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2011/12/31

「6×8は正解でも8×6はバッテン?」からおもうこと

リンク: 6×8は正解でも8×6はバッテン?あるいは算数のガラパゴス性:プロジェクトマジック:ITmedia オルタナティブ・ブログ.
あちこちで議論が巻き起こっているようでなかなか奥が深い。

その1
答案用紙の写真を見て思った違和感は答えの48本のところに×がついていること。
「式が間違っていれば答えもバツにする」という宣言があったそうだが、その理論自体はあながち間違ってはいない。
あてずっぽで正解ではダメなわけで課程も合っていてはじめて正解とするということだ。
しかし便宜上×という表現にしたのだろうが、本当は○にしない(点数にしない)というというべきである。
だから後に残る答案用紙としては×をつけてはダメで何も書かないのが筋だろう。
ただ採点漏れを疑われる場合があるため、ごく小さいレ点(まあ、日本では×の意味になってしまうのだが)やドットを打って加点をしないということになるだろう。
「○×で言えば○だがたまたま合っていた可能性があるので加点をしない」という理屈を答案用紙にきちんと残す、そういうほうがしっくりとくるだろう。

赤鉛筆の訂正は子供が書いたものだと思われる。
答案用紙を返した後で答え合わせと称して先生が回答を読み上げる。
それを子供自身の手で間違えた場所を訂正していくというルーチンワークがある。
これは先生の作業の省力化と子供自身で訂正をして強く印象づけるという効果を狙ってのことだと思うし、その効果は自分の体験からしても良いことだと思う。
しかし間違ったとされる文字列に対して赤ペンで同じ文字列を書くときの子供の心情を考えると×をつけたという安易さに対して問題を感じざるをえない。

その2
「単位が違うと、式の順番が違う」

私には全く意味が分からない。
子供も理解していない。
そしてたぶん先生も理解していない(笑)

「6×8はバツだよ派」の主張をいくつか読んでいくと、小学生に算数をキチンと理解させるためにはバツにすべき、と真摯に考えていることが分かってきた。

・「掛けられる数」と「掛ける数」があるし、その区別は重要
・それが分かっていないと、算数を理解していく上でつまずいてしまう
・だから文章題の式を書かせる時に順番をチェックすることで、理解を確認しよう
という考え方。

