稿しようとするか、だったか忘れたがどちらにしろ投稿できないと言う論外で使い物にならなかった。
それでも消さないで「殆ど使っていないアプリ」というフォルダに放り込んでいた。

アップデートされたようなので使ってみるとようやく普通に使えるようだ。
だが画面の小ささ(小ささをカバーする工夫)がないので使いづらい。
まあ簡単なひとことコメント程度なら良いかもしれない。
カメラの呼び出しもできるので便利かもしれない。

それなりの長さならポメラとの連携でいけば良いのではということでやってみた。
試しにポメラに書き散らかしている文章を使ってみる。
iOS用のポメラ専用(純正)のQRコードリーダーで読ませて「全文コピー」する。
これは非常に優秀なツールでポメラの方でボタンを押していくだけでさくさくと読み込んでくれる。
ココログツールを立ち上げて投稿にして本文に「ペースト」する。
とりあえず適当な文章なので「下書き」で投稿する。
問題なさそうだ。
普通はわざわざこんなレベルで確認作業などはしないものだが、以前は使い物にならなかったのでとても懐疑的になっている。

ココログツールにも「一時保管」があってこれはツールとしてローカルなどこかに一時保管する機能のようだ。
ココログシステム自体にも「投稿」と「下書き」があるわけだが、最初は勘違いしてしまった。

うまくいったので実際にこの記事はポメラで書いている。
ちなみに確認してみるとQRコードでは8枚分になる。

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生え抜き多い今の巨人なら地上波で視聴率稼げるとTV局関係者

リンク: 生え抜き多い今の巨人なら地上波で視聴率稼げるとTV局関係者 | エンタメ | マイナビニュース.

FAで活躍、というより活躍してもしなくてもファンとしては腹が立つわけです。
活躍する→生え抜きが活躍できない
活躍しない→金の無駄遣い
ということですから。

しかもFAやら他球団で活躍した外国人やらを取る自体が面白くないわけです。
大概が主力選手で長距離バッターが多い。
つまりホームランでしか点の取れないチームになってしまう。
ホームランは野球の華といますが、ソロばっかり飛び交っても勝てないし面白くは無い。
一番面白いのは満塁になって緊張のある打席(投打の闘い)から生まれるホームラン。

ホームラン数だけはダントツなのになぜか得点が低いという時期もあり、面白くない。
三振かホームランかとは言いますが、そんな選手はスタメンでせいぜい一人ぐらいだから味があるのであって、そんなのばかりだと嫌になってしまう。

原監督が就任してからしばらくはそんな感じでしたが、ここ数年は大分改善されているのも事実でしょう。
レギュラー層でスタメンは村田ぐらいで、そこに近いところでは小笠原と谷ぐらい。実際には両者ともなかなかスタメンにはなれない。
先発投手で杉内とホールトンの元ホークスの二人が目立つ程度です。

後は生え抜きで準一軍層が日替わりで活躍してくれる。
決して一発屋ではなく渋いところや小兵だが良いところで活躍するのが面白い。
代打で入って次の守備でファインプレーを見せてくれる。

巨人ファンからすればそういうところが良いのでしょう。

ひところの視聴率がないのは当然でしょう。
昔は巨人戦ぐらいしか(特に首都圏は)プロ野球中継がなかった。
まあ、地上波しかないわけです。

しかし今は「野球を見るならスカパー」とか宣伝しているしCSやひかりTV等でも巨人専用チャンネルG+やらスポーツチャンネルではパリーグの方がむしろ充実している。
地上波ではなくてもBSの無料チャンネルでやっていることも多い。

なんとなくテレビをつけて日テレをみていると巨人戦をやっていて・・・というパターンは今はなくなったわけで、それは讀賣が自分でなくしたわけだし、放送業界全体としても顧客が分散したわけです。

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2013/04/12

『「東海」「釣魚島」表記を使った都、環境省など』の問題はどこにあるのか

リンク: 「東海」「釣魚島」表記を使った都、環境省など : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞).

