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2007/10/15

初音ミクをまともにとりあげられない情けなさ~TBS「アッコにおまかせ」の初音ミク特集に批判相次ぐ - ITmedia News

リンク: TBS「アッコにおまかせ」の初音ミク特集に批判相次ぐ - ITmedia News.

たまたまTVをつけたらやっていたんでみてたんだけど、ひどいつうより何の紹介だかよくわかんなかった。
VOCALOID2→初音ミクの紹介をしていたらしいんだが、ながら観をしていたせいもあって「また単なるオタクたたきをやっているんか」ぐらいの印象しかなかったわけで。

まぁ、いろんな観点があるみたいだけど、私には単にマスコミというかTBSの情報収集や物事を捉える能力の欠如というものを感じざるを得なかった。
いってみれば底の浅さが露呈しているという感じかな。

音声合成というのはたいがいの人が思うよりも極めて難しい技術である。
さらに歌うというのはとんでもなく難しい。
それをかなえたVOCALOID2という音声合成エンジンは極めて素晴らしい技術の結晶といっていい。
人類の夢の一歩といっても過言ではないのだ。
人類の夢の1つとして人工人間(人造でもいいが)を工業的に作る過程において様々な技術課題があるが、その1つが音声合成技術なのである。

将来的に人間の相手をするようなロボット(アンドロイド)ができたとしよう。
そこで必要となるのは間違いなく自然にしゃべれる音声合成技術なのだ。
もしくはなんらかの原因で声を失った人が再び声を得たい、そのような高度な補完医療のためにはこのような音声の合成技術が一要素となる。

音声合成エンジンというのはいったいこれをどうしたらいいのかなかなか捉えどころが無いし、ある程度素材が組み込まれていないと利用することも困難である。
エンジンとはよくいったもので、たいがいの人にとっては自動車のエンジンだけ渡されても途方にくれてしまうだけである。
そのエンジンを組み込んで自動車として売ってくれれば運転もできるしひとによってはエンジンからいじりたいと思う人も出てくる。
そこで初音ミクというのはこれを利用して作られたアプリケーションの1つとして登場した、ということに過ぎないのである。

このような観点で捉えることができずに、単なるオタクの使うキモいアイテムの1つなどとして捉えるような紹介しかできないというのは実にレベルが低いといわざるを得ない。

まぁ、一介の低脳芸人しかいないような低レベルのバラエティ番組だから仕方ないといえばそうなのだろうがね、ということにしておけばいいのだろうか。

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2007/10/09

Podcastと曲中音楽

まぁ、薄々はそんなもんだろうとは思っていたけど。この記事から

要するに今のPodcastは原盤権の許諾やら、JASRACの実態に即さない青天井の著作権使用料などの「壁」があるため、商用音楽を使った番組作りがまったくできないわけなんだけど

やっぱりそうですか。
Podcastではいろんな番組を聞いているんだけど、いわゆる曲の紹介だけして間がカットになっているのばかりでなんかがっかりなことが多い。最近はもう慣れてしまったけどね。
ラジオなんかで耳にして気に入った曲を買うことも多いんだけど、それはPodcastでも同じじゃないかと思う。
ラジオと違ってPodcastというのはある程度意志をもって嗜好の強い番組がほとんどであることもあってその曲を聴きたい!と思うこともよくあるんだけどねえ。
車の中で聴いていることが多いのでよほど記憶に残らないとその後調べないし、わざわざもう一度Podcastの番組を聴きなおしてまでその曲をという気もしない。
もしかしたらその場で曲を聴いて感銘を受けていればまた違うとは思うけどね。

しかも慣れてしまう、というのが実はキーだ。
その曲が聴けないとわかると無意識のうちにその曲の名前さえも頭の中に残そうとしなくなるのがどうも人間の習性というものらしい。(何度か意識して覚えておこうと思ったことはあるが文字だけの情報では私は記憶力が弱いのですぐに忘れる)
考えてみれば当たり前だ。曲が聴けるのならその曲と曲名を関連付けて記憶しようとするだろう。
しかし聴けないのなら曲名というのは無用な情報に過ぎなく、覚えようとしないのは自然なことだろう。

まぁ、そんなこんなでJASRACはまたも曲が売れる機会を潰しているわけだ。

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2007/10/08

当然の帰結かな?~トヨタの「醜悪な」落日? - エコノミー、マーケティング、そして IT

リンク: トヨタの「醜悪な」落日? - エコノミー、マーケティング、そして IT.

