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2012/04/30

金沢-浦安深夜バスの事故に関して(2)

この事故は7人の死者を出した悲惨な交通事故となってしまった。
さらに未だ意識不明で生死をさまよっておられる方もいるという。

報道ではバスが防音壁に突っ込んでその壁がバスを“引き裂く”ようになりそれが乗客を“直撃”して死に追いやってしまったようだ。
日本では事故が起きた場合は事故を起こしたこと自体に強く目が行ってしまいそれ以外の問題が軽視される傾向にある。
今回も同じに思える。

何を言いたいかと言えば、事故には道路の構造や施設物の配置にも問題も関係あり得るということだ。
今回の事故で言えば確かに事故自体は防げなかったかもしれないが、ここまでの酷い死傷事故にならずにすむようにできなかったのだろうかということである。

Fig1

ガードレールを外側にへし折ってしまい防音壁に突き刺さるように突っ込んでしまった。
ちなみにこの防音壁はちょうど下の道路から見ると立体交差の“橋”の部分に作られており、万が一クルマが飛び出して下の道路に影響がないように設計したためにコンクリート壁でがっちり作ったとも思える。

ただし今回の事故では壁に突っ込んだ影響で破片が飛びちり、下の道路やそれを飛び越えて向こう側までヘッドライトらしきものが飛んでいるなど、防げてはいないのが残念としかいえない。
午前4時頃だから歩行者や交通量が少なかったと思われるためそこでの連鎖事故はなかったがともすれば危険はあったといえる。
さて、このような防音壁とガードレールの配置は安全上、正しいのだろうか?

Fig2

例えばこのような配置にしたらどうだったろうか。
もちろんガードレールにぶつかるのは同じだが壁に“突き刺さ”ることはなかったのではなかろうか。

突き刺さったのは「不運が重なった」という表現をしているコメンテーターもいたが、これは本当に“不運”だったのだろうか。

これは別に思いつきではなく、今回の事故にかかわらず一般道路にも潜む危険性なのである。
ガードレール自体のつなぎ目のつぎ方ひとつで死傷事故になるか、比較的軽微なガードレール破損事故で終わるかが変わってくるという事例は希なことでもないという。

Fig3

ガードレールのつなぎ目のイメージで書いてみるとこのような違いになる。
(実際にはもっと薄いし道路に合わせて斜めに配置している)
ガードレールに突っ込んでしまったことを想定すると、誰がどう見ても道路2のほうが危険性を感じるだろし、科学的にも危険である。
ガードレールの始まりの部分は1だが、終わりの部分で2の場合は珍しくはないという。

今回の件は決してスピード超過でもなくむしろ100km/h以下であったとも伝えられる。
つまり道路の建築上、設計上は想定範囲内といえるのだ。

どうも日本というのは事故が起こさないようにどうするか、ということに目が行きすぎて、事故が起きたときにどうやったら事態を最小限にとどめられるのか、という観点に欠けすぎるように思う。(このことは原発問題にもいえることだ)
確かに事故を起こさないことは極めて重要な事だが、どうしても事故は0にはならない。
だから事故が起きても大事故にならないようにすることも重要なことだ。
今回の事故も単にガードレールに突っ込んで弾かれただけなら死傷者もでなかっただろうし、軽微な怪我程度や破損程度で済めばニュースにもならなかったかもしれない。

報道ではその点に触れたものを見ていないが、あまり運転会社やツアー会社を悪者にするだけではなく、その責任はどこにあるのかも頭を巡らせる必要もあるのではないか。

無論、ガードレールと壁の配置ひとつでそこまで軽微で済んだかは分からないが事故の現場の撮影された状況を見る限りはここまで悲惨にならずには済んだのではという疑念は捨てきれないのが私の感覚だ。