問題の本質は『「東海」「釣魚島」表記を使った』云々ではないだろう。
問題なのはいわゆる「丸投げ体質」である。
仕事を下請けに出すことは仕事量を軽減する手法の一つだが、一方で下請けに対する監査、上がってくる成果の検査という負担が生じるというデメリットもある。
その監査・検査をおざなりにした時に「丸投げ」と批判されることになる。

Googleの地図を流用しようが、他の地図を使おうが、東京都のホームページなら、それは東京都の発した文書(図面)であるのは世の中の当然の理であり、責任は東京都にある。

 島根県の担当者によると、これまではグーグルの標準版と呼ばれる地図を使っていたが、今後は日本での表記に合った日本版を使用するという。担当者は「指摘を受けるまで日本版があると知らなかった」としている。東京都も気付かずに標準版を使ってきたといい、「意識的に名称が併記された地図を使ったわけではない」としている。

標準版とか日本版だかは関係なくて、転用する予定の地図の監査をしていなかったのが問題である。
今回は「日本版」への切り替えで問題解決したから良いが、適切な表現をしている版がなかったらどうするのか。
切り替えには結構な金がかかるとしたらミスによる出費であり公的機関としては大問題である。

日本海や魚釣島のところまで監査できない、というのであれば、監査した範囲だけしか表示できなくするべきである。
もしその範囲を限定できないシステムならそのシステム(地図)を採用すべきではない。
表示可能な範囲を監査して一定の責任を持つのは当然だからだ。

これは他社のWebサービスを自所のWebページに取り込む(WebAPIを使用する等を含む)場合に改めて考えるべき事と言える。
くれぐれも安易にはやってはいけないと諫めるべき事であると言える。

もっといえば設置した時は問題がなかったが、しばらくしてその会社の都合で内容が変わることはありえることだ。

テレビでも頻繁にGoogleMapを利用した図面を見ることは増えたが、これはいわば「印刷して」使ってわけで問題があるかはそれをみれば良いだけの話なので構わないだろう。
だが、Webでプラグイン的に使う場合はいつ改変されるかが分からない。
そういう問題があることは十分理解していないと駄目だろう。

「通常版」と「日本版」があることを知らなかった、というレベルだと非常に不安でならない。
相手のサービス内容や利用規約を熟知した上で使わなければならない筈だから。

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2013/04/10

憲法改正論議におもう(2)

国会でも論議されており、安倍首相が「国民の半数が変えたいと思っても議員は2/3以上というのはおかしいのではないか」と言っていた。
うっかりするとそうかと思ってしまいそうになるが、その意見はおかしい。
正確に言えば理想論で言えば正しいが現実にはおかしいということだ。
理想論とは国民投票で投票率が100%であるということが必要だからだ。

今一度条文を読み直す。

第九十六条  この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
○2  憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

1.各議員の総議員の2/3以上の賛成で、国会が発議する
2.国民がその提案を受けて承認をする。
3.承認とは国民の直接投票で過半数の賛成とする。

国会の発議は「総議員の2/3以上の賛成」が必要。
つまり決議の時に誰が棄権しようが欠席しようが関係なく、全議員数の2/3以上の賛成が必要。
全議員だからこそハードルが高いといえる。

一方、国民の意思は「投票において、その過半数の賛成」が必要。、
憲法文はやや曖昧な記述だが総務省の見解によると有効投票数(賛成もしくは反対の票)において半数以上の賛成票が必要だという。
例えば最近の選挙並みに投票率が50%とすれば、全国民の25%以上の賛成投票があれば国民の賛成があったとみなされることになる。
しかも「反対の意思」を示すために投票所に行くという行為は「賛成の意思」を示すために投票所に行くことに比べれば明らかに動機が弱くなると考えるのが普通だろう。

つまり国民投票が設けられているものの、それはかなり「賛成」に有利な状況が設定されているわけである。
現在の条項は国会での決議に重みを置き、国民投票はあるものの、比較的軽く設定されている、ということになろう。

