« 2007年2月 | トップページ | 2007年4月 »

2007/03/16

q2ch

q2chはだいぶ前から使っていて私にとってLinuxザウルスの主用途となっている。
q2chというのはいわゆる2ちゃんねる用専用ブラウザがあるわけだが、その派生版の三村さんバージョンがなにげに進化している。
実はちょっと前から導入してだいぶ使っているのだが非常に具合がよろしい。

一番大きいのが巡回のマルチスレッド化(というのが妥当なのかはわからんが)。
以前はブックマークの上から順番にひとつづつ巡回していっていたわけだが、今度のはどんどんスレッドかプロセスのどっちのレベルかはよーわからんがどんどん投げてがんがん巡回している。
だいたい3つか4つぐらい同時に走っている模様。
以前はどれかのサーバーの反応が遅いとそこでいちいち停まって全体の巡回が滞るわけだが、こういうやりかたをやれば遅いのはとりあえず待たせておいても、速いのからどんどん処理が進む。
ついでに巡回と取得データの書き込みも独立して走っているようでここでも高速化に寄与しているようだ。
例えばサーバーの反応の待ち時間にデータの書き込みがされるようになるわけで効率がよい。
また無駄なリロード(例えばもう1001を超えているやつとか)はすっとばしていたりと細かいところを気遣っている。

まぁ、要は凄く早くなったということだ。

他にも
・あぼーん設定もエディタを使わずとも設定画面からできるようになった。本文の引用を利用できる。
・該当レスでAを押すとアンカーと引用をして待ち状態になる。
引用全体が選択状態になっているのがよい。そのまま入力しだせばアンカーだけ残って引用が自動的に消えるあんばいだ。引用を生かしたければカーソルを押せばいいわけでこういうところも気が利いている。
・次スレ検索がなにげに便利。

外見だけ変わって内実が変わらないような話が多い中で、このソフトのように外見は全然変わり映えがしないのに実はすごくよくなっている、みたいなものを見るとなんか妙に感心してしまったりする。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007/03/12

後藤弘茂のWeekly海外ニュース

リンク: 後藤弘茂のWeekly海外ニュース.

そして一方のPS3のHomeである。

ここで考えないといけないのは「リアル」とはいいったいなんであるかだと思う。そもそもそれが必要なのかということは考えないといけないのではないだろうか。
例えばHomeのなかでわざわざ映画館まで歩いていって映画館に入り、映画を見る。それって面倒ではないのだろうか。
PCでWebブラウザでクリック数回で映画が見れる。
そのほうが遥かに楽で便利な世界ではないのだろうか。

リアル、現実世界というのはこと面倒である。物質世界の制約がある。
電脳世界というのはそれを飛び越えるものではないのだろうか。
だから電脳世界に入り込んで戻ってこれない人間さえもでるのではないだろうか。

つまり、いっそ魔法が使えれば良いのではないだろうか、と私は思う。
そこまで発想がぶっとんでくれれば面白いと思う。
映画館にいくにも魔法で飛ぶ。瞬間移動してもいい。
魔法が嫌なら近未来SF的に物質転送装置でもいい。
近未来のコミュニケーションにおいて、昔と同じどこかの広場に集まって行われる、というメタファーをそのまま使って楽しいのだろうか。便利なのだろうか。
マンガやアニメ、SFやらサイバーパンクやら。これは人間の欲望、こうあったらいいなというものを現実世界に当てはめて描かれている。
当然それはリアルではない。しかしそれは楽しい。
楽しいからみんなそういうものを読むわけだ。

なのにそういう楽しさ、ワクワク感がHomeからは一切感じられない。
綺麗なのかもしれないが虚ろな世界。
一種の悪夢の世界である。

そういえばHomeの世界をみていて違和感を感じていた理由がひとつわかった。
彼らは「携帯電話を持っていない」のである(笑)
なんでそばに行って話しかけなければならないのか。
話すだけなら携帯電話を使えばいいじゃないか(笑)

