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2011/08/08

原子力の行く末は経済性で決めるべき

「おまえらには原子力をやる資格は無い」とかさんざん自分で書いていていうのもなんだが、原子力の行方はイデオロギーではなくて経済性で決めるべきだと思う。

ただしそれには前提条件がいくつかある。
それは現在の原子力のあり方が経済性無視でやっているからだ。
いわゆる法律による保護、税金ジャブ漬け体質ということであり、まずこれらを撤廃しなくてはいけない。

・いわゆる原子力三法の廃止
原子力設置にあたり、多額の税金が国から投入されている。
誘致の段階も、そして運営中もだ。
つまり国からの補助金を使って原子力は運営されているのだ。
そんなことをしておいてなにが「原子力は安い」なのか理解できない。
補助金が投入されるものは高くて運用できないが必要なもの、に対してだけだ。

原子力発電が安いというのならば三法は廃止をすべきものだろう。。
そして地元への給金が必要ならば発電所を運営している会社が出すべきだ。
それで割に合わないのなら原子力は割に合わないだけのことだ。
国が負担するのはおかしい。

・有限責任条項の撤廃
震災後の「想定外」の言葉は色々な意味があるようだが、ひとつには想定外の大惨事であればその事故による被害や加害が免責されるという法律の条項を求めてのことのようだ。
とんでもない地震や津波ならば免責されるということ自体がそもそもおかしくはないか。
想定外ならば大量の血税が投入されるということは妥当なのか。
ひとたび事故が起これば想定外も想定内も無い。
要因はなんであれ事故を起こした張本人が責任をとるのが当然だろう。
無限責任を認めないこと自体が原発の危険性を物語っているわけであり経済的に割に合わないということを示しているのではないか。

・核燃料廃棄物の処理問題先送りの禁止
これも安いというウソとしてあげられることであるが、廃棄コストが盛り込まれていないという事実がある。
これだけ原発があり、もう長いものは40年も運営をしていながらいまだに廃棄物を処理する場所や方法が確立されていない。
つまりコストがいくらになるのかさえ、実績ベースで計算できない状態なのだ。
それでも最低限は見えてきているわけでそこからどれだけあがるかというレベルらしい。
それならば今から積み立ていくべきで、それは発電コストに上乗せするのが普通の感覚であろう。

・廃棄コストの先送りの禁止
電気代上昇がいわれているが、なんと福島原発の廃棄コストを電気代に含めようという算段がされているらしい。
もちろん電気代上昇には他にも要因があるわけだがうやむやのうちにやられないように注意しなければならない。
当たり前だが原発設備の廃棄コストはこれも発電コストに上乗せすべきものだ。
ライフサイクルといって作り始め(本来は開発から)かかったコストから廃棄するまでのコストは最低限きちんと生産コストとして考え商品にのせていく。
電気販売業の場合は発電コストとして計算すべきことだ。
もし廃棄費用を本当に電気代に上乗せしたいのであれば、原子力発電コストはその分の値段分、安いというウソをついていたということを認める必要がある。
本来なら発電所を作った時点から発電コストとして一部の積み立てをしていき、予定外の事象で廃棄となれば不足分は欠損決済で処理すべきだろう。
それをしないでおいて発電コストが安いというのは大嘘つきである。

大きいところではこのぐらいだろうか。
原子力のメリットはその発電コストの安さだといわれてきた。
リスクを背負ってもなおコストが安いということらしい。
それならばきっちりと他の発電方式同様の“環境”にするべきだ。
税金ジャブ付け法的過保護状態、廃棄コストを考えないどんぶり勘定の放漫運営で安いと言っても全く説得力が無い。

他の発電方式と対等な“勝負”をさせた上で、原子力にメリットがあるのならやれば良いと思う。
今のままではあまりにアンフェアでは無いか。

今の政治的議論をみてみると「再生可能エネルギー」に重きを置かれすぎているのが気にくわない。
そんなに「再生可能エネルギー」に期待をしてはいけない。
どう考えても半分も行かないだろうし、大方のプロの方々によると10%いけば上出来ではないかという。
現在は僅か2%だからそれよりは上乗せしていきたい、であって、主流にするのは難しい。
しかし再生可能エネルギーは基本的に燃料代タダであるから動かし始めれば安い。
原子力発電での発電コストの計算のように建設・廃棄費を入れなければほぼ0円なのだ。
また二酸化炭素排出もほぼ0。
変動は大きいが変動に合わせて火力で調整するのはいつものこと。
火力オンリーよりは再生可能エネルギーの分だけ発電をしなくて済むというメリットがあるだけのことだ。
所詮はその程度のもので過度な期待をすると却って否定に押しつぶされる危険性がある。
0か100かではなく、なんでもアリでやっていくべきものなのではないか。

まあ、それはそれでやるとして、水力・火力の既存施設の再稼働や、火力でもLPGやら石油だけという必要は無い。
メタンハイドレートなども注目されており長期短期で色々あろう。
どれを使うべきかは経済性が重要なことなのはいうまでもない。

単純に原子力もその中で正しく評価すべき時代になったのではないか。

ちなみに今回の事故要因は色々いわれているが、一説には「今回レベルの津波を想定して対応策をとると割に合わない」「他の発電所もそれに倣う必要が出てきてコスト的に考えられない」「よって対策はしなかった」というものがある。
想定外というのはコスト的に想定外と定義したという意味もあるようだ。
つまり安全性から対策を作ったのでは無く、コストバランスで対策が設定されたということになる。

逆に見れば今回の事故を起きなかったような発電所を作るにはコストが合わないということになる。
経営を圧迫してしまうほど高くつく、原子力発電が安いという設定ではたちゆかなくなるということになる。
本来の計算でやれば発電コストが他の方式に比べ高くなるということだ。
原子力が安いというのは安全性を軽視した結果で得られた“メリット”ということになる。

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