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2011/07/31

デジタル化の落とし穴?

リンク: 余録:デジタル化の落とし穴 - 毎日jp(毎日新聞)

新聞メディア系(古参の方々?)のデジタルアレルギーは相変わらずのようでミスリードを誘おうとしているのか単なる個人的な感想なのか。.

ただし、東日本大震災の被災直後に役に立った情報源はアナログのラジオ放送だった。

まあ、感想はいろいろあろうが、私の場合、本当の直後は職場におり、ラジオはない。
ラジオは普段業務には使わないから当然と言えば当然。

震災直後、つまり一端職場から避難した先での重要な情報収集はワンセグとなった。
普段から携帯電話を持っているひとは非常に多い。
避難先で携帯電話でワンセグを見ていた人は1割は最低いるような状況だったと思う。
ちなみにネットはほぼ使用不能でメールすら発信不能に陥っていた。(メール回線がパンクしていたのは後日報道されていたとおりである)

今回の引用先の様な人の真逆で、ネット至上主義、つまり放送もネットで配信すればいいじゃないかという人も見受けられるが、被災時直後は少なくとも携帯回線は役に立たず、ブロードキャストである放送はやはり強いことを認識した。
はじめてワンセグ機能を使おうとして四苦八苦している人もいるほどに使われないところもあるワンセグだが、災害時には役に立ったわけだ。

別にラジオを聞いていた人の存在を否定するわけでは無い。
しかし私の震災直後の周辺ではデジタル化のメリットを多いに享受できたのは間違いない。

技術的に言えば、アナログ放送では携帯電話の付加機能としてつけることは不可能なものであり、デジタル化、とりわけワンセグ規格とすることでオマケ程度につけることが可能となっている。
アナログラジオすら携帯電話では難しく少なくともアンテナ線を内蔵することが困難なようだ。
そうなるとアンテナ線(専用のイヤホンなどで代用している)も携帯しなければならずとっさの時に持っているとは限らない。

もうひとつの論が

関東地方での計画停電時に有線電話で使えたのは、インターネットの仕組みを利用したデジタルのIP電話ではなく、アナログの一般加入電話だった。

なのだが話が進んでいくと

ところが、実際には加入電話でも使えないケースが続出した。NTT東日本が取り扱っている加入電話機のうち半分強が、電源を電話線からでなくコンセントに求めているという。

となんのはなしやら、デジタル化の落とし穴でも何でも無い話になっている。
まあ、これ以前にここで書かれている“固定電話”を持たずに携帯電話しか持たない人もたくさんいるわけで、ピンとこないわけだが。

記事中にあるように昔の電話機は電気が落ちると自動的に通話だけはできるようになり、他の付加機能は使えなくなるような仕組みになっていた。
実際に私はそういうのを持っている。
これはアナログデジタル云々では無くて、過剰なコスト競争のたまものだろう。
たぶんコスト的にはそんなにはかからないと思うが、すでにそういうレベルでも削られる過酷な市場なのだろう。

平常時にはどちらでも同じだから非常時のみに有用なこのような機能は意識されずに単純に安い方を買われてしまう。
気がつけば切り替えにコストをかけることをやめたものばかりになってしまったということではないのか。

一方で回線の電気だけで動くようなシンプルな電話機は売れなくなった。
ただ一部インテリア商品としての電話機にはそういうものも残ってはいるが実用品としてはとんと見かけない。

回線から電気を供給するという仕様はこういう非常時云々では無く、電話が普及し始めたときのことの事情では無いかと思う。
電話というのは実はテレビはおろか、洗濯機や冷蔵庫などの普及よりも先である。
特に農村部ではお日様とともに生活をするから照明すら電気がいらない。
ところが電話は便利だ。外が猛吹雪でも簡単に連絡が取れる。
つまり家庭に電気が通るよりも先に電話回線が入ることになる。
電話を使うために電気引いてくださいなどとはいえないから電話回線で電源供給をすることになる。

デジタル化云々と言うよりも家庭電源依存の生活云々レベルの話のように思える。
停電時にも通話機能だけは使えます的なことはカタログや店頭での売り文句(いわゆる○×表)にいれて良いような気もする。

計画停電云々もあるが、そうでなくても私のいる地域では雷多発地域であり、夏になると瞬停なら何度も、小一時間の停電も年に一度程度はある。
こういうように地域的事情により停電というのは起こりうるものだからある程度それに備えたことはコストダウンせずにきちんとやったほうが良いのではとも思う。

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農地の除染費用、地価超える分も賠償 原賠紛争審が方針

リンク: asahi.com(朝日新聞社):農地の除染費用、地価超える分も賠償 原賠紛争審が方針 - 社会.

政府の「原子力損害賠償紛争審査会」は、避難対象の区域内で放射性物質に汚染された農地の除染をする時の費用が、農地の価値を上回った場合、その分も賠償対象に含める方針を固めた。

私が率直に言って驚いたのが土地の価格云々で現状回復するための費用を出せない場合がある、としようとしていたことだ。
それをただした今回のこの判断、明確化はごくあたりまえで正しい。

いわゆる動産や捨てられるモノなど、代替え品や相当品があれば買い換えれば良い。
その前提があるから物の価値以上の補償はしないというのが当然だろう。

しかし土地のような不動産、代替えが効かないものに対してそういう考えはおかしい。

動産でも思い出のものだったり、代替えがなかったりすると揉める。
例えば記念品だったり、形見だったり、生産中止されて代替がない商品などが相当する。

補償できないというのなら土地を捨てろというのか、ということだ。
除染に金がかかる区域もしくは安い土地に関してはその土地を廃棄、つまり放棄して放射性物質を含んだまま荒れ地にしろというのか、ということだ。
そもそも現状は荒れ地になっている休耕田なども安いだろうから、それこそ永久的に荒れ地になってしまう。
企業ならともかく国家としてそんな方針を黙認できるはずが無い。

もっといえば汚染度が高い地域ほど除染価格は高額になろう。
そういう地域ほど汚染されたまま放置される確率が高くなるということになる。

この記事では農地のことをいわれているが、山林でも同じ話だ。
山林は安い。反面除染には平地である農地以上だろう。
汚染された山林が放置されることは色々な意味で恐ろしいことだ。
あまりスポットが当たらないが、山林で放射能物質の拡散が留まっているというところもあるだろう。
それは山林がそれらを受け止めているということであり、つまりは山林に溜まっている可能性は高いのでは無いだろうか。
現在は平地ですら問題になっているから山林には目が向かないが、平地の放射線レベルが下がってくれば相対的に浮き上がってくるだろう。

