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2007/07/28

明日は国政選挙~選挙公報がこない

選挙公報(せんきょこうほう)とは、選挙に際して立候補した全ての候補者や政党等の政見等を記載した文書で、公費で有権者に配布されるものをいう。 (WikiPediaより)
そうか。公費で配布されるものだったのだな。まぁ、あたりまえだけど。 で、うちにはきていない。 私、有権者なんですけど。

調べてみると業者に委託して配布をしているようだ。
というのは検索してみたら過去の業務実績に参議院や衆議院の選挙公報の配布委託を受託していることをうたっている業者が見つかったからだ。
新聞に折り込んでいるのだから官→こういう業者→新聞代理店という流れなのだろう。
なんとも中途半端な話である。公費を使っていながらこのような中途半端なことをしているわけか。

もちろん役所に行けば置いてあるわけだが、それを有権者に配布という表現でよいのだろうか。

この状態って違法くさいのは私の気のせいでしょうか。

もっと調べてみればこんな話はどこにでも転がっているようだ。
ここ最近とみに新聞の購読数(紙の、という意味でオンラインの売上はそこそこ上がっているらしいが)が減っているそうでどこまでこんなことを続けるつもりなのか、興味深いところではある。

そもそも新聞折込というのもおかしい。世の中には有権者ではないが、新聞を取っている、という人もいるわけである。たとえば在日外国人や選挙権がまだ無い未成年でも住居をもって新聞をとっていても不思議ではない。そういう人にも結果的に選挙公報を配布しているわけで税金の無駄遣いである。(細かい話だが)

選挙に行こう!とかいってTVCMやら行う前に、新聞折込などというのはやめて、一律に有権者のポストに投函させるべきである。(郵送でもなんでもいいけど)
もしくは投票所入場券とともに配布しないのはなぜだろうか。
毎年さえないことなのだからこれをやっても税金の無駄遣いなどとはいわれないだろう。
むしろ新聞折込のほうが無駄遣いといわざるをえないのではないだろうか、と思う次第である。

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2007/07/21

ITmedia News:「あの貪欲さはもうない」 日の丸半導体の没落

リンク: ITmedia News:「あの貪欲さはもうない」 日の丸半導体の没落.

私なりの分析をしてみたいと思う。

この20年での半導体業界の遷移というのは、2つある。
ひとつはアナログからデジタルへの移項。
もうひとつは映像からPCへの移項。
2つは重なるところもあるがおおまかにいうとこの2つではないだろうか。
それがランキングには如実に現れている。
かつては絶大な力をもっていたナショナルセミコンダクターやフィリップスのランク落ちがそれを示しているのではいか。
アナログのテレビ時代には非常に技術力もあり高い支配力をもっていた。
モトローラも根幹はアナログ時代の通信機器にある。
現在も携帯電話では大きな力を持っているものの半導体としては1勢力になっているのだろうか。
日本各メーカーもその傾向が多分にある。

2006年のランクを見ればインテル、アドバンスド・マイクロ・デバイス(AMDといったほうが通りがよいのでは?)という2大CPUメーカーがあり、サムスン、インフィニオン、STマイクロ、ハイニックスというメモリメーカーが並ぶ。東芝もメモリメーカーの1つでもある。
むしろ異色なのはテキサス・インスツルメンツ。ランキングで唯一残っているのがこの1社であることは興味深い。
ルネサスとフリースケールは民生機器用のCPUとしてというところか。
正直フリースケールは意外である。

大雑把に言えば今日上位にいるのは、パソコンの潮流に乗った半導体メーカーということがまずいえる。
もはやパソコンはインテルにあらずばになった。Macさえもインテルになってしまったからだ。
他のアーキテクチャが台頭する余地がまったくみられない。
その一方で、パソコンというもの自体への懐疑心もだんだんとでてきている。
はたしてそもそもパソコンというものは必要であるのか、という観点である。
家電や携帯電話やゲーム機の高度化が背景にある。

インテルやAMDはもちろんそんなことはとうに承知済みで家電や携帯電話等にも目を向け始めている。
パワー競争一辺倒はやめて低消費電力を目指している(消費電力あたりのパワーというものさしもでてきている)。
これもパソコンだから許されているという欠点面を直視し、家電の様にどこにでもあるものに入れてもらえるように方向を変え始めている。