もちろん、トヨタの行為は恥ずべきことではあると思うが、トヨタ嫌いの私から見ればまあさもありなんという感じであったりもする。

そもそもトヨタに文化活動などといってもあまりぴんとこない。
もちろん文化活動をやるかもしれないが、それはおそらくは企業イメージの向上といういわゆるCM活動の一環として有効であると判断されればのことだと思われる。

彼らの至上目標は効率向上である。
それ自体を否定はしない。
徹底して効率を上げる。非効率な部分は他の会社に押し付けても構わないから自分のところは最高効率となるように仕組みを作る。
それが非人道的であろうが、社会全体を見て合理的であるかという観点はとりあえず二の次。
それを徹底したからこその現在のトヨタの位置ではないだろうか。

エンジンをかけたエンジニアかスタッフなりもおそらくレースに勝つという目標に向けて最も合理的でベストな行動は何か、ということを考察した上での、あの時点のエンジン起動をおこなったのではないか、と私は考える。

それがF1という紳士的な場にあわなかっただけのことである。

私はトヨタがF1参戦ということを聞いて最初は耳を疑ったほどで、初めてF1の場に本当にトヨタが現れてほんとうにやってるんだ、と納得したぐらいの感覚を持っていた。
そもそも場違いな存在なんだと私は思っている。

おそらくは現場の人間は最初はなにが悪かったのかまったく理解できていないんだと思う。
かといって謝罪をしなければ社会的問題になる(すくなくともマスコミが騒ぎ出すという意味で)ので幹部が謝罪をしたというように私の目には映る。


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文化活動という点ではいわゆるおためごかしのことはやっているようだ。

近所のトヨタディーラーでは店舗周辺の清掃活動を行っている。
私の通勤経路にあるので良く見かけるのである。
しかし逆にそれをみるたびに私はトヨタに対する嫌悪感を倍増させている。
(普通の人にはあれは好印象に映っているのだろうか)
清掃時間はおよそ8時前後であるようだ。店舗の開店は8時半からのようだ。
つまりこの行為は無給で行われていると考えられる。(それとも時間外手当がでているのだろうか)
形式的には「社員の自発的行動」ということになっているのだろう。
清掃ぐらいはボランティア活動である、そういう大義名分なのだろうか。
しかし社員はみな制服のつなぎを着用しているという矛盾がある。

つまりは会社は一銭も出さずに口先だけで社員を時間外で動かし、会社のイメージをあげようという極めて悪質な行為であると私はとらえてしまうのだ。

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津田大介さんに聞く(前編):「ダウンロード違法化」のなぜ ユーザーへの影響は (1/3) - ITmedia News

リンク: 津田大介さんに聞く(前編):「ダウンロード違法化」のなぜ ユーザーへの影響は (1/3) - ITmedia News.

じゃあなんで日本レコード協会がこれを強く要望するのかというと、「ファイル交換ソフトからの違法楽曲ダウンロードや、違法着うたダウンロードも違法行為ですよ」とプロパガンダできる。そのための法的根拠が欲しかった、ということだと思うんですよね。
別の言い方をすれば「脅し」ということでもある。
違法行為の抑制というのは刑罰とのセットでないと実効性を帯びないというのはいうまでもないわけであるが、それでも違法行為であるといえば小心な人であればそれなりに効果はあるかもしれない。
が、そんなひとがそもそもやるのだろうか。
実際のところ、今回ダウンロードが違法とされ、その後数年経っても、違法な動画や音楽が全然減らないという状況があったら、次は「刑事罰つけよう」とか「著作権侵害を非親告罪化しよう」なんてことにもなり得ると思うんですよ。
これへの布石であると考えたほうが妥当だと私は思う。
いきなり刑事罰をつける法律を制定しようとすると抵抗感が強いし、深い論議を行われてしまう可能性が高い。
まずは「刑罰はなしでいきましょう」といって一度法律を作ってしまってから「やっぱり刑罰もつけましょう」としたほうが抵抗感が少なくて済む。
そして確実に減らないと私は考える。
違法のアップロードというのはほとんどが「無償の行為」として行われているものを指しているのではないか。
つまりダウンロード数とかそんなものを指針としてその行為が行われているかいないかが決まっているわけではない。
さすがにダウンロード数0となったら考えてしまうかもしれないがそんなことは現実的に起きえるとは思えない。
そもそも違法とはいえ刑事罰はないのだから、違法だって気にしないでダウンロードするとしか思えない。
さらに仮に刑罰がなくても自分は捕まらないと信じきってダウンロードする人だっているだろう。
刑罰があったって別に軽いからかまわないと考える人もいるだろう。さらにいえば自分は未成年だからと考える人もいてもおかしくはない。
結果といえば若干は減る傾向が見えるかもしれないが、観測誤差の範囲内、というかコンテンツの人気による差の中に十分に収まるような差しか出ないと思われる。