そう考えると補償額の見積もりが地価以上はないと踏んでの額だったとすればとんでもない見込み違いであり、さらに補償の総額が高騰する可能性が高い。

それにしても原発事故での被害は(事故を起こした当人にとって)ますます深刻なのだという現実が明らかになってきたそのひとつといえるだろう。

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2011/07/29

保安院も「世論工作」

リンク: やらせ要請:保安院も「世論工作」 国民の不信拡大必至 - 毎日jp(毎日新聞).
そろそろ原子力ネタも飽きてきたというかいい加減事故の収拾がついて一時停止問題も穏便に再開されるかと思いきや、原子力推進シンパの方々は自虐自己破壊的なのだろうか。
安全保安院はもう解散が決定事項になっているので破れかぶれになっているのだろうか。
保安院と言えばなぜか「地域民に再稼働を懇願した」と言ったということも聞こえてくる実に不思議な団体である。
中立というのが前提らしいが、そもそもそこから間違っているのだと思う。
中立では無く、基本は原子力を停める思想を持つべきだろう。
要はブレーキの役割だ。

日本では“安全・保安”院だが、米国でそれに相当するのは“規制”院だという。
この言葉の違いに大きな差をある。

日本では安全でさえあれば推進すらするということだ。
実際にそういう行動を取っているわけだ。

ところが米国ではどこまでいっても規制の立場を取る必要がある。
いくら安全となっても「いや、まだここが甘いでは無いか」とブレーキをかける。
推進側が説得をするのは、国民の前にこの“規制”員となっているのではないか。
いくら“規制”員といえど科学的に十分な納得のいく説明をされれば許可を出さざるえない。
その上で国民が納得をするわけだ。
スペシャリストである規制員が納得したのなら問題は無かろうという判断ができる。

ところが日本では安全員すらも推進派とも思える行動ばかりする。
つまり反対派の国民にとってはスペシャリストである味方が審査システム上にいないのだ。
まったく酷い話である。
(いうまでもなく賛成派はいくらでもいるのでそちらは問題ない)

どんな良いことであれ、それを批判する人(陣営)がいなければ必ず堕落する。
それは長い人類の歴史の中で学んできたことである。

来年度初あたりから経済産業省下ではない、保安院に変わるチェック機構を作るそうだが、その際は是非とも「規制委員会」にして欲しい。

おそらくは特殊法人格になるのだろうが、最低限構成員のプロフィールは公表すべきだろう。
現安全院の人がいてもそれ自体はなんら問題ない。
というかいないと継続性から問題があろう。
しかしその上でもっと民間の原子力研究のひとや、原子力反対派の団体からも参加させて構成して欲しい。
世の中、非科学的に反対だとしか言わないような人だけでは無いはずだ。
科学的に研究をしている上で反対を唱えている人達も当然いるはずだからだ。
原子力に強い関心を持つジャーナリストなども良いだろう。
公募しても良いし、そもそもオープンに入社試験を受けて人員を確保するようなシステムの方が良いだろう、

金の流れは作らないとまずいだろうからその辺は経済産業省下ではなく、その辺となにかと仲の悪い総務省辺りが管轄(といっても基本は事務的にやれば良い)になると良いのでは無いかと思う。
決定内容には一切口出しはしないで形式上でちゃんと仕事をしているかどうかをチェックして経費やら給与を出すだけの存在になる。
完全独立というのは今の社会ではそれはそれで色々問題がある。
財団法人というのが完全独立ではなかなか維持できないのが日本の現状である。
超低金利のため基金の利息で経営することができなくなってから久しい。
資金を出すパトロンの存在が非常に少ない。
企業は基本的には原子力で是と考えている。
これで独立性を維持できずにかえって委員会の決定がねじ曲げられかねないように思える。
まあ、この辺はどうするのか具体案がでてくるのを楽しみに待っていよう。

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2011/07/23

玄海原発:耐震性でデータ入力ミス・・が問題なのか

リンク: 玄海原発:耐震性でデータ入力ミス 安全評価、全国で遅れ - 毎日jp(毎日新聞).

原子炉建屋上部にある「復水タンク」の屋根の重さを、本来は2600トンなのに「260トン」としたほか、原子炉建屋に隣接する補助建屋の基礎と地盤との関係を示す定数を、2カ所で2倍の数値に誤入力していた。

一つ目のは0の打ち落としということでまだ納得がいくが、二つ目の2倍の数値というのはなんとも合点がいかない。
元データをそのまま入力せずに頭の中で加工して入れるというところがあったのだろうか。
それとも元データを入力前に加工する手順が確立されていないと言うことか。

ソフトウェアに時々あるのだが、「ここは手元のデータを2倍にしていれてください」というものがある。
私は率直に言ってまず自分の目を疑う。目がおかしくないことを確認できると、作ったプログラマー(設計者含む)の知見を疑う。
入力した数値を2倍にすることなんぞコンピュータとってはそのメッセージを出すよりも簡単で安上がりな事であり、人間側の誤入力を誘発する役割しか無い。

こうなるとこれからストレステストをするというプログラム自体の信憑性を疑わざるを得ない。

などと疑いを投げかけるだけでは無責任なのでその点について書いておこう。

データの打ち間違いに関してだが、まず基本からいこう。
間違いチェックする時にやってしまいがちなのが、モニターに表示されている入力した数値と手元の資料を見比べるというやり方だ。
しかも本人がやるというのは一番最悪のチェック方式といって良い。
やらないよりはましというレベルだ。

他人がやるというのが次点なのはいうまでもない。
もしくは翌日にチェックするというのもひとつのやりかただ。

一番良いのはもう一度入力して機械的に比較するというやり方だ。
可能なら別の人がやればなお良い。
場合によってはプログラム側の工夫が必要なこともある。
例えばエクセルで数値を入力することはありがちなことだ。
一度入れた後に、別のセル列にもう一度入れる。
両者を比較する関数をいれて機械的にチェックする。
本人が立て続けにやってもこのやり方を始めてからはミスが0になっている。
いうまでもなく別の人にやってもらったり時間をおいたりと工夫すればなお良い。

これでも万が一では一カ所くらいは間違いがあるかもしれないが3つも間違うのは天文学的確率に低いと言えるだろう。

原発問題は「想定外」のことによって起きてどんどん事態が悪化しているわけだが、こういうデータの入力一つ取ってみても、人間の作業が完璧であるかのような前提で行われている。
問題なのはケアレスミスを起こすことでは無い。
ケアレスミスをカバーするシステムを取っておらずそれが流出してしまうということだ。
一事が万事とはよく言ったものでこの事例を見ても彼らが原子力をやるような資格が無いということがよく分かる。

これは日本の体質の悪い点でもある。
いわく「個人がもっと気をつければ問題は起きなかった」

欧米では(特に米国では)その点が違う。
人間は間違えるモノでありそれをカバーできなったシステムが無いのが悪い。
常識で考えれば防げる、という発想では無く、指示書に書いてあったかなかったかが問題になる。

さてプログラムの信憑性について疑ったがその疑いを晴らす良い方法がある。
それは福島原発について、今回の震災規模を想定して、事故が起きたと評価できれば良いのだ。
プログラムのテスト方法として「境界値チェック」というのがある。
明らかにダメなデータを入れてダメという結果が出ることを確認するのは当然として、理論的に合否の境界になるようなデータを入れて判定がどうでるかを確認するものである。
今回のようなシミュレーションでは実際の実験結果をいれるのが通例であり、実験が困難な場合なら実際に起きた事例を入れるのはごく自然な発想である。