一方でメモリも必須な部品である。
CPUに依存せずおよそデジタル機器となればかならず必須である。
特徴としては互換性を守らなければならないことにある。これは弱点でも強みでもある。
端子の位置やパッケージ形状、電気的特性などかなりの部分において互換性があることが求められる。
明日から別のメーカーに置き換えられるという危険性が常にある。しかし逆に明日から別のメーカーになりかわることもできるという強みでもあるのだ。
本質はお互いにコピー品を作りあうようなものである。より精度の高いコピー品をより早い時期により安く、大量に作れることが売上を上げるための要素となる。
私自身が経験したことだが、あるメモリメーカーのデータシートをみたところ、なにか既視感を感じた。実はそれはある別メーカーのデータシートとうり2つだったのだ。(メーカー名や会社ロゴがすり替わっているようなもの)
たしかにスペックはほぼ同じであるからそれも良いかもしれない。データシートに著作権はないのかもしれない(よく知らないが)。しかしこういうことを堂々とやるというのは少々ショックを受けたのは否めない。
こういう世界であるのだ。
これには迅速な投資力。設備は実際には設備メーカーがいるからまあ改良はするかもしれない。
どちらかというと財閥系や銀行系など金を持っているところが勝つ。

もっともこれらは普及帯のメモリの世界である。
一方でより高度な(高速、つまりメモリ帯域のより広い)メモリの開発というものもある。
しかしこれは高価ゆえに市場が狭く売上という点では上位にあがることは無理だろう。
インフィニオンやエルピーダなどがこれらに属する。インフィニオンはキマンダという分社を行い、大量にでるメモリについてはそちらでがんがんやるという方針の様に見える。

このような状況であるから、日本がメモリ市場で上位に立つのはかなり難しいだろう。
基本が投資の世界だからこれは技術力とかでどうこうなるものではない。
焚きつけるとしたらばこれはもはや国家戦略か、銀行である。
一時期日本がメモリで上位に立ったのも国家戦略であったのではないか。
それによって銀行も動く。金がまわらないと技術というのは所詮動けないのだ。
しかし記事にもある日米半導体協定で潰されたに等しい。
国家レベルで一度潰されると無力感や脱力感、そして忌避感(タブー視)につながる。

そもそも自由貿易の世界、特に電気産業という純粋に技術力(とコスト力)が部品の選定基準になる世界において、輸入増を枠として求めるというのはどだい無理な話である。
使いづらくともなんとか無難なところを採用する。少しでもいいところをみつけてあげて採用する。
日本の部品のほうが良くて安いのは承知の上で海外品を枠だからという事で採用する。
これで不採用になった日本部品の落胆というのは計り知れない。
一方で採用された海外半導体は伸びない方がおかしい。売れれば金が入る。より一層研究開発に金が回る。設備投資もできる。
その分、日本に金が回らなくなり縮小する。
日本メーカーは売れなくなったはけ口を海外に出せるわけでもない。どん詰まりである。結果、リストラとせざるを得ない。
一度遅れた技術は取り戻すことは容易ではない。マラソンで立ち止まされたようなものだ。止まらなければ同じ速度で走っていれば良い。しかし差を詰めるには相手以上の速度で走らなければならないからだ。

それでもエルピーダというメモリメーカーを日立とNECのメモリ部門が統合して立ち上がった。
東芝もフラッシュメモリでは負けない、という決心をして巻き返しを謀っている。
ルネサスも三菱と日立のプロセッサ部門が統合して立ち上がった。
では国策としてこれらは一体どうなのか。無策ではないのか、としか伝わってこない。
エルピーダなどは台湾に工場を設立している(台湾との合弁であるが)
国を支える産業というのならせめて追い風を吹かせて欲しい。