これは本当だろうか。私には全く理解できない。 私はかけ算九九を覚えさせられている段階でかけ算においてはひっくり返しても同じであることを認識していた。 なぜなら私はともかく丸暗記が苦手だ。いまもそうだが幼い頃から人よりも劣っていることを認識していた。 しかしそれをなんとかごまかそう(カバーしよう)とは努力していた。 当然ながら九九もなかなか覚えられない。定期的にテストがあるのだがどうにも不合格だ。 ある日、九九の表をじっと見ていると“対称的”であることに気がついた。 そう、九九は81個あるが実は覚えるのはその半分程度で良いのだ。 さらに1や2が入っているところは覚えるまでも無い。 そう考えると覚えるべきところは存外少ないことに気がついた。 不合格といってもそこそこは覚えているわけで改めて集中して覚えるべきところは実はほんの僅かだったのだ。 この課程はおそらく数分にすらならなかっただろうが、何度も不合格で自分でも嫌になりかけていたときにこのことに気づいたことでなにか一気に明るい気分になった。 このことを今でも強く覚えている。 そう、算数なんて覚えることはほんの僅かで良いんだと。 算数が数学になり、いつしか理系人間になってもそこの根本はまったく変わっていない。 理解さえすれば“覚える”ということさえ必要無いんだと。 だからくだらない規則やらなんでも公式といってみたり、解き方をパターン化して覚えろと言ったり、そういう教え方にはまったく反対するし、そういう考え方自体がつまらないとさえ思う。 さて話を戻す。 「掛ける数」と「掛けられる数」という言葉は知っていたがそのこと自体が重要だとは全く思わない。 存在するが重要では無い。 「割る数」と「割られる数」の関係を説明するのに重要だという論があるがそれはおかしい。 割り算に関しては極めて重要だが、掛け算に関しては重要では無い。 それだけのことだ。 掛け算の交換はベクトル(行列式)では成立しないということを言う人もいるがそれは高校生になってからだ。 文系では大学進学において必要ないことも珍しくないし日常生活でもまず必要が無い。 そこまでのレベルが前提なら「ベクトル世界では交換できない」と認識すれば良い。 交換は基本は不可と考えて「スカラー量では交換できる」と再定義しても良いだろう。 さて交換すると意味が違ってきてしまうからダメ、という論に対してはその通りだ、と思う。 意図を持って数式を記述するというのは極めて正しい態度だと思う。 しかしそれがこの題でいう「6×8は正解で、8×6はダメ」の理由にならないのだ。 既にこのことを指摘している人も多いので繰り返さないが、どちらの式もそれぞれに意味がある。 別の言い方をすれば観点や見方、結果として結論までの課程が違う。 それのどちらも正解だ。 どちらかが×でどちらかだけが○ということではないのだ。 それにも関わらず、よくわからない理由付けをして8×6を否定するから訳が変わらなくなるのだ。 単位系を持ち出しているのはダメだろう。 技術的に考えてもここで単位系を持ち出すのは危険だし、やりかたも間違っていると私は思う。 単位系というのは非常に難しいし、理論的な構成単位と便宜的(慣習的)な単位系もあり扱いが難しい。 記事ではくだんの娘さんが「ずつ」という言葉に縛られてしまったのは最悪の結果だと私は思う。 娘さんも娘さんなりに先生の言う言葉を理解しようとしているのだと思う。 何が正解なのか、を懸命に自分の中で消化(昇華)しようとしているのだと思う。 その結果としてこうなってしまったのはとてもまずいことだと思う。 他の人のコメントにもあった長方形の面積を求める「たて×よこ」もそうだし、電力を求める「電圧×電流」もどちらが先という意味合いは全くない。 実話かどうかは定かでは無いが、長方形を45度斜めに置いたらどちらが「たて」で「よこ」か分からなくなって面積が求められなくなった(図には寸法として数字が入っている)、なんて話を聞いた事がある。 たてやよこという概念自体が便宜的なものでとりあえずどっちかを決めてしまえば良いだけの話なのだが、ことばだけに雁字搦めにとらわれるとこういう事態になりかねない。 おそらくは「教科書通り」に教えるとこうなってしまったのだと思う。 教科書的な教え方といういいかたもあるように、網羅的に教えると大変だし混乱するから画一的に一面だけをとりあえず教えるという姿勢がある。 しかしそれは洗練された理屈に対してのみに限定されるべきだと思う。 現実問題として少なくとも掛ける数と掛けられる数を問題にすることはない。 それよりもどうして逆では×なのかの理由をきちんと教師が説明できていない。 逆にすれば違う見方になる。それは事実だ。 そしてその見方も間違ってはいないではないのか。そこをきちんと検証しているのだろうか。 便宜的な理由でそこを省いてはダメだろう。 結果としてすくなくともこの記事の娘さんはきちんと理解できず、誤った解釈をしてしまっている。 そしてそのことで混乱していることは大問題では無いのか。 これらの課程はこのことに限らない。 原発問題の根本、電力政策議論、TPP参画の問題、消費税の議論、どれをとっても構図が同じように私には見える。 ある論を正論と規定し、それ以外を“論破”して否定する。 自らの“正論”は決して攻撃せずにそれ以外をあらゆる方法をもって否定する。 そこまで言ったらの“正論”も否定されるではないかということはは全く無視する。 通常の論議はあらゆる論点をまず並べ、それから色々な観点で評価・精査していく。 当たり前だがどの論点も長所短所を持っている。 その上でどれが現実的に良いかを評価する。 可能ならば折衷案を出して長所を伸ばし短所を削れないか考える。 本来はそういった作業をすべきで“結論ありき”論議が政治の世界では多すぎる。 いうまでもなくこの論議とやら自体が“官僚による仕組まれた出来レース”だからこうなっている訳だが、それを当たり前とおもっているのが官僚だったりするようだ。 官僚は上記のようなテストを上手にパスしてきた人間が多いのでそれを無意識のうちに踏襲するのはなんら不思議では無い。 もちろん新入りの時はそれに懐疑的に思っているとしても、上司やらがそういうことをやって指示するのでそれに刃向かわず(刃向かえばそこで脱落組)に仕事に慣れればそれ以外はできなくなっていくのも自然なことだ。 そして政治・行政では正解が無いのでそのことを否定されないし、なっても否定されるのは官僚ではなく矢面に立っている議員の方だ。 まあ、政治の世界をどう変えるかは話がでかすぎるので別にしておこう。 我々としては小学2年生の算数からちょっと離れてこう考えてみたい。 とりあえずは教科書通りでは6×8という式がある。 かけ算は逆にしても良いので8×6という式も考えられる。 では8×6というのはどういう意味があるのだろうか。 発想の転換とはこういうことなのだ。 自然科学の発展、とりわけ物理学の発展というのはこのことが重要なのだ。 「現代物理学」というのはおよそ現実的な実感から乖離している理論が多い。 だからこそ難解と言われる訳だが、その理由の一つに数式での話の展開がある。 ある現象から一連の式が成立する。 それを数学的な法則に従って色々こねくりまわしていく。 その結果、ある式が導き出される。 その式を解釈するとある物理的な意味を持っていることが分かる。 好例としてはかのアインシュタインが導き出した「E=mc^2」であろう。 この式を解釈すると、それまで普遍とされていた質量(重さ)は実はそのものがエネルギーと等価である、つまり質量をエネルギーに直接転換できれば莫大なエネルギー(cとは光速である。しかも二乗!)を得られるという結論なのだ。 これの実応用例の一つが原子力となっているわけだが、現実にほんの僅かな質量変化から莫大なエネルギーを得ることができている。 原子力というのは放射能という副次作用があって現実世界で大問題になっているわけだが、放射能自体がこの質量変化(質量崩壊)によって生じるもの故に不可分となっており、裏表の存在と言える。 またこれもアインシュタインの導いた「光量子論」もそうで、光というのは実は粒子であってそれをエネルギーに転換できるという理論である。 これの実応用例としては太陽電池である。 最も“ダーティ”なエネルギーとされている原子力と最も“クリーン”なエネルギーとされている太陽電池とが同じ人物からの発想から生まれたというのも皮肉な偶然なのか必然だったのか。 彼の発想力やもののみかたは“奇人”と評されるくらい自由奔放だったという。 なんにせよ、ある式に対して色々な見方をして色々な意味を見いだす、というのが重要なことなのだ。 これは無論“式”に限らない。 ある事実に対して様々な観点でみるように努めねばならない。 その幅を自ら狭めないようにしなければならない。 マスコミが劣化しつつあるという現在。 事実が仮に偏向されているとしても誤った数字や事実はそうはでてこまい。 一方でネットの発展にあわせ、恣意的であるとしても諸データや議事録や審議映像などを公表を余儀なくされている様々な政治・行政の情報。 そこからどれだけのことを見いだせるか。 今年はそれが特に感じられた一年となったが、来年はますますこの傾向は強まるだろう。

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2011/12/20

八ッ場ダムの役割がわからない

八ッ場ダムの工事の復活がこの財政危機のまっただ中に起きている。
まったく増税必至と言われるこの状況下でなにを考えているのやら。
一説には完成にまで一兆を超えるといわれるこのダムの効果はどの程度か。
反対派の意見はとても納得のいくものばかりなのであまり参考にはならない。
こういう場合は賛成派の意見を聞くのが筋である。
そこで国土交通省の八ッ場ダム工事事務所なるサイトを見てみる。
href="http://www.ktr.mlit.go.jp/yanba/about/yakuwari02.htm">八ッ場ダムの役割(その2)・・・増え続ける水需要を支える
とりあえず読んだが全く説得力が無い。
ここで必要な数字は八ッ場ダムの供給量ではなく、供給量と消費量の割合である。
いうまでもないが、八ッ場ダムは数あるダムのうちの一つに過ぎず、さらにたくさんの流水系の一つを制御するに過ぎない。
全水域の集水区域に対する八ッ場ダムに関わる集水区域の割合は如何ほどなのか。
そしてそこにかかる降水量の平均(夏場と冬場が必要である)は如何ほどなのか。
地図を見れば分かるようにもちろん集水区域というのは群馬県だけに限らない。
栃木が源流となる水系もあれば茨城、埼玉東京千葉に入ってからも水は川に流れ込むのである。
それらを事細かにきちんと累算してなおかつ八ッ場ダムの役割を明確することが最低限必要なことであろう。
しかし全くそれが無い。

