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2007/02/25

etc: ガンダム無双

リンク: etc: ガンダム無双.

デモ画像とかでていたのでそれでの感想。
どうも雑魚を蹴散らした後、ボス戦(いわゆる幹部クラス、名前のあるキャラ)との戦闘があるようだ。
考えてみれば当たり前だけど。

で、いちいち戦闘を止めて「台詞」を吐く模様。。。
例えば一切りしては台詞、なんかアクションしては台詞。
まぁ、アニメでの台詞らしく(私はアニメとしてガンダムはさほど好きではないので良く知らない)、まぁ、こういうのが好きな人もいるんだろうが。。
私はプレイしていると、なんかそのうちむかついてくるんだろうなあ、と予想できてしまう。

いわゆるガノタ(ガンダムオタク)でもないと楽しめそうも無いなぁ。。つうわけでこれでPS3を買うというのは無しか。

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2007/02/17

とあるアンケート

とあるアンケートでのこと

Windows Vista(Windows Vista搭載PCを含む)の導入について教えてください。
ご自宅のPCについてお答えください。
という設問に対して

・すでに導入済み
・3ヶ月以内に導入を検討している
・半年以内に導入を検討している
・1年以内に導入を検討している
・特に導入を検討していない

という中の択一であった。(ラジオボタンでの選択)

・導入は検討したが当面見送ることにした

というような選択肢はないのか(笑
この時点でアンケートへの返答は止めたが。

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2007/02/12

ITmedia News:[WSJ] EMI、「全曲DRMなし」での販売を検討

リンク: ITmedia News:[WSJ] EMI、「全曲DRMなし」での販売を検討.

とても興味深い記事です。
検討のためにアーティストと話をしだした、という点が実に興味深いし、英断であるといえます。
どんどん変わり行く音楽市場において音楽を生み出している(本当の著作権者である)アーチストがどう考えているのか。
ネットワークがCDに替わる配信手段として認めるか否か、そういうところにもかかってくるのではないでしょうか。
時代・市場の要請をどうみているのか、その点でも興味深いです。
縛ったほうが良いのか、自由にして市場の拡がりを持たせたほうが得策なのか。この点も難しい論点でありますから。

ちょっと話は変わりますが、最近Podcastを聞いていて気になることがあります。
ラジオ番組のひとコーナーを配信しているものがいくつかあります。
具体的な例をあげると文化放送の「大竹まことの少年ラジオ・明日にかけるはなし」です。
とても楽しくためになる話もあったりしてたのしみにしている番組なのですが唯一残念なのはその中でかける音楽がカットされていることです。
ゲストのかたのリクエストやゆかりの曲、またご自分でだされている楽曲をかけているのですが、ばっさりとカットされています。
どういう曲だろうと興味を持つこともしばしばあります。
話の内容もその曲を前提につながっていくこともあります。
しかしiPodで聴いている性格上、ほぼどこか歩いているときか電車の中、車を運転中ですからその曲を調べることができません。
しばらくすると曲名なんぞは忘れてしまいますし、わざわざもう一度もどしてまで調べる気もおきません。(せっかくそこまでして探したのにハズレだったらいやだから)
曲がもしかかれば印象が残りますしそこで判断がつきます。曲名を忘れてもフレーズを覚えていればなんかの機会に曲の購入にいたるかもしれないのにです。
まぁ、どうでもいいといえばそうなのですが、これって音楽業界的には損をしていないのかって思うわけです。

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2007/02/09

ガンダム無双

リンク: ガンダム無双.

