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2013/02/24

「原発稼働ゼロ」見直し、首相がオバマ氏に伝達

リンク: 「原発稼働ゼロ」見直し、首相がオバマ氏に伝達 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞).

安倍首相は、2030年代に「原発稼働ゼロ」を目指すとした民主党政権での政府方針について、「ゼロベースで見直す」と説明した。

 「米国とは原子力協定のパートナーとして、緊密に連携していきたい」とも要請した。オバマ大統領は「両分野で日米間の協力を進めていきたい」と応じた。首相はまた、割安な米国産天然ガス「シェールガス」の対日輸出の早期承認を要請、オバマ大統領は「同盟国としての日本の重要性は念頭に置いている」と述べた。

なにやら禅問答でわかりにくい。
結局は米国のご機嫌取りに終始したようにも見えるがまあこんな記事ではわからない。

米国の原子力産業が世界の趨勢(中国など一部を除く)では減少に向かっている中で厳しい。例えば最大手のGE(ジェネラルエレクトリック)自らが語っているのだから疑いようも無い。
その中で原子力発電所を減らすというのは三位に落ちたとは言えGNPトップグループの日本でやられては困るのが現実だろう。
そんな大手企業の都合で政府が動かされているという一面は否めない。

米国自身がシェールガス革命によって原子力にとって変わられる流れなのもある。
なにせ従来のガス価格の数分の一の価格で生産できるのだからしょうがない。
しかもそれでも加熱しすぎてだぶついて困っているところもあるくらいだそうだ。
しかも二酸化炭素削減の協定については排出量の二大巨頭であり、それと並ぶ中国とともにそっぽを向きつづけているのだから、日本のように排出削減が火力発電への懸念材料にもならないのである。

逆に言えば二酸化炭素排出量削減にご執心な(嫌みでいっている)日本すらが原子力をやめて火力にシフトされては米国としては商売あがったりで困るのである。

そもそも全世界の電気生産総量からすれば原子力発電などはわずか2%程度のものなのだそうである。
つまり世界規模の発電事業としてもみれば原子力関連はマイナーであるといえる。
日本では原子力が沖縄を除く全地域で数割、5割を占める地域もあってそれからみると驚くような数値にみえるが、むしろ日本の方が世界から見れば珍しい国なのである。
良く、世界を見えていない日本(企業)みたいな言われ方をするが、実は発電産業でみても日本はいつのまにやら世界の平均から外れたところにいたのが実態なのである。

それが米国の原子力産業のお得意様だったのが現実では無いのか。

しかも日本は安全規制が全世界的に見ても緩いために低コストで発電所を作ることができたわけだ。
地域の過疎地域の状況と交付金をうまく使って危険なコストを地域住民に押しつけることができていた。
実際に事故が起きれば交付金の渡るその市町村だけに留まる問題では無いのに、その市町村への割増し交付金だけで済ませてきた。
それが低コストの発電というまやかしを生むことができてきたと言える。

ちなみに最近近代化(電化)が著しいアフリカ諸国では地熱発電が人気だそうである。
一度作ってしまえば燃料代は要らないし燃料に対する難しい取り扱いも必要が無い。
初期コストが比較的高いのがネックといわれるが、作るにあたっては先進国の支援や国際的な金銭等の援助も受けやすいのだろう。
一度投資してしまえばあとは人的コストや定期的メンテナンス、これは別にどの発電所でも必要であるしその額が多少高いとしても燃料費ゼロから考えれば構わないだろう。
原子力は国際政治的な問題も絡むので政治的に不安定なところも多いアフリカでは人気がないというのは容易に予想ができる。

さて、日本はこれからどうするのであろうか。

原子力というのは実は初期建設コストがかかりランニングコストが比較的安い、という再生可能エネルギー型の発電所と似ている構造を持つ。
つまり一端作ったら減価償却するまで運用しないと赤字になるのだろう。
異なるのは発電所を廃止して原状回復するコストや燃料として使ったあとの廃材の処理に莫大なコストがかかる(それゆえに処理の先送りを続けている)ところである。
だから現在の殆どの発電所の稼働ゼロとして廃止して原状回復することは事業者としてはありえないことなのである。

福島の原状回復コストをだれがどう負担しコスト換算するのか。
今は災害復旧コストに組み込んでうやむやのうちに税金で処理しようとしている。
それが許されることなのか。

原子力発電のコストをどう見積もるのか。
規制委員会がいままで出してきている規制案だけでいちいち事業者側は「過剰だ」「コストがあわない」などと反論しているようだ。
まあ、とりあえず反論するのはタダなのでやっているのだろうが。
さらに社会的コストをどう組み込んでいくのか。おそらく莫大な額になろう。
たった一カ所の原発事故で東電は経営破綻した。
次はそんなことがあってはならないのでそれを回避するための保障体系をどうするのか。
保険を掛けるとして果たして人口密度の高い日本国で割に合う額になるのか。
そういう議論やコンセンサスなしに再稼働は無いだろう。

規制委員会が出した条件のクリアだけで再稼働OKみたいな空気になっているがそれもおかしな話だ。
規制委員会の出した条件のクリア、は最低限の発電所の満たすいわば技術的要件だ。
万が一再度事故を起こしたときの補償体制の構築を求めることもきちんと議論すべきでは無いのか。

まあ、それらの構造が解決したとしても「ゼロ」にはならないだろうなというのはアリかもしれない。
政治的にゼロにするのではなくて結果としてゼロに近づくのは「ゼロ見直し」に相当する。

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2013/02/22

「原発危機 官邸からの証言」まだ頭の方を読んだだけだが。

「原発危機 官邸からの証言」を読み始めた。
去年の8月発売だったようだが、当時は多忙で気がつくことさえ無かった。
総理でも無く、官房長官でも無く、副長官であった福山氏が書いたことに意義があると思う。
震災直後やしばらくは官邸をも正にパニックであっただろう。
総理大臣のトップとして総指揮としての心労や、官房長官のマスコミへの矢面にも立ち様々な非難中傷を浴びた心労も、想像を絶するものがあろう。
その中で官邸の中心部にいながら比較的冷静に(というと語弊があるかもしれないが)メモを取り様々なことをある程度は客観視できていたという立場はかなり稀少であると思う。

福山氏がとった大学ノートに綴られたメモを元に当時を回想しながら話が紡がれていく。

まだ頭の方だけだが、それだけでも私自身の中でものごとが整理がされていくのを感じる。
当時疑問に思ったり周辺事実から合わない話が結構あったからだ。

思いつくまま挙げていこう。

・菅総理が福島原発の現場に乗り込んだからベントが遅れて爆発が起きた?