例えば利根川末端に流入する全水量に対して八ッ場ダムが止められるのが、何%なのか。
東京のとあるポイントではどうなるのか。
そういう説明が無い。
たかが八ッ場ダム一つで洪水が止められるとは、この地図を見ると到底思えない。

地図をざっくり見た感じでは多く見積もっても10%あるようには見えない。
せめて集水区域の面積比でもあればまだましだが意味のない言葉ばかり羅列していてまったく説得力が無い。
並べてある数字や言葉にウソがあるとは言わないがそれをもって八ッ場ダムの役割を説明できていない。
これがきっと霞ヶ関文学というものなのだろう。

もちろんこのページに限らず他のページも似たようなものである。
これらを読んで「なるほど、八ッ場ダムは必要だ」と納得できる人がいるのだろうか。

一番いいのはある場合と無い場合において、観念的な言葉では無くて、どのような違いがあるのかを数値で説明することだろう。

もちろんあるとないとなら、あったほうが良いという議論になろうが、(財務省が言うような)この緊迫財政の中で、少なくとも何千億円も出すようなことはありえないだろう。

余談だが、この八ッ場ダム建設をすると下流の発電所に影響が出るために東電に数百億の補償金が出るという。
なるほど、こういう金の流れも強硬論の背景にあるのかと勘ぐってしまう。

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電力:「節電の冬」本番 - 毎日jp(毎日新聞)

リンク: 電力:「節電の冬」本番 - 毎日jp(毎日新聞).

また新聞を使って頑張って不安を煽っているようだ。

供給不足は東日本でも深刻化しつつある。東北電では豪雨で新潟、福島両県の阿賀野川、只見川水系などの水力発電所29カ所が停止、約100万キロワットの供給力が失われた。15日までに12カ所が再開したが、残る17カ所は今も復旧できず、約87万キロワットの供給力が失われたままだ。このうち7カ所は年内に復旧予定だったが9月の台風15号が被害に追い打ちをかけ、「作業は振り出しに戻った」(東北電)という。復旧の遅れで12月の供給力不足は約90万キロワットに達した。

87万kWが失われたと言いつつなぜか90万kWに達するとか言っている。どっちなのだ。
まあ、細かいことは抜きにすると、東北電力にとってはこれはかなり厳しいのは事実。
昨今で東北電力の供給力は1000万kWレベルなので1割近い喪失になる。
かなり強い豪雨であったのは事実だがしかしそれで全発電力量の1割の喪失をするようなほど水力発電が脆弱だとはちょっと思えない。
過去にはこの程度の豪雨がなかったわけではあるまい。
9月の台風とは言うがそれで12月の現在まで復旧が遅れているのはどうにも違和感がある。
さらにおかしいのは

 東北電の電力不足は東電の電力供給力にも影響を与えており、9日には東電の電力使用率が94%に達し、4月以降では最高を記録した。

前にも言ったが未だに東電は現在最大供給力を500万kW以上も下の供給しかしておらず、それに対して94%なだけであり、余裕はまだある。
また東電は5500万kWレベルの供給力があるため、多めに見積もっても500万kWは僅かそれの2%にもならない。

余力がある東電、というよりは、元々の供給力が東北の5倍近くもある東電が融通するというのは支えるとか言うレベルでも無い。
消費量が5倍近くも異なり、供給能力も5倍違う。
東電の2%は東北電にとっては10%であり、仮に東電が5%不足するといっても東北電にとっては25%相当となるため融通ということは不可能なレベルである。
それほど違うのだ。

今後、寒さが厳しくなり、既存発電所に不測のトラブルが発生すれば、東電の需給にも懸念が生じかねない。

それが起きないように不断の努力をするのが東電であり、仕事ではないのか。
原発のみならず、さらに他の発電設備にトラブルを起こすようでは電力会社としての資質を問われることになろう。
それこそ発送電分離の議論につながるからきちんと業務遂行していただきたい。
そこを指摘せずに国民を不安を煽るのは新聞・マスコミとしての資質を問わざるを得ない。

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2011/12/17

冬の電力消費量推移からみえてくること

結構冷え込んできた昨今、電気代も上がってくるはず。
今週はどうだったのだろうか。

Tepcoweek

上の線が供給量、下の山谷になっているのが消費量。
最大で4500万kwh以下であり、東電の供給能力約5500万kwhと比較すれば余裕である。
流石に夏に比べればやはり節電の必要もないようだ。
なにやら95%とか喧伝していたときもあったが、実態は東北への融通やら供給力を落としていただけの話で需要予測が外れただけの話のようだ。

そういえば資産処分とかで火力発電所を売却しているそうだ。
原子力が稼働できなくて供給力確保をむしろする、当座としてもむしろ火力を増やす必要があるはずなのに随分と余裕のある話である。
原発が無いと供給力不足でまずいという論拠を自分でなくしている行動には理解に苦しむ。
これでは夏に不足するとわめいても理解を得られなくなるのだが大丈夫なのか。

まあ、それはそれとしてふと不思議に思ったことがある。
週間で見ると土日に低くなっている。
それは平日は会社や学校での消費ということで片付けられているのだが夏は分かるにしろ冬の動きはちょっと違う。

Tepcoday

昨日金曜日の一日の推移を見てみよう。
ピークは概ね10時と17時~19時にある。
これは休日でも同じだ。
このことは帰宅時点や日が落ちて寒くなるって初めてエアコンをつけるため、また夕食の準備で電気を使うから、と説明されている。
この波は確かにそうだが、やはり違和感を感じる。

早朝~夜遅くまでのところに底上げがあり、深夜はない。
普通の会社であれば18時には終業となり電力量は激減するはずだが、底上げはだらだらと深夜に及ぶ。
一方で深夜を過ぎ、4時頃は平日土日さほど変わらないほどに落ち込んでいる。
つまり24時間通電のようなものではないということだ。

24時間(三交替)では無く16時間(二交替)操業の工場や、事務職でも深夜・早朝残業が多いのでは?ということになるのだがどうなのだろうか。

決して健全では無い状態が要因となり、エネルギーの消費において無視できない量になっているとすれば、それは2重の意味で大問題では無かろうか。
労働環境的なこともあるし、エネルギー政策(省エネ)的にも問題だろう。
特にCO2排出量削減をするのなら、消費総量を減らすことが最重要課題だ。

夏は昼間のピークに目が行きがちでこの観点には気づきにくい。
しかしこの現象は夏も冬も同じである。

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2011/12/16

福島第1原発:きょう午後、「冷温停止状態」達成宣言 - 毎日jp(毎日新聞)

リンク: 福島第1原発:きょう午後、「冷温停止状態」達成宣言 - 毎日jp(毎日新聞).