SecondLifeについてちょっとだけ調べてみたのでそっちもあわせて評論してみたい。
SLをはじめるといきなり「飛ぶ」というコマンドがあることに気付く。
これだけでもへぇ、という感じになる。
ここで本当のリアルを既に棄てている訳である。
うろちょろ歩いてほとんど即座にPCのパフォーマンス不足を感じたのであんまりそれ以上は実体験からはない。
そこで色々な話を総合すると、要するにSecondLifeという存在価値は第二の経済が発展している、というところに尽きるのではないか。
非常に無味なことをいってしまえば商売の場が提供されているということ。
電脳世界を構築し、そこで商売ができる。ある意味、おままごとみたいなものだが、リアルマネーと兌換できるという時点でそこはリアルな商売・経済の場となる。
これは実にアメリカンだな、と私は思う。
米国ではそこそこ分別がついてくると経済観念をつけさせるために商売を教えるという。まぁ、いわゆる文化祭で出店をやるようなものだが、日本では割と商売抜きとか金勘定も適当な場合も多いようだが、米国ではしっかりと儲けというものを教え、簿記を教えるという。
日本では共同作業とか協調性、役割分担などを教えるわけだが、米国では商売そのものを肯定して教えるわけである。
SLはまさにそれの電脳版だと思う。
自分の身の丈にあった小さいところからはじめられるし、はてはミリオネアまで存在が許されるという世界。
ただの観光客として無料の範囲でうろついていてもいいし、金を払って商売をはじめてもいいわけだ。

つまりはHomeとSecondLifeというのは立脚点が全く違うのではないか、としか思えないわけである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ITmedia D Games:人は痛い思いが身に染みなくては、本質に近づけない――「ゼルダ」シリーズの青沼英二氏講演リポート (1/3)

リンク: ITmedia  D Games:人は痛い思いが身に染みなくては、本質に近づけない――「ゼルダ」シリーズの青沼英二氏講演リポート (1/3).

ユーザーインタフェースというのは本当に難しい。
直感的な操作と言葉では簡単に言えるけど本当に難しい。

売れる、売れない。どこに差があるのかこれも難しい話。

でもなにか僅かにそのヒントが見え隠れしている記事。

私はゼルダというものを実はWiiで初めてやった。
はじめはこんなんでプレイして最後までいけるのだろうか、とさえ思った。色々と難しかったし、なにか壁を感じた。
トアル村からでれないまま終わるのではないかとさえ思った。
それでもただトアル村で遊んでいるだけでも楽しかった。不思議なことに。考えてみればこれは非常に凄いことだと思う。
ここでつまらなかったら放り出してしまうだけだからだ。
強制的にイベントが起きて放り出されるわけではない。
そのままずっといてもいい。

そうしているうちにだんだんと外に出たくなった。
操作も慣れてくる。色々できるようになってくる。
かくして旅に発つ決心をする。
自分で決心をするのだ。平和で穏やかな村を旅発つのだ。

そして今では試練の洞窟までもクリアするぐらいになってしまった。

普通は30時間ぐらいでエンディングにたどり着けるらしいが、私は80時間は優にかかっている。
謎解きができなくてうろうろしていたこともある。そういうときは一度諦めて外にでて虫取りに興じたりもする。きらきらしている虫は夜にとるのがいい。そして朝日が昇って白々としてくるのを眺める。
モンスターを倒して小銭を稼いだりもする。
川遊びや湖の湖底探検や遊泳。岩に隠された洞窟探し。
釣りも重要な要素だ。
世界は決して膨大にでかいわけではないが、非常に細かく、丁寧につくられている。
遊び尽くさないともったいない。急いでクリアしてもしょうがないからゆっくりと遊んだ。

面白かった。
いや、いまでもまだエポナに乗って走っているだけでも楽しい。
ゼルダの世界にたまにはいきたいからソフトを売る気にはならない。
謎解きゲームという反面、環境ソフトでもあるのかもしれない。
そう、まだ虫をまだ集めきっていない。
世界を救う勇者が虫集めというミスマッチもまた面白い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/03/04

第1回「声優アワード」の授賞式が開催

リンク: 第1回「声優アワード」の授賞式が開催.