まあ、いまはこんな馬鹿なことを言う人はいないだろうが、当時は一部でまことしめやかに言われていたことがあった。
私がニュースなどだけみていても明らかに時系列的におかしかったのだが、こんなことを言う人がいたのである。まさに誹謗中傷のレベルである。
ここまではいわないが、近いことがマスコミの場で言われたこともあった。
福島氏もまったく因果関係がありえないことを当時の関連する様々な人の動きを述べることで、事実無根であることを結果的に説明している。

・官邸がベントを妨害した?

東電がベントを行いたい、と言われ、政府が苦渋の決断で許可をしたのは爆発した日の午前2時頃だそうだ。爆発した時間はいうまでもなく半日以上も後だ。
許可を出した時に東電はベントを実行するのは2時間後ぐらいだろうと見込みを話したという。
だから官邸はそれで一旦は解決したと考えたようだ。当たり前の話である。
災害処理は福島の話だけでは無く、大津波が各地を襲ったことが次々と明らかになる中で災害救助も重要であり、こればかりに構っていられないのも事実だからだ。
しかしいつまで経ってもベントしたという報告が上がってこずに不審に思い始め、そうこうしているうちに爆発に至ったのが実情だというのである。
妨害するような暇や余裕などあるわけもない。
私がこのブログにも書いたが、テレビのある番組で福島の現場の再現ドラマが行われたが、ベントの許可は現場に届いたが実際の作業は困難が多くできなかったのが現実であったようだ。
ベントができなかった原因を言うならばベントの弁を開けるバルブの位置の設計思想レベルのミスであろう。
通常の設計(各国の原子力発電所で実現されている)ならベントの弁は操作室から容易に操作できるところにあるという。
福島では発電所内にあり電気が止まると真っ暗になるような場所で入り口からかなり入ったところで高線量地域を通るところもあり、往復で時間もかかる。
つまり蓄積線量が危険値になりかねないということなのだ。
しかもマニュアルや位置を示す図なども不明瞭で操作説明も不安がある。
またこれもかという感じだが、そんな実地訓練をやっていない。
ついでにいえばベントの時に抜く空気(水蒸気)から放射性物質を取り除くフィルターもついているのが普通だという。
だからフィルターの有無はベントをするか否かの決断の重大度が大きく異なる。
政治的判断が遅かったをもし非難するのであれば、それ以前にフィルターをつけていない設計を非難するのが先の話である。
いうまでもないが、このフィルターをつけることが規制委員会のおいては「安全条件」としているが電力会社の抵抗は大きいようだ。
電気会社の安全に対する認識などそんなものなのである。

・イラ管がスタッフの志気を削いだ

管氏は理系の人間だから理屈が通らないことに嫌気を感じるのだろう。
不条理だったり不合理な理由、特に自己保身などを理由として不作為をしたりすることに嫌気を大きく感じるのはよく分かる。
一方でそういうことで怒られるのを酷く嫌う人間も存在する。
なぜなら理論的に理屈で追い詰められてしまい反論ができないからだ。(反論を許さない、のではない。怒られている方に理が無いのだ)
そういう人達が志気を削がれたように感じたのかもしれない。
少なくとも官邸や周辺で災害対応に力を尽くしていた人達には政治家官僚に関わらずそんなことで志気を削がれるような人間はいなかった、と福山氏は述べている。
一方で自己保身をしたり、その場限りの対応で現場を見ずに動いているような人達が描写されている。
彼らは怒られ萎縮したのだろうと言うことは容易に想像ができる。

・なぜ菅総理は東電に乗り込み、福島原発に乗り込んだのか

ひとことでいえば彼らは自分で動こうとせずに報告もろくにあげず、不作為ばかりだったとみられる。
東電の代表者が官邸にひとりついていたことが書かれている。
総理が福島に直接話をしたいといったら(聞こえない小さい声で)部下に電話番号を調べろと言った言葉が福島氏には聞こえてしまった。
つまり東電の代表者は現場である福島には直接やり取りをしておらず、東電本社なりの経由で福島の現状を官邸に説明したり福島への指示をしていたということだ。
これでは様々なことが遅くなるのは至極当然のことだ。
そしてそんな人間を通じて(その人の資質や個人的にどうこうではない。東電がそういう立場と権限で置いていたというのが問題だ)指示や判断をできるわけがないのも自明だ。
かといって社長クラスをいちいち呼びつけては東電も動けなくなるだろう。
そうなれば東電に自らが乗り込んだ方が合理的だ、と考えたのだろう。
これも理系的な人間のやりそうな考えである。
それでも煮え切らない対応しかしない東電幹部に業を煮やして福島の現場に乗り込んだのではと察する。
そして官邸に戻るなり「あの所長なら大丈夫だ」と現場の責任者に信頼を置いてしまうのもいかにも理系的である。

他にも電力車の話やら色々あるのだが、東電の動きには呆れる話ばかりである。
官邸の証言だから、ということを割り引いてもだ。

それをあたかも官邸や政治指揮の問題であるかのような報道をした当時のマスコミ等に罪は無かったのか、というくらい疑問を感じる。
そしてマスコミを裏で繰っていたものたちがいたのではと思える節もある。

その一端が「鉢呂経産大臣の更迭」問題である。
結局「ゴーストタウン」発言は事実だが「放射能つけちゃうぞ」はフィクションであったと言う。
このことは民主党の擁護論では無く、何人ものフリージャーナリストや自民党の河野太郎氏すらも証言している。
当時は私もそう思ったが、「ゴーストタウン」は問題ないが「つけちゃうぞ」はあまりに不謹慎であり辞任すべきと言う論調が強かったと思う。
要するに恐るべきことに大手マスコミが揃って嘘をついて大臣を更迭に追い込んだのである。
もちろんマスコミ自身がそんなことをやってもあまりメリットがあるわけがないので、メリットがある連中が繰っていたというのがごく自然な推測だろう。
そして鉢呂氏が大臣就任時には諮問会議のメンバーにバランスをきちんと取るようにと指示をだしていたという。
バランスを取ると言うことは、今まで推進派多数を維持してきた推進派に取ってはマイナスである、ということだ。
後は推して知るべきである。

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2013/02/21

SCE、PS4発表

リンク: SCE、PlayStation 4を発表。2013年年末商戦に発売 -AV Watch

この手の発表はわくわくするものだが、今回は全くない。
古来よりゲーム機の発表というのは業界的にも大イベントであるわけだ。
要するにPS4はPCと大差ないものであって、XBOX360がプアマンズPCと呼ばれたがそれと大差ない。
8コアのx86系PCにGPGPU。あとは物量の話だけだ。
8GBのメモリは良いが、いまどき携帯電話にも2Gとか積む時代。
まあ問題はシステムにどれだけ食われるかだろう。
コントローラも別段面白くない、というかコメントすらする気にならないほど技術的にも面白くも何ともない。
まあ、やっぱりこんなもんか、という感想しかでてこない。