通常の原発の場合は、原子炉を停止した後、炉内の水温が100度未満まで冷えて安定している状態を「冷温停止」という。福島第1原発事故では原子炉が壊れており、通常の冷却装置も使えないため、政府は「圧力容器底部の温度が100度以下」「敷地境界での被ばく線量が年間1ミリシーベルト未満」の2条件をクリアすることを原子炉の安定の目安として「冷温停止状態」と定義している。

まずこの記事に突っ込みを入れておくと

「敷地境界での被ばく線量が年間1ミリシーベルト未満」

これは明らかな間違いなのはある程度の人なら分かるだろう。
福島のほとんどの部分がここでいう年間1ミリシーベルト以上であり、県外でもそういう場所はあちこちにある。
というか原発の影響がなくてもそういう地域もあるわけだが。。
他の記事を見てもこの点に触れられていないところばかり。
まあ、そのことも酷い話である。

NHKのニュースによると、被曝線量の増加が年間1ミリシーベルト以上ということらしい。

さて、この定義に従えば、政府の言うように「ステップ2達成」を疑うつもりはない。
しかしそれを持って「事故の収束宣言」をするのはどう考えても間違っているのではないか。
さらにはこれに併せて周辺住民の帰宅にも触れたらしい。
これがおかしい。

最低でも被曝線量の増加、つまり、原子炉および周辺(例えば高濃度汚染水等)からの放射性物質の漏洩があってはならないはずだ。
ところがステップ2というのは「増加が一定以下」になるのが要件であり、減少ではない。

通常状態では濃度の高いところから低いところへ拡散していくものだから、かなり高濃度の施設境界では放っておけば減少していく筈だ。
しかしながらステップ2の定義はまだ増加状態なのである。
つまりステップ2はそもそもまだ放射性物質の拡散が続いているという段階なのである。

それをもって事故の収束とか意味を分かって言っているのか、という感じである。
各紙でこのステップ2の要件をぼやかしたのはこういうつっこみを減らすためなのかもしれない。

そして元からまだ拡散が続いていると言うことはいくら除染しても追いつかない。
そんな段階で帰宅について触れると言うことはおかしな話だ。

まあ、最悪の状態は脱したということで、これを一つの区切りとして避難者に対してどうするかを改めて整理したということでは理解はできる。
冷温停止というのはどういうことかはよくわからないが素人考えではいくつかの意味は分かる。
100℃以下というのは要するに水の沸点以下ということである。
つまり水蒸気の発生は非常に少なくなったといえる。
水蒸気とともに放射性物質の拡散が起きることからそれ以下になった意味はあるだろう。
また原発の爆発の要因は水蒸気からの水素発生だったから、以後の再爆発の危険性は低くなったといえる。
もっとも炉が吹っ飛んで野ざらし状態でもう爆発もへったくれもないような気もするが。
まあ、冷却システムが吹っ飛ぶことがなくなったという意味はあるか。

ニュースでの感じでは流石に福島県下の関係者は当事者達はいたって冷めた見方でこのことが一体何になるんだ、という反応のようだ。
まったくその通りだと思う。

最低でも「施設境界での被爆線量が低下し始めた」というのでもなければダメだろう。
異常なほどの高い線量なのだからそれでも放射能“漏れ”が続いているかもしれない。

それでも自分のところが自然に下がり始めるのにはかなりのタイムラグがあるわけで除染してそれが有効になるレベルになるのはいつのことやらである。
これ以上の線量増加が大分軽減された、というのでは、まあ、前進はしているのだろうがという感じだろう。

ところで汚染水問題はどうなったのだろうか。
海への流出や地下水汚染についてはどうなったのだろうか。
そもそも冷却システム自体が野外に置かれているわけだがここからの放射能“漏れ”をどう考えているのか。
素人目に大雑把に考えても収束からは程遠いようにしか思えない。

それにしても絶望するほどに原子力発電の事故の収束というのは時間がかかるもののようだ。

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2011/12/14

発電コスト:原発は8.9円 04年試算の1.5倍に - 毎日jp(毎日新聞)

リンク: 発電コスト:原発は8.9円 04年試算の1.5倍に - 毎日jp(毎日新聞).

原発は、福島第1原発と同規模の事故が40年に1度起きると想定。損害賠償や廃炉費用が約5.8兆円かかると仮定し、立地補助金なども上乗せした結果、1キロワット時の発電コストは04年の試算(5.9円)の約5割増しの8.9円となった。

廃炉費用は2兆円程度ということだと損害賠償は3.8兆円という仮定ということか。
この辺を曖昧にする辺りが報道としても酷い。
まあどうであれ5.8兆円は上回らないわけで随分と低い見積もりであろう。
さて

損害賠償が1兆円増加するごとに発電コストが0.1円上昇するとも推計。

5.8兆円ということは0.58円相当であり、事故による上昇額は意外と少ない。
立地補助金などの上乗せが増加分3円から0.58円を引いた2.42円。
実は事故が無くても2.42円分は今までコストをごまかしていたわけだ。
さらっと流しているがこのことはかなり重要なことである。
原発が安い、ではなく、国が負担しているから安かっただけということである。
別の言い方をすれば1kwhあたり2.42円も補助金を出していたに等しい。
さてこの「など」というのはどこまではいっているのか、その明細を言わない・書かないのも酷い。
7日の記事に書いた「電源開発促進税」は入っているのだろうか。
原子力に関する税金の拠出(特別会計も含む)の全ての精査はしたのだろうか。

2.42円ということは40年で24.2兆円、年間で6000億程度だ。

核燃料サイクル政策をやめ、使用済み燃料を直接処分すれば、0.4円分コストが下がるとした。

と書いているから高速増殖炉関連も入っている。
私にはこれでもまだ過小評価にしか思えない。

さて損害賠償は過小評価に過ぎるだろう。
若干精度が見えてきた最近では30兆円以上という説もある。
30兆増加すれば3円上がるわけで11.9円ということになる。
むしろこのあたりが最低ラインだろう。
そうとはしなかったのはそれでもまだ原子力が安いとしたかったからだろう。