1アニメファンとしてこのような大会が行われることは非常に喜ばしいことと思う。
ようやく、という感さえもある。

では各賞の受賞者を私の感想を交えながら見てみたいと思う。

主演男優賞は福山潤については文句のつけようが無い。主演・脇役を含めて非常に参加作品が多く、2006年に限ってもHolicのワタヌキやルルーシュの演技は素晴らしいものだった。武装錬金の武藤カズキの常にハイテンションの演技は凄いものがある。一方でHolicでは非常にけだるい役だったりして面白い。
つけくわえるならいぬかみっ!でのケイスケの演技もよかった。(あれの主演は妖狐のほうだったのだろうか?)

一方の女優賞の朴ロミだが、ちょっと疑問ってとこだ。まず大崎ナナが主人公というのにちょっと疑問。もうひとりのナナ(話中ではハチと呼ばれていたほう)が主人公だと思っていた。話はハチの視点で語られており心情の描写もそうである(原作は知らない。これはアニメでの話だから)。ちなみにハチのほうは歌唱賞を受けている水樹奈々である。
プリンセス・プリンセスがあげられているが(福山もそうである)、この作品というのはそんなに特記すべきものなのだろうか。
植木は確かに主人公だが時期が今年ではないしあまりうまいとは。。これは原作を知っている(といってもたまの立ち読み程度だ)が、役と声がちょっと合っていないというのが印象のせいもある(まぁ、これは個人的印象に過ぎないわけだが)。むしろ腕についたテンコ(斎藤千和だったか)に食われていた感さえある。
ちなみに鋼の錬金術師をやっていた時代であれば文句は無い。

サブキャラの石田彰。これは文句のつけようが無い。なぜ主人公役がもっとこないのかと思えるほど。これかっこいいキャラだなあと思って声をチェックすると石田氏であることは多い。
宮田幸季は判らない。(このへんからWikipediaで確認しながら)ざっとみてもあまり印象に残る作品がない。
小清水亜美も文句なしであろう。は熱狂的なファンが多いらしくイベントでも名前を良く見る。
明日のナージャ(デビュー作?)、スクールランブルの天満、舞乙姫のニナ、無敵看板娘の神無月あたりの主役クラスの作品も印象に強い。むしろ主演賞クラスであると思う。
後藤邑子はわからない。

新人賞の男優は正直わからない。該当作品自体をみていない。
平野綾は文句無しというところか。まさにハルヒでブレークし、あちこちに出ていた。挙句の果てにNHKラジオのアニメを一日流していた番組にもゲストでちょっと出ていた(なんか的外れだったが。あれは人選ミスだろう。番組の意図からいっても重鎮クラスを呼ぶべきではないか。)
鹿野優似についてはすももはなかなか良い演技をしていた。すももは鹿野、平野、そして宮崎羽衣の三人娘構成という感で宮崎もなかなかいい役を演じていた。

特別功労賞、功労賞については文句のつけようが無い。
富山敬さんの訃報の衝撃は今での生々しい。塩沢兼人さん、鈴置洋孝さんもこの賞にあげられるだろうが順当だろうとは思う。
功労賞に該当する今のアニメ界を支えてきた素晴らしい声優の方々はまだまだ多い。誰が優劣ということではなく、今後も名前を表にあげていって欲しいものである。

シナジー賞でポケモンというのはなかなか面白い。
この作品は他の作品と比べての特徴としてモンスターでの声当てが非常に多い。
ピカチュウであれば「ぴかぴか、ぴかちゅう」という感じで唸り声とか鳴き声ではなく、同じような単語の反復で表現をすることが求められる。
それが結構物語の形成の中でしゃべっているのと同じぐらいの雰囲気作りの要素となっているがゆえに結構難しい演技力を求めている。映画も興行成績の高さは伊達ではなく、子供は純粋に楽しみ、大人(随伴者)には意外と考えさせる内容を含んでいたりする。これはともあれ批判的な評価を受けやすいくれよんしんちゃんも該当する。映画での功績をとると、来年は順当なところではドラえもんかもしれないが、意外としんちゃんが来年あたりは取るかもしれない。