あとはソーシャルということだが、文面を見る限りは“ウザイ”感じしかしない。
ゲームにソーシャルを持ち込んだのはXBOX360が先鞭だが、正直ウザイ以外のなにものでもなかった。
WiiUというか任天堂のソーシャルでの距離感が私には合っている。

リモート表示が云々が書いてあるが、そもそも汎用の無線LANが本来持つ遅延を考えるとアクションゲームで言うところのリアルタイム性には全くといって良いほど適すとは思えない。
パズルゲームとかRPGとかで反応はそんなに悪くない、がせいぜいだろう、と想像する。
だからこそWiiUが独自方式でWiiUとパッドを無線接続しているわけであり、ゲーム機としてはその姿勢がごく当たり前なのだ。

セカンドスクリーン云々もあるが、つまりは別売りの機器によるセカンドスクリーン。
ゲーム側でどれだけ考慮してくれるのかが極めて疑問であり、カタログ仕様になってしまうことは歴史的に証明されている。
GamePadをセカンドスクリーンとして使えるWiiUではマリオではお助け機能をそこに入れ込み、ZombieUでは普通のゲームなら画面に出すメニュー系やサーチモードをセカンドスクリーンに表示する仕様としている。
やはり標準品しかサポートしないのが普通である。

結局PS3は大してゲームが出なかったわけで、ゲームの作りにくさはいわれ続けた。
独自アーキテクチャがカタログスペックほどのパフォーマンスを実アプリで出せない要因となっていたのもあるだろう。(単純にコンパイラの能力というレベルからフレームワーク性能やらマルチスレッド処理やらの話など色々あろう)
PS4は普通のPCもどきにすることでその点を解消してよりソフトウェアの作り込みに注力することにしたのだろう。
x86にすれば単純にインテルやマイクロソフトの技術力の恩恵を受けやすくなるからだ。
ゲーム機メーカーもPC版の転用をしやすくなるのも当然のことだ。

そうすると技術的には面白くも何ともないわけだが、ゲーム機である以上は面白いゲームがでなければ意味が無いわけではある。
それでも結果としてはコモディティ化という名の没個性機器になってしまった訳だ。

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2013/02/17

“民主自己批判”に思う

リンク: トップ迷走・不適閣僚・党内混乱…民主自己批判 : 衆院選 : 選挙 : YOMIURI ONLINE(読売新聞).

自己批判というか民主政権の総まとめということにもなろうか。
それすらできないのが問題なのかもしれないと思うわけである。
記事の内容が全てではないだろうがひとつひとつみていきたい。

衆院選惨敗について、小沢一郎元代表らの離党を念頭に「党内を治めることさえできない集団に国家の舵(かじ)取りを任せられないとの評価が定着した」と明記した

党内を治めると言うよりも、きちんと議論できないのが問題だと私には映った。
説明や議論の日にちをきちんととれていないのは明白だし、紛糾してなおかつ執行部が強行をしたようにしか見えなかったからである。
反対をしたほうの議員に問題があるのか、本当に強行をした執行部が悪いのか、実態は分からない。
どのような議論をして説明をしたのかが全く伝わってこなかったのは事実だ。
それはマスコミが悪いのか政党の公報が悪いのかはわからないが。
まあ、いずれにせよ混乱状態だけが国民の目に映ったのは事実では無かろうか。
そしてそれが官僚傀儡である様に報道され、それへの反論がみられなかったのが問題である。

鳩山元首相の米軍普天間飛行場移設問題をめぐる迷走や「政治とカネ」の問題

移設問題で迷走自体は問題だが挽回できる機会はあったはずである。
問題なのは移設問題を悪化させておきながら、管政権と野田政権でそれを放置し続けた、少なくとも改善がみられなかったのが問題なのである。
仮に鳩山氏が首相退陣後も担当大臣なり、党員の一人としてでも沖縄に張り付き、事態の改善に奔走したのならばそれは評価され民主の評価にも繋がっただろう。
放り出したようにしか見えないから問題視されたわけである。
移設問題の放置のツケが大きく露見したのがオスプレイ騒動である。
オスプレイ自体の問題もあるが、実際は米軍基地問題の対応への政権に対する不満不信が根本にあることを指摘する声はフリーランスのジャーナリストからは多い。
政治とカネの問題は鳩山氏でとりたてて問題では無くそんなものは何十年も前からあるわけで、「民主よお前もか」程度の話でしか無い。

菅元首相の「消費税発言」などを踏まえ、「トップによる失敗の連鎖が続いた」と指摘

消費税発言が具体的に挙がっているが、「トップによる失敗の連鎖」というのもよく分からない。
鳩山氏も管氏もだが官僚に限らず周囲の専門分野の議員にも相談無く(少なく)対外的約束を放言したのが問題なのだ。
対外的とは消費税発言は国民に対して、環境会議での二酸化炭素削減目標では世界に対しての約束である。
傀儡になってはいけないが、実際に執行する人達の意向を一切無視しては駄目なのは当然では無かろうか。
それを失敗と表現するのはどうにも納得できない。
放言になってしまうのが問題なのであって、それをきちんと実現するように粉骨砕身しなかったことが問題なのだ。

トップレベルの失敗と言えば、例えば原発問題で新規建設否定等の閣議決定の見送ったとか、尖閣国有化のタイミングを間違えて中国トップを怒らせたとか、デフレ・消費低迷下でそれの改善策を示さずに条項だけいれて消費税決議を強行したとか、円高を容認して輸出産業を殺していったとか、東日本大震災や福島原発事故からの復興どころか現状回復が一向に進まないとか、主に野田政権での失敗が目立つように思う。
どれも一時的な放言というより長期的に確信的に問題を放置したのが問題なのである。

例えば管政権時代の原発事故への対応責任が問われているが、彼一人の対応で事態が変わったとは到底思えない。
彼が歴史に残る傑出した人間だったとしても原発は爆発しただろうし避難規模への影響はちょっとした当時の気候(風向き)よりも少ないだろう。
それよりもその後の国民とくに福島県民へのケアがあまりにも足りないのが問題だ。
未だに何万人、何十万人が福島県外へ避難したり仮設住宅暮らしをさせているのだろうか。
深刻なのは県外避難が定着しつつあることで県の財政悪化し負のスパイラルに陥っている兆候があることだ。
まずは母子が県外に行き定着すれば当然父親も頃合いも見て移動する。
納税者たる会社の数や規模が減少したり主たる収入者が県外移転することは致命的だ。