もっとも、安倍首相の論理で行けば次のような制度に改正するのであれば理屈が通る。

1.各議員の総議員の過半数の賛成で、国会が発議する
2.国民の直接投票で、投票権を持つ国民の過半数の賛成が必要

昨今の国民の選挙投票率からするとほぼ絶望的とも言えるほどハードルが高くなるわけだが。
もしもこのような制度設計で国会発議をしてきたら私は賛成する意思はあるが、単に国会での決議だけを過半数にするのであれば反対と言わざるを得ない。

なぜなら今の国会議員自体が全有権者の約半分程度の投票者で決められている上に、今の論議の0増5減が通ったとしても地方格差が最大2倍程度なのは変わらないわけで、司法判断は2倍以内が許容とは言うが私には全く納得いく状態ではないからである。

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2013/04/07

憲法改正論議におもう

最近憲法改正論議がマスコミで取り上げられるがどうにも不可解である。
わからないときは原点に戻れの原則から憲法文章を見てみる。
第九十六条  この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
○2  憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。
1.各議員の総議員の2/3以上の賛成で、国会が発議する
2.国民がその提案を受けて承認をする。
3.承認とは国民の直接投票で過半数の賛成とする。

というところか。2項は形式的な手続きと見なせる。
ただ「憲法と一体を成すものとして」となるから、米国のように「修正条項」ではなくてすげ替えてしまうというにみえる。
米国では変更履歴が見えるごとく憲法修正をしたときには修正条項が憲法条文として残っていく。
私は非常に良いシステムだと思うのだが、なぜ押しつけた米国はそれに倣わなかったのかが不思議である。

この文章で未定義な言葉に見えるのは「国会が発議」という言葉である。
憲法内の他の条文には国会の発議どころか発議という言葉すらない。
普通に考えると「議員の2/3以上の賛成で・・・」ということは普通の法律なら成立の手続きと同レベル、つまり採決を取って国会として決定をするという意味と考えられる。
その決定は他の法律等なら事務的に後は発布され施行となるわけだ。
しかし憲法改正では国会の決議だけではなく、まだ「国民への発議・提案」段階にすぎず国民投票にかけられるだけだ、というところが違う。

一方でテレビで議員がいわれるには国会で発議することすらされないという話があった。
どうもこの辺がごっちゃになっているようにみえる。

国会に発議というのは、なにか法律を作るとかのためにその法律が必要なことを法案としてとりまとめて(通常は委員会を経て)国会に発議し、国会で決議することである。

「国会が発議」と「国会に発議」とは全く意味が違う。

これは弁護士という法律の専門家職である日本維新の橋本氏すら勘違いしているのではと思われる発言がテレビであった。
彼がどうこうではなく、他の議員でも勘違いしている人が多い可能性が高いのではと思ってしまう。

つまり国会で憲法改正を発議するのは少数政党だって構わないわけだ。
(もちろん決議段階にすらいくかどうかは全く別問題だが)
2/3もの賛成が必要だからかなりの見込みや根回しがないと国会での決議に至らないだろうが、委員会等で決議前段階まで詰めて他の政党も巻き込んでいけば良いだけのことではないのか。

半数ぐらいにしないと今の国会では何も通らない、それは党議拘束システムがあるからだ、などという人もいるようだ。
それなら党議拘束なぞ廃止してしまえば良いではないか。
私は党議拘束という考え自体が全く理解できない。
憲法どころか法律にもない。おそらくは党規約にはあるような手前勝手な規則なのだ。
しかも党議拘束を破っても執行部のさじ加減で罰見送りすらできるようないい加減なものだ。(党議拘束破りで議員資格停止すら聞くからほんとうにいい加減なものだ)
そんなものを憲法改正論議に持ち出してくるとは手前勝手すぎて全く理解ができない。

もうひとつ。この憲法96条改正の後にはなにがくるか。
マスコミはトーンダウンしているが、以前からいわれているように憲法9条改正。
議員についてはそれを隠している人は少なくて、むしろマスコミ側が見えにくいようにしているように見えるのは気のせいだろうか。
他の条項を改正しやすくするために、改正のための条項をいじるというのは、私の感覚からすれば気に入らない。
私は9条改正の議論は多いにすれば良いと思うし、国会に発議すれば良いと思う。
何度も国会で否決されながら洗練され同意を形成して決議されるべきだ。
そして何度も国会が発議して国民の否決を受けながらやっと採択されれば良いと思う。
憲法というのはそれだけの重みと多くの賛意が必要ではないのか。