プリンセスプリンセスやBLEACHが代表受賞作品として何度もでてくるが、これはそんなにいい作品であるとは思えないのだが。
まぁ、スポンサーや母体の関係もあるのだろうがあまり偏らないでやっていって欲しいと思うものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ITmedia News:緒戦はWii、猛追のPS3 「独り勝ち」任天堂に悩みも

リンク: ITmedia News:緒戦はWii、猛追のPS3 「独り勝ち」任天堂に悩みも.

PS3は400万台"出荷"したというSCEのクタラキ氏の発表もあったようで、一方で実際に売り上げているのは150万台程度という話も伝わっている。
これが本当ならばすごくやばくないか、と思うのは私だけだろうか。

約三ヶ月で150万ということは月に50万の売り。
在庫は250万でこれは5ヶ月分の在庫、とみなせてしまう。
しかも150万スタートダッシュも含んでの話だから半年程度の在庫が既に市場に(SONYの流通倉庫にあるものもあろうが)あるわけだ。
これから巻き返せば、というが、好材料(キラーソフトの存在)がない。
それどころか、ビッグタイトルホルダーの慎重論ならまだしも、PS3からの撤退話も聞こえてくるほどだ。

製品単品の異常な赤字額前提の販売に加え、生産調整の失敗からくる(強気姿勢=大本営発表のため、ブレーキはあえてかけなかったのかもしれないが)異常な余剰在庫。
すでにゲームショップでは中古の引き取り拒否さえも実際に見かけるし、既に値崩れの様相さえみえる。
まだ発売から三ヶ月なのに中古市場とはいえ値崩れ。市場というのは非情といえば簡単だが異常事態。

記事で“隠しソフト”などといっているがそんなものを隠している余裕などないと思うのだが。

記事中でも指摘しているが、さらに問題なのは『対応ソフトはハード以上の差がついている』という点である。
一位のタイトルでさえも10万本。
その下で『任天堂ソフト以外は売れ無いという恨み節』という言葉があるが、PS3ではSCEソフトさえも売れていないという実に悲惨な状況となってしまっている。
いわゆるローンチ時期、初期の台数が出ていないときはどうしても数が出ない、つまりリスクが大きいために本家がリスクを背負って引っ張っていくしかない。

巻き返しは必至、と書いてあるがPS3の状況に明るい材料がないというのが本当に問題。
記事にかかれている好材料も非常に疑問。
ファイナルファンタジーがあげられているが、私が周囲の一般の人やゲーマーをみるにつけ、既に飽きられている。PS2では評判を聞いて遊んでみたが実際やってみるとつまらなかった、という印象を持った人も多いようだ。

BDプレイヤーとして考えると二つの懸念がある。ひとつは消費電力。BD再生時でも160W近く食うという実測データもあるようだ(詳しくはGigazineに記事の紹介があった)
プレイヤーとしてだけ考えるとあまりに不合理。
例えばSONYのBD&HDDレコーダーでも80W程度であってその差は倍にも及ぶ。
AVファンを取り込んでというがAVファンはいわゆるAVラック形状を好むと思う。(私もそうだ)薄型は良いが形が一定のサイズで無いと駄目だし、重ねられるような形状で無いと困る人もいる。ハイエンドなら一台ずつラックに独立しておくが、普及性能程度(PS3はそれだろう)なら重ねおきしたい。このような心情や事情を無視してAVファンとかいうのは疑問だ。
そもそもDVDは誰にも明確な差が見えた(CDと同じような板で映画がみれるのだから誰にでもそのよさはわかる)が、BDはDVDとの明確な差が見えにくい。
最低限その説得にはハイビジョンTVは必要だから大変だ。
まだ普及途上にあるものを前提としたものなのだからなかなか難しい。
この事情はレコードからCDへの移行とSACDへの発展が重なって見える。
CDとSACDの差はCDラジカセやコンポでは全く判らない。数十万のオーディオを用意したとしても差がわかるかどうかというレベルなのだから一般人にはなかなか理解されない。
この点でもPS2の時とは事情が違う。