わりと期待していた作品なのだが・・・・・・

これって爽快なのか?なんか単調にしか思えないのだけれども。。
雑魚をいくら蹴散らしたって楽しくも何ともないだろうに。

ボス戦ぐらいは「一騎打ち」のワクワク感を味わえるのだろうか。
そうでないとWiiゼルダにも劣ってしまうのだが。。

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PS3とWindowsVista

昔なら飛びついていただろうに、なんかとびつけないもの2つ。

なんか共通点が色々あるよな。

なんか高い
高性能とか高機能とかあるんだろうけど、それにしても高いとしか感じられない。
高機能だろうが高性能だろうが、価格を維持しつつ値段が下落するもの、というのがハイテク商品の常であろうに、その空気を無視して値段を決めているからなんだろう。

PS3は普通なら8万か10万ぐらいの価格をつけないとつりあわない、といわれている。
そうなのかなぁ、とは思うけれども5万でも高いようにしか感じないのはなぜなんだろうか。
昔を思えば5万ぐらいのゲーム機はあったわけだし、PS2もそのぐらいだった(けっか?)から高いわけでもないだろう。
でも高いと思ってしまうのは、ゲーム人口がうんと増えているんだからむしろ安くなって欲しい、という考えがあるからに違いない。
また、ゲームというものに渇望がなくなっているからなのかもしれない。
ゲームは極普通の生活の一部になっている。さりとてないからといって困るものでもない。
むしろもう飽きたというところもあるのかもしれない。

WindowsVistaはどうか。
これも極めて事情は似ている。
まず値段。高い。OSの利益率をみれば馬鹿馬鹿しいほどぼったくり値段であることがわかる。
ソフトウェアは生産=コピーであるからそのコストはほとんど開発費もしくは宣伝費となる。売り数が10倍になれば価格はほぼ1/10になってもいいぐらいのものである。なのに異常な高さである。
Officeはもっとひどいものであるが、どちらにしろこの2つでマイクロソフトの膨大な資産は形成されている。
(今進出を進めている自動車や家電、携帯は決して順調ではなくXBOXがかろうじていい感じというレベル)
市場ニーズの渇望という点でも似ている。
Windows3.1から95に変わったのは大きな違いがある。Windows3.1ではDOSがベースであるために640k以上のアプリケーションを同時に動かせない。俗に言う640kの壁であった。
DOSの段階で大きなドライバを入れておくとWindowsにも影響を及ぼすほどで困ってしまう。
特に日本では日本語表示ドライバ、仮名漢字変換ドライバ、さらにネットワーク関連をいれようなものならWindowsを立ち上げて使えるメモリは極僅かであった。
それが打破された。これは大きな違いであるから世界中が熱狂して受け入れたのは極当然である。
しかもNetworkに対応して、特に日本ではNetwork製品が一気に普及し値段が下落した勢いは凄いものがあった。(日本では、というのは英語版の場合Windows3.11forWorkgroupというものがあり、Network環境が整っていた。しかし640kの壁の面で95はありがたいのは同じこと)
Windows98ではUSBが、Windows2000ではNT系での安定性が(一般にはこれはXPの利点になってしまったようだが)大いに受け入れられたといえる。
ではVistaは何か。何もないのである。
Aeroが最初に出てくるのがその売りの弱さを示している。
どんなに誇張してみてもたかが外見である。3DFilpのタスク切り替えなんかむしろどこが判りやすくて使いやすいのかが全く理解できない。一般人にはスリガラスなのが何が良いのか全く理解できない。
では他に何かめぼしい機能はないかと探すと何も無い。
あえていえばドライブごとのバックアップがあるわけだが、まぁ正直期待するだけ損であろう。
バックアップをとったドライブをさしなおせば起動するものをイメージしているのだが、そんなことをMSが許すわけが無いからだ。私は現在Linuxにも対応したドライブバックアップソフトを買っているので別に高いのならいらない。
もう一点あげればBitLockerというものはある。これはOSでやるべき機能であるし、NotePCには非常に有用であるといえる。
しかしながら両方とも値段差がそれだけのために買うようなレベルではない。
OSに対してごてごてと使えもしないソフトをくっつけて(いわゆる抱き合わせ商法という奴である)高価にして売りつけているという印象しかない。
それにしても高い。買い換える意味が無い(Aeroがないから)といわれるHomeBasicでも27,000円というのはどういうことなんだろうか。