しかし私の予想ではそんな評価は難癖をつけてやらないだろう。
いや、仮にやっても公表しない、やってないと言い張るだろう。
なぜならそのようなテストを行っても福島原発も合格してしまうだろうからだ。
そんなことが表に出れば間違いなく信憑性自体が問われて大問題となる。

何日か前にストレステストに関して書いたが、そこで書いたようなテストではないように聞こえてきている。
再度書くと、こういうテストは評価で「優良可否」のようなものが出ても意味が無い。
どこまで耐えられるか、津波なら何mまで影響がないか、を評価しなくてはいけない。

さて、ここで根本に戻って言えば、このストレステストって奴はそもそもが原発再開の可否を出すような信憑性のあるような重い目的では作っていないと思う。
それは大臣だったか官房長官の発言から伝わってくる。(すごく遠回しな言い方だが)
それを可否の基準とするようなところまで祭り上げられてしまって担当者も困っているだろう。
ここまでくるともう現場レベルでは何も言えない。

ここまで話が“悪化”しているのはそういう方向にもっていってしまった菅総理大臣の責任が重いだろう。
本人にはその気が無いようにも見えるのがもっと質が悪い。

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2011/07/22

「脱原発」閣内に亀裂…技術、経済に影響懸念 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

リンク: 「脱原発」閣内に亀裂…技術、経済に影響懸念 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞).

亀裂という言葉で煽っているが、私はいいぞもっとやれ、という気持ちだ。
別に煽っているわけでも無くこういう問題で一致する方が不気味だ。
多いに議論して欲しいし、野党にも見解を是非聞きたいところだ。
統一感がないとか無責任にやじるのでは無く、我が党ではこういう見解だということを言って欲しい。
共産党はぶれずに完全脱原発の立場なのは分かっているが。
さて各大臣の見解を見てみよう。

海江田経済産業相は「日本は核兵器を持たずに原子力を開発している。ゼロとなると技術が途絶えてしまう」と、「脱原発」に警鐘を鳴らした。

ちょっと意味が分からない。

海江田氏の答弁は、日本の高水準の原子力平和利用の技術が失われかねないことに懸念を示したもので

とあるが、原子力発電を今後やらないのであればこの懸念は要らないはず。
つまりは核兵器転用のための技術が無くなることの懸念であると推定せざるを得ない。
まず大きく分けて原子力への根本的な問題、つまり核ゴミの処理問題、発電所の安全維持の問題、今回のような汚染時の技術的な対応問題、があると考えられる。
これらの解決が今後他国でされたとしたらまた原子力発電を再開したい、と考えているのだろうか。
もしくはこれらの課題を今後日本国も含めて解決しようという気概・見通しがあるのだろうか。
私は日本の技術力を信用していない訳では無いが、今回の処理では誠に残念な実情が露呈されたと言わざるを得ない。
初期の発電所内の放射能汚染地域への立ち入り。ロボットが導入されたが日本の物ではなく海外製となった。
そして現在の汚染水処理にしても海外のものを使っている。

核ゴミの問題にしても世界的に大問題となっているし、再利用のプルサーマルも全く見通しすら立っていない。
もう何十年やっているのだろうか。

安全維持も震災での対策の不足が露呈しており、少なくとも現状の体制などで解決できるとは到底思えない。
今まで懐疑的に思っていた人たちも今回の事故で懐疑から疑問、反対に回った人も多いだろう。
私もそのうちの1人と言える。

「先の見えない分野には人材が集まらなくなる」という経済産業省内の危機感を代弁した形だ。

この物の言い様はいかにも頭の良い官僚の考えそうな詭弁だ。
原子力は先の見えない分野というには語弊がある。
原子力というのは既にもう何十年もやりながら(ご存じのように福島原発が経ってからですら40年は経過している)未だに綱渡りで実用化をしている技術であるということだ。
そんな状態でずっと続いてきた事でむしろ「これ以上はもうやってもダメだ」と諦められてきている、この際に諦めるべき技術(分野)ではないのか。
そして純粋に技術的な部分よりもむしろ政治的、システム的な構築が重要なことである、ということが見えてきた分野では無いのか。
そしてなによりこれは日本が最も苦手としている分野でもある。

細野氏は「原発事故収束の作業のためにも人材確保は考えなければならない。原子力の専門的な人材が集まらなければ、安全規制もまともに行えない」と語った。

この意見は現実的な物としてある。
その一方で原子力発電のやっかいなところが明らかになっているといえよう。
他の技術との関連性・応用性に乏しく(世界規模でも核兵器ぐらいしかない)、ぶっちゃけつぶしのきかない専門の技術者がいないとダメだということだ。
ただ思い切ればこの問題は解決する。
単純に技術的な部分は原子力を続ける海外の技術者に任せてしまうことだ。
それ以前に原子力技術者をいきなり全員路頭に迷わすような話はしていない。
その割合がだんだん変わっていき全体として縮小していくだけの話だ。
人材が先細っていくに従って原子力も先細らすだけの話だ。

(玄葉氏は) 原発への依存度を減らす取り組みにおいてさえ、「多くの産業人の心配がないよう、電力不足やコスト上昇を回避すること(が必要だ)」と強調し、「脱原発」の実現が困難であることをにじませた。

まずコスト問題。
既に他の記事でも書いたように本当に原子力が安いのか再検証をすべきだ。 補助金なども全部入れての話だ。
その上で今回のとてつもない額に上るであろう被害への補償金、発電所の廃止コストも国が負担をする額も入れてきちんと算段すること。
これはそのままの額がコストになるわけでは無い。
しかし補償のための原資が電気代に跳ね返る、つまりコストとして無視できない額であると電気会社や国自身が認めている以上は無視できない。
しかも一電気会社で背負えるほどの額では無く国も支援する必要があるというのであれば直接的にコストとして算段すべきものであり一層無視はできない。
電気代から出るもの、税金から出るもの、一般国民にとっては両者とも同じコストだ。
それらを提示しないでごまかしのコストで論議するのは汚いやり方だ。
原子力をやめて、いままで迂回して原子力発電コストを抑えていた税金の分を別の方法で充てれば良いだけの話だ。

原子力をやめると電力不足になるという論理はおかしい。
発電というのは原子力である必然はどこにもなく他にもたくさんの方式がある。
自然エネルギーは机上の空論という人でもLNG発電は否定できないだろう。
火力や水力の現状設備の再稼働もあるだろう。
当たり前だが数年かかるというのは全てでは無く数ヶ月のところもある訳だ。
不安を煽るつもりなのか、数年とひとくくりで言う人は疑った方が良いだろう。
原子力が順次運休していくのに合わせて火力や水力の再稼働をやっているのか。
福島はもう復活はないからその分の明らかに不足をする分に関しては火力を中心に再稼働をしてきている。
しかし点検運休に併せて火力水力の再稼働作業をしているという話はどこにもない。
点検は原子力での再稼働が前提だから当然。
結果として足りなくなるのも至極当然。
仮に原子力は点検が来たら止めるという前提で動けば、当然ながら火力なりの再稼働作業を、原子力を止める時期から逆算して始めることになる。
そうすれば不足になるわけが無い。
因果関係を実にうまくごまかしているだけの話であり、それが逆に不信感を生む。