とまぁ、好材料とされるものも残念ながら否定せざるを得ないのが現実。

唯一好材料なのは液晶やプラズマHDTVの価格低下が思ったよりは進んでおり、普及も業界が思っていたよりは進んでいるということにある。
大型のHDTVクラスのTVの普及が進み、Wiiのソフトで画面の粗さが見え、一方でPS3の美しく楽しいゲームがでてくれば話しは変わってくる、かもしれない。

しかしここでも不安材料がある。
PS3の現在のタイトルでは1920x1080(1080i/1080p)を出しているソフトが意外と少なく1280x720(720P)が多いという点である。
720Pだと驚くほど緻密、というレベルにはならない。
D2であると720x480相当でありその差は面積比で4倍に及ばない。
しかもHDMI接続によるくっきり画像というが、もしいわゆるフルHD(1920x1080パネル)のTVをその人が買ってそれに入力したとしよう。
するとTV側で画素変換がされて当然だがどうしてもぼやける。がっかりである。

ところで実はブラウン管のハイビジョンTVでは720Pを表示できるものは少ない。PS3で1080iを対応してくれていない。となると表示解像度は480P(720x480)になってしまうのである。
つまり旧機種並みでありなんのためのPS3?となる。
映像マニアやゲームマニアにはブラウン管が好きな人も多いのだが、その人たちの取り込みに失敗しているということになる。

こう考えていくとPS3というのは本当に「出来が悪い」

なによりも問題なのは
「PS3に買い換えたいと思うんだけどどう思う?」
という問いに好材料をなにも答えらないということにあるのだ。
私自身それなりのゲーム好き、ゲーマーであるからひとから良く聞かれる問いなのだか。

これがPSからPS2になったときは話が簡単だった
「DVD見れるようになるよ」
「PSの置き換えなら問題ないからPS2に買い換えればいいと思うよ」
とかいえた。
ところがPS3は直接的なメリットがなにもないのだ。
「BD見れるようになるよ」
BDってなんのメリットあるの?DVDで十分じゃないの?となる。
「PS2の置き換えなら問題ないからPS3に買い換えればいいと思うよ」
これは互換性の様々な問題が指摘されていていえない。さらに消費電力の大きな違いもネックになる。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2007/03/03

研究会の方向自体おかしくないか~「第1回:なぜ“異例づくめの研究会”は開催されたのか」

第1回:なぜ“異例づくめの研究会”は開催されたのか

この手の話題は何度かでてきているが久しぶりに思うところを書いてみたいと思う。
最初に行っておくと、この記事に対してはかなり否定的な印象をもった。

国内ではすでに当たり前となった携帯電話によるメール送受信やサイト閲覧ができる「ケータイ文化」は、世界の追従を許さないところまで発展している。しかし、今のところ海外ではそうした習慣を受け入れられる通信インフラは十分に整備されておらず、ケータイ文化の形成を下支えしてきた日本の携帯電話関連ビジネスは、世界市場から孤立してしまった。

つまり、最先端を走ってしまったがゆえに、孤立したということ。
世界の低いレベルに合わせておけばよかったのに、という事なのだろうか。
技術は常に高みを望み、インフラを整備し、どこでもつながるユビキタス、を是とするのなら一体何が悪いというのだろうか。全く理解できない。
勿論、スローライフが良い、レベルはそこそこであればいい、それを是とするのなら話は別だがそうではないだろう。