閣僚人事で「適材適所の人材配置が実現しないケース」があったとした。

野田政権の最後の組閣の印象が明らかに悪かったのを指しているのだろうか。
特に田中眞紀子大臣は最悪であった。登用されずに穏便に選挙を迎えれば彼女の落選はなかったように思う。
現役大臣が落ちまくったがこれは多くが“解散記念大臣”だった、つまり議員としての安定度がまだ弱かった人達を大臣にしたのも大きいのだろう。
それを除いてもそもそも総理が三年で三回変わる事態も異常だし、しかも内閣改造や大臣更迭も多く、拉致担当大臣などは3年で9回だか10回の変更があったことはマスコミでも指摘されている。
むしろそちらの方が問題ではないのか。

2009年衆院選で政権獲得の原動力となった政権公約(マニフェスト)に関しては、「財源の裏づけが不十分で実現性を欠くものとなった」と自己批判した。

これもマスコミ的にはそういう論調もあるが私には納得しがたい。
例えば高速道路無料化については、私のブログでも書いたが大きな財源としては「ガソリンの暫定税率分」があった。
高速道路無料化により道路全体として活用度を上げて幹線道路の拡張工事を縮小しそれを財源とする考えもある。つまり暫定では無いガソリン税の一部も回すことだ。
暫定税率は民主政権下で一般財源化されたが納税者として全く理解しがたい。
報道でも政治的圧力、執行部の独断進行で押し切られたようにしか見えない。
ガソリンにかかる暫定税率は全体価格の25%もの重税であり、例えば消費税抜きで160円なら本体価格は80円でいわゆるガソリン税は40円で暫定税分が40円である。
ガソリンが最近円安で高い高いと言うが、仮に無税なら80円+消費税なのが本来の価格なのである。
税金額が円安に連動して同額上がっているのが現実なのである。
政治的混乱で暫定税率が一時的に廃止状態になり復活時に各地で混乱が起きたが、それだけインパクトが大きい税率規模なのである。
特定財源ならともかく、一般財源としながらその税金に税金(消費税)をかけているのは明らかにおかしい。これは二重課税と呼ばれ先進国ではありえない。
このごまかし手法はあまりにも官僚臭い。

財源が必要とされる政策、例えば高校授業料の無償化は実施したし、子ども手当は結果として扶養者控除の廃止とバーターで実現されている。
年金や生活保護や健康保険の問題は細かい財源組み替えでの捻出で解決する話で無いことは国民の誰でも知っていることで非難などしないだろう。
これは財源確保では無く、どう制度を改革するのかが焦点であり、それが進まないことが問題ではないのか。
少子高齢化対策も担当大臣が充てられるが頻繁に交替することもあって何も成果が具体的に出ない。
そちらのほうが問題だ。

どれも踏み込みが甘く、分析を正直にできていない印象が否めない。
民主政権に期待したのは愚直さで良かったはずだ。
表面だけ取り繕い裏で取引をするような官僚政治への嫌忌では無かったのか。

実を言えば鳩山氏や管氏の「政治的にはむちゃくちゃな」やり方は私は嫌いでは無い。
二人とも工学部出身であることも要因なのかもしれない。
周囲は大迷惑する悪い社長スタイルではあり、それ故に失脚に追い込まれたように見えるのだが、もう少し周囲がうまくコントロールできたり、総理自身がうまく周囲と協調していけば良い方向になり、閉塞感打破になったと思うし、国民もそういう空気に期待したのでは無かろうか。

例えば鳩山政権下で始まった事業仕分けは、単なる“ショー”であるという批判があるが、無いよりは遙かに良いしとりあえず面白い。
非常に残念なことにネット配信しかされなかったが、くだらない韓国ドラマや通販番組、三流芸人のバラエティで公共の電波を埋めているぐらいなら、これを全国規模で放映すべきものだった。
しかし野田政権下ではぱったりとやめてしまった。
PDCAで回して成果チェックを定期的に行うことが極めて重要である。
2年目で官僚のごまかしが噴出露見したから官僚圧力で野田政権下ではやらないことにしたのだろうとしか思えない。

マスコミも政府に同調しているのか「事業仕分けは法的根拠や拘束力が無い」とか知ったかぶって否定論調が多くなっていったのには驚く。
この“ショー”の有意義な部分はいかに日本にくだらない特殊法人やら公益法人が跋扈しておりそこにどれだけの税金が無駄に突っ込まれているか、ということを多くの日本人に晒すことにある。
結構微妙な法人も多いのは当然であり、費用対効果について晒して考え直すのは重要なことだと思う。
逆に影に隠れた優良な法人であればむしろ良い方向に世間に知られることになる。
スパコンへの投資について蓮舫氏の「一番で無ければいけないんですか?」発言が有名になったが私は法人側には「世界一であることが重要なんです!」と強く反論して欲しかった。
担当者がその法人の意義をしっかり自覚して動いていなかったのではということが問題といえる。
その後、マスコミでもスパコンが世界一位であることの意義が喧伝されることもあり、結果としてスパコンに税金が投入されて世界一を争っていることや実社会への貢献が広く知られるようになった。
これも“ショー”が行われたことによる良い結果の1つであろう。
まだまだやることはあったはずなのにと残念だ。

それが最後の野田内閣でどうみても官僚政治、自民の劣化コピー政権になったから嫌忌されたと私は感じる。

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2013/02/16

体罰問題は教育現場だけの問題では無いのでは

リンク: スポーツ:オピニオン:教育×WASEDA ONLINE.

最初に言っておくと私は学生時代に運動部の部類の部活には属しなかった。
おぼろげながらであるが、今回問題になっている体罰問題に対しての恐怖と理不尽さを感じていたのは一因である。
根本的に身体能力が著しく人より劣るという点の方が大きいが。
ある程度の経験者を前提とした指導しかできないと思われる顧問、もちろん先輩などからの指導を考えると運動部活生活自体が不可能だと感じていたのだろう。
そして友人知人からの情報だけをいえば体系的・科学的に教えている様子も無かったというのもある。
もちろんそれは私の偏見かもしれないし、私のいた学校でもそんなことはないところもあったかもしれないが、元々意欲が希薄だから巡り会う確率はゼロに近い。

こういう記事を読んだりすると「やっぱり」的な感想しか起きないのが正直なところである。

自分で問題解決できる選手を育てる

これでいう「社会で自立」においてスポーツ関連に携われるのはごく一部であろう。 ごく一般の会社員として生活を立てるのはごく当たり前だろう。 運動部員というのは一般学校でも半数はいるだろうから、一般社会においても半数は運動部員経験者であるのは当然のことである。