現状のように中途半端な方針で、点検した原子力発電を点検一時停止ということを各所で続けていれば当然ながら不足していく。
しかし原子力をやめるときっぱり決めれば代替えの発電方式を充てていくことで不足にはならない。
別の見方をすれば現状の電力不足を引き起こしているのは現時点の政治的方向性の無さが原因ではないのか。

技術経済に影響懸念と言って矛先を変えようとしているのも気にくわない。
もし万が一にでも他のところで原発事故が起きたら日本は経済的に壊滅的になる。
それの危険度が最悪に近いのが静岡にある原発でそれはさすがに止めただけの話。
ここにきたら確実に静岡はもとより首都近郊一都三県が危機にさらされる。
そうなると本当に日本は致命的なダメージを受ける。

他の地域でもダメージが酷いことは風評を含めて福島と周辺の事情を見ればいうまでもない。
今回の災害は津波-地震だということが分かってきた。
しかし傷跡でいえば津波であるのは確かだがその次が放射能汚染となってきた。地震の被害はもはや3番目といえるのではないか。
被害からの復旧で言えば津波からも立ち直ってきた話が聞こえてきた中で、放射能汚染だけはむしろ悪化してきているように思える。
牛-藁の問題は露見してきただけともいえるが、実際にまだ放射能漏れ自体は続いており、放出した放射能量の累計で言えば悪化が続いているのは否定できない事実だろう。
これは予想もしなかった経路で放射能汚染の拡散が生じて経済的被害が起きうるという証左となってしまった。
福島原発の教訓を仮に十分に生かしたとしても、他の地域で起きたときにそれだけで済むと考える方が間違っている。
別の「想定外」な事柄がおきて大騒ぎになると考える方が自然だ。

こんな現実があり、収拾できないという現実をみてもなお経済の影響として原発を捨てることのほうが問題がある、と言うのだろうか。

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2011/07/17

WinでXboxソフトを動かすのか

リンク: 「ウィンドウズ8」とXboxが合体する? マイクロソフト「仰天プラン」の真実味 : J-CASTニュース

そもそもなぜマイクロソフトがゲーム機を出したのか。
その点に関して考察しないとダメだろう。

国内ではかつてパソコンと言えばPC9801という程にとんでもないシェアを取っていたが、海外からPCAT互換機が入ってきた。
ゲーム機はあったものの海外(米国)ではゲーム機よりもPCでゲームをやる流れが強かった。
アップル社の創世記のPCであるApple][(←2なのだが当時のロゴを真似てこう記述される)で爆発的に広がり、その後、今は無きAmigaに継がれて、本来はビジネスマシンだったPC/AT機とその互換機に受け継がれた。
そのころはまだWindowsなどはなくテキストベースのソフトが多かった。
まだCGA(320x200)といった低解像度の時代から始まり、ゲームの要求、GUIへの流れもあってVGA(640x480)と進化してゲームもそれにつられて高度化していった。
もちろんそのOSはマイクロソフトのMS-DOSであった。
とはいうものの、別にOSが必然と言うよりは起動時にMS-DOSが必要だったというレベルだったと思う。

その頃に日本にもPCAT互換機が入ってきた。
というか、そういう海外ゲーム市場の盛り上がりを見た先進ユーザーがPCAT互換機を輸入したりゲームを輸入したりしていた。
当然業者もそれを見ていただけではなく個人商店から輸入代理店が動き始め秋葉原にも出店が始まった。

英語でゲームをするだけではなく、日本語を使えるようにしてやろうという流れは出るわけでそれが俗にDOS/Vという流れである。
これはMS(マイクロソフト)ではなくIBMであった。
それまでは日本語を出すには専用ハードが必要だという“常識”ではなくグラフィック画面に書く、漢字もROMではなくソフトで持てば良いという発想だ。
これは既に当時でも高級機ではやっていたことでさほど珍しくも無い。
ただスクロールだけはソフトでは遅いのでハード(グラフィックカード)でサポートするという形をとる。
またグラフィックへのデータ転送を高速化するという事につきる。
これらの作業が驚くことにIBMという企業とユーザーが協力した形で行われたということである。
これによって盛り上がりを加速させたのはいうまでもない。

マイクロソフトは完全にこの流れから置いてきぼりを食った形になった。
MS-DOSではなく、IBMのPC-DOSの方が遙かに上を行ったのだ。(両者の互換性はアプリから見れば十分同じだった。)
さらにWindows3.1日本語版の出来の悪さはさんざん叩かれ、英語版のWindows3.1を日本語化パッチを当てるというのさえ出てきて流通に乗った。

Windows95が出たがゲームをやる人間にとっては使えなかった。
DOSモードも備えたがそれまでのDOSゲームが動かない。
パフォーマンスもDOSで動かすより格段に悪いからWindows上で動くゲームが増えない。
Windows98の出来の悪さ、そしてMeのひどさには目も当てられなかった。
それでもWindows上で動くゲームは少しずつ増えてはいったが暗黒時代のようだった。
DirectXがぶちあげられたが足かせにしか思えない時代もあった。
高度化するゲームの中で640kbyteの壁が立ちふさがり、リソースという小悪魔のおかげで不安定さの中でもがくしかなかった。

その中でWindows2000は救世主のように思えた。
640kbyteの壁は取り払われ4Gの壁は遙か遠くにあった。
DirectXやNTの譲りのOpenGLも好調で安定する。
DOSモードは消えたがその代償は十分に果たせたように思えた。
ここにおいて完全にゲームのプラットフォームとしてのWindowsが始まったといえる。
DirectXとグラフィックのドライバの協調によって今までにないパフォーマンスを出すようになってくる。
ハードを直接叩くのでは無く標準化されたAPIを叩く。
DirectXはゲーム機にも向かう。それがDreamCastだった。
ゲーム機でありながら標準化をしようと試みた機械だ。

XBOXが出たのはそれからみても何年も後の話だ。
米国本国以外では初代XBOXはまったくといっていいほど鳴かず飛ばずだ。
それでもXBOX360を出してきた。
それはなぜか。
今、XBOX360ソフトをWindowsで動かすと考える動機があればなにか。
その辺を考えていって見る。

原因1:ハード価格の下落
それはゲームをするためのハードウェアというのは高かったということだ。
XBOX360がプワマンズPCと呼ばれていたように(ゲームとしての)パワーの高さの割に安い。
高いと言うことはユーザーへの拡がりが無い。
Windowsは売れているとはいえ会社向けであり家庭向けの実数を考えると疑問がある。
ましてや安いPCではゲームをするには足りない。
ところが昨今では安くなった。
昔はハイエンドなら50万とかしたのだが、今では贅を尽くしてもなかなか20万に届かない。
そこそこを狙えばモニターセットでも10万は普通に切るし、モニターなしやゲーム特化仕様ならもっと削れる。
またXBOXは当時珍しいマルチコアCPUを使っていた。
ところがいうまでもなく現在ではマルチコアか否かでは無く、コアがいくつあるかというのがスペックだ。