つまりは刑罰なしではなんの実効性もなしで終わるわけだ。

刑罰なしだからいいではないか、という論点で法律制定を容認することは極めて危険なことだと考える。

よくいわれることであるが、法律というのはかならず作用があり、副作用がある。
完璧な法律文章というものを作るのは極めて困難であるので、間違った運用をされてしまう可能性を常に持つ。
作った人間(法案提起者)と可決した人間(国会議員)は現実には同一ではないし、それを運用する人間(一般人や弁護士、警察官など)と法律を元に判決を行う人間(裁判官・判事)は勿論同一ではないのだから本質的に危険性は伴うのだ。

法律は決して私物化して濫用すべきではないのだ。

本文中で述べている津田氏の「いやな感じ」について私は強く共感を持つ。
そもそもなにか筋が間違っているようにみえる。
さらにいえば消費者団体の人もそれに巻き込まれてしまっているように見える。
消費者の論点に自分の論点をあえて絞ってしまい、一般人としての意見、論点や危惧などをあえて抑え込んでいるようにも見える。

この法律ができたら周囲にどのような影響を与えうるか、その副作用はなにがあるのか、について津田氏が考察しているのは非常に好感が持てる。
というか、むしろその他の人たちがそこまで考察していないということに反感を持つ。
法律を作ろうというのはそこまで考察して行うべきではないのだろうか。

私がこのような危惧を大いに持つのは実は実際の法律制定までの過程のひどさにある。
ほとんどの人は国会議員が議論をして法律が制定されると思っているのかもしれないが、それは大きな間違いである。
極めて重要な法律であればそれもあるが、現実にはこの著作権問題のような非常に瑣末な問題に関しては間違いなく適当に流される。
このような小委員会を開いて議論をしているのはまだましなほうで、例えば一部の省庁の役人が作り上げてそのまま国会に提出され可決されてしまうことだって決して珍しくはないようだ。
役人だけならまだいい。問題は一部利権団体と役人が結託して法律が作られた場合だ。
天下りのキーワードを出すまでもなく一部企業と役人が結託することは決して不思議ではない。
国会議員も内容もろくに知らないで可決することだって珍しくはないらしい。もちろん可決の前にあたって主旨説明があるようだが、作った役人が説明するわけで自分たちの都合の良い法律文をつくっておきながら主旨説明ではいかにも公共性があるかのような、議員に受けの良い言い方をすることも十分に可能なわけだ。
そして彼らはその点についてはプロであることはいうまでもない。
さらにいってしまえばいちいち法律文を吟味するほど国会議員は暇ではないらしい。

その結果、実際に関心を持って論議を持つ国会議員というのはごく僅かでしかない。
私がバナーを張っている「輸入CD規制」問題では国会での流れをかなり詳しく見ていたが、国会での可決というのはあきれるほど形式的なものなのである。
小委員会での結論をもってしてそのまま可決という流れになるのはかなり確率が高い。
党のお偉いさんや内閣閣僚がなにかしら懸念を持ちでもしない限り流れは変わらない。

さらにこのことを加速するのは「党議拘束」というシステムである。
要は党が是非を決め、党員はその数として賛否を挙手しなくてはいけない、というシステムである。
これに逆らった場合、さまざまな党内ペナルティがあるということである。
例えば代表質問に立たせない、党内役職からはずす、この2つだけでも国会議員としては致命的とも言えることである。
党議拘束があるのならばそもそも自分の意見をもっても仕方ない、法案を検討しても意味がない、と考えても至極当然のことである。

このようなことを踏まえて考えれば、小委員会での方向性というのは極めて重要な意味を持つ、ということを意識していないといけない。
ある意味この後ろには歯止めがないのだから。

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