そしてそういう経験を踏んで非常にデリケートな9条に行くべきではないかと思う。

私は損得勘定の理由で日本は現在の9条を維持した方が良いと思っている。
むしろ9条改正したいのは、この憲法を押しつけた米国自身に見える。

なにか国家主権とか国家発動とかいう理由で9条改正を唱える人がいるが、実は(特に最近になって)改正を言う人は米国の意向を汲んでいる人達ではないかとすら見えてしまう。

昔から9条改正を言う人は真っ正面から取り組んでいたと思う。
それを96条改正を絡めてきたというのは他の意図を持った誰かの入れ知恵ではないかと勘ぐってしまう。

なお、2/3による可決という数字は憲法上でもいくつかみられる。
よく知られているのは衆議院での再可決であろう。
衆議院で1/2以上で可決され、参議院で否決されても、衆議院で2/3以上の賛成で可決されれば成立する。
だからそんなに無茶な数字ではないし、それだけの重みが必要だと考えられている。
むしろ他の2/3条項より軽くするのか、というほうが整合性の面で不自然ではないのか。

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2013/04/06

Windows8に移行したわけだが

前のコラムでさんざんWindows8をこき下ろしたが、実は個人的にはあの程度のことは大して問題視していない。
実際に試しにWindows8で生活をしているがそんなに違和感を感じない。
良い面もある。
UIの問題は致命的な何点かを除いては慣れが解決してくれるし、実際にそうだったのである。
致命的な何点かは工夫で何とかなったし、一点くらいは諦めても良いだろう。

ただ私固有の事情もあるのでその辺も含めて書いてみたいと思う。
なお、自宅では以前はWindowsVistaからの移行、会社ではWindows7を使用している。

○ 非常に起動が速い。
システム上で工夫しているたまものである。
カーネル部分がいわゆるハイバネーション(休止)からの復帰と同じだからだそうだ。
実際にOSアップデートやアプリによってOSを再構成するために再起動したときに限ってはきっちり遅くなる。
現在は静音重視で回転数の遅い1TのHDDに導入しているが、BIOS画面が暗転してからログイン画面まで10秒とかからない。
むしろBIOS画面が出て消えるまでの時間がもどかしい。

○ 全体的に軽い
7でブラッシュアップしたと言うがそれ以上に凄いというレベルがある。
タブレットで動かせ、ということもあろうがシステムの深いところもきちっと磨かれている感じがある。
どうやらメモリ確保が非常に高速化されたようだ。
一部アプリの起動で何倍オーダーで高速化したりという報告もある。

○ ファイルコピーが速い。
メモリ確保の高速化とディスクドライバが改善されたのだろうか。
ともかく速い。NASへのコピーも驚くレベルで速い。
さらに速度グラフがいちいちでるのもなかなか良いギミックだ。
普段は速すぎてすぐに消えてしまうのが残念なくらいだ。
また7からだがSSDに正式対応となり、SSDの特性を考慮した書き込み消去システムやTrim対応で高速化している。

× デスクトップ画面にスタートボタンがない。
そのままでも左下隅をクリックしてスタート画面に移行すればよい。
アイコンがタイル状に展開されるようになっただけと思えばよい。
また従来通りデスクトップやタスクバーにショートカット(「ピン留め」と言う)を置くこともできる。
デスクトップ上のデータをダブルクリックして拡張子連動もするからこれも従来通りだ。
目くじらをたてるようなものでもない。
なお、ウィンドウズキーでもスタート画面に移行できる。
なんと、このキーをもう一度押すとデスクトップに戻ってこれるようになった。
キーボードにこの忌まわしきキーがつくようになってから20年弱でようやくまともになった。
キーボード主体で使う人間に取ってはうっかり押してしまうとマウスを使わないと元の状態に戻るのが非常に煩雑なことに閉口したものだ。
キートップをはずしたりソフト的に殺したりと苦労が絶えなかった。
思えば10年も経てば体も慣れてウィンドウズキーを回避するように順応していたのではあるが、ここにきてようやくこのキーが意味を持つとは思わなかった。
それでも左下隅というのは違和感があるし押しにくい。
僅かな位置の違いとは言え会社でのWindows7での操作と共通性がなくイラッとする。