原因2:PCの“最低限スペック”が向上した
スペックが満足しないのも含めてPCでの動作が安定しない。
コマ落ちなどは典型的な症状だ。
いまなら最低限、つまり640x480あたりならどんな機種でも動画を動かせる。
DirectXのパフォーマンスも上がったし、それに合わせたハード設計も定着している。
CDではなくDVD-ROMも最低限になった。
昔はハード依存の音源の問題もあったのだが、今では録音した音を流せば良いから問題ないし、ソフトウェアシンセサイザーを使おうと考えても十分だ。

ただしXBOX360クラスのハードとなればもっと上になる。
そこで考え方としては「Windowsエクスペリエンス」に倣うのかもしれない。
ベンチマークを標準で積んだということで驚いたこの機能だが、例えばXBOX360を5として評価するXBOXエクスペリエンスを測れば良い。
XBOX360へのソフトエミュレーションを含んでどの程度のパフォーマンスがあるのか。

原因3:ソフトの要求スペックが停まってきた
ソーシャルゲームの盛り上がりやレトロゲームの盛り上がりを見ても分かるように、ゲームの主流が最新ハードスペックへ要求と直結しなくなってきている。
Wiiの好調を見てもそれはいえるだろう。
次のWiiUでもHD対応にするけれどもそれを任天堂は全然ウリとは考えていない。
携帯やiPod系でのゲームが増えたりしているのも同じ事だ。

原因4:XBOX事業自体の行き詰まり
360の次はどうするのか。Kinectでどこまでつなぐのか。
単にグラフィックパワーを上げてもダメだろう。
XBOX360はスタンダードであり特長が無いだけに次が難しい。

これらを考えると、全てのPCでは無理だが、ゲーム向けに組んだPCやそこそこ高価なPCであれば結果としてXBOX360ソフトを動かせるパワーがあるのなら動かすようにしてしまおう、と考えても不思議では無い。

ゲーム事業的にもハードが売れずにソフトだけが売れても儲かる。
やらない理由は無いのだ。

問題はコピー問題ぐらいなものだが、Windowsからは全く読めないでも構わないだろう。
専用のXBOXソフトからディスク毎で認識すれば良い。
これもOSの仮想化が進んだいまだからできることなのかもしれない。

まあ、仮にそうなっても私個人としてはあまり面白いとは思わないのだが。

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2011/07/10

トラック“裏技”横行を防げないほど官僚は無能なのか。

東北地方の高速道路無料化に関してやはり“不正”が横行してしまっているようだ。

リンク: 【ドラマ・企業攻防】無料化高速、トラック“裏技”横行 観光地は閑古鳥で明暗+(2/3ページ) - MSN産経ニュース.
ちょっと制度の概要をみればにこの“裏技”などすぐに気がつく。
実際、私だけでは無く同僚とかと昼飯時に話していて普通に思いついている。
そんなレベルの物を仕事でやっている官僚がなぜ気がつかないのか。
なぜそれを未然に防ごうとしなかったのか。
官僚というのは本当に頭が悪い。

料金システム改修のための費用や時間が確保できなかったことから、無料化区間で乗り降りすれば、無料化区間以外の料金も徴収されない。

こんなものシステムの改修なんかしなくていい。
制度運営のやり方一つだ。

一案をあげてみよう。
運送トラックだからといって一律に“顔パス”させる必然は無い。
希望する業者全体に“無料パス”を配れば良いのだ。
パス自体は無償である必要は無く実費程度を取れば良い。
ボッタくって一枚500円としても運送会社にとっては一発で元が取れる。
これなら官僚もうまみがあるだろう(笑)
もちろん国土交通省名義の発行で通し番号が入っている。
仮に偽造したら自動的に公文書偽造の罪になるし、なにより以後、国土交通省から睨まれる。
料金所ではデジタルカメラあたりでパスの写真を撮ればよい。
トレースは全数する必要は無く適時に抜き打ち検査を行う。
疑われる行動があれば後で責任者経由で問い詰めれば良いだけだ。
運送伝票や業務記録などから確認を取れば良い。
不正が見つかればパスの取り上げ、追加の発行の厳格化をする。
そういう軽い“脅し”をかけるだけで運営実態の噂が広まり、不正は激減するだろう。

もう一案あげてみよう。
交通料金を還付するというやり方だ。
使った交通料金を申請すれば還付されるというやり方だ。
事業所規模にもよるだろうが記事に出てくるところでは百万~数千万規模になるという。
申請コストなぞ誤差の範囲内だろう。

別に料金システムに手なんかつけなくていい。
私なんぞが記事を見て数分で思い至るようなことをなんで仕事でやってる官僚が気がつかないのか。

ところで、この“不正”に関して何が問題なのか考えてみる。

一つ目は石油の無駄な消費という社会悪だ。
本来東京で降りれば良い場合でも白河まで行って戻ってくる。往復で400kmくらいだろうか。
排ガス問題も馬鹿にならない。

二つ目は余計な税金が使われると言うことだ。
無料というのは使用者に対してであって、この往復の料金は税金で肩代わりされている。
(そうでなければ無料化に予算確保は必要ない)
間接的であり罪の意識が低かろうが、これは税金を原資とする給付金の不正受給と等価だ。罪は重い。

三つ目は無駄な交通渋滞発生だ。
無駄な往復は当然無駄な交通量の増加となり、無駄に交通渋滞の可能性を増やす。
これも環境への影響もあるし他のドライバーの時間を奪っているわけで害悪だ。

四つめは観光への悪影響、一般客の減少の加速だ。
交通渋滞に関連するが、トラックだらけで渋滞と聞けば誰もそこに自動車、ツアーバスであっても行きたくなくなる。
バスが無料の通行量が無料になってツアー代金が安くなったとしても渋滞して時間が無駄になれば帳消しだ。

ちょっと考えただけでも四つもでてくるのにそれ防げなかったと言うことは、いかに官僚どもが税金に対する観念が欠如しているかと言うことを現していまいか。

民主党の政策が間抜けだらけなのは事実だ。
ただし、この不正を防ぐレベルは政治家が考えることではなくて行政の実務レベルで検討すべきことではないのか。
つまり新聞もここは民主党叩きではなく行政の実務レベル、つまり官僚の程度の低さを叩くべきだ。

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2011/07/08

原発・ストレステスト

マスコミ・政府や議員・原発のある長。
どれもなんか的外れにしか思えない。
安全委員会もきちんと説明できないのだろうか。

マスコミが「合格前提の試験を行うのか。茶番だ」というような論調が多い。
ピント外れだ。

ストレステスト自体の考え方を改めて整理しよう。

ストレステストとは元々機器の安全性を確認するために行う物である。
電気製品を例にしよう。テレビ辺りで想像してくれると良いかもしれない。
例えば通電使用中に上から水をぶっかける。
普通は壊れるがそれは当たり前で問題ない。
その後に発火発熱から火事や黒煙など有害物質がでたりしないかを確認するのだ。
例えば室温をがんがんあげて何度でぶっ壊れるか確認する。
これも壊れ方が問題で発火などは御法度。
危険物質や異臭が発生しないかどうかも含めて判定する。
他にも逆に下げたり湿度やら結露させたりとあらゆる事象を変えて周囲に影響をださないことを確認するのだ。
電気製品なら雷や静電気を想定して数十万ボルト~数百万ボルトをコンセントにかけたりもする。(ただし短時間だが)
どこで故障するか、異常動作をしないか、そういうところを見る。