一時期の除染費用の総額は800兆円説だと80円上昇となって話にならなくなる。

大分やったようにもみせているが、原子力は事故処理・賠償を入れてもトントンというように辻褄合わせをしているようにしか見えない。
どこかで原子力の復権を狙っているようにしか見えない。

やはりいわゆる“原子力マネー”の国庫や特別会計からの流出を断ち切る、最低でも明示するのが最重要課題では無いのか。

本来なら原子力はもう自立できる方式の筈だ。
しかし実はそうではないと認める方向に変わったのかもしれない。
ごまかし続けるのは不可能だし、賠償費用も重いし、ということで中途半端に認める代わりに、なお税金を引き出そうという計略にも見える。

どちらにしろ対等になったのだから、他の先進諸国同様に、原発関連全てと再生可能エネルギーと省エネ促進に等分に税金を割り振るべきだろう。
原発偏重の現在の割り振りは大きく見直すのが当然だ。

そこまで結論が最低でもいかないとウソだろう。

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2011/12/12

どうなる「はやぶさ2」:予算削減の憶測飛び交う中、元はやぶさプロジェクトマネージャの川口氏、ブログで継続を訴える - ねとらぼ

リンク: どうなる「はやぶさ2」:予算削減の憶測飛び交う中、元はやぶさプロジェクトマネージャの川口氏、ブログで継続を訴える - ねとらぼ.

全くその通りである。
たかが73億円。国家規模からすれば誤差の範囲内である。
「科学的な意義を見いだせない」という論にも私も驚く。

またぞろこんなことが頭をよぎる。
「意義の無いことをやっているのはむしろもんじゅとか原子力政策ではないのか」
せっかくの宇宙話なのに原子力のことをいうのは気が引けるのだが、なんでも関係者からも「高速増殖炉は2050年でも実現できない」という発言が出ているそうである。
2050年に実現する、ではない。
どんなに早く実現できても2050年までは無理、ということらしい。
そんなものが何の科学的貢献をしているのか。
もんじゅは現状維持しているだけで前進していないという話もある。
前進しているか否かは別論としても、維持するだけで年間何百億と必要なのだそうだ。

別の観点から言っても、国家の予算投入というのは未知のもの、これから伸びしろがあるもの、未来があるもの、創造的なもの、こういうものに対してするべきだ。
いわゆる基礎研究の分野である。
一方でもうこれ以上やってもダメなもの、惰性でやっているもの、もう実用化や事業化して軌道に乗ったもの、未来が無いものなどに対しては大幅に予算削減すべきだ。
特に実用化や事業化したものに対しては官から民へと言うことでどんどん手を引くべきなのである。

宇宙探査はどんどんやらなければならない。
経済はもはや日本国内だけではだめで海外市場が前提だという。
TPPが是だとすれば、早晩に世界の市場は奪い合いになる。
しかし所詮は地球上でのゼロサムゲームなのだ。
その“市場”となる発展途上国が発展し成熟してしまえば、そこは外国にとっての市場としての発展が停まる。それはそう遠くない未来だろう。
そうなると経済や産業が発展しつづけるのが是とすれば、次の活路は宇宙になるのはなによりも明白では無いのか。
人類を地球外に運ぶのも重要だが、事前に探査することも重要なのは明白だ。
国家百年の計というレベルでもはや夢物語では無く、現実のものとして宇宙への進出、その前提としての宇宙探査・探索は、科学的意義ももちろんだが、経済的理由としても重要な課題となっているのではないか。

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ポメラDM100を買ってみた

ポメラというのは基本的にそれだけで自立できるものでは無く、PCが必須である、と私は捉えている。
メモで完結するといってみてもそれはないだろう。
そんなためにキーボードをきっちりつけるわけも無く、長文を書くためのものだろう。
それを“外”に出すにはPCなりが必要。

実はずっと見送っていたのだが、それは折りたたみキーボードにあった。
ギミック的には大好きな部類なのだが、実用性となるとやはり?がついてしまった。
店頭で触ってみてそう思ってしまったのだから仕方ない。

今回はとうとう折りたたみをやめた。

店頭確認はやめてえいやっと通販で買ってしまった。

まず着いて思ったのは箱が思ったより小さく、軽い、と感じた。
空けてみると思ったよりも薄く軽い。
サイズとしては大きめなのもある。
私がキーボードはずっしりしたものを選ぶ傾向があるために余計そう思ったのかもしれない。
Bluetoothキーボードとして使える、という事前情報を見て「そんな使い方するのかよ」とか思ったが、なるほどこの軽さならありだ。
液晶の重さや本体の重さというのをあまり感じない印象がある。
むしろ単三電池2本つう方が、という感じだ。
しかしキーボードの安定性から考えるとある程度は重くないといけないから単三電池2本という選択は間違っていない。

さて、キーボードとしては軽量でライトタッチなキーボードの部類としては良い方に入るだろう。
これ以上を望むのならもっと重くなくてはいけないしサイズ自体も大きくなくてはいけない。
しかもBluetoothキーボードである。値段も考えれば十分妥当だろう。

日本語入力は当然ATOK。今回はPC辞書のインポートもできるという。
まだやっていないので詳細はわからないが。

PCとのやりとりはSDカードかBluetoothとなる。
BluetoothはFTP対応ということで、Bluetoothアプリにも依るが、ネットワークフォルダ、とまではいかないが、仮想フォルダでファイルのやりとりができるようになる。
私はワゴンセールで昔買ったBluetoothドングル(USBメモリみたいな感じ)をデスクトップPCにつけているが、それに最新のドライバ&ユーティリティを入れている。
特に使うことが無かったのだが、今回初めて使うこととなった。
“コンピュータ”に“Bluetooth情報交換”というアイコンがあって、それをダブルクリックすると“ファイル転送”アイコン(を含め3つ)がある。
この“ファイル転送”アイコンが仮想フォルダになっていてクリックすると相手のフォルダが見える。

ポメラからはBluetoothボタン(液晶画面の横にある)を押すとペアリングが始まるので暗号を入れる。
もちろん、2回目からはペアリングは不要。“ファイル転送”の中にDM100アイコンがあるのでそれをダブルクリックをすると接続検索が始まる。
接続されると“Main Memory”フォルダになってその下の“Pomera”フォルダが、ポメラで編集したファイルがある。
まあ、そんな感じだ。