ところでAero絡みでもおかしな話がある。
HomeBasicエディションはAeroをサポートしていない。それは構わないのだが、AeroのみDirectXでの描画だということで、Aeroでないと描画性能が落ちる場合があるというのだ。
その場合とはグラフィックカードがAeroに適するレベルのものであるようだ。
これは納得がいかない。AeroであろうとなかろうとDirectXで描画すべきだ。描画がどちら(ハードかソフトかどちらがパフォーマンスが高いか)はDirectXが決めるべき項目である。
それがシステムの仮想化であり筋である。高度なOSを気取っているつもりならば筋を通すべきだろう。
こういう点でもシステム設計のセンスに極めて疑問を感じざるを得ない。

またAVGソフト(対ウィルスソフト)を阻害したり、OneCareという失格の烙印を押されているものやら、セキュリティポリシーの不具合やら(これはXPでも不満が大きい)、Homeでは手抜きで作られている点やら欠点の露呈が多すぎる。
もちろん新規に作り直したといわれているから最初から完璧を求めるつもりはないが、それなら謙虚に動いて欲しいものではないだろうか。

まぁ、そんなこんなで不信感があればOSを使うことはできなわけで(OSは信頼感が最優先だからね)、まぁ、どうしても使わなければならなくなれば買うようだろうか。

ところで実は細かいところが結構改善されているという話は散見するが、あまりピックアップされないのですねぇ。
MSもプッシュしてこないし、各メディアも取り上げない。こういう点もなんか不信に思う。

両者に共通している点といえば、その製品の担当トップが良く似ているといえる。
良いものを作ったから絶対売れますよ、買ってくださいよ、という文言だ。
どうみてもやばげな空気が漂っているのに、大丈夫です、これから絶対巻き返します、そんな言葉だ。
そういう言葉を聞くと白けてしまうのが正直な気持ちだ。

まぁ、次期Windowsはいやがおうでもリプレイスされるし(リースや新規購入は選択の余地が無いから)、PS3もゲームがそこそこでてくればそこそこ売れるようにもなるだろう。
ただPS4はもうこの雰囲気だとPS3の延長では絶対に駄目なのは誰の目にも明らかだし、Vistaの次はどうなるのか、PCのOSをすくなくとも主流には開発しないという意見もある(だから次の事業を必死になって探している)
そう考えるとあと5年ぐらいは何も起こらないようにみえてこの5年の両社の水面下の動きというのは非常に興味深いものになるのかもしれない。

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2007/02/03

リンク:著作権保護期間の延長を行わないよう求める請願署名

リンク: 著作権保護期間の延長を行わないよう求める請願署名.

大いに賛同するのでリンクを貼っておく。
この先に反対ムービーがあるので一緒に貼っておく。

なぜ反対か、といえば守銭奴のにおいがぷんぷんするからである。
著作権者、というか作者さんは大いに尊敬すべきで有用な法的な保護を十分にもって生活の安定をしてもらい、さらに良い作品を生んで欲しいというのには大賛成である。
しかしながらこの件は「死後70年を90年にする」というものである。
つまり作者さんにはなんのメリットも無い。ただ著作権を相続した人たちにメリットがある、ということでしかない。

年月の延長でも、現状が死後すぐに切れるのが10年にしましょう、という話ならまだ話はわかる。
その著作物を応用した製品が、著作者がなんらかの不慮の事故で死んだからといってすぐにパクりものが出回るような事態になったらそれはさすがにリスクが大きすぎる。また、ご遺族の方の生活もあるだろう。

しかし現状でも70年である。この年数がどれだけ長いかといえば、現在で戦後60年をようやく超えた時点である。
著作者本人が存命中に会ったことのある(という表現では微妙に違うが)生まれたばかりの赤子でも既に70歳になってしまうぐらいの時間がたっているわけである。それを90歳にするのか。
もはや遺族とはいえない、そんな人まで保護する必要が果たしてあるのか。

「子孫に美田を残さず」ということばがある。

西郷隆盛の言葉といわれている。十分な遺産を残してしまうと子孫が怠けてしまいろくな人間にならないのだから残すものではない、ということ。それにまっこうから反する法律といえる。