技術的にいって高品位のものに作りなれてしまうと低品位の安いものはなかなか作る事ができないものである。
選ぶ部品ひとつとっても違うし、ソフトの作り方だって違ってくる。
高品位であるとソフトも作りやすい。高機能を要求されるがゆえにハードの制約はなるべくとりはずし、ソフトを作りやすく設計する。開発期間も短縮されていくぶん楽になる。
一方、安物の場合はハードの制約があってもソフトが少々作りづらくても構わないから、安いハードウェアで構成する。多少の不具合など品位の低下には目を瞑る。場合によっては仕様そのものを変更する。
実際に、その昔サムソンが作った携帯にはどうみても不具合としか思えない事象があった。それを仕様である、と言い切ったものがある。私はそれを非難するつもりは無い。おそらくサムソンが闘ってきたグローバル市場ではそれは通用する台詞なのだと思っている。もちろん日本では許されない。
これはほんの目立った例のひとつに過ぎず、細かいことをあげれば色々でてきているのではと思っている。
日本市場において、サムソンやモトローラの機種が人気が無いのは本当に日本市場が閉鎖的だからなのだろうか。

そもそもグローバル市場、グローバルスタンダードが果たして本当にいいことなのだろうか。
それをいまいちど考えるべきである。

別の見方をしてみよう。
もしも海外での市場を取るべきである、それを是であるとすれば、そもそも現在のキャリア・メーカーのキャリア部隊に依存すべきではない。彼らを叩いたところで何も生まれない。
国内キャリアの人間に対して、海外での競争力などと言ってみても意味が無いのではないか。
この記事にもあるようにビジネスモデルや品質レベル、つまり考え方が全く違う。

つまり違う製品なのだ、という認識をそもそも持つべきではないのだろうか。
大抵の家電製品では同じような製品を作っていても国内と海外で事業部レベルでさえ異なる場合も多いようだ。
また国内携帯事業でもDocomoとAUとSBMではっきりとセクションが異なるところがほとんどのようでそれもある意味、当然ともいえる。
モデル、考え方が異なるのだから共通にはなかなかならない。
つまり、現行の人間達を使い、現行の発想の延長上で事業を立ち上げ、海外に出ようとした自体が間違ってはいなかったのだろうか。
実際にそのことを指摘もしているのにその後の考察の方向がおかしくなっている。

私の考えでは国内事業をしている彼らを叩いたところで何にもなならない。
幸いにして日本の多くの(携帯を作るような)大企業では米国や欧州、中国でも日本の会社の製品は作られかなりのシェアを占めている製品も多い。
日本のものづくりそのものは世界的に通用しているし、決して負けるようなものではないのだ。
しかし海外と国内ではやはり考え方、資材調達、部品選定、加工や組み立てなどの発想や枠組みからして異なる。
国内でずっとやってきた人間をいきなり海外事業に放り出しても上記のような違いに戸惑い、力を出す前に折れてしまうのは明白である。
それならば既に海外事業に精通した部門(テレビでもビデオでもそういう部門はそこそこ大きい会社なら持っている)が中心となって事業を立ち上げ、企画から開発、生産立ち上げまでを動かし、その上で海外に向かえばいい。政府が関与するのなら、国内事業者を叩く前に、そういうように仕向けるべきではないのだろうか。

つまり海外でも闘う携帯づくりを本当にするのなら、総務省の出番ではなく、経済産業省の管轄である。
場合によっては外務省かもしれない。中国は特に経済と外交が渾然一体となっているがゆえに本来なら強い外交力が必要である。中国が無理難題や道理に合わないことをふっかけてきたりすれば場合によっては外交力をもってしてフォローすべきである。(もっとも外務省は対中国にはへたれであるという論もあるがとりあえずそれは置いておく)
総務省は国内の電波をとりしきるという旧郵政省の役割から来ており、省庁大合併の中で郵政省を総務省が吸収したゆえに現在の形になっているだけである。

この記事に戻ってみると、海外での失敗を盾にしてバッシングをしているようにしか見えないのは気のせいだろうか。
どうにも根本的なところから本質を外しているのか、それはわざとなのかわからないが、正直いって視野が狭かったり考え方が違っているのは総務省のほうではないのか、としか思えない。

なお、SIMの問題や報奨金制度などについては再考の余地は十分にあると思うし論議は尽くすべきだと思う。
しかしそれと海外への進出の失敗は決して短絡的に結びつけるものではないと考える。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

« 2007年2月 | トップページ | 2007年4月 »