運動部現場での“体罰”は一般社会での“パワハラ”に通じる。
パワハラまで行かずとも、部下に反論を許さない“上意下達”も同根では無いか。

“体罰”をふるうきっかけとして“試合で負けた”“ふがいない姿勢”
会社では“業績で他に負けた”“やる気のみえない部下”
それに対して“負けた要因はどこにあったか”“どうすれば改善できるか”を理論的に考え問題解決を探ることをせずに、ただ怒り叱りつける。

コーチ論にしても同じである。
指導するには教えるものへの精通ももちろんだが、コーチをするための技術が必要である。
しかしそのこと自体を知らずに我流だけで教えているのが現実では無いのか。
体罰問題もそこにあるし、会社社会でも同じでは無いか。
職場コーチなどと称して先輩があてがわれて新入社員に教える。

職場にはびこる根性論・精神論もそうだし、法律違反をしても会社に尽くすような雰囲気も同じ。
そこには論理性が無いし、自分で考える力を失っていく。
会社が「グローバリゼーション」に対応できないのは社員個人の問題では無く、それを是として教えを受けてきて育ち、会社でもそれで良いと育ってしまったからだ。

そう考えると今回の体罰問題というのは実に日本の社会に深く悪影響を与えている要因となっているのではと思えてくるのである。

今回事件として問題となっている話においては“暴力”か“体罰”かという観点は確かにひとつとしてあるし、そろそろ一端区切りをつけないといけないところもある。
しかしこの学校を非難したり一教師を更迭したり校長が辞任したり、そんな浅い話ではないと思うわけである。

運動部だけではない。普段の授業でも大差は無い。
授業はやたらと“上意下達”である。
先生の言うことを黙ってメモを取ってテストではそれを反映した答えを書く。
特に文系科目ではそれが良い点を取る基本である。

国語などは特に議論ができる分野だと思うのだが一切許さない空気がある。
私にあてがわれた教師が駄目教師だったのかもしれないがその辺りから国語が嫌いになっていった。
例外もあってその一年だけは授業も面白い教師もいた。
しかも授業内容を覚えていれば正解できるようなテストではなかったため全体の点数が悪い一方で、私はその影響を受けないために相対的に成績が良い評価を受けたりした。
別の記事でも書いたが、現在の“なぜか英語ができるようにならない英語授業”もその一例に過ぎず、テストのための勉強しかさせないし、生徒もしないから英語力がつかないのである。
更に塾でもそのテスト対策のテクニックを教えるようなところもあるから始末に負えない。
短期的には学校の成績は上がるから良い塾と勘違いしてしまうのである。

学校教育の非難ばかりしているが1つ擁護をしておきたいのは、教科書というのは凄く良くできている。
意外と軽視する人の多いのだが、巻末問題は丁寧に深く考えながら解くと非常に力がつく。
一行で答えを書いてしまうとそれはだめなのである。
一問に付き、回答はノート一ページぐらいの量があるぐらいに思うべきだ。
そこに至る過程をきっちりと、しかも何通りかのものを思いつくだけ言葉にして書く。
それが応用力をつけるための訓練になる。
すると新たな問題を作ることなどはごく自然にできるようになるのだ。
しかし学校ではどうか。
「丸1の答えは何ですか」「○○です」「はい、正解。次・・・」
こんな程度だろう。時間に限りが有るから仕方ないのだが。

私が悪いと思っているのは“教育指導要領”だったかの本の存在である。
こっそり教師の持っているのを盗み見したのだが、教科書に色々な解説や要点の書き込みがしてある代物である。
直感的に「これを読むのは危険だ」と印象を持ったのを覚えている。
例えれば犯人や人間関係、伏線の解説が書いてある推理小説を読むようなものである。
新登場した人物がこれからどう物語に絡んでくるか、それを推測やら想像やらするのが面白いのにいきなり登場したところで解説されては興ざめである。

話がずいぶんとそれたが、このような顛末で終わってしまうのは残念でもある。
根本的な改善になるのはまだまだ先になるのだろうか。

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Intel HD GraphicsのHDMIでの表示が液晶テレビでうまくいかなかった件

ふと思いつきで液晶テレビにPCからのHDMI接続表示を確認してみた。
Corei5なのでGPUは統合されてるIntelHDGraphicsチップという感じ。

1920x1080は設定できるのだが、垂直周波数(リフレッシュレート)が30Hzでしか設定できない。
60Hzにすると「サポートしていないモードなので表示できない」だのなんだの。
テレビのせいかとかケーブルのせいとか色々疑ったがわからず。
もうひとつのテレビとモニタのHDMI入力でも同様。
なぜか最初の接続時に800x600になるのも気になる。

そうなると疑うべきはグラフィックドライバ。
Intelのダウンロードサイトには最新のがあった。

なんのことはない、ドライバのアップデートであっさりと60Hz表示が可能となった。

そういえばアナログの時代にもこういうパターンがあったなあと思ったり。

よくよく画面をみているとBIOS起動時には1080PでBIOS画面がしっかりとテレビにも表示されているのだからWindows関連でおかしいと気づくべきであった。

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2013/02/14

オリンピックからレスリングを外す?

報道では油断していただの、ロビー活動がどうこうだの、日本のお家芸だの、なんか変な論調がでていたりする。
もっと正論で言えば良いのにと思うわけである。

オリンピックからレスリングを外すというのはもはや暴挙というか、オリンピックの看板を外すの?というレベルである。
第一回から競技があったのも当然のことで、オリンピックは元々古代ギリシャのオリンピアから来ているわけで、そのころに行われていた競技の中にレスリングが入っているほどの重みがある。
「世界スポーツ大会」などの名称の大会ならレスリングを外しても良いが、オリンピックの名を冠している競技大会でレスリングが外されるのは明らかに常軌を逸している。

他の競技とのバランスもある。
例えば同じ格闘技系で検討するというのなら、元々は日本ローカルの柔道を外す方がよっぽど妥当である。
検討されている空手やテコンドーや太極拳も地域ローカルの格闘技系である。
これらを輪番でやるのなら分かるが。

野球やソフトボールを外すのも妥当だろう。
なにしろ一試合の試合時間が長いことや多人数の団体競技はあまりオリンピックになじまない。
多人数の割には試合の流れとして投手対打者という1対1で待機者が多いという形式もいまひとつ。
団体競技なのに、一個人の投手のデキに支配的であり、運の要素も大きい。
実際にオリンピックとして行われているが、人気はいまひとつなのだそうだ。