上記のムービーの中で弁護士の方の論説がありますがまったく異論が無い。
現在論議が行われており、その中で延長賛成派の松本零次氏がおられていますが、なにか空々しく聞こえるのは気のせいでしょうか。
ご自身の代表作である、銀河鉄道シリーズは、間違いなく宮沢賢治の銀河鉄道の夜から由来しているのでしょう。それは自他ともに認めることのはずです。
銀河鉄道の夜をヒントに得たからといって、著作権者から法外な要求をされたり、著作権者が不明だったりしたらそもそも成立しない作品であったはずです。
これに限らず世の中に作品でそれこそ100%オリジナルの作品などありません。仮にあったとしても現実問題としてそのような作品は残念ながら奇異すぎて世の中に受け入れられることは難しいのです。

かのディスニーだって過去の作品を利用したり引用したりするのは珍しくありません。「ライオンキング」は物議を醸しました。
あれが故意であろうと無かろうと問題のある作品です。
見ていない、という主張で固めていたかと思いますが、仮にもアニメに携わる人間が、日本のアニメの第一人者である手塚治虫氏の代表作である、ジャングル大帝を知らないほうが問題があるとしか思えません。
また周囲のスタッフも自分の作品に類似しそうな作品を調査するのが当然の仕事のありかたです。
逆の立場であれば「ジャングル大帝」が差し止めをくらっていたのではないか、と私は思うぐらいです。

賛成論者自身の作品だって他の作品によって成り立っているのです。
非常に良い作品があるので、参考としたい、もしくは再生したいという思いがあるのにも関わらず、著作権によって埋没する可能性は十分にあるのです。
年の延長によってその確率が確実に増えるのです。そのほうが不幸だというのが反対論者の主旨の1つだと思います。

ゲーム業界の話なので若干話は外れますが、このような場ではあまり取り上げられないと思うのであえて紹介したいと思います。
ゲームの歴史の中でWizardryというゲームがありました。
このゲームはUltimaとともに現在のゲームの一分野の礎となったといわれるゲームでネームバリューもあります。
しかしこのゲームの著作権は不幸にも会社の離散や権利のばら売りによってばらばらになってわけがわからなくなってしまったそうです。
ゲーム業界は非常に会社自体もダイナミズムがあって時間の流れが速いためにちょっと気を抜くと一変しているくらいの業界です。
Wizardryという名前だけでも十分な価値があるためこれは流石に継承されたとのことですが、アイテム名や呪文名(これもこのゲームの特徴といえます)についてはどうなっているのか辿るのも困難な状態らしいです。
もはや本来のWizardryが復活するには著作権が大元から切れるしかないという状態になってしまっているのです。

また、相続というのはやっかいな性質のものです。
単純に直系の血族だけで考えた場合ですが、子供が常に二人生まれたと仮定します。作者の死後でその子孫が25歳で子供を産んだとしたら75年で三世代です。子孫は8人になるわけです。存命の間に孫までいれば64人に上ります。
2人と仮定しただけで3人になればさらに膨れ上がりますし、もっと早く子供ができるかもしれません。もちろん相続なので傍系や赤の他人に相続するのも可能ですので話はさらにややこしくなります。
これが90年になればさらに倍になる可能性もあるわけで100人近くになるわけです。凄く乱暴な計算ですがどう少なく見積もっても数十人にはなるのは間違いないでしょう。
これをすべて辿るなどというのはほぼ絶望的な数字です。

延長するということはこのような背景を悪化させるような法案になります。
このような悪化を招いては、果たして作者が作品を作りやすい環境にしていく、という本来の主旨からは反してしまうのではないでしょうか。

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2007/02/02

Wiiにはまっていました(2)