→ スタートボタンを作ろう
様々なツールが有償無償で出ているが、そんな大袈裟なものは要らない。
最低限として「そこ」にボタンがあり押せばスタート画面に移行すれば良い。
ネットを検索すると結構簡単にできるようなので参考にしながらやってみた。
例えば「スタートボタン.vbs」みたいなファイルを作り次のプログラムをいれる。
----
dim obj
set obj = CreateObject("WScript.Shell")
obj.SendKeys "^{Esc}"
set obj = nothing
----
Windowsボタンの代用であるCTRL+ESCを押したのと同じ動作をするプログラムだ。
これを適当な場所に保管し、wscript.exeの引数としてこのファイルを指定したショートカットを作る。
このショートカットも適当な場所に保管しよう。
最後にそのショートカットを「タスクバーにピン留め」すれば良い。
(*.vbsファイルのショートカットだとこの「ピン留め」が出ないので注意)
アイコンは適当に見繕って設定すれば良い。
windows\system32\shell32.dllの中の☆や地球とかでも良いかもしれない。

ついでにシャットダウンボタンも作ってみよう。
----
dim obj
set obj = CreateObject("shell.application")
obj.ShutdownWindows
set obj = nothing
-----
これを実行するとシャットダウンメニューが出るようになる。
このアイコンはwindows\system32\shell32.dllに見たことのあるようなよさげなのがある。
なお、これを応用すれば短気な方ならワンクリックでシャットダウンさせることもできる。

△ IEやらMS系ソフトが使いにくくなった
マイクロソフト依存度の高い方ほど移行の障害が大きいという皮肉な話だ。
ともかく使っていて訳が分からなくなるのではなかろうか。
しかし幸いにして私はWebはFireFox、メールはWebメール、音楽はiTunesと殆どMS系アプリは使わないので影響がない。
ちなみに小物ツールのペイントや電卓は殆ど変わりが無い。
いや、電卓はプログラマ電卓や統計電卓その他なにやら色々パワーアップしている(笑)。

△ 最初にスタート画面がでる。
違和感を感じる人も多いようだが私は問題と思わない。
デスクトップ上にデータを置き、拡張子連動でアプリを起動するスタイルの人は確かに問題かもしれない。
それならスタートアップにあるvbsプログラムを置くことで回避できる。(私はやっていないが)
拡張子連動な人でも、フォルダに整理しているのならフォルダをクリックするわけだから、そのフォルダへのショートカット(ピン留め)をスタート画面に置いておけばよい。
(残念ながらデータファイルはスタート画面にピン留めはできない)
私はとりあえずFireFoxを起動するパターンが殆どで、それならどちらでも同じだ。

△ 新しいアプリスタイル
ライブタイルやらMSアカウント要求やらそんなものは全部切り捨てればよい。
全画面強要で情報量が薄いし使い方が標準ガイドライン自体が非直感的なのかイライラするので無視した方が賢明だろう。
どうせ何世代もせずにMS自身が飽きてこの形式は消え去るだろう。WindowsVista/7のガジェットのように。
MSタブレットは大失敗に終わるだろうし。

私はといえば最初からはいっているその辺のアプリはどんどん削除をして残っているのは天気予報とピクチャーくらいだ。
あとは念のためいくつか残しているだけだ。
新アプリスタイルのはいろいろ試したが結局マインスイーパーとソリティア、ライブタイルにカレンダー表示してくれる奴ぐらいしか残っていない。
無償でこの程度だとすると有償でもがっかり感が出る恐れが非常に高いので手を出す気にはなれない。
あとは単に従来型アプリのアイコンが並んでいる。
ちなみにMSOffice2013も従来型である。