メーカーに貪欲さが無い、と切り捨てるのは簡単だろう。
ではなんでその貪欲さがなくなったのか、それは無策による失望感である。
記事にある設計者の絶望感もそれにあると思う。
設計部門の解散も金のめぐりがなくなった故の会社としての決断だろう。
こういうものはまず営業部門が締め付けられる。すると単純に業務が厳しくなるというレベルではなく、量が出なくなる。量が出なくなるとコストが下げられなくなる。
例えば損をして得を取れ、という戦略もできなくなる。規模があるからこそできる営業戦略もあるからそれを使えない分だけ他者に負ける。
売れなければまず人減らし。設計もできなくなる。どんどん規模が縮小していく。
設計部門の解散いうのは最後の手段である。ものさえあれば売るところはまだなんとかなる。
もし革命的なものができれば営業がいなくても売れる。(まぁ、これは可能性論だが)
しかし設計部門の解散とは、新しいものができる可能性をゼロにすることである。つまり事業の解散に等しい。

さて、2006年の現状をもう一度見てみたいと思う。

そもそもたかが1億人程度の日本という国が半導体産業という全世界的にも普遍化しつつある産業においてトップ10を6つも占めている、というほうが極めて不自然である。
米国4、韓国2、日本2、欧州2という配分である。
トップ10でみるから韓国2ではあるが、韓国はこの2社集中でなおかつメモリ産業に偏重している。一方の日本全体としてみれば10の圏外メーカーがいくつもあるわけでバリエーションも考えてみればそんなに悪くも無いと思う。(日本はメーカーが半導体メーカーが多すぎるので数が分散してしまうのがこういう統計的数字を出したときに不利に働くことが多々ある。)
国力や産業としての集中度を考えると今が妥当なところではないだろうか。
例えばメモリでのサムスンは投資額が半端ではなく、膨大な生産量を誇っているので額は相当なものではあるが市場としてかなり不安定な状況に陥っており決して安泰ではない(*1)。
一方でインテルは完全支配状態に要る。

ま、他社はさておき、この辺で踏みとどまり、巻き返し、をすべき、という段階に来ているのだと思う。
今の状況ぐらいが妥当なところであるようにおもえるし世界シェアで25%という数字も悪くは無い。
かつてがあまりに強すぎたのだからそこまで無理をしてとりかえす必要も無い。
分散している半導体部門もエルピーダやルネサスの様に統合がまだ進む必然はあるかもしれない。
他にも吸収や合併が進むことは考えられる。

業界全体を見渡してみると、そろそろPCにも本質的な限界が表面化しつつある。
家電のデジタル化の方向が見えてきている。
次の転換期がそろそろきているのではないだろうか。

かつての圧倒的な強さを持つ日本というのは当然ながらありえない存在になる。
しかしそこからおちたからといって悲観する必要がそもそもあるのだろうか。
悲観して萎縮するほうが問題ではないだろうか、と思う。


そしてだからこそ問題なのは、家電のデジタル化、グローバル化が進んでいる状態なのにそれに逆行しているコピーワンス問題である。
この半導体問題と決して不可分な問題ではないのだ。
カスタムICをつくり、汎用化してコストを下げなければ国際的には決して勝てないからだ。
日本の決定的な弱点はそこにある。
デジタル化になれば家電のネットワーク化も避けられない。メーカーは必至になって妥協策を模索しているがこのままではどうやっても日本だけ特化した機器を作らざるを得ない。
それの端的なものがCPUでありインテルとAMDの強みに繋がっている。
インテルの究極はすべての(従来のハードで行っている)処理をCPUで行うことにあり、結果として自分がすべて支配することにあるからだ。しかし日本の団体はソフト処理は破られるといって決して認めない。

著作権保護については単純に米国や欧州など先進諸緒外国並にしてくれさえすればよいのだが。
世界各国で最も強力で複雑なものになっている。(著作権団体は先進などとうそぶいているがそっちは世界の進んでいる方向ではない(嘲))

同じ技術力と生産力等を持つメーカー同士で競えば、それに縛られないメーカーが国際的な生産量で優位にたつのは至極当然の結末である。
海外メーカーなどは日本をパッシングしても問題は無いが、国内メーカーはそうはいかない。
つまりこのことは足枷となり、国際競争力の低下につながるわけである。
国家の存亡に関わる事項であるといっても構わない。

決定的な要因ではないかもしれないが、因果関係はあることは私は断言する。
実施にPCの周辺機器をみているとそれを感じる。私の様に感じている人も多いのではないだろうか。

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2007/07/18

ITmedia D LifeStyle:「コピー10回だからこそ、補償金制度が不可欠」――権利者団体が主張

リンク: ITmedia  D LifeStyle:「コピー10回だからこそ、補償金制度が不可欠」――権利者団体が主張.