ではなんではまったのか。

リモコンの目新しさ、というのは確かにあります。
入力が変わると面白さも変わるものです。

好例が私も結構遊んだDDR(ダンスダンスレボリューション)です。
アーケード発でアーケードではなかなか練習できないので自宅でということで買ったわけですが、これは専用のシートで遊ばないと面白くも何とも無いゲームです。
専用のシートを踏んで遊ぶからこそ、体を動かし、息を切らす。足が疲れて動かなくなる。
丁度夏真っ盛りだったわけですが、何プレイかするだけで汗びっしょりになる。
体全身で覚えてそのうち体が勝手に動いてプレイができるようになるともう脳内アドレナリン全開で気持ち良いこと。
ステップパターンを色々工夫してわざときつくしたり楽にしたり。
完全後ろ向きという超人プレイも見たことがあります。

そこまで極端でないにしろ、リモコンを振る、という動作でアクションをしたり、リモコンを捻ったり突いたりというのはいままで無い体験です。
バーチャル体験というには未だ遠いですが、それに一歩近づいています。
なによりもそれは直感に近い、という点も快感になります。
いままであまりゲームをしたことのない人がはまる例が多いらしいですが、それはこの直感的な操作故でしょう。

リモコンでの操作なんてただの奇抜さだけでそのうち飽きる、なんていう口の悪い人もいるようですが、恐らくその人はやったことがないのでしょうね。
そもそも操作が飽きる、なんていうこと自体がナンセンスな話です。
ジョイパッドやジョイスティックでもう何十年もゲームは存在していたわけで、それに飽きた、という意見のほうがむしろ説得力があるのではないかと思います。

新しい操作感覚を提示しただけでも十分に価値のあることです。
奇抜ではなく、単に1つの形を示しているといえます。
ローンチといわれる、本体とほぼ同時に出たゲーム軍を見るといろんな模索をしていることが判りそれも楽しさを与えてくれます。
私自身、こういう先が見えないところを切り分けていくような感覚がわくわくして好きなんですよね。

ゼルダはいわゆる3Dゲームでの操作方法の1つを示しています。この操作でアクションゲームを出してくれ、という意見もあるようですが賛成です。ゼルダは謎解きパズルゲームの性格が強く、そういうものが嫌いな人間には勧められないため、単純にアクションが欲しいところです。
エレビッツは掴んで廻して放り投げる、をリモコンで行います。
Wiiスポーツはスポーツの一部分を切り出してリモコンの操作にどう当てはめるかの例を示しています。
初めてのWiiはリモコンに慣れてもらう、のが主旨としていますが、むしろリモコン操作の可能性を、ミニゲームという形で陳列している感じです。(はじめてのワリオも同様な意味がある)

そしてなによりも思ったのはどれも時間が短くてプレイできるように配慮しているのではないか、という点です。
今はみんな忙しくて時間が取れない。
昔あったひどいゲームでは一旦はじめると数時間は止められずになり(中断が不能)拘束されるというものさえありました。
セーブできるところが限られているために中断できないゲームも珍しくなかったと思います。
あげくのはてに理不尽な殺され方をしてしまい、むなしさと怒りすら覚えたりもします。
そういうのに辟易しており、やってられない、という思いは私だけではなかったのではないでしょうか。

Wiiスポーツや初めてのWiiは長くても10分しないで完結する単純なゲームの集合体。
ゼルダでさえ、ダンジョンでの最初ではセーブに制約がつきますが、一定の条件でほぼどこでもセーブができるようになります。(詰まるような謎解き=パズルまでにはその条件を満たすので問題が無い。)ボス戦の前や最終面近くではある程度の連続時間を必要としますが、まぁ、許容範囲内です。
結局最後まで2ヶ月(80時間)近くかかりましたが、毎日こつこつ僅かな時間でも先に進めたからできたことで、これが旧来のようなソフトでは今も終わらずに放り出していると思います。

また、プレイを強要されて前に座るのではなく、むしろ何度もリトライを繰り返してしまい、気がつくと随分と遊んでいた、という体験が多くなっています。
大作を背負ってやるというよりも単純でも面白くて何度もやりたくなるようなゲームをそろえた。
それがWiiの成功ではないかと思います。
今までゲームをやったことのない、もしくはそっぽを向いていた人を取り込むというのが第一目的のようです。
一方で私の様に従来のゲームには辟易としていた人を、もう一度ゲームは楽しいんだ、楽しくてなんぼなんだ、ということを思い出させてくれた、というのも大きいのではないかと思うわけです。