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金沢-浦安深夜バスの事故に関して

特に取りざたされているのが運転手の勤務に関してである。
事故の路線では22時10分にJR金沢駅を出て翌朝の7時20分頃千葉の浦安着だという。
確かに厳しいのかもしれないがそれ自体は法的に問題はないとされたように一人でも過重とはいえないともいえる。
問題なのはその点だけクローズアップされてその前後の背景があまり言われていないことだと思う。

まず前日もほぼ同じような時間帯で同じ経路で浦安から金沢まで運転していたとのこと。
その時は二人体制だから実質的な運転時間は半分程度だっただろう。

そして金沢では8時頃ホテルにチェックインし16時に出たという報道もあった。
私はこの点に違和感を感じた。

運転は22時頃からだからまだ6時間もある。
その間、運転手は何をしていたのだろうか。
運転前に現地でなんらかの仕事をしていたのだろうか。
早々にホテルを出てどこかをぶらついていたのだろうか。

ホテル滞在は8時間である。
着替えや風呂食事を引けば睡眠を7時間確保できていたかは疑問となる。
まあ個人差はあるからそれが不足とは言えないが、十分なくつろぎや休養が取れるかと言えば疑問が残る。
会社から課せられた業務としてその時間のチェックアウトを余儀なくされていたとしたら問題があるだろう。

勤務のローテーションなども含めてこのあたりは会社への立ち入り調査などで明らかになってくるだろう。


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2012/04/28

東電、廃炉費支援を要請…家庭700円値上げ : 経済ニュース : マネー・経済 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

リンク: 東電、廃炉費支援を要請…家庭700円値上げ : 経済ニュース : マネー・経済 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

原子力は安いなどとうそぶいていた結果がこれだ。
10%前後の値上げだという。
今でだいたい22円/kwhだから、2.2円/kwh程度。つまり24円/kwh以上となる。

これは原発のない沖縄電力並みの高価格である。

いわずもながだが東電も原発完全廃止などとはひとこともいっていないどころか再稼働したくてたまらない。
原発という危険(リスク)を抱えて続ける上に、価格は原発なしの地域(沖縄)と同じ高価格にしようというのだからあきれるほかはない。

もし東電管轄の原子炉をすべて廃炉にするというのであれば10%の値上げを許容したいと思う。
それは原子力発電のない沖縄電力と同じレベルの話になるだけだからだ。

しかしそんな話ではない。
事故によってたった一カ所の4つの原子炉の事後処置が困難になりとんでもないハイコストになったという会社の責任をなぜ利用者負担に転嫁するのか。
独占企業においてそんなことが許されるわけがない。

原発は安いのではない。
“発電コスト”が安いだけという、ごまかしだらけだったことがどんどんばれている。
建設する時点も安全性を他国に比較しても低レベルにして安くごまかしている。
現実に安全性を高めるべきという指摘に対してコストを理由に先送りしてきた経緯も指摘されている。
廃炉のコストを考えないから安くごまかされているだけだ。

いうまでもないが“発電コスト”だけでいえばいわゆる“再利用可能エネルギー”が一番安い。というかほとんどゼロコストなのはいうまでもない。である。
なぜか再利用可能エネルギーに限っては建設費などが計上されしかも昔の金利での償却計算がなされてそれが“発電コスト”として加算されて議論されることがなぜか多い。
もはや笑うしかない。

今回の廃炉費要請とやらは事故でメルトダウンしたこともあろうが通常でも廃炉にはとんでもないコストがかかることが明白。
そのせいでごまかしをつづけ老朽化した炉を使い続けたりしたのが今回の福島の一号炉であったという指摘がある。
単に老朽化という面もあるし、今となっては安全基準面でも十分ではない時代の設計である面も指摘されている。
そのことが今回の事故との関連がある、とも言えないが否定もできないのではなかろうか。

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2012/04/08

猫ひろしの五輪出場

リンク: 猫ひろしは五輪を辞退せよ! ネットで呼びかけ広がる : J-CASTニュース.