さて、ITmediaからもう一点
あまり正面から取るのもバカらしいので茶々入れ風にやってみたいと思う。

この問題がでてからある勘違いに気付いている人も多いと思う。
それは「コピーワンス」という言葉についてだ。実はデジタル放送時代になると(現状では)コピーができない。できるのはムーブ(移動=元からは消える)だけである。
なのになぜコピーというのか。この記事にも書いてある。

デジタル放送のコピー回数がこれまでの1回(コピーワンス)から10回(放送からHDD/DVDなどへの録画で1回、その他機器へのコピーが9回の合計10回)

つまり空中を飛んでいる電波からコンテンツを取り出してHDDなりに“固定化”する行為がコピーなのだという。
まぁ、私にはこういう解説を聞くまで全く想像もつかなかった論理である。
「コンテンツに対する尊敬の念を持って頂きたいと思う。この機会に映像・音楽といったコンテンツについて、考えを深めて貰えればと考えている」(日本音楽作家団体協議会 服部克久会長)

これを見たときに思わず吹き出してしまった。
つまりは「俺を尊敬しろ」と言っているのに等しい。
仮に尊敬しようかな、結構凄い人だよな、という人がいたとする。その人があるとき「俺は凄いんだから尊敬しろ」などといわれて果たしてその人に尊敬の念を持つ人がこの世の中にいるのだろうか。
考えを深めるかもしれない。こんな尊大な人間が作っていたのかと。
それならもう要らないでも良いのではないのだろうかと。

緩和の前提に「コンテンツへの尊敬」と「対価の還元」(椎名氏)を挙げており、「ユーザーの利便性と権利者の権利保護を両立させるためには、私的録音録画補償金制度の維持が不可欠」

そういう立場をとるならば3回でも構わないと思う。正直9回でも3回でも大差は無い。
その代わり補償金制度はやめろ。
私が欲しいのは世代コピーである。それはなぜか。メディアは必ずいつか寿命が来る。DVD-Rメディアだと10年程度ではないだろうか。それが来る前に新しいメディアにコピーすることでコンテンツを生き長らえさせる。
本来コンテンツの存在が重要でメディアはまさしく媒体でしかないのだからその寿命でコンテンツの寿命を決めるのはナンセンスである。
そのためには世代コピーが不可欠であることは明白である。一度に3枚コピーを作れようが、9枚作れようが同じ時刻に作るのでは全く意味が無い。

そしてここでもコンテンツの尊敬である。
尊敬は要求するものではなく、自ら周囲に対して力を尽くし、勝ち取るものである。
なにをいっているのか意味がわからない。
このような意味のわからない前提を前提とするのであれば、3回が主張点であるのならば3回のままやって補償金制度の廃止を論ずるべきであろう。

制度の維持を再度主張する私的録音録画補償金制度については、「制度そのものの周知が足りないのは事実だと思う。ただ、この制度があることでメーカーやユーザーもメリットを享受している。そのことについて理解を深めて欲しい」と述べた。

メリットの享受にいたっては全く理解が不能である。
深めるもなにもない。何かヒントでもくれまいか(笑)

制度に対する周知が足りないのは単なる怠慢行為である。
いや、簡単だ。映像用DVD-Rや音楽用CD-Rなどに補償金が乗せられていること、またその金額を堂々とでかく表示してもらうようにメディアメーカーに働きかければよいではないか。
それが制度を認知してもらい、理解してもらう最も効果的な方法ではないのか。
しかもそんなのは実際に補償金を取り立てているメーカーに口を利くだけだから只も同然である。なんなら書くことをメディアを売っても良い条件にしてしまえば逆らうメーカーは無い。
メーカーだって印刷費など変わらないのだから別に痛くも無い。全メーカーが書くのであれば不公平も無い。
果たしてこの世の中に映像のDVD-Rに補償金がいくらかかっているのか知っている人がどれだけいるのだろうか。(*1)
そんな状況で補償金に対する理解もへったくれもない。
なぜやらないのだろうか。
それは実はとられていることを知られて欲しくないからではないのだろうか、意識されるほうがやっぱり困るということではないのか、という邪推しかできない。