QRコードに関しては手持ちの携帯電話でとってみたがうまくいかなかった。
うちのは古いので仕方ないか。
最低でも100文字からなのでそこまでの文字数には対応していなくても不思議でも無い。
iPhoneの専用QRアプリからだと快適快速だそうですが。

液晶に関しては文字を読むには問題ないというのが主眼なので問題なし。
コントラストとかそういう話は違うから。
それより軽いこと、電池が持つかという方が重要な事だろう。
見やすさでいえば、文字の大きさや行間を設定できる方が重要なことだろう。
商品コンセプト的にも共感できるし、全く問題ない。

電子ガジェットとして言われることが多いが、私はこの商品を見たときに、両親のことを思い浮かべた。
ワープロで年賀状を作るくらいにはスキルがある(キーボードもローマ字で普通に打てる)のだが、PCにはどうも慣れない。
5年程前にワープロが壊れてしまいどうしようもなくなったのでPCをあげてセットアップまでしたのだがどうも電源をいれていないようだ。
PCに対して恐怖心というか脆弱であることをなまじ知っているので手を出さないらしい。
会社で自分はPCを使わない仕事だが、傍らでは使っている人もいて何度もトラブルに遭遇しているのを見ているらしい。

まだ仕事はしているものの、普通なら定年退職をしている年齢をとうに過ぎている。
よくある“自分史”を書きたいようなこともいっていた。
実はワープロでちょっと書いていたそうだ。

また、電子辞書に興味を持っているようだがどうも手が出ないようだ。

そんな感じの人にはポメラはいいのではなかろうか、と思ったのだ。
なにせ機能が少ない。できることが少ない。
簡単ケータイみたいなものだ。
変なことをしてもたかがしれている。
物理的に軽いし、動きも軽い。
場所も取らない。ティッシュボックスよりちょっと長い程度だ。
フタを開ければすぐ使えるし、終わったら閉めれば良い。
電池が無くなったら単三電池を交換すれば良い。
充電池(エネループ)にも対応している。

なんにせよ、思いついたときに文章を入力できるこいつは便利だ。
思い詰めているより、思いついた時に入力し、詰まったら放り出す。
そういう文章の書き方もありだろう。
HP200LXを使っていたときはむしろそういうのが普通だった。

WiFiを望む人もいるようだが、現実に単三電池2本には荷が重いだろう。
QRコードやSDカード、BluetoothのFTPは精一杯だと思う。

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2011/12/07

ここにも原子力の隠しコストが…電源開発促進税

報道ステーションで電源開発促進税の話が出ていた。
あいかわらず大手マスコミ特有の“天下り”がどうだの“無駄遣い”がどうだのという私から見るとどうでもいい話ばかりだったので自分で大雑把に探してみた。
要はこの金がどれだけの“コスト”であるかが重要では無いのだろうか。
とりあえず番組でいっていたことは、この税はほとんどが原子力に流れているということぐらいだ。

大ざっぱに言えば、Wikipediaによれば2008年度では年間3300億円国民から吸い上げられている。
「東京新聞の調査によると」だそうで明確にされていないのがなんともおかしな話だ。
特別会計というのが不透明であるという日本の政治の仕組みのおかしなもののひとつが要因である。
ちなみに電気料金の明細の中では“基本料金”に内税にされており(報道ステーション)、一世帯当たり約110円(Wikipedia)だそうである。
殆どが原子力関連に流れているそうであるから大雑把に全額が原子力コストであるとする。

では日本での年間の総発電量は如何ほどか。内閣府にある資料に依れば1999年で約9000億kwhだそうだ。まあこれより増えているとは思うがそんなに激増はしていないはずだ。
そして原子力はこのうちだいたい1/3だから、3000億kwhとなろう。
先ほどの3300億円をこれで割れば1kwhあたり1円程度のコストになっている計算になる。
電気料金は1kwhで22円、また原子力発電コストが公称5円程度としていることからすれば決して無視できるコストでは無い。

なんとこんなところにもまた原子力発電の“隠しコスト”があったわけだ。

原子力は安いと言いながらあの手この手でごまかしてきたのがまたひとつ分かった。

ちなみに一緒にもんじゅの話もやっていた。
年間で維持費だけで数百億円くらいかかるらしいが、これも同じ計算をすれば1kwhあたり 0.1 円位となる。
たかがひとつの実験施設で本来はこれだけのコストがあるのだ。
本来なら研究開発費として売り上げにコストとして転嫁されるべきところが、税金で行っているためにごまかされている。

原子力政策の本当の暗黒部は、こういった様々な経路で流れている税金(一般予算と特別会計)の不透明さであろう。

原子力存続の是非以前にこれらを明らかにすることが最重要課題では無いのか。

その上で原子力政策をどうするか、発電コストを元に議論するのであればここを抑えないとまったくの机上の空論ではないのか。

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DLNAとMicrosoft

なんとなくうちのサーバーマシンにDLNAサーバーのMediaTombをいれてみた。
GUIで簡単に設定ができるようになっているのだなあ。
apt-get でいれて一行書き換えて、そのサーバーアドレスのPort49152をWebサーバーで叩けばWebベースの設定画面がでる。

専用の某社DLNAクライアント機では問題なく再生。
WindowsVistaではネットワークにはDLNA(メディア)サーバーとして出てくるのだが、ダブルクリックしてもWindowsMediaPlayerが立ち上がるものの、そのサーバーのコンテンツを表示してくれない。なんだこりゃ?
相変わらずMicrosoftはいい加減なものを作ってるなあと失笑。

そういえばXBOX360ではDLNAクライアントになるとどっかでみたような気がするので動かしてみるがどこにそんなのがあるのかやっぱり分からない。
検索してみるとどうやら同じネットワーク上にWindowsMediaCenter(以下WMC)のPCが無いとダメらしく、要するにWMCの助けを借りないと再生ができないというプレイヤーとしては欠陥品というか半人前以下のものらしい。
そんな状態でDLNAクライアントとかプレイヤーとか紛らわしいので言わないで欲しい。
PS3のは生粋のプレイヤーとか訳の分からない表現をしていたりして失笑ものだ。

さらに笑えるのはWindowsHomeServer(以下WHS)のDLNAサーバー機能であればWMCが不要だというが、それはWHSがWMCの機能の一部を持っているだけだろう。
そんなからくりも見抜けないのか、分かっていてわざと言っているのなら悪質だが、どちらにしろそんなレベルで技術記事を書かないでいただきたい。
個人ブログならかまわんけどニュース系サイトでそういう発言は止めて欲しいものだ。

まあ、どっちにしろやかましいXBOX360をDLNAクライアントとして常用する気もはなからそんなになかったのでどうでもいいのだが。

日本の現状ではDLNAというよりはDTCP-IP対応かどうかってほうが大事なようだし、それなら専用のNAS買った方がいいのかなあと思うわけで。

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2011/12/06

スマホ解約したい:国民生活センターで最も多い相談 - 村上福之の誠にデジタルな話

リンク: スマホ解約したい:国民生活センターで最も多い相談 - 村上福之の誠にデジタルな話.