ちなみに現在、パッケージゲームで6本、VCでも6本のソフトを買ってしまっています。
これは発売開始からまだ僅か2ヶ月ということを考えると私にはありえない数字で、この先、恐ろしい限りです(笑)

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Wiiにはまってました。

前の記事から随分と時間が空いてしまいました。下手すると2ヶ月経ってしまうのこの辺で更新しておかないと。

書かなかった(かけなかった)のは色々な理由がありますけれども、1つの大きな理由はWiiに時間を取られてしまっていたことでしょうか。

ゲームなんてもういいやと思っていた私が結局またゲームの世界に引き戻されているという感じです。
考えてみると元々私はいわゆるコンピューターゲーム歴が非常に長いんですな。
あの時点でデパートに放置されているレベルのものとはいえ、平安京エイリアンのアーケード版を実際に見て百円を突っ込んだこたことがある、というぐらい古い。インベーダーゲームもリアルでいろんなパチモノをみていますし、PCに興味を持ったのもゲームです。
MZ-80とかPC8001とかそんな時代にPCを触り始めて、まぁ、やることといえば当時は雑誌に載っているゲームプログラムの打ちこみです。
自然とプログラムを改造するようになる。打ち込み間違いを探すためにプログラムを読んで動きを理解するようになる。
現在で言うPC、PC/AT互換機の自作という世界に入ったのもゲームからです。
日本のゲームがマンネリから低調になり、一方でApple][からAmigaで育ったゲーム世界が丁度PCに移りつつある時代でした。
いまでいうFPSという分類のゲームが主流になりつつある時代です。
CPUはPC-98が486SXの16MHzとかいう時代に486DXの33MHzという倍以上のパワーを持つマシンが、ほぼ同価格で作る事ができる。
もともと小学生のころから半田ごてを持ったり電子工作をしていましたからこの程度の工作などたやすいことです。
ゲーム機でも遊んでいましたが、主にPCATで遊んでいたほうが時間としては多かったと思います。

しかしこれもWindows時代になると影をひそめます。
DOS時代ではCPUとグラフィックをソフトウェアが全権を握り、凄まじいゲームが動いていましたが、それを拒絶したのがWindowsです。
しばらくはWindowsはそれはそれで使うものの、DOSは別に存在していてゲーム用として動かしていました。
しかし中途半端にWindowsのDOS窓から動くとか、何か不安定なシロモノが増え、気のせいかゲーム自体もつまらないものが増えてきていました。
いわゆる前作を倣ったもの、骨格は同じで外見だけ変えたもの、そんなもので満ち溢れてしまったような気もします。
DOSの時代はそれこそ実験的要素に満ち溢れ、わくわくしていた気持ちがどんどんとしぼんでいきます。

中途半端な日本語版が出回り、英語版が入ってこなくなりました。しかも値段が数千円も高い。
英語版があっても英語版Windowsでしか動かないというものばかりになりどんどん興味が薄れていっていました。

ゲーム機のほうも世代を重ねるにしたがって面白そうなゲームが経る一方で閉塞感ばかり感じていたわけです。
ちなみに買ったハードといえばFC/SFC/N64/GBA/MD/SS/DC/PCEROM2/PS/PS2といったところでまぁ、平均よりは買っているかもというレベルです。
MDあたりは面白かったのですがSSになって面白さは減少したように思います。
PSもパラッパラッパーは面白かったけどあとはたいして記憶に残っていません。PS2にいたってはGTは代表作だけれども他はなにも印象がないですね。

ちなみに一般受けしたといわれるDQはFFは大嫌いな部類のゲームに入ります。やっていてあれほど面白くないゲームはないと思うのですが。

というあたりで一回切って次項に続けます。

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