また対価の還元という理屈もわからない。放送した段階で収支がとれているのではないのか。
いうまでもなく放送会社は民放であれば広告主からの収入、NHKであれば受信料から成立している。
一部のアニメではDVD化まで含めてようやくトントンという話もあるがそれは放送局の上の階層でぼったくっているから実際の製作会社がこんな歪んだ経営方法をとらざるを得なくなるだけで問題の本質が違う。
しかも放送局の従業員の生涯年収の調査結果をみたことがあるが、例えば製造業のおよそ3倍近くも高給なのである。
高給であるということは世間平均以上に金回りがよく、儲かっている仕事なのであり、文句を言うところが違う。

さて、話の方向を変える。
もともと法律では私的複製しか許されていない。その範囲で複製されることは広まる、という意義があるにしろ、損失を与えるものとは到底思えない。

もちろん海賊版はそれはそれで厳しく法律を固め、望むべきである。
今の海賊版に対する罰則は甘いと思う。
彼らは過失ではなく計画犯なのだからもっと厳罰を持って処するべきではないのか。
著作権元が損害賠償を求め、彼らが不正にあげた売上の例えば10倍の賠償を求めるぐらいが当然になるように導くべきである。そのことで補償されるのであれば誰も困らない。

なのにその問題を摩り替えてなぜこのような議論になるのかが理解できない。

(*1)いや、実は私も知らない。調べても判らない。どこかで見た話によると「補償金の返還」を求めた人がいて、その人によれば一枚あたり8円程度だったということである。ちなみに数枚の話なので手数料のほうが多くかかったらしい。

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ITmedia News:「PSEで失ったもの、戻らない」――国のミスに振り回された中古店 (1/2)

リンク: ITmedia News:「PSEで失ったもの、戻らない」――国のミスに振り回された中古店 (1/2).

ITmediaにも記事が出たので貼っておく。
どう内容の記事については既に紹介していたがあのときは頭に血が上ってしまって随分と嫌味ったらしい書き方をしてしまったのでちょっと別の観点と指摘を書いておきたいと思う。

検査自体に意味が無いことはとっくに識者からの声もあがっていた。
私も電気を扱うものの端くれとして指摘をさせてもらっていた。
電気の知識や安全や事故に詳しい学者や企業での専門的立場にいる人に聞いてもこんなことは判ったはず。
もし確認に時間がかかるのであれば猶予期間を延ばすことも可能であった。
そしてとある国会議員がこのことを問いただした。議員は法律改正や間に合わずとも時限措置をとろうと提案していたはずだ。
協力を仰げばいくらだって手はあったはずだ。
それでも強行をしたのがこの役所なのである。

このことをあらためて指摘しておきたいと思う。

提訴しても、役人はなにも負わない。補填されるお金は税金から出るのである。
その感情も記事の中の"被害者”の偽らざる心境の一面ではなかろうか。

そしてこれとほとんど同じことが今現在起きている。

いわずもがな、年金問題である。(まぁこの件についてはまた書こうかと思っているが)
年金の受領処理のずさんさばかりクローズアップされるが、集金した金の杜撰な流用についても国民は強く感心を持つべきである。これは1兆円にまで達するといわれているのである。
それでも誰も責任を負わない。
なにやら賞与返上などというスタンドプレーをしているが、本来こんな不祥事をおこしておいて賞与を貰おうな度というほうが不届き千番であり、首相が全額返上ぐらいすればまだしも、ほんの一割程度の返上にとどまっており反省しているとはあまり思えないのが正直な感情である。(たしか500万円のうち50万程度ではなかったか。興味ないので良く覚えてはいないが。)
こんなもんは責任を負ったことにならず、返上しないほうがおかしいのが普通の感覚である。
ちなみに普通の会社なら重役クラスでも業績不調などやらかしたら半減とかでも当然である。
というかこんなことをやらかしたら会社取り潰し、従業員全員解雇で給料さえもでなくなるのが当たり前であるのだから。

で、諸外国ではここまでやれば大抵は間違いなく牢獄行きだそうである。
しかし日本の役所ではそれがない。
なぜか。法律上そうなっているわけだ。

というわけで法律がおかしい、というところにいきつき、これを変えなければ何も変わらない、ということを考えなければならないわけだ。
問題なのは言うまでも無く社会保険庁だけではないのだから。

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