筆者自体も分かっていて書いているのかもしれないが完全に“業界側”の感覚になっているのでしょう。
今のスマホブームや売り方には大きく疑問を抱いているので厳しく言っていきたいと思う。

一番目。
メールが届かなかったりフリーズしたり強制終了したらそれは“故障”です。
当たり前じゃ無いですか。できると書いていることができなくなるのは不具合という表現でも良いですが、世間では故障というのです。
PCがいつまで経っても一般化しないのはこんな当たり前の鉄則ができていないからなのです。
再修理を薦めるショップが勉強をすべきというのはその通りだと思います。

この問題が根深いのはAndroid携帯は特に作っているメーカー、技術者すら問題を解明できないということだと思います。
それでキャリア(販売元)である電話会社に話を持って行っても解決するわけがありません。
ガラケーでも似たようなものでしょうがまだ作り込みができていると考えられます。
しかしAndroidではGoogle次第なのでどうしようもありません。
Androidではオープンソースなのできちんと解析すれば良い、というのは理想に過ぎる話でOSのバージョンアップは頻繁だわ、コードを追ってバグ潰しなんてできるわけがありません。
おそらく現場では“動けば正義”、この不具合は誰のせいだという押し付け合いがなされているのではと邪推します。

二番目。
電池の持ちでは“表示に問題がある”ということはいえると思われる。
普通の“圏内”で「連続通話は400分」「連続待ち受け230時間」と記載されているのであれば、普通に連続通話して400分程度、待ち受け状態で230時間持たないとダメだろう。
もちろんアプリに依るということはあるだろうから、買ったときの状態(工場出荷状態)でその条件を満たさないとおかしい。
「スマートフォンはこういうものである」という店員の理屈は明らかにおかしい。
実際に連続通話して60分で待ち受けで8時間程度であればそれをスペックとしてカタログに載っていればそれは全く問題ない。
それが短いということに対しては「スマートフォンはこういうものである」という理屈は正しい。
件の客は使用時間が短いということに文句を言っているのでは無く、カタログとの大きな相違を問題と言っている、と捉えるべきだ。

私自身がHTCのスマートフォン(Androidではない)を持っているが電池の持ちの不安定さが半端ではない。
待ち受けの電波状態によって大きく持ちが変わるのが摩訶不思議だ。
特に会社のスチール製のロッカーに入れて帰りに出すと80%残量の時もあるし20%を切っている時もある。
実験でロッカーに入れる前には一度リセットして起動アプリをクリアにしてから入れるようにしてみたが同じだった。
ちなみにいわゆるガラケーではここまで酷いことは無い。
結局、ロッカーに入れる前に電源を完全に切ってから入れるようになった。
もちろんその間は着信履歴も残らないから電話は別に必要となるわけだ。

三番目。
客の方は「インターネットを使用せず、メールも400字で10数回なら数百円になります」と言われて購入をした。
ところがその言葉が足りないのは明白。
後日料金が発生してから言い訳として「スマートフォンはインターネットをしなくてもソフト更新をしているのでパケット料金は上限額(約6,000円)になるんです」

この場合はショップはまるでぼったくりバーのような行為に等しい。

条件を提示して料金を提示した。客はその条件を守っていた。
しかしその説明外の料金を請求されたわけだ。

まるで「利用した覚えの無い請求」である。
こういうのは架空請求というが客からしてみればどちらでも同じことでは無かろうか。

ガラケーではソフトウェアアップデートは基本的にやらないし、不具合の修正のパケット代は客の負担では無い。
それが普通の感覚だと思うのだが、スマートフォンではアップデートは有償の考えなのだろうか。

------

“グローバルスタンダード”に移行するとこんなものなのかもしれない。

日本では携帯の普及率が大変高いそうだが、それは様々なところで品質やサービスが高かったので普及できたのではと思う。
それを支えてきたのは高い料金と実売が低い端末価格だった訳だが、それらは否定された。
独自OSは否定されてグローバル化した。
メーカーもキャリアも販売店もいろんな意味で混乱しているのではと思う。
その結果がこれだ。

国民生活センターもそろそろきちんと実態を分析して指導する時期では無いのか。
特に電池の持ちに関しては疑問だ。
カタログ数値に虚偽があった場合法的問題であるのできちんと対処していただきたい。
また、商品やサービスの説明に不備があった場合の請求については問題視すべきだ。
今回纏めましただけでは無くてっきちんと対処して指導改善につなげるのは当然の仕事では無いのか。

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2011/12/04

河北新報 東北のニュース/東北の太平洋側高速道 あすから完全無料化

リンク: 河北新報 東北のニュース/東北の太平洋側高速道 あすから完全無料化.
大手各新聞はどれもいい加減な記事ばかりで概要すらよくわからない。
ぱっと見るとまたETC搭載車しか適用されないように見える記事すら散見される。
またテレビのニュースでもそういうのがある。
しかし映像を見ているとETCレーンはもちろん、有人レーンも“素通り”している。

不思議に思ってもっと調べてみると河北新報が詳しい。
この記事を読んでいただければ分かるように、岩手・宮城・福島全県と青森・茨城の一部に関してはETCありなしに関わらず全車種全日で無料かつ確認不要という画期的な処置が行われていることがわかる。