どうやら新規競技に他にも色々と名前が出ているが、まあ、目新しさで入れるのは良いがその代わりにやめさせるものはもっときちんと選んで欲しいものだ。

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2013/02/09

Windows8入れてみた

Windows8のインストール中にはちょっとした問題があった。

それはMicrosoftアカウントを要求されるということだ。
メールアドレスとパスワードのセットという最近よくあるパターンの会員認証方式だ。
とりあえず私はこのスタイルが大嫌いである。
困ったことにこれはXBOXで使う当時はLiveアカウントをなかば強制的に設定をさせられ(設定しないとXBOXは殆ど使い物にならない)、それがWindowsアカウントとかいう奴に統合だかなんだかされて、それがMicrosoftアカウントにさらに統合されたらしいのだが、、結局なんだかわからない状態になっている。
なんか似たような名前で使い分けも明示してこないのでそんなもんにまったく興味はないので適当にしか覚えていない。
そんなもんのパスワードを覚えているわけもなく、メモはメインマシンの中に独自の暗号化をして入れてある。
XBOXでは一度設定すると大きなアップデートの時に聞いてくるぐらいなので覚える必要もない。
つまりわからないし調べることもできない。
まあ、とりあえず面倒なのでスキップするわけだが、それが実にわかりにくい。
下に極小の文字で書いてあるのでそれを目ざとく見つけてスキップする必要がある。

ところでこのアカウントはたとえばアプリストアで一覧は見れるがダウンロードしようとすると要求をしてくる。
他にもいろいろなサービスを受けようとすると要求してくる。面白いのでとりあえず放置して色々開けてみよう。
天気ぐらいはそれは不要な様子。

どうやらログイン時にこのアカウントでのログインができるらしいが、厳密なパスワードにするために入力と記憶は不可能なものである。
私はやっていないが、XBOXでゴールド会員になるにはクレジットカード番号と紐づけする必要があるわけで恐ろしくてとてもできないし、もしそうしたらパスワードも簡易なものには絶対にできない。

そういうわけで当然ながらログインパスワードはローカルというカテゴリーのものにした。

このあたりがWindows8で最も大きく違うところということがいえようか。
むしろこの会員登録を要求されるものにはセキュリティ不安が顕在すると考えて使わないというのが賢明に思えてきた。
私はMicrosoftのセキュリティ感覚なぞ全く信用をしていないからだ。
まあ、何年か間をおけばそのあたりで重大な問題を発生させてその対策を打つ、ということが何度か起きるだろう。そしてやっとまともなものになる。
それがMicrosoftの伝統的スタイルである。

提灯持ち記者あたりが直感的といったりもするが、おそらくそれは間違いである。
タッチスタイルに対応したから直感的になったと考えるのは安直すぎるということである。
まあ、タッチだとどう動くのかはわからないが、とりあえずマウス操作では直感からは程遠い。

とりあえず分かったのはWindows8でのポイントというかキーワードは「隅っこ」である(笑)

たとえば左下隅にカーソルを置くと「スタートメニュー」の入り口が出る。
左上隅は「画面切り替え」。
右上隅と右下隅はなんか設定ボタンとか並んだ変なバーが出る。(こう書いてから調べたがチャームバーと言うらしい)
上下隅でバーを出してそこから真ん中に並ぶボタンにカーソルを動かすという、めんどくさい使用感である。
しかもデュアルモニタだと画面1の右上隅だから、2画面の真ん中の線で2の方に行かないところで止める必要があり、それがでる領域が結構狭い(WUXGA解像度ということもあるのだろうか)のでイラつく。
タッチだと実際にそのボタンがでるあたりでタップしてずらすという操作のようだが、それならマウスでもそのあたりでボタンを押してスライドさせれば出ればいいのにと思うがそれはできない。
右左ボタンがほかの操作になるとかいう論理なら、それのない中央ボタンでやればよい。
中央ボタンはすべてのマウスにあるわけでもないが、もはや近年はない方が珍しいくらいだろう。

これはアプリストアでも言えることで、普通にああいうデザインを見れば、ドラッグして左に引っ張りたくなる。
それはたとえばPDF(アクロバットリーダー)等ではできることである。
一見すると右にスクロールさせる方法がわからない。
ここで「隅」の法則を使うことでやっと下にスクロールボタンやバーがあることを発見できる。

いくつかのよく使うアプリを試したが問題はなさそうだ。
ただ、困ったものは二つある。
一つはScanSnapで私の持っているもののWindows8のドライバがないことだ。
結構高かったものだし、今でも資料の取り込みなどで時々使っているので痛い。
もう一つはアナログのチューナーカードのGV-MVPだがアナログキャプチャーカードとしてはまだ使いたいので切りたくないのだ。
チューナーという意味では後継機種があるのだが、それにはアナログ入力はない。そのままコストがかかるのでついていないのは当然と言えば当然だ。
これに付属しているGVencoderというビデオエンコーダソフトは意外と使えるのだが、これはWindows8で動くようだ。
試しに一つエンコードしてみたが問題なさげである。
アプリレベルでは互換性は結構高いが、ドライバレベルでは互換性はかなり低いという感じか。

さて、操作がわかりにくいというふざけた仕様の筆頭は「電源の切り方がわからない」ということか。
タブレットを意識したのだかなんだか知らないが、ものによっては数百ワットのものだってあるPCで不要時に電源を切らない訳がない。
もし用途によっては電源を切らないものもある、というのならアプリで「電源を切る」でも作っておけというのだ。
そうすればスタート一覧にそのボタンがあって今までのやり方を踏襲できる。
まあ、ないものをグダグダいってもしょうがない。
一番安定した操作が可能な、アプリの非アクティブ状態での「Alt+F4」でメニューを出す→「Enter」 を使うことにしよう。
それがGUIから最も遠いのが皮肉だが(笑)

よく批判される、起動時にスタートメニュー画面になるというのはそんなに抵抗感はない。
最近は電源を入れてとりあえず立ち上げるのはFirefoxになっているし、デスクトップにあるなんらかのソフトだからだ。
データをクリックしてソフト起動させるのは意外と少なくなっていて、それが起動後の最初のアクションである確率はかなり低いのは現実だ。
もともとデスクトップにデータを並べておくのは好きではない。

それよりもなくなって困るのはデスクトップガジェットである。
最初は抵抗感があったが、あればある暮らしに適合するものでCPUメーターやリソース、ネットワーク監視などが便利である。メモやRSSリーダーも便利である。
「スタート」にあるのではないか、というのは的外れ。
なにか作業をしながら横目でそういうのを見れないと意味がない。

ガジェットはWindows7からもってきたりというのもあるようだが、それで解決する話ではない。
今後ガジェットが増えないしバージョンアップもされないということが問題なのだ。

結論としてはプラスマイナスでいえばマイナス要素の方が多い。
XPから移行させるのならばよいかもしれないしMSの死期通告もあり仕方ないが、Vista/7からの移行は正直あまり意味がないと思う。

