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2011/08/06

原子力安全庁

リンク: 原子力安全庁:閣内調整間に合わず - 毎日jp(毎日新聞).

 政府が5日発表した新たな原子力規制組織の試案は、新設する「原子力安全庁」(仮称)を環境省か内閣府の外局とする両論併記の発表となった。

どうもあまり変える気は無いようだ。
残念というかやっぱりおまえら原発は止めろとしか言いようが無い。
そもそも“安全庁”という言葉自体が本質的役割を変える気が無いことを示している。
むしろ行政に取り込むことで悪化する可能性すら高くなる。
名称もブレーキ役である“規制庁”ならともかくまた安全確保すればいいのだろうという根本的な姿勢を変えようとしていない。

しかも環境省配下だという。 これに対して枝野官房長官は

環境省が、原発が必要との立場をとってきたことなどが、環境省案に慎重な理由のようだ。

ということらしいが、全く同感だ。
私は経済産業省の次に不適格なのが環境省だと思っていた。
環境省が本当の意味で環境問題に取り組んでいるのならともかく疑問点も多い。
特に二酸化炭素排出量問題で排出量削減の船頭を取っているのは環境省であり、そのために原発推進論者である。
放射能汚染拡散という著しい環境汚染に対する危惧よりも、本当に必要かどうかも疑わしい二酸化炭素排出規制をとっているのが彼らの結論なのだ。

危惧と言うより、現実に今なお、汚染が拡がっているのだ。
環境庁はこの事態をどう考えているのか。
放射能による土壌汚染浄化などは環境庁が船頭を取ってとっくに着手すべきなのになにもやっていないではないか。(どうせ予算がどうこうとかいってやるつもりはないのだろうが)

環境省案は環境規制との相乗効果などが利点として想定される

というが、上記のように環境規制によってブレーキどころか、かえって原子力推進というアクセル役になりかねない。
危惧どころか現状がそうなのだから話にもならない。

内閣府案は危機管理対応や政府内の総合調整に対応しやすいとされ、閣内の意見調整が間に合わなかった。

こういうそのほうがやりやすい的なところで独立性を損なっては本末転倒だと思うのだが。
そもそもブレーキ役としては、内閣府は不的確だ。
内閣総理大臣はこれから色々な人がつとめることになろう。
反対派もいれば推進派もでてこよう。それは当然のことだ。
だからこそ内閣構成員の意向を強く受けてしまう内閣府にそれを担わせるのは不的確だ。
議員によってブレーキになれば良いが、アクセルにもなりえるのでは役割を果たせていない。

一方、人事に国会の同意が必要で、行政からの独立性が高い委員会形式は、今回は採用されなかった。

委員会方式を採用しなかった理由について、細野氏は会見で「東京電力福島第1原発事故のような緊急時には、(合議制の)委員会より庁の方が(トップダウン で)機動的に対応できる」と説明。

ここも私には理解できない。
そもそも今回の事故でも安全委員会の役割が全く理解できなかった。
彼らは一体何をしていたのだろうか。

事故の説明とかは安全委員会では無く当事者たる東京電力が行うのが当然だ。
事故の状態を最もよく知っているのは誰が考えても東電だろう。
それを代弁者のように安全委員会が説明していたのには非常に違和感を持った。
そして対応を行うのは、東電であり、政府だ。
国民に危害を与えつつあるのだから政府が先導を取って安全確保に努めるという大原則がそうだからに過ぎない。

ブレーキたる委員会は事故がおきないように平時に活躍するにすぎない。
事故が起きてしまったらブレーキ役は基本的に役割は無いはずだ。
東電や政府の説明や行動が間違っていたりミスリードをしようとしていればそれに対して見識を示してブレーキをかける役割はある。

今回のように東電の代弁や内閣の解説員をさせるつもりなら別の組織を作ってやるべきであってその役をまた“安全庁”にさせるつもりなら、また同じ事故が起きるだけだ。

つまり事故・非平常時の便宜性を重視してその立ち位置を決めるのは明らかにおかしい。
もし事故時の安全確保を行う組織を作りたいというのならそれは別にするべきだ。
そもそも平常時には要らない組織であり、有事に速やかに構成される仕組みを作っておけば良い。
例えば構成員(肩書きで良いだろう)や初動などを事前に検討して決めておけばよいだけだ。
その中に規制委員も入るかもしれない。それだけのことだ。

新組織に国会報告を義務づけたり、内閣府に新設する「原子力安全審議会」(仮称)の意見を聞くことで、透明性を確保する 考えを示した。

この論もおかしい。もともと委員会であっても報告は義務づけるべきだ。
税金を使って仕事をしている以上、国会に成果を説明する義務が自動的に生じる。
そんな当たり前の感覚すら無いのが現実と言えばそうなのだが。

報告会や内閣府の委員会審議などで透明性が確保されるなんて誰も信用しないだろう。
今の各委員会答弁での省庁の姿勢や事業仕分けでの姿勢や結果(一端廃止しても看板すげ替えでごまかそうとするなど)をみればそれは火を見るよりも明らかではないだろうか。

今回の事故はその事故の重大さに加えて、国や行政、東電、さらには安全委員会への信用が地に落ちたことではないのか。
だからその回復策のひとつとして組織換えをするという根本が結果としてないがしろにされたということなのではないか。

ちなみに菅内閣だからというのはそれはそれで問題だが、全体から見れば数パーセントの問題程度の影響としか私は見ていない。
仮に彼がやめて総理大臣やら各大臣が替わったり、仮に解散選挙が行われて自民政権になったと想像してみて欲しい。
それでなにか変わると思うか。

実際に世論調査でもそういう数値が出ている。
民主支持率が低下するのは当然としても、自民も低下、他党にも流れていない。
国民は馬鹿では無い。不支持が増えているだけという現実が物語っている。

それなのに管やめろとかにのっかって現実から目をそらさせている輩の方が危険で馬鹿馬鹿しい。
マスコミも同じだ。
政局のゴタゴタなんかどうでもよくて、例えばこのような安全庁の問題についてきっちりと報道して欲しいと思う。

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