つまり合格前提の試験条件、などというのはそもそもありえ無いのだ。

例えば津波なら高さを順に上げていき、それ以上あげても状態に全く変化がないところまで上げていく。速さも変えていく。
地震も大きさを変えていく。
双方が同時だったり、時差があったり、連続させたり、間隔を変えたりと色々条件を変えて影響や状態遷移を観察する。
配線の寸断や短絡、制御システムやセンサーの異常発生等々が状態遷移だ。
温度や気温なども関係するかもしれない。
原発が破壊される、停止する、異常状態になる、そういうところまで変えていって様子を見る。

ストレステスト(シミュレーション)の結果の例を想像してみよう。

震度10が3度連発して津波が高さ50mで時速100km/hで来た場合に破壊され停止に至る、残念ながらその際には発電所の隔壁も破壊され放射能漏れが発生する。
津波による影響が届かないレベルの場合は震度11で2度連発すると破壊される。
それ以下のあらゆる条件で震災後、半年はそのまま放置されたして状態が変わらないということも確認が取れている。

例えば結果としてはこういうものが期待される。

副次的に機能停止に陥る条件や再使用できなくなる条件などもでてくるが、住民レベルの基準としては放射能漏れが起きるか否かが焦点となろう。

そして合格不合格はある意味常識的判断になるのだ。
あらかじめ言っておくと、この条件規模の震災がこなければ機能停止はするが少なくとも放射能漏れは起きないと考えて良いと考える。

あなたはこの条件を呑むだろうか。
それが合否の最終的な判断だ。

私ならこの条件は、周囲の住宅・地面も含めてかなりの広範囲に渡り壊滅的になっていること、地球上で起こりえるレベルとは思えないことを鑑みて合格と考える。
それでも放射能漏れが起きるからダメだと考える人もいて別に良い。

ところで震災で放射能漏れが起きるかどうかだけが問題ならば、耐震性や耐津波性(?)自体は低くてもかまわないのだ。
今回の事故も、例えば仮に給電がストップして冷却水が回らなくなっても、勝手に海水が流れ込んで冷却が行われ、自然対流で循環する仕掛けになっていれば良かった。
この場合は、海水を流し込む、という発想では無くて通常は電気で海水の流入を押しとどめる、という発想で設計するのだ。
そうすれば給電がストップすれば勝手に海水が流れ込んでくる。
周囲は汚染水びたしになるがそれも想定内。
周囲一帯がプールの中にあるようなもので流出はしないという設計にしておく。
これがフェイルセーフという考え方だ。

さらにそういう発想で作れば意地でも電気を途切れさせない方策を巡らす。
海水に浸れば炉が使い物にならなくなるのだから必死になる。
フェイルセーフを巡らさないから簡単に“想定外”になるのだ。

このストレステストというものはそもそも想定という思考など取っ払って壊れるまでやる。
その壊れた条件が妥当かという判断をする。

もし政府の回答がこういうものではなく「はい、合格しました」ということであればそれは疑った方が良い。
マスコミもそういう観点で報道して欲しいし、野党も追及するならこういうレベルのレポートを出さして検証すべきだ。
変化させた条件が十分であるかを検証すべきだ。

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2011/07/07

原子力擁護論の稚拙さ

リンク: 原子力論考(6) 「原子力以外のエネルギーなら人間が制御できる」と思いますか? - 読解力図解力と教える技術の謎解きブログ.

原子力擁護というのはこんなレベルなのだろうか。
結構ましな方ではあるが。

問いかけに対する答えは「イエス」だ。
記事になにか裏付けが書いているかと思いきや何にも無し。
話にもならない。
まあ、書いていることに自体に対する反論は後で書くことにして問いかけに対する話。

まず原子力以外の発電所で今回の福島もしくは東海村などで起きた騒ぎレベルの問題が起きたかどうか。

私には全く記憶が無いし記事もみつからない。
とりあえずは擁護論を言っているこの記事にも書いていないぐらいだから無いと考えて妥当だろう。
つまり(発電所レベルの)エネルギー制御ならば原子力以外は人間が制御できている、ということ、つまり「イエス」だ。
単純に原子力は発電所以外での活躍は殆ど無い(要するに社会的に存在が薄い)が故に大事故が起きていないだけの話ではないのか。

色々書いているのはその範疇を遙かに超えている論が含まれているしまったく的外れの論も入っており精査していくとなにも裏付けとして成立していない。
筆者はノーといいたげだがその論拠が何も無いという残念な記事になっているわけだ。

いうまでもなく石油は発電所の燃料としてももちろんだが化学工業製品(ビニル・プラスチックはその花形だ)としての重要度・社会への浸透度はいうまでもない。

ガソリン・灯油もそうだ。
灯油ストーブは寒さ厳しい北方では相変わらずの需要で代替えが無い。(あるとすれば石炭・薪・木炭になるだろうか)
ガソリンは地方の主要交通手段の中核を担うし、運送流通でも欠かすことはできない。

火力発電と言うよりはこれらの重要度が極めて高い。
脱ガソリンで自動車が進んでいるが、それよりも脱ビニル、脱プラスチックのほうが深刻なのになぜかあまり議論されない。
リサイクルの代表格とされるペットボトルでさえリサイクルされるのはたった10%という。つまり9割は新規に石油から作られているのだ。
ぶっちゃけ火力発電はこれらの絞りかすを燃やしておりオマケみたいな物。
仮に火力発電所を全廃してもなおリスクを背負って大量に輸入して貯蔵は続けなくてはいけない。
それを火力発電は原油事故があるから危険とか、論理のすり替えというか馬鹿馬鹿しすぎる。

LNGの事故は1944年の事故を出しているがもう65年も前の話を出してくるとは。
たった一度の教訓で対策がとられ今まで無事故というほど安全といえる。
1944年といえば米国は第2次世界大戦、日本とも交戦のまっただ中。
戦中というのはたいがいが安全の箍が外れてしまうものだ。
その中での事故で論ずるとは苦しすぎる。
それにLNGも都市ガスや化学工業製品としての原料として石油ほどではないにしろ必要な物なのだ。
仮に火力発電を全廃してもなおLNGは必要なのも同じ事だ。

危険化学物質にいたっては「エネルギーの話じゃ無かったの?そこまでネタ切れ?」と突っ込みたくなるような展開。
それでも反論すると、そもそも様々な“危険”な化学物質というのはどれも代えがたいからこそ危険を承知で扱っているのだ。
誰だって可能ならば危険な物質なんか扱いたくない。
それを承知でメリットが上回るからこそ扱っているのだ。

原子力に戻ればリスクを上回るオンリーワンのメリットが果たしてあるのだろうか。
放射性治療という医療の分野があるが余りに規模が小さすぎる。
原子力で作られた電気と火力等で作られた電気はなんら違いが無い。
別に原子力で作る必然は全くないのだ。
コスト面の有意さでも極めて怪しいと指摘されている。

もうひとつ擁護論があったのであげておく
リンク: 原発を擁護する : アゴラ - ライブドアブログ.