起動が速くなったり軽くなるのは確かだが、それよりも色々替えられたことよる違和感が大問題だ。
会社ではあと何年かはWindows7を使うことになるのは確定的であり、操作が大きく違うのは困る。
Vistaは出た当初は重いという批判もあったが、SPがあたってから大分改善したし、デスクトップならCPUもGPUもメモリもHDDも十分に早ければさほど差はない感じがある。
Vistaが出たての頃は重さをCPUパワーで補うのはおかしいという論調には当然なるが、今となっては安いCPUでも十分に速いのは現実なのだ。
起動時間が速いといっても電源入れて数秒なら行動パターンが変わるが、いままでの四十秒が二十秒になっても、どうせ電源ボタンを押してからインスタント珈琲を入れに行くのだから差は実質的にない。

まあ、会社のも8になったり、モニタが壊れて買い替えようとしたらタッチ式もほとんど値段差がなかったりとか、WindowsVistaのパッチを出さなくなるとか、スキャナーが壊れて買い替えたとか、そんなイベントが起きれば8に変えてもいいかな、ぐらいの感じである。
もう少し肯定的に思えるかと思っていたのだがなあ。

気分的に最悪なのがMicrosoftアカウントを混ぜてきたことかな。
せっかくのWindows8の利点に対して拒否感を産んでしまっている。

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Windows8入れてみた・・・の前に七転八倒

Windows8 Proの5千円キャンペーンに乗っかって買ってはいたのだが放置状態。
せっかくなのでメインマシンのHDDの入れ替えでためしに入れてみた。

クリーンインストールになるので面倒なのが予想される。
メインマシンなのでマザーボードは一年ほど前の最新というところ。
一方、アップグレードを辿るとWindows2000を入れるところからやらないといけない。
とりあえずW2kのインストールCDを入れて起動してみると途中でエラーが出る。
ディスクにウィルスが云々を言われるのでいろいろやってみたが、結論はSATAのモードをIDEにすることで解決だった。

先に進むと開始するならEnterを押せと。押しても反応がない。USBキーボードを認識していないようだ。
BIOSの設定でUSB Legacyを確認するが問題なし。色々ぐぐってみるがキーボード依存とかあるので手持ちのを3つほど試したが同じ。

視点を変えてぐぐってみると「キーボードが利かないのならキーボードを使わない設定にすればいいじゃない」。
つまり全自動インストールという奴だ。大量インストールをするお仕事の人向けにそういう機能が基本であるのね。
MSのサイトにも情報があったのでそういうCDを作っていざ起動。
しかしそんなに甘くはなく、途中で「WindowsNTなりのディスクを入れてEnterを押せ」と。
ディスクを入れたら自動認識して次に言ってくれればいいのにと恨み節を唱えつつお手上げ状態。

別にWindows2000は起動するレベルでいいのだから、他のマシンで入れて繋ぎかえればいいのではと考えた。
マザーボードを漁り、PS/2端子があり、HDDと光学ドライブ用にSATA付のものを探して接続。
当然ながらインストール成功し、SP4もあてる。画面は16色モードだしVGAサイズだが気にしない。
さっそくメインマシンに繋いで起動。無事起動しログイン画面が出た…がログインできない。
またもここでUSBキーボードを認識しないのだ。

それならとインストールしたマシンに戻してIDパスワード不要の自動ログインモードに設定する。
メインマシンにまたつないで起動すると今度は無事ログイン。
そのままちょっと待てばUSBキーボードとUSBマウスも認識して動く。

あとはVistaをインストールして終わったら続いてWindows8をインストールする。
ここは障害はなし。ただ待ってユーザー関係やキーコードを入れてまた待つぐらいなものだ。

ちょっと悩んだのは起動しているはずなのに画面が真黒なことだ。
これはデュアルディスプレイ環境で片方のモニタを仮インストールマシン用に入力切替をしていたためで、そっちにログイン画面が出ていたからだった。紛らわしい。
まあどっちがメイン画面かはOSはわからんだろうけど。だったら両方にとりあえず出せよと。
ログイン画面が出ている方で最初は色を選べというがマウスカーソルがない。
ふと見るとマウスカーソルは真黒画面の方に出ていた。メイン画面にいかない。
まあどうでもいいかと思い、キーボード操作でパスワード入力をして起動。
やっとデスクトップとご対面と相成る。

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2013/02/02

「ワゴン車横転、2人重体6人重軽傷」事故報道への違和感

リンク: 「ワゴン車横転、2人重体6人重軽傷」 News i - TBSの動画ニュースサイト.
他のサイトの報道を見て違和感を感じた。
なぜかといえば「分岐点で車止めに衝突し横転」と報道する一方で運転手の供述が「80キロぐらい出していてスリップした」となっているからだ。
山陽自動車道。高速道路で80キロがスピードの出し過ぎであるかのような話の流れは明らかに違和感がある。

リンク先の動画付き報道は事故周辺を撮影しているので何度か見ると状況が分かる。
「山陽自動車道の山陽姫路東インターチェンジから播但道に入る分岐点」とあるごとく、その地点付近で山陽自動車道と播但道が一端並び、山陽道からの分岐道があり、その分岐道から播但道に合流していく、という形になっている。
山陽道からの分岐道に入る分岐点に衝突して横転したとみられる。
分岐道は大きく左に曲がっており、おそらく分岐点からも見えるのではと思われる。
つまり分岐道に入る前に視線がそちらに行っていれば自然と減速をするのではないか。

それはともかくとしても分岐点はほぼ直線の分岐である。
この状況で80キロがスピードの出し過ぎでスリップした、というのはむしろおかしい。
80キロで走行していて左に行く分岐道に入ろうとしてスリップをしたとすれば、普通の感覚では1.タイヤが減っていてスリップした→整備不良 2.路面がおかしかった→道路管理問題 としか思えない。
雨などの影響は映像を見る限り路面は乾いて見える。

まあ、ワゴン車がなんでもないところで転がっているのを時折みかけるが、もしかしたら自動車自体の問題(そもそもの設計不良レベル)なのかもしれない。
通常のセダン車を運転している人がたまにワゴン車を運転すると不安定でかなり感覚が違うらしいが、今回のも運転手含めて10人乗っているわけで、別の記事の写真ではかなり大きめの車輌であることが分かる。
また三人が車外に投げ出される、とあるのでシートベルト着用も怪しいわけでその点も気になる。
ワゴン車はバスでは無いのでシートベルト着用は当然である。

