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2005/10/15

仮にも法制委員会で空論を弄して欲しくはないのだが。。

  法制小委#8 ──予定にないパブコメ中間発表があってもなくても議論は絶賛紛糾中

ここのブログはいつもうなずきながら読ませていただいているが、
今回も読んでいて最後に引用されている芸団協のコメントを読んで正直呆れた。

芸団協のコメントはこの件に限らず頓珍漢なものが多いのだが、今回もメーカー側のせいにするとは恐れ入る。
メーカー側では既にPCではコピーできない、 コピー管理ができるSACDやDVD-Audioといった規格提示して機器をとっくに発売している。
簡単なことだ。CDが嫌ならばいずれかでコンテンツを発売すればいいのだ。
その選択肢は既にコンテンツホルダー側に預けられているのだよ。
メーカーがCD機器を売っているのではなく、コンテンツがCDばかりだからCD再生機しか売れないだけの話。
売れるものを売る、売れないものは売れない。メーカーなんてその程度の力しかないのですよ。
メーカー努力で最近は機器もかなり安くなってきている。しかし売れる数からすれば今が精一杯だと思う。
それはCD黎明期での価格から見ればむしろ安いぐらい。
逆にいえば現在のCDと流通量が逆転でもすれば十分すぎるほど安くなることは間違いない。
機器が高いからとかいう理由はない。
機器の数が少ないという理由はおかしい。コンテンツが少ないから比例して少ないだけの話。

状況はすでにコンテンツホルダー側の決断次第。
既に今、決断しても遅いぐらいなのですよ。
メーカーからしてみれば、もうしびれをきらしているどころか、待ちくたびれてどうでもいいや、という感覚になっていると思うよ。

ま、そんなこともあり 日米欧の家電業界、 『iPod』などへの課金反対で共闘 ってことなんでしょうね。

PCで扱えてコピーされるという損失とかいうが、いまどき、 PCで扱えないでユーザーに不自由を感じさせ音楽に触れる機会を減らすことで音楽自体に対する意欲を減退させることによる損失には心が及ばないのか。
まぁ、 おそらくPCで扱えることによるメリットというものや使ったこともない機器への想像さえも働かないでものをいっているのだろうから仕方ないか。

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私自身はさほど音楽に対する執着心はない。レコード時代は、まぁ、学生以下だったせいもあるが全くコンテンツを買えなかった。 ラジオからエアチェックをして汚い音で楽しんでいた程度だ。
CDが普及し、就職し、パソコンのCDドライブが手に入るようになってからより多く買うようになった。

パソコンのネット経由で音楽に触れる機会が増えたのも大きく作用している。
現在ではほぼ壊滅させられているMIDIによる音楽。
まだパソコンもネットもさほど普及していなかった時代、まだ寛容というかあまり厳しくはなかった時代。
SC55mk2やSC-88VLを購入し、ネットで入手できた音楽で色々な経験をすることができたと思う。
そういえば最初にYMOを知ったのはMIDIによる模倣作品だった。

MIDI曲を発表する人たちは、多くは耳コピーで作る人もいるが、やがて飽き足らずにオリジナルを同時に発表する人も多かったと思う。
私もそうだが、誰かわからない人のオリジナルをいきなり聴きたくて求める人はあまりいないと思う。
いくつかのコピー曲を聴いて、その人の素質を知り、オリジナルも聴いてみるようになる。
これが本来の音楽の姿だとそのとき感じた。
ネットという場所はこういう使い方もできるんだと感じた。

ちなみに耳コピーでPCや限られたMIDI音源という極めて限定された条件で曲を再現することはそれなりの才覚を要する。 例えばストリング系(ヴァイオリン等)は満足な音は出ないといってよい。
同時に出せる音の数も少ないためパートを切ることも少なくない。携帯でいう着メロみたいなものだ。
主旋律と必要な音を見極め丹念に大胆に音を置いていく。 時には豊かな音を出すために音の数を複数使って一つの音とすることも必要でそのバランス感覚はかなりセンスを要求する。

ま、それはさておき。

耳コピーでも金を払わず配ることは”違法行為”とみなすのだろう。
法律ではそうなのかもしれない。権利としてそれは主張できるのかもしれない。
でもそれでよかったのか。法律自体なにか間違っていないのか、運用や適用に問題はなかったのか。

私自身もそれらに啓発され音楽作成ソフトにも手を出し簡単ながら音色をつくること、音楽をつくることを感じたと思う。 実際には作品などは作れるに至らなかったが、つくる楽しさは感じることができた。その難しさも同時に。 だからこそ音楽を作れる人には自然と敬意を払える。

そういう子供達を増やし、そういう子供が大人になっていき、社会を形成させていく。
業界の代表者を主張する人たちが、自分達の主張ばかりして全体をみれないようではだめなのは明白なのにね。

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CDを買う機会が増えたきっかけを思い出してみると、やはり音楽に触れる機会が増えることが一番。
最初は自動車を購入してカーオーディオで音楽を聴けるようになったこと。家だけで聴くのと違った新鮮味がある。 ドライブと音楽のマッチングはなんとも心地よい。
2番目はパソコンでCDを扱えるようになったこと。 MP3で圧縮してHDDにたくさん蓄えてジュークボックス感覚でBGMで聴くようになったこと。
そして最近のiPodを買ったこと。手持ちのアルバムをすべて放り込める魅力は何モノにも変えがたい。
私は電車の旅が好きだが、今度は車窓との組み合わせで聴く音楽も楽しみに加わった。
マイカーでもiPodかiPodShuffleで楽しんでいる。

実は他には携帯CDプレイヤーや携帯MDプレイヤーの購入もしたのだが、それはきっかけにはならなかった。
両方ともデメリットが大きいのである。CDは入れ替えが煩雑だしCDを持ち歩くリスクが大きい。
既に廃盤になっているものも多々あるしCD-RにコピーするのもPCがあっても面倒くさい。
MDはダビングが面倒すぎて時間がかかりすぎるし野暮ったい。メディアも高いのでメディアを買いつづけるのが何かあほらしい。 場所も結構取る。値段は今は流石に安いが今更感しかない。

CDがこれほど融通が利く音源であって、音楽を聴く楽しみを広げてくれていることに感謝以外にはない。
それは多くの人が感じていることではないのか。
過去三年で、CCCDを支持した会社が軒並み25%の売上低下をしてしまい、一方でCDを主流とした会社が数%の低下で済んでいること (現在の不景気を考えればこの程度で済んでいれば御の字であろう)を考えればいかにコピーのできない、 CDではない流通メディアに対して消費者から拒否がなされているか、そんなものはこのような明確な数字として出ているのではないのか。
コピーさせないメリット・デメリットと、許すメリット・デメリットがみえてはこないのか。

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