ニュースなどでは「混雑はみられず」といっていたが当たり前の話だろう。
前回の処置はETC車も被災者証明等の提示で無料措置を得るために有人レーンを通る必要があった。
つまり普段はETCレーンを通っている車も有人に流れるからだ。
しかも出口で詰まってしまうとETCで有料で通りたい車も足止めされる。
これはETCを導入しても盆正月には渋滞解消されない理屈と同じだ。

実際にETCレーン通過では2倍以上の交通量だというから無料化効果はあったといってもいいだろう。

ETC限定かつ普通車と軽のみだが日本海側、つまり秋田・山形全県と青森・新潟両県の一部も無料化されるという。
被災証明不要ということで観光とは言っているが新潟等の日本海側に避難した方々への配慮もされていると考えるのが妥当だろう。

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2011/12/02

また“隠しコスト”か? --核燃再処理:経産と東電の「全量再処理」当初から破綻 - 毎日jp(毎日新聞)

リンク: 核燃再処理:経産と東電の「全量再処理」当初から破綻 - 毎日jp(毎日新聞).
私が問題に思うのは“「全量再処理」が当初から破綻”していたこと…ではない

結果として再処理事業は継続され、19兆円は産業用・家庭用の電気料金に上乗せされている。企業が払う電気料金も最終的に商品価格などに上乗せされていると考えると、国民1人当たり約15万円という計算だ。国民負担まで強いた再処理工場は今も稼働しておらず、破綻ぶりは一層明らかになっている。

この記事通りに電気料金に上乗せされているのであればなんら問題は無い。
問題があるとすれば2点考えられる。

・実はなんらかの形で税金が投入されていた場合
国民が払うという意味では同じではあるが意味は大きく違う。
発電に関するコストが電気料金に入っていること自体は当然のことであるし、それを含めても安い電気料金なのであれば別に問題は無い。
しかし本当にそうなのだろうか。

・上乗せしているのになぜか“発電コスト”に入っていない場合
大問題なのはむしろこれだ。
19兆円という巨額がどれだけの年数で割られるかはわからないが、決して例えば1KW辺りのコストとして無視できるような額であるとは思えない。
なにせこれよりも安い額の補償金の負担でさえも電気料金に上乗せが必要と電力会社自らが主張しているからだ。

また、記事によると製品コストへの云々まで入っているから正確な数字はぼやけているが一人当たり15万円だと一世帯で30万以上。
電気料金はたかだか年間12万程度だろうからここからもとても無視できる額ではないと思われる。

つまり原子力発電コストに関する“隠しコスト”がまた見つかったという話であり、エネルギー戦略会議等の方向性に影響をする話であるからだ。

どこまでウソのコストで原子力の優位性を主張するつもりなのか少々腹が立ってくる。
きちんと電力会社に監査を入れてコストを明らかにすべきだろう。
そのそも東電は倒産してもおかしくない(国に援助を求めているのだから)状態であり、本来は資産や経営は国の監督下におかれても不思議では無い。
(ちなみにボーナスは一般企業並みにきっちり出るそうだ。削減しても元が高いから。)
別に東電憎しでは無く普通に考えておかしいのだ。

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2011/12/01

Vistaで休止状態設定ができない

Windows Vistaを使っているのだが、ふとハイバネーション(今では休止状態というらしい)を使ってみようと思った。
検索してみるとどうやらコマンドラインから設定すれば良いらしい。

「・・・・いまどきまたコマンドラインかよ」

とか思ったがまあとりあえずやってみると使えそうなメッセージが出た。
しかし今度は終了のところに休止状態が出ていない。

「・・・・・自動で設定されないのかよ」

とか思ったがコントロールパネルから思い当たるところがあったので探すとあった。
とりあえず「電源ボタン」を休止になるように設定。
しかし休止設定にしたのになんで「セッション」がどうのこうのという吹き出しメッセージを出すのかそのセンスは相変わらず理解できない。

まあそんなことはさておきボタンを押すとハイバネーションの時と同じようにハードディスクが激しく動作して書き込んでいるようだ。

しばらくすると電源が切れたので再投入。
すると

「前の場所からシステムを再開しようとして失敗しました」

というメッセージが。
削除して起動するか継続するかと聞いてくるのでとりあえず削除して…なんとカーソルが移動しない!
Safeメニューなどではカウントダウンで強制的にどれかで進行するのだがなんとこのメニューは永遠に入力待ちをする仕様のようだ。
カウントダウンで勝手に進んで削除してくれれば良いのにと思うがそうなっていないことに呆れる。

検索すると同様に嵌まっている話がちらほらとあり、PS/2キーボードをつけて回避したという話がある。ところがこのPCは最新型のためPS/2ポートは無い。

他にはセットアップディスクからリカバリをするという内容があった。
早速試してみると確かに起動のリカバリがある。
しかしやってみると「何も問題がありません」と出る。
自分のところで出している問題すら検知・修正できないほどアホなのかと呆れてしまう。

他は的外れなQ&Aしかなく途方に暮れた。

しばらく現実逃避しているとBIOS設定を最近いじっていた場面がフラッシュバックしてきた。ダメ元で再度設定を見るとどうも高速起動の設定が怪しげだ。
ひとつひとつ確認すると「BIOSではキーボード検出をしない」という内容が有効になっていた。
USBキーボードを認識してキーコードを得るようにするには確かにそれなりの時間が必要になるわけだ。
それをすっとばしてOSが起動するまではキーを受け付けなくてもいいんじゃねえの的な設定なのだろう。
そして件のメッセージはOSが起動する前でBIOSからキーコードを貰おうとしているのだろう。

とまあこんな予想が頭を巡ったので早速設定を無効にしたところめでたくキーが効いて削除して進行しOSのログインまでこぎ着けた。

この高速起動設定をしてしまうと、Safeモード時の任意の選択での起動はできなくなるし、うちのは関係ないがBitLockerでのパスコード入力もできなくなるということなのだろうか。酷い話だ。

なんか三つもトラップを仕掛けてきたMSのアホさ加減に嫌気が差したので休止状態を使うのは投げ出した。
Vistaや7では休止状態の不具合なのか頻繁におかしくなるとか、ディスクのクリーンアップでデフォルトのままうっかり開始をしてしまうと休止ファイルが消されて休止状態が勝手に解除するので再設定が必要になるとか、ふざけたトラップが仕掛けられているようだからだ。
おそらくまっとうにデバッグしていないので動くかもしれないがダメなこともあるということなんだろう。
そんな機能は使えないものとしてさっさと諦めるに限る。

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