愛媛から来て遠征地の兵庫。高速から兵庫県内で分岐と言うことは比較的近くに来たということであり、運転手当人も、生徒達も浮き足立つのは当然のことはある。
この事故地点で朝8時とすると、四国の愛媛を出たのは一体何時だ?と思えるくらいで少なくとも夜明け前出発だろう。
夜明け前から運転を始めると一番きついのは日が昇ってしばらくしたあたりである。
居眠りはないだろうが、注意力や反応力が低下するのもこのあたりだ。

一方で道路の問題も考えられる。
良く指摘されるのは路面へのペイントで滑るという問題である。
普通の路線でも停止線や中央線に乗ると程度のこそあれ不安定になる。
特に怖いのは首都高速できついワインディングとともにペイントがある箇所があり、慣れないと運転していて不安定さを感じるし、事実危険であると言われている。

映像でも分岐点でΛ印の路面ペイントが見られるが、分岐線で一瞬遅れて片方の車輪だけペイントに乗ってしまうとその車輪がスリップを起こして横転に繋がる要因となりえる。

愛媛県の高校の先生の運転で姫路の高速に乗って、とすれば初めての場所であったと思われ、播但道への分岐点を通り過ぎようとしてしまい、慌てて入ろうとしてこのような事態になったとも考えられる。

それにしても顧問の先生というのは大変だ。
朝早くから愛媛から自分で車を運転して朝早くから姫路まで行くわけである。
もちろん帰路もあるし、しかも日帰りだろう。
事故現場地点で8時だとするとそれでも試合は早くて10時くらい開始なのだろう。
着いてからのウォーミングアップやらを考えればもっと時間が欲しいくらいだ。
往復だけでもきついし、しかも本論は試合の監督としての立場だ。精神的にも大変だろう。

単純に「不注意運転」「速度の出し過ぎでスリップした運転手が悪い」みたいに断罪されるがそう単純に片付けて「同様のことがないように指導する」程度で考えてはいかんのではないかなあと思った次第だ。

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尖閣問題:「開戦論」を言う人は中国側の人間ではなかろうか

今朝の激論クロスファイアの放送でなんとなく見ていてなんとなく思ったのだが、
石原慎太郎始め「日中で戦うべき」の論を言う人達を“ナショナリズム”とか“右翼”とか言われることが多いがどうも違うような気がしてきた。

まず言えるのは彼らの多くは既に“戦争の前線には立つことの無い”人達である。
戦争がリアルになったとしても彼らは傍観者なのである。
しかもそのことに関しての責任もなんらない。(道義的責任は別として)

問題なのは日本は戦争をできないと言うことである。
法的に云々では無く、日本には徴兵制度が無いということであり、戦争(戦線)を維持できない。
当たり前だが規模として自衛隊は一時的な紛争解決がせいぜいであり、消耗戦、長期化するのが通常である戦争ができるわけが無い。
それに関連し、一般の若者達には戦争に対する意識が極めて低いと言うことである。
過去の戦争の前には必ず“戦争の前触れの意識”という前提があった。
“富国強兵”に類する意識があり、それが子供達に意識を植え付け、戦争に駆り立てる。
それには少なくとも数年、十年とかのオーダーが必要である。
私は意識が無いことを悪いことではなく“平和ボケ”ぐらいが良いことだと思うのでその点はあえて言っておく。

“戦争のシナリオ”みたいなことを検証すれば、有利なのは間違いなく中国である。
現状の数値的な分析、例えば人口や国土の広さ、なによりも軍事費(軍事力)を考えれば当然である。
懸念は内紛勃発や東南アジア諸国の動きぐらいであろう。
つまり現状の数値分析から戦争を仮定すれば日本は不利という結論となり、日本の譲歩という流れにもなる。
そこが論点として拡がると、外交交渉に不利を招きかねない。

尖閣問題に関しては、問題を大きくしたいのは中国であり、日本は現状維持をしたい、ということは明確だろう。
つまり石原氏を始め“戦争論”まで言う人達はむしろ“中国サイド”の人間では無いか、という疑念がわいてくるのは自然な理屈では無かろうか。

別の観点としては彼らが“死の商人”に類する一つでは無いか、という疑惑が生ずる。
世の中には戦争状態、もしくはそれに近い時に儲かるという利権を持つ人がいる。
例えば石原氏の本業である作家、つまり文学作品というのは世の中が平和なときにはあまり売れず、世の中が不安定なときに売れるという。
当然、逆に平和である時に儲かる人達もいる。
また作家というのは平穏をあまり好まずいわゆる“騒動好き”という人も多くて石原氏はその典型であるという人もいる。
過激な発言による“売名行為”もあるだろう。
もちろんそんな理由だけで戦争論を言うわけも無いが、だからこそ他に何かあるのではと勘ぐることにもなる。

中国としても“尖閣を獲得する”そこまでは行かなくても“尖閣利権を少しでも獲得する”としたら今しか無いという考えがあっても当然だ。
今後、対日への立場の有利さは今後減退していくのは当然の理だからだ。
それは当然経済的な相互依存が主となる背景だが、今後中国への依存はどんどん減っていくのは明確だ。
大分以前からチャイナリスクは言われながら中国進出は増加していたが、今回の一連の暴動でそれが顕在化したのも大きい。
一番大きな賃金の安さも最近はメリットが低くなる一方だし、再三拒否している元の為替切り上げも“国際的に普通”になればリスクだけが残るとなりかねない。
中国のGDPが世界二位になったことも大きい。
現在進みつつある円安元高は中国からの“輸入”(中国生産品の日本販売)は減ることで悪影響が減る一方で、日本からの輸出(国内生産品を売る市場としての中国)は有利に働くのは当然。
今の円安ドル高傾向が輸入品(石油や原料や飼料等)の高騰にはなるが、輸出産業に有利になるのと全く同じ理屈だ。

ASEAN+6やTPP等の思想の究極的なところは欧州ユーロと同じ統一貨幣である。
だから中国はこれらには反発しているのであるが、この動きも為替レートの正常化に影響するのは間違いない。

そういう背景も考えれば、今、日本の取る立場として最も良いのは“棚上げ”であろう。
後年になればなるほど“得”であって、今解決への話し合いをするのは長期的に見て“最も損”なのである。
今後値上がりするのが明白な株券を今売ろうかと議論するようなものである。
売り時を今後注視するのは当然ではあるが、今売ろうかと考える自体が無駄なことだ。

一方で中国は問題を大きくして論議を活発化して、なるべく早い時期に“解決”する方が得なわけである。
値下がりするのは分かっているからさっさと売りたいのである。

そう考えるとことさら中国を刺激している人達を“国粋主義者”とか言うのにはむしろ違和感を感じることになる。
彼らの行動は中国側に利することばかりで、日本には不利な状況を作っているだけだからだ。

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