燃料中東依存の危うさをいうが既に述べたように発電所の次元だけではなく、化学工業製品レベルで欠かすことができないほうがはるかに社会的に重い。
電気は節約できてもこれらを節約する方がはるかにきつい。
レジ袋NO運動などカスほどにも役に立たない。
スーパー等で個別にビニールで丁寧に梱包された野菜ばかり買っていながらレジ袋程度で削減もないものだ。
せいぜい昔の八百屋みたいによくて新聞紙にくるむかそのまま買い物かごにいれて変えるような形態に戻るほうが重要だ。

社会に対する影響度でいえば仮に火力をなくしても中東依存はたいして変わらないのだ。

なるほど、安全保障の意味ではメリットはあるのは確かだ。
“ウラ”理由としてよく言われてきたことだ。
原子力爆弾なぞいつでも作ろうと思えば作れますよ、という国力の誇示だ。
まあ、そんなことを正面切って言えば猛反発をくらうのは必至だ。
この観点で世論を味方につけることになるわけだが擁護・推進論者には是非頑張ってみて欲しいものだ。

非核三原則などという荒唐無稽な政策をぶちあげるほどの国だ。
広島長崎の原爆の禍根はまだ消えていない。

まあ近代においては原爆は長距離ミサイル技術とセットで無いとあまり意味が無いという点も無視できないと思うのだが。
劣化ウラン弾とか日本は使える場面がないわけだし。

日本だけ原発をやめても意味が無いというのも語るに落ちている。

世界規模でみればそれこそ日本が原子力に傾倒して二酸化炭素排出を減らすことなど全く意味がない。
原子力の大きなメリットといわれるものを自ら否定してしまっている。
日本が仮に全排出量を半減させても世界中でみれば2%しか減らないのだ。なお、半減というのは絶対に不可能(世界中のどこの国でもだ)な意味として言っているので勘違い無きよう。
排出の大多数は米中であり、彼らがたった自国中の数%消費量をあげれば日本の必死の努力など軽く吹き飛んでしまうほどなのだ。

原子力発電所を作ることより壊すことの方が難しい、という論には賛同する。
だからこれ以上は作っては駄目なのだ。

止められるところから順に止めていく。
燃やしきったところから止めていき、新たに燃料を投入することはしない。
それで良いと思う。
性急に全部止めようという今の流れは私も賛同はしない。
理由も記事と同意見だ。
炉を“止めた”からと言って安全度がさほど上がるわけでも無いという原子力発電の本質的な欠点があるからだ。
今はクルマで言えばアイドリング状態。走行時と大差は無い。
やるなら再開を無期限延期にするのではなく“停止”を勧告しなくてはダメだろう。

だから私は、原子力の新規建設はもう止める、他の方法を性急に模索した方が良いんじゃないか、という立場だ。
今すぐに他の方法が見つかるわけが無いし代替えレベルまで成長するにも時間がかかるので、その間は原子力を使い続けなくては損だ、というのも現実論だ。
ただし燃料が燃え尽きるまで、もしくは炉が老朽化するまでには見つけなければならないという期限もついてきてちょうど良い。(期限がないと人間動けないものだ)

性急に、というのは国の金の流れとして、というのが具体的な意味だ。
原子力関連の予算は他の方法への新規開発に突っ込んでいく。
そうすれば原子力シンパも他の方法へ流れていくかもしれないという副次効果もある(笑)

さて、最後にせっかく記事で書いてくれているので引用しておくと

原発を止めて、核燃料廃棄物を適切に処理し、廃炉にすることは極めて難しく、その技術もまだ確立されているとはいえない。

実は原発はこんなひどい状況で実用化され運用され続けているのだ。
福島の報道でご存じだと思うが、原発が実用化されてからもう40年も経過した。
要は見切り発車をしたといえる。
それなのに未だに解決する技術(手段)が無いのだ。
ひどい話だと思わないだろうか。

そんなひどい物質・建造物などこの世に類を見ない。
どんな危険な化学物質でも処理方法は確立されており廃棄できない物は皆無だ。(コスト問題で不当廃棄され問題が起きることはあるが別問題だ)

どんなに金をかけても適切に廃棄できないものを発電で生み出しておきながら、発電コストが安いというのは根本的に間違っている。
単にコストを先送りしてごまかしているだけではなかろうか。

原子力が劣等生な発電方法だと私が思っている大きな理由の一つはこのことだ。

ガラスに封入して地下深くに埋めるという非常に原始的な手法しか無い。
40年経っても解決されなかったものが、少なくとも私の生きている間に解決されるとは到底思えない。
もっというと見通しさえ立っていないという。

世界中のどんな偉い人でも、いつこの技術が確立されるか予測すらできないのだ。
高度成長期でもあった40年前ならいざ知らず、いまは環境問題、つまり廃棄まで考慮してものを作る時代だ。
廃棄、つまり適切な処理をできないものを生み出すのは社会的に悪だ。
それが現代社会の大原則では無いのだろうか。

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2011/07/05

原発「安価」神話のウソ、強弁と楽観で作り上げた虚構、今や経済合理性はゼロ(2) | 社会・政治 | 投資・経済・ビジネスの東洋経済オンライン

リンク: 原発「安価」神話のウソ、強弁と楽観で作り上げた虚構、今や経済合理性はゼロ(2) | 社会・政治 | 投資・経済・ビジネスの東洋経済オンライン.

とりあえず発電単価だけでも水力よりも高いというのが驚きだ。
有価証券報告書の検証ということなので真偽は私には分からないが。
それでも「揚水」を水力に転嫁していたというのはやり方が少々汚い。

原子力のコストの調査をみていくとわかるのは、原子力の基本である放射性物質の廃棄、つまりは人間(本来は動植物も、のはずであるが)からの隔離に伴う高コスト構造である。

施設がそばにあるだけでも危険性が伴うためにそのリスクの代償として多額のお金が払われている。
その額は原子力で2.1円/kWであるという(記事の4ページ目)。火力と水力は0.1円。
発電単価が10円前後であることを考えれば非常に高額である。

他にも色々書いてあるが要するに
正味の発電コストは原子力が12.23円、火力9.9円、水力3.98円
ということのようである。
記事を検証するとけっこうぶれる数字にも見えるのも事実だが、その一方で再処理・廃棄に伴うコストというは気が遠くなる話だ。
何十兆という金額が出てくる。

しかもそれでも本当の意味で“処理”できるのではなく隔離しておくだけの話なのだ。
今回、福島の外郭爆破の結果で放射能拡散をひどくしていたり、汚染水が高濃度になってしまっている要因の中には、処分できなかった燃えかすを原子炉の中に置いていたせい、ということも指摘されている。
ゴミを捨てられなかったので部屋の中に残していた、というようなものである。

さらに笑えないのが原子力でいままで稼いだ4兆円が今回の事故でぶっ飛んだという事実である。
事故の補償がなくとも原子炉の早すぎる廃棄だけでも兆単位の負担のはずである。
これは原子力は発電所建設や廃棄に他の発電方式以上のコストがかかるという問題から来ている。

記事の中でも原子力発電そのものの経済性に疑問視がある、と結んでいる。

原子力はコストが高そうだとは思っていたが、さらに高コスト体質であることに多少驚きがある。
とんとんぐらいだから事故時の危険コストを考えてやめたほうがよいのではないか、と思っていたがそうではないという結果だ。

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“東電は”原発をやめろ

リンク: 『坂の上の雲』から学ぶビジネスの要諦:汚染浄化装置の配管ミスは、仕組み化・マニュアル化の盲点だった (1/2) - ITmedia エグゼクティブ.

