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2005/06/17

書く技術、についてちょっと考えてみる。

ブログに問われる書く技術、話す技術 http://www.itmedia.co.jp/anchordesk/articles/0506/13/news012.html

小寺氏の論はいつも面白い、というか共感できる話が多いのだなあ。
以前もniftyserveで自分の文章力が鍛えられたという話が載っていたが全くの同感であった。
私もだいぶniftyの会議室で文章力が上げることができたと思う。

その頃、オフラインミーティング(といって最近の人には理解されるのだろうか) で何度か聞かれたことであるのだが、「なんであれだけの文章がかけるのですか」という話になったことがある。
私は長文の傾向がありやや恐縮しているのだが、これは自分の文章力や表現能力のなさでもある。あまり誉められた傾向ではないのだが。。

私と同じぐらい書いている人と自分で考えてみると、いくつかの要因があるように思う。

ひとつは文章をたくさん読んでいる傾向がある。 いわゆる読書家とか論文を日頃たくさん読んでいる人とかそういった類。ともかくも文章を読んでいるのが普通であるという感覚を持っている。
それは知識欲が旺盛だったり、ともかく小説が大好きだったり、まぁ、なんでもいい。ともかく文字に接している時間が長い。
文章を書くには良い文章をたくさん読んで覚えておくことだ、と言った論評家がいたと思う。
誰しも最初は物真似である。赤ちゃんが最初に発する言葉は彼に話し掛けていた人の言葉のオウム返しである。時には人の表現を真似し、引用し、 そして自分の言葉を見つけていく。

もうひとつは自分の考えをなにかしら持っている人である。
何か物事があったとき、例えばニュースでもそれに対して何かしらの分析や解釈をしようとすることをごく普通にやっている。 ある程度訓練というか習慣付けというかそういう要素が強い。
その根幹になにかしら思想というか宗教的なものというかそういうものを持っている。
特定の誰かのものではなくて自分で作り上げたなにかがある。

あとは当然といえば当然なのだが、日頃からたくさん文章を書いている人である。 プロのスポーツ選手は毎日トレーニングを欠かさない。文字で書かなくても頭で文章を浮かべてみる。日記を必ず書く。 日記といっても淡々とその日にあったこと、行動記録のようなものを書くだけでもだいぶ違う。 下手でもいいからともかくもたくさん文章を書いてみる。昔はちらしの裏に書いては捨てる、というスタイルだったが、 今はワープロなりエディタで書いて保存しなければそのまま消える。保存して後日読み直してみるのも一興。
実際、私自身、nifty時代は実際にアップロードするつもりで書いた文章でかなりの数を捨てている。ある程度の緊張を持って、 ともかくも書いてみることが重要。

最後にやや即物的な話になるが、たくさん文章をかくには、 キーボードをちゃんと打てるようにならないといけない。思考を妨げないようにキーボードをたたけないと文章を紡げない。
何か文字を頭に浮かべたら既に指が勝手にそのキーを叩いているぐらい反射的にできるように訓練をしておく必要はある。まあ、 訓練せずともどんどん文章を入力しようとしているうちに打てるようになっているかもしれない。
それはスポーツでまずウェイトトレーニングをして筋肉を作ってからスポーツをするか、スポーツを通じて必要となる筋肉を作っていくか、 程度の差だと思う。前者のほうが効率が高いが、後者のほうが面白い。まぁ、その辺は好き好きでいいと思うが。

日本の教育では「作文」を書く訓練はするのだが「論文」を書く訓練は殆ど無い。
作文よりもむしろ感想文で情緒的な表現が誉められる。

実際に社会に出てから必要だったり、ビジネスで金を稼いだり、 Webやブログで必要になるのは論文を書く技術である。(ポエムで稼げるような芸術のある方の話は別である)
よって訓練されていないままでいたり、そのまま社会に出てギャップに苦しむのは珍しいことでもない。
実は論文を書く技術、つまりテクニックというものは存在する。
米国では大学の教養課程で必須授業の項目らしい。 日本でも書籍でいくつも出ているので自分にあったものを探して勉強してみるのも文章を書けるようになる近道である。

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