リンクの記事のタイトルがなんかおかしいというのがなんとも。
ネットでいろんなひとが猫ひろしに対して辞退の呼びかけをすることが広がっているという意味なのだろうか。それでも違和感があるが。

コメントを見るといろんな陰謀説があったりするがいまいち面白みに欠ける。
某宗教団体の後押しとか、そんなことをやって何の得があるのか理解不能なのにまともに取りあう気すら起きない。

とりあえずテレビで猫ひろし氏がいる状況での説明では1.以前にカンボジアでのマラソン大会があった。2.カンボジア政府からの接触があった。3.カンボジア政府からの「国籍を取ってオリンピックの代表になってみないか」という打診があった。という経緯があったそうだ。
その時は代表になれるタイムでは全くなかったが練習を重ねる毎にかなり上達し、結果として選考会でも好成績を残したというのが現状のようだ。
練習毎のタイムの伸び、つまり伸びしろに期待されていた、現在もされている部分もあるかと思う。
あちこちでいわれているように、最初は単なる売名で番組内企画の「赤坂マラソン」に出たのが走るきっかけだったと見られる。
しかしそこから数年で市民マラソンランナーとしても上級とされるタイムを出せているのだから単なる売名だけでもないし、それなりの素質は感じられる。

おそらくはテレビからの金の流れもあるだろう。
どこかのテレビ局が「密着・猫ひろしのオリンピックマラソンへの道」みたいな特番を企画していれば間違いなく相当の金が流れているだろう。
それも含んでカンボジア政府の自国の売名行為や策略と考えるのが一番妥当に思う。
猫ひろしや日本のテレビ局がそれに乗っかったという流れと考えるのが自然に思う。

その政府の策略と多くの市民の気持ちの乖離は当然あるわけで、外人である猫ひろしの帰化とオリンピック出場権を取られるのは正直気持ちよくはなかろう。

しかしその反面で、日本でさえもそこそこ有名なスポーツですら、オリンピック出場は全部が自費負担同然で苦しいというのが実態である。
なでしこジャパンのそれまでの”実態”が報道されたのでご存じの方も多いと思う。
それでさえも女子サッカーなどはまだ恵まれている方である。
アマチュアが建前のオリンピックでは巧みに金銭調達をしないとロンドンまでの往復の旅費の調達すら厳しいのではなかろうか。

ましてやカンボジアではなにをいわんやである。
選手枠をオリンピック協会から付与されたからといって喜んでいけるとは限らない。
参加することに意義がある、と美辞麗句を言ってみても、実際にはカンボジアのトップレベルでも猫ひろしの現在とほぼ同タイム、日本で言えば市民ランナーレベルであり、世界で見ればメダルなぞはるか夢の世界である。

それならばカンボジアという国の売名行為、観光やテレビ取材などを含めて日本から金が流れ込んでくるという期待を込めて“参加枠を譲った”ほうが“得”であるという考えになっても不思議ではない。

単純に見れば確かにあまり気持ちの良い話ではないが、多少でも深く考えてみればさほど大騒ぎをするような話ではないし、大騒ぎをすべき話ではないようにも思える。
ましてや猫ひろしだけを非難するのはちょっと筋が違っているようにしか思える。
そもそも彼や事務所規模だけで何かをしでかすような力があるわけがない。

ところで記事中である、 作家の曽野綾子さん(80)が語ったという

「五輪の後に日本国籍を取戻そうという安易な心づもりであるならば、その軽薄さには、日本人もここまで堕ちたかという感じですね」

まあ、いいたいことは分かるけど「日本人もここまで墜ちたか」は違うと思う。
「日本人として恥ずべき行為だという感じですかね」というのが妥当だと思う。

最後に、私は猫ひろしという芸人というか芸風は全く理解できない。
何が面白いのか全く分からないし、あれは芸というものへの侮辱にすら感じる。
マラソンの後先になんかあれをやるそうだが、マラソンへの侮辱とかそういうもの以前に、あれは滑っている以外のなにものでもなく日本の恥だからやめて欲しいというのが率直な感想である。

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