以前の「今回の地震は想定外」もそうだが、東電というのは技術力の無い、技術者不在の会社なのだろうか。
「想定外」というのは技術者として最も恥ずべき言葉。
想定できなかったということ自体が恥ずべき事なのだ。

さらに今回のこの顛末。
ぐだぐだいうのも面倒なので一言。

こんな会社は原発をやるべきでは無い。

原発そのものの安全性とかそういう議論の次元では無い。
私の言葉に重みなんかどうせないのではっきり言うが、こんな会社は原発をやってはダメだ。

別の記事によると下請けがひどくて8次だか9次下請けまであるそうだ。
呆れるにも程がある。
そんだけ“遠ければ”まっとうな“いい仕事”などできるわけが無い。
やる人が優秀とかそんな次元の話では無い。


 問題は、記者会見で「弁の表示が間違っていた」とまるで他人事のように言うことである。東電の調達する製品は、完全であることが当たり前と言わんがごとく、直ぐに他責にするのが問題であり、それに驚愕している。「本来そのような表示ミスは当社も気付くべきであるが、限られた時間での作業だったので、表示を疑わなかった」と自らの責任も認めるべきである。
まったくこの意見に同意する。
ついているマニュアル通りにやってダメだった、俺には責任は無い、というのは家電か何かを買った一般人レベルの論理である。
東電の方々は仮にも専門技術を持って発電所を運営しているのではないのか。
もし違うというのなら全員アルバイト人員並にもっと給料は下げるべきだ。
もちろんその分は電気料金値下げをすべきだ。
技術者として自らを貶める程の最低の言葉を発していることに気がついていないのか。

もう一度言う、東京電力がやるのなら、今後は原子力発電は止めて欲しい。
仮に発電所の安全基準が問題ないとしても、東京電力自身が安全基準を満たしているのか極めて疑わしいと言わざるを得ない。

それこそ送発電分離をして、原子力なら開発した東芝なり日立なりの子会社が直接運営すべきだろう。
それが本当に良いのかはわからないが東電がやるよりはよっぽどましだろう。

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2011/07/02

偽サマータイム各社導入

サマータイムは結局導入するどころか、検討すらされなかったようだ。

今、大手各社がやっているのはただ「時差出勤」であって「サマータイム」ではない。
マスコミも勘違いしているのが多くて失笑してしまう。

サマータイムならばライフスタイルは変わらない。
単純に時計をずらすだけであって、その時計に従ってのいつも通りの生活のパターンで良いからだ。
その時計通りにいつも通りの電車は来るし、店も開店閉店をする。
もちろんその時計通りに出勤退勤すれば良い。

夏と冬で日照時間が変わる程度の影響であってその程度なら慣れたものだ。

ところが時差出勤は異なる。

電車通勤ならいつも乗っている電車と違ってしまう。
乗り換えにも変化が起きる。
通勤時間、家を出る時間が早くなる人もいるだろう。
郊外に住んでいて始発でぎりぎりという人は間に合わなくなるかもしれない。

多くの人は時計に合わせてライフサイクルを刻む。
体と言うより精神的での負担も大きいのが時差出勤の悪いところだ。

経験の無く、そんなでもないだろう、と思う人もいるかもしれない。
そういう人は例えば自分の時計だけ一時間ずらしてその時計を元に一日の生活をしてみよう。
周囲は変わっていないので必ず混乱して疲れる。
周囲の時間と一時間のずれがある、というのは頭で分かっていても混乱する。

そんだけのことをやって、なんのメリットがあるのだろうか。

若干だが総合電力量は減る。
朝は気温が低い。少なくとも退勤時間近い夕方の温度よりは低いだろう。
だからこそ計画的にサマータイムを導入して年間通しての総合エネルギー消費量量を減らそう、という取り組みであれば非常に良いことである。
しかし現在問題となっている停電の回避、つまりピーク時の電力消費量を減らそうと言うことには誤差程度の効果も無いだろう。
ピークは午後2時~4時になると言われるがそこでの消費電力に影響を与える要素がないからだ。

なにをやるにしろメリットとデメリットを科学的に判断すべきだ、と私は思う。
今回の各社の独自判断による偽サマータイム=時差出勤の導入は従業員への負担を増やしただけの茶番劇、それこそスタンドプレーといえまいか。
サマータイムは日本中の時計をずらす、という国民に最も負担が少ない条件での導入が大前提である。
各国72カ国(?)が導入していると言うがそれが当然だ。

自動車各社が全体で下した土日出勤木金休日はピーク軽減には効果が大きい英断だ。
月火水には効果が無いと揶揄する人もいるがそこまでは責任は持てないだろう。
なにもしないよりリスクを大幅に減らせる。
従業員への負担という意味では高いが、それに見合うだけの効果は高い。
なんせ危険度の高い平日に企業としての消費電力をほぼ0にするのだから。

業界全体でというのも非常に英断といえる。
関連会社はケイレツの崩れで特定の一社と言うより自動車各社につきあいがあるのがほとんどだろう。
会社毎にまちまちだと結局休みなしという対応をせざるを得なくなる。
そのことを考慮しているのだろう。

おそらく国としてサマータイムにすることへの拒否は日本でのコンピューターシステムの対応が要因だろう。
日本固有文化で作られている銀行や証券のシステムが対応できないと思われる。
流通のPOS等も対応できないのかもしれない。
仮に震災直後に企画されたとしてもたった三ヶ月での対応は困難だろう。

しかしこれを機会に日本でもサマータイムを考慮したシステム設計も考えるべきではないのか。
火力が中心になろうが原子力を継続しようが、エネルギー事情が悪化していくのは明らかだ。
それこそ再生可能エネルギーで有り余るほどを賄えるというビジョンが出れば別だが。

そういう議論にすら到底及ばなくて政府行政も検討の声すら言葉が聞こえてこなかったのが残念だ。

それだけではなく大手企業各社が好き勝手に時差出勤の導入したのをみて「サマータイム」等と表現をするマスコミに対しては笑うどころか害ありと考えた方が良いのかもしれない。

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