Windows8の内部設計は古くさいままなのかな?
リンク: 【山田祥平のRe:config.sys】 あのネットブックの騒ぎはいったい何だったのか.
ネットブック切り捨て批判的な論調が強い感じの記事であるが、私にはむしろ8のソフト設計手法の古くささが要因となっており、そのこと自体が大問題に感じ得る。
まず8の画面設計の前提がXGA以上ということだがこれ自体が古くさい。
ワイドやらを含めてフレキシブルな画面サイズを持つのが近代の流儀である。
スマートフォンがその典型であり、iPhone~iPadも同様である。
その多様さにどれだけ無理なく美しく対応できるかがアプリケーションに求められることであり、つまりはその対応をどこまでOSで対応できるかが肝要となるはずだ。
そのことはMSもWindowsPhoneで分かっていないとおかしいのに、まあ、WPをみるにつけ分かっていないのだろうと推察される。
問題なのはXGA以下を切り捨てたことではなく、そのような固定感覚であることが、逆方向の高解像度への対応においてもいい加減なんだろうという思わざるを得ない。
実際にその昔にWUXGAモニタが出始めた頃はまだOSがWindowsXPだったりして普通に使うと文字が小さすぎて読めなくなってしまった。
そこで調整をするわけだがOS画面においてはまだなんとかなるのだが、アプリの方が良い加減なものが多くて文字がはみ出したり崩れて読めなかったりは良くあった。
昔はCPUやらグラフィック回りのパフォーマンスが低かったから仕方ないが、今はフルHDで30fpsの動画をリアルタイムレンダリングで出せる時代である。
OS自体すらAeroなんてことをやっている時代である。
いまさらビットマップとか固定フォントとかあり得ないだろう。
ブラウザのグラフィックすらもベクトル描画を行う時代である。
原則ビットマップ画像禁止、フォントももちろん、ポイントではなく画面に対する%で指定せよという風にするべきではないのか。
別に無茶な要求ではなく、HTML5+CSSのデザインでもできることである。
当たり前だがそうすれば縦が768ライン以上必要なんてくだらない制約など発生しない。
別の観点もある。
iPhoneなどのiOSでは基本は200x320としてポイントで指定して画面を構成するような感覚で画面を構築しているようだ。
そしてそれより大きい(高精細)画面構成ではそれを拡大して表示する。
もちろん単純に拡大すれば画面が汚くなるわけだが、実際は異なる。
仮想的にそうやっているだけで、フォントなら相当分のサイズに換算を行うだけのことだ。
ベクトル描画でも同じことだから滑らかさは変わらない。
まあビットマップ画像は仕方ないのでスムージングを施しながらの拡大となろう。
だからこそ下は200x320の初代iPhone/iPod touchから最新の2kディスプレイを持つiPadまでをカバーし得る。
もちろん最適化という意味ではそれぞれ用にすべきだろうし、問題が全くないわけではないだろうが基本的構想としてはおかしくもない。
今回のWindows8が未だにWindows95時代のアプリも動かせ等というのならしがらみを引きずるのはわかるが、そうではなくくて今後のMetro専用アプリしか動かないというのだから問題視をせざるを得ない。
(動かないというのはネイティブでどうこうであって仮想上で動くのは別問題だ)
PC状でのOSのシェアは相変わらずWindowsがトップシェアを維持するのは間違いないだろう。
しかしPCの、こういうハイテク機器市場に対するシェアは凋落の一路をたどるのではないか、ということにならないだろうか。
まあ、8がどうなろうがそれは既に始まっているし、この8がそれに対する単なるあがきに終わりかねないというのは想像に難くない。
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