それにしてもWindows8は、UI以外は完璧超人なシステムなのに本当に残念、という声も聞くが私も激しく同意をする。
オプション設定で良いからスタートメニューをそのまま残して、コントロールパネルで設定をきちんと全部フォローしていれば何も言うことは無かった。
改めて今回思ったことはアプリでMS依存をしていなくて本当に良かった、ということだ。
障害は最小限で済んだという感じである。

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不可思議なWindows8の様々な仕様

Windows8を使ってみるとその仕様には色々不可思議な点が多い。
レビュー的なところを含めてつらつらと書いていきたいと思う。

○ なぜガジェットを無くしたのか。

マルウェアやらのせいという説明だが全く筋が通っていない。
そもそも自由にアプリをインストールできるPCなぞマルウェアの巣窟である。
なにをいまさらという感がある。
だからそれを防ぐためにMSは提案をしてきた。
一つはユーザーアカウント制御(UAC)と言われるもので中途半端なシステムである。
「プログラムの実行」という観点で制御しようとするので様々な問題が起きてしまう。
発想はOfficeのVBAにもみられ「マクロはともかくも使うな。使うのならお前の責任だからな。」という管理である。
もうひとつはそれに関連する「認証」である。その認証も大問題なのである。
要はお金と時間がかかるのである。
MSの社会的立場を考えれば「利権」の発生といえる。
特にドライバの類は未認証で発売されているものが実に多い。
この未認証のままの率を考えるとよほど高いか、時間がかかっているとしか思えない。
これは「OKを押す」しかないので「警告に対して」めくらで「OKを押す」習慣をつけてしまう。

それを防ぐためにソフトの検閲をするためアプリストアを創設したという流れがある。
それならガジェットの導入先をアプリストア登録品に限定すれば良いだけのことだ。
それで解決できないのならアプリストアの存在を自己否定していることになる。

要はこれらはただの言い訳だと考えれば理解はできる。
要するに“デスクトップ”自体の否定である。
スタートメニューを全面に出していることからもその意図は伝わってくる。
アプリを全画面にしてあたかもタブレットかスマホにしたいのである。
意味が分からないが。

○ なぜアプリを全画面にしたがるのか
これも意味が分からない。
というか、たくさんのWindowが画面上に重なりながらも複数表示する形で作業をするスタイルだから“Windows”なのである。
厳密にはWindows2.0の時代はマルチタスクすらきつい時代だったのでウィンドウもシングルだったが(笑)
Windows3.0以来(1990年代前半からの話である)、ずっとマルチウィンドウとして進化を続けてきたWindowsが旧石器時代への先祖返りを目指しているのか、という皮肉も言いたくなる。
そういえばVistaからの透明感というかガラス感と立体感のある窓枠だったのが、Windows8なにか無粋な単色で四角ばった窓になってしまった。
タブレットOSとしてのWindows8の立ち位置もあるのだろうが、それなら「デスクトップテーマ」で吸収すれば良い話である。
Vista/7でもガラス感が嫌いな人はテーマでXP風やらにしていたものだ。
マシンが非力で重かったりするのならそうすれば良いだけの話ではなかろうか。

○ なぜ解像度が1366x768以上限定なのか。
窓7のユーザーを調査したところこの解像度以下の人が皆無だったことが理由として挙げられているらしい。
そりゃあ7のPCを普通に買えばその解像度未満のものなぞ、手に入れる方が難しいぐらいだ。
確かMS自身がXPはセキュリティサポートを辞めたいのでそれを使うのは辞めて8を入れてくれと言っていたのではないのか。
もちろんアップデート版の対象もXPからになっている。
それならば調査とやらはXPユーザーに対して行うべきことではないのか。
そしてそれをやるとネットブックの存在を無視できない。
MS自身がネットブックへのライセンスとしてディスカウント設定をしたが、その時縛った1280x600という解像度が出てくる。
つまりここが最低ラインとなってくる筈である。
だいたいWindows8で新規創設された全画面アプリ形態だが、それは別段高密度な情報を必要としないからだ。
アプリストアで縦がはみ出ると言うが、タイルを一つ分、減らせば良いだけではないか。
新設のチャームメニューシステムにしても縦の解像度は関係なく、縦方向の何十%という比率で構成しないと使いづらいのは当然の理である。
つまり全く合理的理由が無い。
おそらくはネットブックを切り捨てたいという意図と考えれば納得がいく。
ネットブックはタブレットと使用シーンが重なる。
つまりネットブックは捨ててタブレットを買って欲しいという意図なのだろう。

○ なぜスタートボタンがないのか。
デスクトップの否定なのだろう。
デスクトップを使いづらいものと印象づけたがるせこい意図は随所にみられるが、これもその一つである。
右下隅をクリックすればスタート画面になる。
そんな隠し機能のようなことをせずにスタートボタンをきちんと設置してそれを押すとスタート画面に移るようにすべきである。
だいたいスタート画面にデスクトップタイルを置いた以上はそれを押すとデスクトップに行けてしまう。
その場合にその「隠し機能」を知らない人は戻れなくなってしまうのだ。
チャームを出す操作はマウスでは隠し機能かと思うぐらいに非直感的で記憶しづらい操作である。
これまでの窓でも初心者にタスクバーを隠す設定で使わせるとスタートボタンが見つからずに困ってしまうケースは珍しくないが、それをWindows自身が基本構成でやっているのだから始末が悪い。
更に言えば電源を切る操作も極めてわかりづらい。
「ユーザーに使いやすい」タブレットPCを目指すべきWindows8の仕様があちこちでとても分かりづらいものになっているのが現状だ。

○ なぜUIの互換性を意固地なまでに捨てているのか
マウスとタッチ操作での両立が全く練れていない。
少なくとも今までのOSユーザーを移行させるための用意がされていないのが大問題なのだ。
スタートボタン(メニュー)を完全になくす理由がどこにあるのか。
スタートボタンの場所はタッチではホットスポットになるらしいが、それならメニューのオプションで出せるようにしておけば良いだけのことだ。
スタートメニューを出さなくてスタート画面に移行するボタンでも許容されるだろう。
「左下隅をクリック」では操作感が明らかに異なって違和感がでてしまうのだ。
他にも「チャーム」からでないと入れない設定項目がある。
基本はコントロールパネルに設定を集約するのが伝統だったのにそれをぶち壊した。
せめてコントロールパネルとチャームからの設定を相互に行き来する手段があればまだしもそれすらない。

初心者はいわずもがな、中級者すらも多いに惑わせるひどいUIと断罪せねばなるまい。
初心者は特にどうやっても使いづらい、覚えられない、のだから、一番良いのは変えないことである。
そこに気がつかない技術者は意外と多い。

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Windows8とDM100でBluetoothファイル転送はできないのか。

ポメラDM100をBluetoothキーボードして使う、のはできるのだが、ファイル転送ができない。
もうとうに枯れたサービスなのだからまともにOSの標準でサポートして欲しいものだ。
それとも枯れすぎてMSはやる気が無いのだろうか。

ペアリングしようとすると中途半端になる。
Windows8側ではデバイス名は出るものの、カテゴリーは不明ということで(この不明は例えばキーボードとかになるところ)認識される。
ポメラDM100側では接続先検出中のままである。

このデバイスのプロパティの「ハードウェア」を見てみると「DM100」と「Obexファイル転送サービス」とでているのでデバイス自体の認識はきちんとできているし、このデバイスがファイル転送サービスを要求していることも認識できているようだ。

Photo

ところが「サービス」を開くと空っぽなのである。

Photo_2

なんともがっかり感の強い結果である。

ちなみに同じハード環境でWindowsVistaではToshibaドライバセットを使ってエクスプローラーから普通にやりとりができていた。

ネットを検索するとスピーカーヘッドフォンの類とかマウスキーボードの類とかの話ばかりで参考にならない。

どうせ駄目だろうと思いつつMSのサイトを探したがやっぱりなにも情報が無い。
Windows8のカテゴリで検索しているのにWindows7の内容が出てくる始末である。
相変わらず酷いサイトである。

まあ、SDカードでやりとりができるから致命的ではないのだがこういう目立たないところの手抜きさ加減のひどさはもう少しなんとかならないものか。
どうせこんなものは使っていないから適当にやっちまえ程度の感覚なのだろう。

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